第七十二話「飲みたくなる時」
ダン視点の話です。
十一月二日の午後。
ドワーフの鍛冶師方が村を去り、村は静かになった。
これで一連の騒動が終わったと感じ、僕ダン・ジェークスは館ヶ丘の草原で一人、ここ一ヶ月ほどのことを思い返している。
収穫祭が終わった頃から東の森、そしてその先のアクィラ山脈に異変が見られるようになった。森では魔物たちが北に移動し、山では飛竜や有翼獅子などの強力な魔物が頻繁に目撃されるようになったのだ。
この状況について、先代様、御館様、そしてザック様は魔族の軍隊の移動を疑っておられた。十一年前のオーガとオークの群れが移動した時と状況が似ているらしい。
僕は十一年前のことは覚えていないけど、ザック様にそのことを聞くと、
「あの時は槍鹿や角兎みたいな弱い魔物が最初に逃げ始めて、その後に雪彪までシェハリオン山に逃げ込んだんだ。今回もそれに似ていると思わないか」
「そうですね。似ていると思います」
「父上には偵察を強化するようにお願いしているが、嫌な予感がするんだ。絶対に無理はするなよ」
そうザック様はおっしゃられた。よく分からないけど、去年ルナさんを助けた時の感じに近いらしい。
そして、事態が急変したのは十月二十日の昼前だった。
僕は自警団の弓術士マークと猟師のダヴィの三人で東の森の偵察を行っていた。
朝早くに出発し、昼前には山脈の麓に到着していたが、そこに辿り着くまでもいつもと様子が違った。いつもなら必ず襲い掛かってくる岩猪が僕たちを無視して走り去り、大黒鴉がガーガーと威嚇するように鳴き続けている。
僕は二人に気を引き締めるよう指示を出す。
「気を抜くな。先頭は僕が行く。マークは左右を、ダヴィは後ろも警戒してくれ。ヤバイ感じがするんだ」
ドクトゥスの四年間と村に戻ってからの一年で、何となく危険な感じが分かるようになってきている。まだ、父さんほど明確には分からないけど、僕の勘では間違いなく大物がいる。
二人も何か感じていたようで、言葉少なに「「了解」」とだけ答えた。
更に森を進むと瘴気のようなどす黒い気を感じ、ハンドサインで停止を命じ、その場に身を伏せた。
「前に何かいそうだ。そこの木に登って様子を見る」
僕はそう言って手頃な木に登っていく。
この辺りは大木の森になっているけど、アクィラの麓ということで木の間隔は森の中より疎らだ。少し高いところにいけばある程度周囲が見える。
五mほど登ったところで一度周囲を見回した。
僕の目に映ったのは斜面を滑るように降りてくるアンデッドの群れだった。見える範囲だけでも数百体の骸骨と屍食鬼がひしめき、山の斜面はアンデッドで埋め尽くされていた。
距離はまだ二百メルト以上あり、時間的には余裕があった。ザック様の作った望遠鏡で更に見える範囲を確認していく。
望遠鏡で見る限り、ほとんどがスケルトンで、グールがそれに混じる感じだった。これなら防壁で充分防げると安堵するが、僕の希望を打ち砕く魔物が現れた。
漆黒の馬に跨る首なし騎士がいたのだ。
急いで降り、二人に状況を説明する。
「山の中にアンデッドがいる。それも数え切れないくらいだ……ダヴィは大至急村に戻って、御館様か先代様にこう伝えてくれ。“グールとスケルトンが森を埋め尽くしている。数は不明。指揮を執っていると思われるデュラハン一体を確認。更に詳細を調査してから帰還する”と」
僕の命令を復唱するとダヴィは駆け出した。
「マークは狼煙台に向かえ。狼煙の色は赤。準備ができ次第、すぐに上げてくれ。僕はもう少し偵察してから合流するから」
マークも森の中に消え、僕一人になった。少し不安になったけど、僕もロックハートの斥候だ。必要な情報を集めなければならない。
この時、僕が調べようと思っていたのは、敵の規模と進行方向、そして指揮官の有無だ。デュラハンが指揮しているなら多くても千を超える程度だが、僕にはそうは思えなかった。そのデュラハンの動きが誰かに命じられているように思えたから。
気配を消して敵を探っていく。
するとデュラハンは一体だけでなく三体いることが分かった。それに加え、幽霊もはっきりと見えるようになり、更に上位種である死霊の姿も確認できた。
これは不味い状況だと少し焦っていたけど、それでもまだ余裕はあった。ザック様の提案でミスリルを表面に貼った武器がたくさんあるからだ。
狼煙台に到着すると既に狼煙が上がっていた。僕はマークに状況を説明した後、発見した場所と敵の数、移動速度などを紙に書き込み、彼に渡した。
「これを御館様に。僕はもう少し偵察してから戻る」
「危険です。それに情報はこれで充分ですよ。すぐに村に戻りましょう」
彼の言葉に僕は首を横に振る。
「まだ大物がいそうなんだ。それを確かめないと御館様が判断に困る。お前はすぐに行け!」
これ以上議論は無用と彼の背中をバンと叩いて出発を促すとマークは「ご武運を」と言って走り始めた。
正直、不安だった。こういった時にいつもザック様がいてくれたけど、今は僕一人しかいない。
でも、僕はロックハート家の斥候だ。
斥候は指揮官の目であり耳。だから、僕はできる限り正確な情報を御館様と先代様に伝えなければならない。
斥候が重要だと教えてくれたのはザック様だ。五年前、ドクトゥスに行った頃、僕は自分の存在価値について悩んでいた。
剣術でも弓術でも僕はあまり役に立たない。ザックセクステットの前衛はザック様、ベアトリスさん、そして、メルだ。ベアトリスさんはもちろん、ザック様もメルも当時から前衛として優秀だった。
後衛はリディアさんとシャロンだ。リディアさんは弓でも魔法でも一流だし、妹もザック様ほどじゃないけど充分に凄い魔術師だった。
そんな中、剣術でも弓術でも僕は見劣りした。
そんな感じだったから、僕はザック様に愚痴を零してしまった。そうしたら、ザック様は父さんのことを話し始めた。
「……おじい様が一番信頼している斥候はガイだ。なぜだか分かるか?」
僕は全然分からず首を横に振ることしかできなかった。
「斥候は軍隊の、指揮官の目なんだ。ガイはそのことをきちんと理解している。話は変わるが、軍隊でもっとも重要なのは偵察と補給だと俺は思っている」
「偵察と補給ですか? でも、実際に戦う部隊が弱ければ意味がないと思いますけど」
僕は正直に思ったことを口にしていた。ザック様はニコリと笑われ、
「腹が減って動けない状態で目隠しされたら、どんな強い奴が相手でも勝てるだろ。それと同じさ。情報と補給がきちんとしていれば、少々弱くても負けることはない」
なるほどと思った。
「これは俺たちにもいえる。ベアトリスにしてもリディにしても斥候としても優秀だ。だが、二人が軍の斥候として優秀かと言われれば疑問はある」
僕は再び分からなくなった。ベアトリスさんもリディアさんも僕よりも気配を消すのが上手い。それに獣人のベアトリスさんは鼻が利くし、エルフのリディアさんは目がいい。
「二人は自分の経験でものを見ている。その点、ガイはおじい様の視点、つまり指揮官の視点で考えて偵察しているんだ。だから、おじい様が一番信頼する斥候なんだ」
そこで僕にもようやく分かった。優秀な斥候は指揮官が何を知りたいかをきちんと把握した上で必要な情報を入手してこないといけないのだと。
だから今回も御館様、先代様が必要とされる情報をできるだけ手に入れようと思ったんだ。もちろん、できるだけ早く情報を伝える必要があることもザック様に教えてもらっているから、ダヴィとマークを先発させている。
話を戻すけど、マークと別れた後、敵の側面を慎重に移動し、敵の全容を探っていった。三十分ほど大木の陰に隠れて見張っていたけど、徐々に不安になっていった。
アンデッドの列は途切れることがなく、三体だけしかいなかったデュラハンは五体に、そして死霊魔道師が三体も現れたからだ。
最初はリッチがアンデッドたちを操っているのだと思った。でも、その後に出てきた魔物、真っ黒なマントを着た全身鎧の魔物に、僕はパニックに陥ってしまった。
だから、そこから先のことはあまり覚えていない。敵に見つからないようにとか考えることなく、全力で走っていたから。
何とか無事に村に帰り着いたけど、どんな報告をしたのかすら覚えていない。ただ、ザック様が魔法で落ち着かせてくれたことは覚えている。
斥候としては失格だけど、後から聞いたらきちんと報告していたみたいだ。
戦闘が始まってからも無我夢中だった。
僕は弓と剣の両方で戦っていたけど、最後の方は剣で戦うことが多くなった。
ヨハンさんのミスリルの剣は凄い剣で、僕にはもったいないと思っていた。でも、この剣があって良かった。もし、この剣がなかったら僕は戦い続けられなかったと思う。
四日間にも及ぶ死闘のことは、今でも別世界の出来事のように感じている。アンデッドと戦い、食事を摂り、休憩する。そして、また戦いの場に向かう。その無限ともいえる繰り返しで現実感がなくなっていたから。
僕は御館様や先代様の指示に従うだけでいい。でも、指揮を執っておられるロックハート家の方たちは状況を判断し、的確に指示を出さないといけない。
ザック様も防壁での指揮と治癒師としての仕事をこなしながら、御館様たちと対策を練っておられた。
今思うと、僕たちの配置は本当によく考えられていたと思う。そうでなければ、四日間も戦い続けられなかっただろうし、いくら頑丈な防壁があったとしても、あれだけの大軍を押さえ込むことはできなかっただろうから。
それでもラスモア村の総力戦であることは間違いない。
最後の二日間は僅か十一歳のセオ様、セラ様も前線に立っておられたのだから。他にも僕の妹のユニスやメルの弟のライルを始め、自警団の訓練を受け始めたばかりの十代前半の子供たちも戦っていた。
スケルトンやグールと戦っている時のことはあまり覚えていないけど、最後のアンデッドの王ヴラド・ヴァロノスとの戦いははっきりと覚えている。
ザック様の考えた作戦は敵が作ったトンネルを使った逆侵攻。話を聞いた時には、さすがはザック様だと思った。僕なら絶対に思い付かない。
でも、敵は強かった。いや、ヴラドが強かったという方が正確だ。
もし、ヴラドがいなければリッチとデュラハン、オーガクラスのスケルトンがどれほどいても、ロックハート家の敵じゃない。僕ですら三級の魔物リッチを矢で仕留めているし、父さんと共同だけどデュラハンも倒しているんだから。
そう、ヴラド一人に僕たちは死を覚悟した。実際、先代様が身を挺して敵の動きを止めなかったら、そして、ザック様が敵を倒す方法を思いつかなかったら、僕たちは全滅していたと思う。
でも、あの時、僕が考えていたのはメルのことだった。
メルは何度も無茶をした。
ベアトリスさんがヴラドに倒され、ザック様が一人になった時、デュラハンを無視して突っ込んでいった。
先代様、ロッド様、ニコラスさんがフォローしなかったら、メルはデュラハンに後ろから斬り殺されていたはずだ。
その後も無茶をした。あのアンデッドの王に一人で戦いを挑んだんだから。
後で教えてもらったんだけど、メルはヴラドの技量が低いと感じていたらしい。でも、その時はそんなことは分からないから、僕はメルが殺されてしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。
すぐにでもメルの援護をしようと前に出ようとしたら、父さんに怒鳴られてしまった。
「リッチを倒すことが先だ! 周りを良く見ろ! 中途半端な支援より、リッチに攻撃させない方が助かるはずだ!」
その言葉でようやく戦場全体が見えるようになった。
確かにメルはギリギリに見えた。目の端に映るのは電光のように剣を繰り出すヴラドとそれを紙一重で避けるメルの姿だったから。いつ、あの漆黒の剣が彼女を貫くかと心配で堪らなかった。
でも、僕はリッチに向けて矢を放ち続けた。それが彼女を助ける最善の方法だと無理やり思うことにしたから。
その思いが矢に乗ったのか、一体のリッチの顔にミスリルの矢が突き刺さった。悲鳴のような思念を撒き散らしながら倒れていったけど、僕に喜びはなかった。その時の僕は次のリッチに向けて矢を放つことしか考えていなかったからだ。
その後、ザック様の作戦を成功させるため、メルは身を挺して敵の剣を封じた先代様に代わり、果敢に攻撃を加えていた。
その攻撃は見事に成功し敵の右手を斬り落としたが、その直後の隙を突かれて肩を打ち据えられて吹き飛ばされてしまった。
僕は自分でも気づかないうちに「メル!」と叫んでいた。助けに行きたいという衝動が身体中を駆け巡った。
その後は展開が速すぎて、あまり覚えていない。
ザック様の指示でメルを抱えてトンネルに逃げ込んだ後、ようやく我に返った。
メルだけじゃなく、先代様、ニコラスさん、妹も意識がなかった。
僕はザック様が先代様に治癒魔法を掛けようとしているところを呆然と見ていることしかできなかった。
「俺たちで入口を守るぞ!」という父さんの声でまだ危険が去ったわけじゃないと気づいた。
その時、意識がないメルのことが心配で堪らなかった。だけど、僕にできることは敵を入れないことだと彼女のことを無理やり意識から締め出して、入口に向かった。
入ってくるのは普通のスケルトンだったから、疲れ切っている僕と父さんでも充分に対応できた。
その後も大変だった。
まだ大量にスケルトンが残っており、すべての敵を倒すのに朝まで掛かってしまった。
そこまでは気が張っていたけど、後始末が大変だった。
カウム王国軍とペリクリトルの鍛冶師たちが来てくれたから何とかなったけど、僕たちだけなら途方に暮れたと思う。みんな疲れ切っていて、まともに立っていたのは御館様とウォルトさん以下の従士だけだった。
それでも大勝利に酔った。
この四日間の戦いで、僕の剣術士と弓術士のレベルはともに一つずつ上がったことも嬉しかった。
ザック様やメルたちも一つずつ上がっているから普通のことなのかもしれないけど、それでも嬉しかった。
その高揚感も十月三十日にしぼんでしまった。
ザック様に呼ばれてメルとの婚約の話を聞いたから。
こうなることはずっと昔から分かっていたし、メルが望んでいることも分かっていた。正式に決まったら、笑って祝福するつもりでいた。
でも、ザック様からプロポーズされ嬉しくて泣いているメルの姿を見て、涙が出そうになった。
これが一番いいと分かっていたけど、実際に目にすると考えていた祝福の言葉なんて出てこない。
何とか「おめでとう」とだけ言い、その場から逃げ出した。
離れのリビングから逃げ出した後、訓練場の横の広場に向かっていた。どうしてそこに向かっているのかは自分でも分からない。
そして、小さい頃よく遊んだ遊具、鉄棒に寄りかかった。
ここでみんなで遊んだなと思いながら、空を見上げた。星空が広がっているけど、涙で星が滲んでよく見えなかった。
涙を堪えながら、さっきのことを思い返した。
メルの幸せを一番に考えてほしいって、ザック様に何度も言っていたのに、心から祝福できなかった。そんな女々しい自分が嫌で堪らない。
この先、僕はどうしたらいいのだろう。
みんなと一緒にいてもいいんだろうか。みんなと一緒にいて僕は今まで通りにしていられるのだろうか。
そんなことを考えていた。
こんな時、いつもならザック様が僕に声を掛けてくれる。でも、今日は一人でこの思いを噛み締めなければいけない。それは分かっている。
涙を堪えていると、唐突にザック様の言葉を思い出した。
『泣くことは悪いことじゃない。悲しかったら泣いた方がいい。みっともないと思うなら、誰も見ていないところで思う存分泣いてもいい。その方が引き摺らないから』
僕は誰もいない訓練場で泣きながら剣を振った。
メルのことを考えながら。
一時間くらい剣を振っていたと思う。
何となく吹っ切れた気がした。もちろん、完全に吹っ切れたわけじゃない。でも、メルやザック様に会ったら祝福できるくらいには吹っ切れたと思う。
「無性にお酒が飲みたい気分だ……」と独り言を言っていた。
そして、突然笑いが込み上げてくる。
昔、ザック様に言われたことを思い出したから。
僕がドワーフの鍛冶師方との宴会の後に、
「楽しく飲むお酒は美味しいですね。これが“お酒を飲みたくなる”っていうことなんですね」
そういったらザック様がしみじみとした感じで教えてくれた。
「そういう時も飲みたいって気持ちになるけど、本当に酒が飲みたくなるっていう気持ちはちょっと別かな。無性に酒が飲みたくなるって思えたら、それは大人になった証だと思う。ダンにはまだ分からないかもしれないけどな……」
僕は少し大人になったようだ。それが無性におかしく感じたから、笑いが込み上げてきたんだと思う。
その後、家に戻ると、なぜか父さんが酒を勧めてきた。
普段からあまりしゃべらないけど、その時は本当に何も言わずにザック様から頂いたグラスを二つ出して、十年物のスコッチを注いでくれた。
そして、一つを僕の前に置くと、何も言わずに飲み始めた。
父さんと二人きりで飲んだ初めてのお酒だった。
未だにスコッチの良さは分からない。だけど、その日のスコッチはなぜかほろ苦い感じがしたけど、美味いと感じた。
この先もこんな感じでお酒を飲むことになるのかなと考えながら、静かにグラスを傾けていた。
ダンとガイはある意味理想の父子という気がします。
ダンがこの先どのような選択をするのか、その時ガイはどんなことを話すのか、作者である私もとても気になります。
GWの資料の買い出しは無事完了しました。近々活動報告に状況をアップしますので、お楽しみに!




