第二十七話「新年」
十二月三十日。
五日前のゴブリン討伐騒動も、終わってみれば何事もなく、再び平和な日々が戻っていた。
討伐の翌朝、俺の姿がないことにメルとシャロンが騒いだらしいが、それ以外は何も起こっていない。
最近の俺の改革プランの状況だが、どれも大体順調に進んでいる。
リディが教師を務める巡回教室も順調で、リディは子供たちの受けがいいとニコラスが教えてくれた。そして、対象外の十歳以上の子供や大人も興味を示し始めているとも教えてくれた。
蒸留についても、三ヶ月寝かせた若い蒸留酒に“スコッチ”という名前を付けたことから、蒸留責任者のスコットが俄然やる気になっている。
スコッチと名付けた理由に、責任者である彼がこの酒に愛着を持ち、資金力のある商人や貴族に引き抜かれるのを防ぐという意味もあった。我ながらあざといやり方だと思うが、蒸留酒が爆発的に売れた場合、スコットを引き抜かれる可能性は高い。それを防ぐための布石なのだ。
マール――ワインの絞りかすを蒸留したもの――についても蒸留を完了し、スコッチとマールで十樽くらいが倉庫に眠っている。
果実酒も壷に漬ける形で作られており、こちらのほうも二十個近い数の果実酒が出来そうだ。
石鹸についても順調で従士たちの家でも特に問題なく受け入れられている。ニコラスとケイトが発見した製造方法で、ヘクターのマーロン家やガイのジェークス家でも作ってもらい、品質に問題ないか検証している。今のところ問題は無く、今の製造法でも十分売ることができそうだ。
トイレと有機肥料については、家畜――馬と牛――の糞に麦藁と森で取ってきた腐葉土を混ぜ、そこに人の排泄物を混ぜて実験している。
秋までのものは順調に腐葉土に変わっているが、寒さが厳しくなってきてからの結果を待っているという状況だ。
今年の作業には間に合わなかったが、有輪式重量犂については、木工職人のクレイグと鍛冶師のベルトラムに製造を依頼しているそうだ。春にはプロトタイプが完成する予定だ。
今のところ、すべてが順調に進んでいる。
冬の間に乾燥パスタの製造を、春には養蜂と甘味料の製造を考えている。
自分の鍛錬では、剣術がレベル三で、魔法が最も高い風属性でレベル三になっている。
魔法については、一つの属性を極めてから他の属性に手を出した方が効率が良いとのことなので、今はリディの得意な風属性を集中的に鍛えている。
風属性では、気体を操るということでイメージが難しく、どう攻撃魔法に繋げるか悩んでいた。ちなみにリディは風の刃と空気の鎚を良く使う。
風の刃は透明なブーメランが飛んでいくイメージで、太さ五cmくらいの木の枝を簡単に断ち切っていた。空気の鎚は圧縮空気を叩きつける感じの魔法で、思いっきり魔力を込めれば重装備の騎兵を馬ごと吹き飛ばせるほどの威力を持つそうだ。
俺の魔力保有量はまだ九十一しかなく、どちらも大した威力はない。今はひたすら、風の刃を唱えて風属性のレベルを上げている。
ちなみに俺の風の刃の威力は、射程が三十mくらい、スピードが秒速三十m=時速百kmくらいで、十m先の直径一cmくらいの木の枝を切り落とす程度だ。
スピードが遅いのがネックだが、頚動脈などの急所に入れば、充分に殺傷能力がある。四歳児が持つ戦闘能力としては結構なものだと思っている。
残念なのは、コントロールがいまいちなところだろうか。十m先の的でも二十cmくらいの誤差が出る。リディはイメージが大事だというのだが、ブーメランだからだろうか、どうも精度に欠ける。
どうにも悔しいので、リディには内緒で新しい魔法を開発している。イメージは真空の刃の翼を持つツバメ。
速度は風の刃に劣るものの、自在に動かせるため、命中精度は格段に上がっている。何より飛ぶ姿が美しい。透明なツバメが自在に飛ぶ姿は見ていて楽しいのだが、魔力の使用量が大きいので数秒しか練習できない。
呪文を唱えれば魔力の節約になるが、魔法の発動に名前が必要になる。今、その名前を考えているのだが、いい名前が思い浮かばない。どうも厨二的な名前を考えるのは苦手だ。
魔法で思い出したが、シャロンの訓練も順調に進んでいる。十一月には魔力の操作ができるようになり、教えているリディが驚いていた。
ただ、俺のように魔力保有量が確認できれば別だが、まだ四歳の子供が魔法を使うことは危険ということで、魔力操作の練習を繰り返している。
年明けから簡単な魔法――シャロンは火と風の属性持ち――を使う訓練を始めるとリディが言っていた。
彼女曰く、シャロンは天才だそうで魔術学院に行かなくても、十五歳くらいまでに一人前になれるだろうとのことだった。
今日も朝から雪が降っている。
雪が降っても祖父の訓練は普段通りに行われる。
嵐が来ない限り、雨が降っても訓練を行うので、雪程度ではやめる理由にはならない。
ちなみに嵐のときに訓練をしないのは、緊急時に備えるためであって、祖父曰く、「敵は雨でも雪でも嵐でも襲ってくる。当然、それに合わせて訓練をすべきだ」とのことだ。
外に出ると、まだ暗闇に覆われており、灯りの魔道具が照らす雪がきらきらと煌き、幻想的な風景になっている。
いつものように朝の挨拶を交わし、素振りを始める。
素振りをしていると、丘の下から灯りが二つ揺れながら上がってくる。
シムとメルの兄妹とダンとシャロンの兄妹が持つ灯りだ。
真面目なことに彼らも雨が降っても雪が降っても必ず訓練にやってくる。主人であるロックハート家の面々がやっているのに、家臣の子供がやらないわけにはいかないという事情もあるのだろうが、まだ幼い子供が身を切るような寒風の中、頬を真っ赤にして丘を登ってくる姿を見ると、ただただ感心してしまう。
元気なメルの挨拶の声が響き、他の子たちの声が重なる。
祖父も俺たちも手を止めることなく、挨拶を返していく。
いつもと変わらない日常。
俺にとっては掛け替えの無い日常だ。
今日十二月三十日は大晦日、トリア暦三〇〇六年最後の日だ。
この世界は一月が三十日、一年が三百六十日なので、十二月も三十日までしかない。
そして、一年の始まりが冬至に当たる。
その前日、大晦日に当たる日は、一年を無事に過ごせたこと神に感謝し、来る新年が平穏であることを神に祈る。この辺りは元の世界と同じようなものだ。
雨が降っても雪が降っても訓練は行われるが、さすがに大晦日の今日と明日の元日は、自警団の訓練は行われない。
リディの巡回授業も今日は休みで、朝の訓練が終われば、のんびりとした時間が流れるはずだ。
訓練が終わると、皆で食堂に向かうが、家の中は灯りの魔道具の光で照らされている。
この屋敷にはガラス窓がなく、窓はすべて木窓だ。雪が降るような寒さの中では、暖房効率を考え、窓はすべて閉ざされている。このため、冬の間はたとえ天気が良くとも、昼間から灯りの魔道具の光に頼ることになる。
この灯りの魔道具なのだが、比較的安価で長持ちする。それに使う魔力も少ないエコな照明器具だ。
子供の俺でも簡単に灯せる。一度、使用するMPを計ってみたが、二時間くらいもつ物でも十から十五くらいだった。普通の子供で四つや五つは点けられるそうだ。
淡い灯りの魔道具の光の中で朝食をとり、その後は皆、思い思いの過ごし方で大晦日を過ごしていく。
俺はメルたちと雪合戦などして遊び、その後はリディと魔法の勉強をして過ごしていた。
そして、夕方。
いつもより豪華な料理が食卓に並んでいく。
年末年始に向けて潰された豚や牛が暖炉で焼かれ、きれいに盛り付けられていく。
シチューのようなどろっとしたスープと、雪の下から掘り出した冬野菜。
そして、大きなパウンドケーキのような甘い菓子が置かれている。
大人たちの手元には、滅多に使わない銀製のグラスが並び、中にはワインや“スコッチ”、水で割った果実酒などが注がれている。俺と兄のグラスには薄く割った果実酒が入れられていた。
この日ばかりは、この家で働くウォルト、モリー、トリシアも一緒に食卓に着いている。
皆静かに席に着き、暖炉で燃える薪の燃え落ちるゴトっという音だけが、食堂に響いていた。
全員のグラスが満たされると、祖父の言葉で晩餐が始まる。
「今年はイーノスとジーンが結ばれた。そして、新たにリディアが家族として加わってくれた。来年には新しい家族が生まれる。早ければイーノスのところにもな」
祖父は父と母、ウォルトとモリーに微笑みかける。そして、俺をちらりと見てから、
「今年はいろいろと新しいことに挑戦した。まだ、結果は出ていないが、来年にはいい結果が出るじゃろう。今年を無事に過ごせたこと、来年がより良い年になることを神に祈ろう」
祖父は「神々に感謝を。乾杯」とグラスを持ち上げる。
皆も同じように「「神々に感謝を」」とグラスを上げる。
そして、静かに食事が始まるが、すぐにいつもの賑やかな食卓に変わっていく。
特に兄がゴブリン退治のことを聞きたがり、祖父も酒が入るに従い、話に熱が帯びていく。
俺はリディと話をし、母とモリーとトリシアは生まれてくる子供のことを話していた。
平和な時間が過ぎていく。
あと数時間で運命の三〇〇七年になる。
そのことを考えると、いつも不安になる。だが、俺が不安そうな顔をすると、いつもリディが俺の手を取ってくれる。
「大丈夫よ。私がいるわ」
その言葉に俺は頷き、「ああ、分かっている」と笑顔を向ける。
(今年はいろいろあったが、一番はリディに出会えたことだ。陳腐な言い方だが、“運命の女”に出会えた。来年はどうなるのだろう……もう一人の“運命”に出会うのだろうか?)
いつもより遅くまで楽しく過ごしていた。こんなところも元の世界と同じだなと思いながら、この時間を大切にしたいと俺は考えていた。
トリア暦三〇〇七年が明けた。
さすがに朝の訓練はないが、それでもいつもの時間に目が覚める。
(遂に運命の年になってしまったか……いや、もう考えないことにしよう。考えても何も変わらないからな……)
少しベッドの中でゴロゴロしていたが、二度寝することなく、結局起き出していた。
まだ外は暗いが、ウォルトが水を汲み上げる釣瓶の音が聞こえたので、俺はいつものように木剣を持ち、庭に出て行った。
昨日までの雪は止み、空は雲一つ無い晴天だった。
十分ほど素振りをし、体を温めると、空の色が深い紺色から徐々に鮮やかな青色に変わっていく。
俺は白い息を吐きながら、徐々に明けていく東の空を見つめていた。
(御来光か。何十年振りだろう……子供の頃、家族で初詣に行ったとき以来だな。四十年振りくらいか……)
アクィラ山脈の上、東の空が赤みを帯びてくる。
雪で白く化粧をした山の稜線がオレンジ色に染まっていく。
そして、濃い橙色の太陽が、ギザギザの稜線からゆっくりと上っていき、雪が積もり真っ白になった屋敷の屋根を照らしていく。
徐々に上がる太陽の光が丘を照らしていくと、林の木が長い影を作っていく。
俺は思わず目を瞑り、軽く頭を下げていた。
(今まで感じたことは無かったが、こういう光景を見ると自然と畏敬の念を抱くものなのだな。元が日本人だからなのだろうか?)
「やっぱりいたわ」
リディがそう声を掛けてきた。寒さに耐えるように両腕をしっかりと抱き締め、少し震えているようにも見える。
俺は「あけましておめでとう」と日本語でしゃべっていた。
「何? 今のは前の世界の言葉?」
彼女は不思議そうな顔で俺を見つめている。
「そうだよ。年が明けたことを感謝する意味の言葉かな。まあ、年明けの最初の挨拶だよ」
彼女は寒さに震えながらも、「ねぇ、その言葉を教えて」とねだってくる。
一音節ずつ区切って教えていくと、
「あ・け・ま・し・て・お・め・で・と・う。合ってる?」
俺は大きく頷き、「合っている。あけましておめでとう」と、もう一度口に出していた。
冷たくなった彼女の手を取り、屋敷の中に入っていく。
後ろを振り向くと、夜明けのオレンジ色の光に染まった雪原が広がっていた。




