第二十八話「魔物の影」
二月十四日。
年が明け、一月半ほど経った。
ここラスモア村はすっかり雪に覆われ、白銀の世界になっている。
石鹸は八十戸ある村のすべての家に配布が終わり、教育の方も大人を対象としたケイトの授業が始まっていた。
黒板は職人のクレイグに作ってもらった。持ち運びができるよう、一m×〇・五mの木の板の表面をきれいに磨き、炭と油で作った塗料を使って黒く色を付けて、何とかそれらしいものができた。緑色にしたかったが、緑の塗料で良い物がなかったので、黒で我慢している。
チョークについては、石灰岩を細かく砕いて焼き固めた物を作った。
思ったより脆く、書き心地もいまいちだが、一応は使えている。
小麦粉を使った乾燥パスタ作りは、パスタマシーンなしの手切りのもので試してみた。
風属性と火属性の複合魔法を使い、伸ばして切った麺を乾燥させていく。
かなり薄めに伸ばしたため、短時間で乾燥したが、少しバリバリになっている気がする。
とりあえず、モリーに湯を沸かしてもらい、塩茹でしてみたが、微妙な食感だった。
パスタマシーンを作るのが面倒だったので、うどんかそばと同じようにこねて伸ばし、それを包丁で切っていく。もちろん四歳児の体力では出来ないので、ウォルトとモリーにやってもらったものだ。麺は冬の晴れ間を利用して天日干しにし、更に魔法も併用して十日ほど掛けて乾燥させた。
乾燥具合もよく、茹でれば食べられるのだが、どうにも食感が良くない。
原因は太さがバラバラで、ゆで時間がうまく調整できなかったことにあるようだ。
食べるほうもナイフとスプーンしかないため、非常に食べ辛い。木のスプーンを改造して簡単なフォークを作り、塩漬け豚と唐辛子で味をつけたソースで家族に食べてもらったのだが、評判はあまり良くなかった。
父の感想は、「作るのが面倒な上、食べ辛い。それにあまりうまいとは思えん。確かに鍋があれば食べられるから、屋外食にはいいかもしれんが、これは売れんだろう」とのことだった。
他の人の感想も同じようなものだったので、乾燥パスタは失敗と判断した。
(やはり採れ過ぎた小麦も発酵させて酒にするしかないな……パスタがうまく行かなかったのは、酒にしたいっていう深層心理が働いたのかもしれないな……)
館ヶ丘の三〇〇七年は、ベビーブームになりそうだ。
母の懐妊の発表があった後、年明け早々にシャロンの母クレアにも妊娠の兆候があると分かった。彼女も妊娠三ヶ月と分かり、出産は七月くらいになるそうだ。
その直後、メルの母、ポリーも妊娠していることが分かった。クレアと同じ時期だそうで、今年の夏は赤ん坊の泣き声で賑やかそうだと祖父が笑っていた。
俺は知らなかったのだが、メルには妹がいたそうだ。三年前に生まれたのだが、病気に掛かり、生後二ヶ月で亡くなったそうだ。
そして、ニコラスとケイトの娘、新婚のジーンにもその兆候があるそうで、今は様子を見ているところだ。
俺はその話を聞くたびに、神の話を思い出していた。
その中に“運命の子”がいるのだろうかと。
俺自身についてだが、訓練は順調で剣術も魔術も共にレベル四に上がっている。
体も少しずつだが、成長している実感がある。
だが、ここ数日、祖父と父の表情が曇り、従士たちの間にも重苦しい空気が立ち込めていた。
ガイとヘクターが猟師たちと森の中を巡回しているのだが、森の様子がおかしいというのだ。この季節には見られない熊や、もっと山奥にいるはずの雪豹の痕跡が森の中にあったそうだ。
更にゴブリンらしき足跡が雪に残っていたとのことで、森の奥で何か起こっているのではないかと話している。
祖父と父は、森の中に自警団を投入することを決めた。
「念のため、森の中を大々的に調べるぞ。ヘクター、三十人ほど率いて足跡を追ってくれ。ガイ、猟師たちと更に奥を調べてくれ。何事も無ければよいが、嫌な予感がする」
祖父は、ヘクターに自警団員三十名を率いさせ、森の調査を命じる。
そして、元冒険者のガイも猟師三名と共にウッドフォード川を遡り、アクィラ山脈の麓まで調査範囲を広げることが決まった。
二月十五日。
朝早くヘクターの班が森に向かう。
ガイの班は三日掛りであるため、そりに物資を積み込み、村を出発していった。
夕方、ヘクターの班は空振りに終わったようで、特に収穫も無く戻ってきた。
「熊や豹の足跡は北に向かっていました。ゴブリンたちの足跡は一旦、西に向かった後、北に向かっています。どうやら、南東から逃げてきたようです」
祖父はヘクターたちに労いの言葉を掛けた後、父と二人で今後の対応を協議していた。
結局、結論は出ず、ガイたちの結果を待つことになったようだ。
三日後、二月十八日の正午前、疲れた表情のガイが帰ってきた。
「ウッドフォード川の上流五kmほどのところで、大量の足跡を見つけました。オークとオーガです」
祖父は「オークとオーガじゃと……」と絶句し、父は苦悩の表情で腕を組んでいる。
「はい、確認できただけでオークが百匹近く、オーガは十匹以上です。幸い、東から北西に向かっており、シーリン河――ラスモア村の北五kmほどの場所を流れる比較的大きな河――を渡ったところまでは確認しております」
「オークとオーガ……オーガがオークを追い掛けておるのか?」
ガイは静かに首を横に振り、
「分かりません。ですが、少なくともオークの足跡に逃げているような乱れはなかったと思います」
祖父は信じがたいという顔をしている。
「……オークとオーガが共に進んだのか? まあいい。で、こちらに戻ってきた痕跡はないのじゃな」
「はい、シーリン河からシェハリオン山――ラスモア村の北にある小さな山――の麓沿いを戻って来ましたが、少なくともこちらに向かっている痕跡はありませんでした」
父が「他に報告すべき情報は?」と問うと、
「オーガたちの足跡より古い足跡が多数、北に向かっておりました。狼、鹿、熊などですが、シェハリオン山に入ったようです」
ガイの考えでは動物や弱い魔物たちが、オーガたちを恐れて逃げていったのではないかというものだった。
祖父はウォルトら従士たちを集め、今後の協議を行っていく。
だが、情報が少なすぎるということで、村の周囲の警戒を強める以外、有効な対策は思いつかなかったようだ。
従士たちが引き揚げた後、俺は祖父と父に呼び出された。
「オーガの話じゃ。お前の意見を聞きたい」
俺はその言葉に驚き、
「軍事の素人ですよ、私は。おじい様に意見を言えるほどの知識は持ち合わせていませんが?」
祖父は首を横に振り、「何でもよい。思うところがあれば話してくれ」と再度俺に意見を求めてきた。
正直なところ、オーガもオークも見たことはなく、自警団の戦力も分かっていない状況で何を言っていいのか判断が付かない。
ちなみに、オークは身長一・八mから二mほどで全身に固い毛が生え、腹はだらしなく突き出し、脚は短い。そして、潰れた鼻に下顎から上に突き出した数cmの牙、額にある二cmほどの小さな角がある鬼系の魔物だ。
一方、オーガは三mを超える巨体に長く太い腕、口には鋭い牙が上下から二本ずつ生え、その巨体に見合った膂力を持つ強力な魔物だ。
どちらも知能は低いが、好戦的で貪欲、人間を食べることはもちろん、女性を繁殖用に連れ去るため、人々から最も嫌われている魔物だ。
「うちの村の自警団で百匹のオークと十匹のオーガを戦うことは可能でしょうか?」
祖父は「無理じゃな」と即答する。
「では、オークとオーガが同じ群れを作ることはありうることなんでしょうか?」
「少なくとも儂は聞いたことは無いな。マット、お前はどうじゃ?」
「……ないですね……いえ、魔族なら自らの眷属として使役することができるはずです」
父の話ではアクィラ山脈の東に住む魔族のうち、鬼人族――大鬼族、中鬼族、小鬼族の総称――がオーガ、オーク、ゴブリンなどを使役することができるそうで、数十年前のカウム王国――南部にある山岳国家――への侵攻時に、オーガやオーク、ゴブリンが同時に攻め込んできたことがあるとのことだった。
「そうじゃな。それならありうるが……しかし、ここはクウァエダムテネブレ――魔族の住む土地――から三百kmは離れておる。それにいかに魔族とはいえ、極寒のアクィラを越えてくることは不可能じゃろう」
祖父の意見では魔族がこの辺りまで進出してくる可能性は低く、考えがたいと言うものだった。
父もその意見に、「そうですね」と頷く。
(魔族かどうかは別としても、オークとオーガの足跡があったのは間違いない。オークが何かを追いかけて移動し、それをオーガが追いかけている可能性もないわけじゃない。どちらにしても、シーリン河の北に向かったことは間違いない。シーリン河の先にはキルナレックの街がある……)
「分かりました。では、やれることはこの情報をしかるべきところに通報するだけかと。ちなみにこういった情報はキルナレックの誰に伝えるのでしょうか?」
「そうじゃな。キルナレックには領主はおらぬから、町長と守備隊の責任者じゃな。ギルドの支部長辺りにも直接伝えたほうが良いかもしれんな」
キルナレックはカエルム帝国の街だが、都市国家連合の傘下にある自治都市だ。そのため、名目上の領主はいるが街には常駐していない。
「では直ちにキルナレックに警告すべきでしょう。できればおじい様の名で」
祖父は自分の名前にする理由が思い当らず、
「警告はするが、儂の名というのはなぜなのじゃ? 領主のマットの名で良いのではないか?」
「先ほどの話を聞いていると、この話はなかなか信じてもらえない話のようです。ですから、歴戦のおじい様が認めた情報であるとしたほうがいいのではないかと」
父も「そうだな。その方がよい」と頷いている。
キルナレックにはニコラスが使者となることが決まった。祖父は町長宛に親書を認め、ニコラスに渡す。
「町長にこれを渡した後、各ギルドにも直接話をするのじゃ。特に冒険者ギルドには警戒を怠るなと伝えてくれ」
ニコラスが出発したあと、村の自警団は村周辺の巡回を強化した。
翌日の二月十九日の夕方。
キルナレックからニコラスが帰ってきた。
彼の報告では、町長と守備隊の責任者は半信半疑だったが、念のため警戒を強めることになったそうだ。
各ギルドの支部長にも話をしたが、芳しい反応は無かったそうだ。こちらも念のため、情報は流すが、積極的に動くつもりはないという答えが返ってきた。
その後、北のシェハリオン山から狼たちの遠吠えが聞こえるようになったが、大きな変化もなく三月を迎えた。
半月に一度来る行商人から話を聞くが、特にオークやオーガが街道や街を襲ったという情報は入ってこない。
村の人々からも徐々に不安の色は消えていった。
三月十五日。
祖父も大規模な魔物の襲撃の可能性は低いと考え、自警団の警戒態勢を解除した。村は普通の生活に戻った。
その頃になると、雪が解け始め、農作業が徐々に始まっていく。
館ヶ丘でも従士たちの畑の耕作の準備が始められていた。
トイレの改善で作った腐葉土――秋に成功したもの――については、ニコラスの家の畑で試験を行うことになった。
更に冬の間に製作された有輪式重量犂の試験が、ヘクターの家の畑で行われることになった。
プロトタイプの有輪式重量犂は荷馬車の部品を流用したものが多く、俺が思っていたより華奢な感じがする。
だが、使ってみると作業効率は飛躍的に上がり、人力で耕す数分の一の時間で畑はおこされていた。
父はその様子を見て、溜め息交じりに感心する。
「言われれば当たり前のことだが、目の当たりにすると思っていた以上だな」
俺は元の世界の耕運機を知っているため、そこまでの感慨は無い。
「そうですね。あとは改善点を洗い出して、村に導入するだけでいいと思います。台数は各地区に一台くらいあれば充分でしょう。運用方法はどうするおつもりですか?」
父は「運用方法? どういう意味だ?」と俺に聞いてきた。
「この有輪式重量犂の所有をどうするか。領主が貸し出す形にするのか、それとも各地区で共有するのか。貸し出すなら使用料はいくらにするのか、共有するなら管理は誰が行うのか……」
俺は思いつく限りのことを説明していく。
(農協のような組織があれば、そこで管理させるのがいいのだろうが、まだ、この村の人間関係が良く分かっていない。領主であるロックハート家が貸し出すほうが、公平でいいのだが、うちの父上だと格安で貸し出しそうだしな……)
「すまん。その辺りは全く見当がつかんな。お前とニコラスに一任する。最も良いと思う方法で進めてくれ」
父はお手上げという感じで、俺とニコラスに丸投げしてきた。
俺もそうなるような気がしていたので、「分かりました。いつものように計画書を作ります」と言いながら、心の中で苦笑していた。
一応腹案は考えてあった。
当面は領主の所有物として貸し出すことにし、貸出料は製造費の減価償却ができる金額にする。但し、この村では貨幣経済があまり発達していないので、物納という形も認める。
問題は保管場所とメンテナンス。野晒しにするわけにもいかないし、使用後の手入れは絶対に必要だ。台数は今後耕作面積を拡大していくなら、各地区に一台ずつは欲しい。そうなれば四台から五台を保管するスペースが必要になる。
もう一つは耐用年数をどう設定するかだ。一応、三年と見ているのだが、経験の無いものだから全く読めない。
製造コストは金貨三枚分、三百C(=三十万円)だった。荷馬車の部品を流用したため、思ったより安く済んだようだ。
減価償却期間を三年と置けば、年間百Cを回収できればいい。年間の稼働日数を百日と考えれば一日当たり一C(=千円)、五十日と考えるなら二C(=二千円)で資金は回収できるから、それほど負担にはならないはずだ。
物納の場合は相場が分からないから、ニコラスに任せるつもりだ。
俺はニコラスを呼び、保管場所とメンテナンスの問題、賃貸料の設定について説明していく。
「保管場所は東地区に建てるべきでしょう。鍛冶師のベルトラムさんや木工職人のクレイグの工房に近い方が便利でしょう。整備の責任者は、誰か信頼できるものを任命するしかありません。一応、心当たりがありますから、話を通しておきます……」
俺はすぐに答えが出せる彼に、“さすがはニコラスだ”と感心していた。
「賃貸料は半日当たり二Cで馬も付けましょう。馬が不要な場合は半日当たり一Cで充分です」
一日単位だと思い込んでいた俺は、「半日単位で貸すのか?」と声を上げてしまった。
「はい。ヘクターの畑で見た限りでは、小さな畑なら半日で充分です。それに耕す時期はどこも同じですから、できるだけ効率良く使ったほうが皆のためですから」
作っている作物が同じなら、種を蒔く時期も同じになる。日当たりで多少は変わるのだろうが、この村ではそこまで気を使って耕作はしていない。
ニコラスの説明では一日ごとにすると、半日で終わる作業をのんびりと一日掛けてやるため、他の農民が待つことになる。ならば、半日ごとにして、効率良く回したほうがいいというものだった。
(さすがにニコラスだな。村の状況をよく理解している。やはり“現場”を知らないと頭でっかちな案しか出てこないな。もう少し俺も現場を見るようにしないと……ここはニコラスに任せよう)
「了解した。賃貸料の物納についても任せるよ。俺じゃ想像も出来ないから」
結局、俺も父と同じようにニコラスに丸投げしてしまった。
館ヶ丘での運用を村の人に見てもらうことにし、使いたい者には貸し出すというと、かなりの村人が興味を示してきた。
どうやら、ニコラスが行う改革、すなわち俺がやっている改革が村の人に認められつつあるようだ。
これがうまくいけば、畑を大きくできる。麦の収穫量が増えれば、酒もたくさん作れるし、特産品になれば村も豊かになる。あとは子供の死亡率を下げることができれば、人口を増やすことができるはずだ。




