第二十六話「雪の夜」
十二月二十五日。
二日前から降り続く雪のため、外は一面銀世界になっている。
元の世界なら、ホワイトクリスマスだと、はしゃぐところだろうが、当然のことながら、この世界にクリスマスはない。
それでも昨日までは新年を迎える準備で、何となくソワソワした年末特有の雰囲気が漂っていた。
実際、今も屋敷の中では、新年を迎えるための準備が進められている。
メイド長のモリーと娘のトリシア、そして新婚のジーンがクッキーなどの焼き菓子を焼いている。
母とクレア――シャロンの母――は、暖炉の前で編み物をしながら談笑している。
ニコラスの妻のケイトとポリー――メルの母――は、大きな鍋でスープを作り、俺たちに飲み物を用意してくれたりしている。
ダンとメル、シャロンが暖炉の脇で本を読んでいる。
だが、この日はいつもと雰囲気が違った。
祖父と父、従士頭のウォルト、そしてリディの姿がない。その代わり、普段はいないクレアやケイトたち、そして、メルたちが屋敷にいた。
発端は森に異変があったというガイの知らせだった。
昨日、森の中を巡回していた元冒険者のガイと猟師たちが、ゴブリンらしい足跡を見つけたというのだ。
彼の報告では、数十匹の群れで村に近づく可能性があり、祖父と父は魔物の討伐を決め、今朝から自警団と共に森に入っている。
時は一日遡る。
十二月二十四日、午後二時。
巡回から戻ってきたらしいガイが、祖父のところにやってきた。常に明るい笑顔を見せている彼だが、この時はその表情にいつもの明るさは無かった。彼の後ろには厳しい表情をしたニコラスら他の従士たちも続いており、揃って祖父の部屋に入っていく。
俺と兄のロッドも彼らの後に続いて、祖父の部屋に入っていった。
ガイは祖父と父の前に立ち、巡回で見つけた異変について報告していく。
「東の森のウッドフォード川――黒池に流れ込む小さな川――近くで、ゴブリンらしい足跡を見つけました。どうやら独立したばかりの群れが移動しているようで、村に近づく恐れがあると思われます」
ガイの報告に父の顔が僅かに歪む。
祖父は表情を全く変えず、「どの程度の数だ?」とガイに問う。
「おおよそですが、三十から四十といったところだと思います」
祖父はガイに頷くと、従士たちに向かってゴブリン討伐の準備を命じた。
「明日の朝、儂とマットがそれぞれ五十人ずつ率いて討伐に向かう。ヘクター、自警団にこの情報を伝えておいてくれ。今夜は警戒を怠るなともな。ウォルト、留守の指揮はお前に任せる。ヘクターとイーノスはマットに、ニコラスは儂についてくれ。ガイは猟師たちと斥候を頼む……」
祖父の指示で全員がきびきびと動き出す。
俺はその姿に感心していた。
(じい様たちは本当に軍人だったんだな。ニコラスですら、いつもとは全く印象が違うよ。兵士の顔になっている……)
気付くとリディが祖父に何やら話しかけている。
「……私も手伝うわよ。ゴブリン程度でも数がいれば結構面倒だもの。いいでしょ、ゴーヴィ?」
祖父は何か言いたそうだったが、すぐに笑みを浮かべ、「分かった。リディアは儂についてきてくれ」と彼女の肩に手を置く。
リディも小さく頷き、自分の部屋に準備に行った。
残された俺は自分の無力さを感じていた。
(さすがにこの体では守られるしかない。それでも家族が命懸けの戦いに向かう姿を見てしまうと、自分の無力さが悔しい。せめて、もう少し大きければ……)
この村に魔物の群れが近づくのは三年振りだそうだ。
定期的な討伐を行うことにより、村から五km以内には危険な魔物が住み着かないよう注意を払っていたからだ。
ガイの話では、今回のゴブリンは東の森の奥で増えすぎたものが、群れを割る形で西に移動してきたのではないかとのことだった。
詳しいことは分からないが、今年は気候もよく、ゴブリンたちもいつも以上に繁殖したのではないかとのことだ。それが冬になり食料がなくなってきたことで、群れを割ったのだろうというのが、ガイの見立てだった。
ゴブリン自体はファンタジーの定番なのだが、俺はまだ見たことが無い。それどころか、この世界にいる魔物というものを、まだ一度も見たことが無い。
それほど、この村は平和だということだ。
父に聞いてみると、ゴブリンは身長百三十から百四十cmくらいの人型の魔物で、短い手足に突き出た腹、額には小さな角が生え、青黒いような緑色の皮膚をした醜い姿なのだそうだ。
簡単な棍棒を使うが、基本的には大した戦闘力を持たず、新兵でも互角以上に戦える。ゴブリンの最大の特徴はその繁殖力にあり、条件によっては数ヶ月で数十倍に膨れ上がるほどだそうだ。
また、稀に棍棒ではなく、剣を使ったり、弓を使ったりもする。更に魔法を使える個体も存在すると言われている。特に危険なのは、群れのリーダーの知能が発達している場合で、狡猾な罠を仕掛けてくることもあるそうだ。
(ゲームかファンタジー小説の設定通りだな。一度見てみたいものだ)
十二月二十五日、午前七時。
完全装備の祖父たちが屋敷を出て行く。
祖父たちは金属製の鎧に身を固め、それぞれの武器を手にしていた。
祖父はハーフプレートに愛用のバスタードソード、左手には小さめのラウンドシールドを装備している。横にいる父も祖父と同じ装備に身を固めている。
ヘクターはブレストプレート以外の防具はすべて革製で、彼の身長ほどの長弓を肩に掛け、腰には短めの片手剣を吊るしている。
ニコラスはかなり重装備だ。ブレストプレートに金属製の籠手、大腿甲、脛当てを着け、カイトシールドとやや幅広の長剣を手に持っている。
ガイは元冒険者らしく、革製の鎧で身を固め、取り回しのいい短めの合成弓と長剣を装備している。
留守番役のウォルトはホーバークと呼ばれるチェインメイルに身を固めていた。愛用の槍を持った姿は、まさに騎士に付き従う従士そのものだ。
それぞれ、剣を持つ獅子を象ったロックハート家の紋章が縫いこまれたマントを羽織り、きびきびとした動作で準備を進めていた。
俺は祖父たちの姿に思わず見惚れてしまった。
(正直、かっこいいと思う。映画のワンシーンみたいだ……兄様なんか、完全に憧れの表情だものな。まあ、俺も端から見れば同じかもしれないが……)
そこに良く使い込まれた革鎧に身を包み、小型の合成弓を手に持ったリディが現れる。
俺は思わず彼女に近づき、声を掛けていた。
「気を付けて、リディ。無理は駄目だぞ。危険なことは……」
彼女は俺が必死に声を掛けているのを見て、「心配性ね。大丈夫よ、相手はゴブリンだもの」と微笑んでいる。
確かに祖父とパーティを組んでいた時にはもっと大物とやり合っていたのだろう。それでも、俺は心配だった。
多分、それが顔に出ていたのだろう。彼女は俺の前で跪くと、俺の体をギュッと抱きしめ耳元で囁く。
「大丈夫。ちゃんと帰ってくるから。帰ってきたら、ご褒美を貰おうかな。うふふ……」
俺は心配し過ぎている自分の姿が少し恥ずかしくなり、「分かった。だから絶対無事で帰って来いよ」と下を向いて呟いていた。
ウォルトを除く全員が門から出て行く。
残された俺たちは雪の中を進んでいく後姿を見守るしかなかった。
ジリジリと時間だけが過ぎていく。
念のため、メルやシャロンたちも母親たちと一緒に屋敷に来ていた。
ウォルトは残された自警団の指揮を執るため、村の顔役のゴードンの家に行っている。この屋敷の警護は自警団から派遣された十名の若者に任されていた。
最初、ウォルトは村人たちを館ヶ丘に集めるつもりでいたようだ。だが、祖父にその必要はないと却下されていた。祖父は村の中心であるゴードンの家を拠点とするよう彼に指示を出した。
それでもウォルトは身重の母のことが心配だったようで、十名の自警団員を回して警備を強化してくれた。彼は今、残りの自警団員と共に村の中を巡回しているはずだ。
あまり状況を理解していないメルたち三人は、屋敷の中で楽しそうにはしゃいでいる。
兄とメルの兄のシムは状況を理解しているのか、訓練用の木剣を持ち、やや心配そうな顔をしている。だが、祖父たちの姿の話になると、その不安を忘れて、誰のどこが格好良かっただのと二人で盛り上がっていた。
やることもなく、他の子供たちのようにはしゃげない俺は、母の横に漫然と座っていた。
突然、母が「皆のことが心配?」と声を掛けてきた。
「え、はい。雪の中ですし、相手の数も分からないですから……」
母は小さく微笑んで、俺を抱き寄せる。
「大丈夫よ。あの人たちはとても強いわ……私もここに来た頃、いつも心配だったわ。昔はね、もっと頻繁にこんなことがあったの……」
母自身、平民の町娘であり、魔物の脅威とは無縁の生活だった。そのため、ここに来た当時は頻繁に現れる魔物の姿に怯えていたそうだ。その頃は今回のような討伐作戦が頻繁に行われ、特に酷かったのは、五十匹以上のオークの群れが近くに来た時だそうだ。
「……あの時はこの館ヶ丘にもオークの吠える声が聞こえてきたわ。その時は村の人たちが十人以上も亡くなったの。お義父様はかなり頑張ったそうなのだけど、それでも……その時よ、ガイがうちに仕えてくれるようになったのは」
シャロンの父、ガイは元々冒険者だった。
十一年前にオークの群れの討伐を仲間たちと請け負ったのだが、予想以上に大きな群れで仲間たちが応援を呼びに行く間、彼が群れのあとをつけていたそうだ。
そして、オークたちがここラスモア村に近づき、それに気付いた祖父は自警団員七十名を率いて迎え撃った。
その当時の自警団はまだ練度が低く――当時は平均レベル十五程度。現在は二十五程度――、オークと一対一で渡り合えるのは、祖父、ウォルト、ヘクター、ニコラスの四人しかいなかった。
その戦力で犠牲者が十名程度というのは奇跡的だそうで、祖父の戦いを見て感服したガイがそのまま屋敷に居ついてしまい、気が付いたら従士になっていたという話だった。
「……だから、今回は大丈夫よ。お義父様もマットも、それにニコラスもヘクターもガイもイーノスも。それにあなたの大好きなリディアもね。うふふ……」
母が俺をからかうと、隣に座るクレアも一緒になって笑っている。
「ザック様は大変ですね。うちのシャロンも、それにメルもいますし。奥様、ザック様はどうなさるんでしょうね? ほほほ……」
母とクレアにからかわれ、早々にこの場を退散していく。
(俺が心配しているのを気遣ってくれたんだろうな。本当は自分たちも心配だろうに……でも、最後の方は本気でからかいに来たような気がするな。どれだけ俺のことは噂されているんだろう……)
少し気が紛れた俺は、メルたちのところに向かい、彼らの相手をして時間を潰していった。
午後五時。
外はすっかり暗くなったが、一向に祖父たちが帰ってくる気配がない。
ウォルトの命令で自警団員が交代に来るのだが、森に向かった班の動向はまだ分からないそうだ。
俺たちは全員で食卓に付いていた。いつもより大人数にも関わらず、食卓は静かだった。いつも元気なメルたちですら、周りの雰囲気を感じたのか静かに夕食を食べていく。
更に二時間ほど経ったが、未だに森に入った班の情報が無い。
俺たち子供は寝る時間が近づいているため、寝室に向かうが、俺は祖父たちのことが心配で眠れそうにない。
(何かあったのか? さすがに暗闇の中で戦うわけにはいかないだろうし、どうして、戻ってこないのだろう?)
俺の寝室にメルとシャロンが泊ることになった。どうやら、母とクレアの悪戯のようだ。
(まだ、こんなことができる余裕があるなら、大丈夫なのだろう。それにしても携帯電話か無線が欲しいな。情報がないというのが、こんなに辛いと思わなかった……)
俺が自分のベッドに入ると、メルとシャロンも布団の中に入ってきた。
(両手に花か。一種のハーレム状態だな。リディが見たらまた拗ねそうだな……それにしても……もう考えるのはよそう)
俺がゴロゴロと寝返りを打っていると、メルたちも寝られないのか、話をして欲しいとせがまれた。
俺は気を紛らわすため、思い出せる童話を語り聞かせていった。
(本当に大丈夫なのだろうか……リディ。無事でいてくれ……)
俺は心ここにあらずと言った感じで童話を語り聞かせていたようで、二人が眠りについているのに気付いていなかった。
そして、夜が更け、俺がうとうとし始めた頃、屋敷の一階が騒がしくなった。
どうやら、祖父たちが帰ってきたため、母たちが出迎えているようだ。
俺は二人を起さないようにそっとベッドから抜け出し、一階に降りていく。
食堂には返り血を浴びた祖父とニコラス、そして、リディの姿があった。彼女は汗で髪が額に張り付き、やや疲れた表情をしているが、ケガなどはしていないようだ。
「お帰りなさい! 無事でよかった!」
俺は思わず大きな安堵の声を上げてしまった。
「ゴブリン程度に遅れは取らぬよ。だが、時間は掛かったな」
そして、返り血を見ながら、「モリー、トリシア! 返り血を拭きたい。湯を用意してくれ!」と叫ぶ。
奥からモリーの「ただいま、お持ちします!」という元気な声が聞こえてくる。
俺は父とヘクター、ガイ、イーノスの姿がないことに気付き、「父上たちはどうされたのでしょうか?」と尋ねた。
祖父はモリーの用意した湯で返り血を拭きながら、
「マットの班は空振りじゃったからな。後始末を任せてきた」
上機嫌な祖父は戦いの様子を語ってくれた。
日没の一時間ほど前、祖父たちは村に戻ろうと森から出ようとしていた。そこに索敵に出たガイから、ゴブリンの群れを発見したという報告が入った。
数は三十五匹と情報通りで、それほど時間を掛けずに掃討できると祖父は判断した。
だが、その後のゴブリンたちの行動が祖父の予想を裏切った。村に接近してくるかと思っていたら、村から離れるように動き始めたのだ。
祖父は暗闇の森の中を移動する危険を考えたが、この森には頻繁に入っており、皆、土地勘がある。それにここでゴブリンを逃がすと、降り続く雪で足跡が消え、翌日以降、相当広い範囲の捜索を行わなければならなくなると考えた。
そして、父たちの班にも連絡を入れさせ、ゴブリンたちを包囲するように動いていく。
ゴブリンたちは灯りの魔道具を使って移動する父の班を見つけ、それを回避するように祖父たちの方に向かっていく。
祖父の班は夜目の利くリディの先導で、灯りをつけずにゴブリンたちの向かう先に移動していく。
その群れのリーダーの知能が高かったようで、普通なら闇雲に戦うところを逃走という賢明な選択肢を選んだ。
祖父はそこまで見越して、待ち伏せを掛けたのだが、ゴブリンたちは祖父たちの姿を見つけると、一目散に逃げ始めた。
祖父たちも慌てて逃げるゴブリンたちを追いかけるのだが、夜目の利くゴブリンに対し、暗くなった森の中ではうまく連携がとれない。結局一匹ずつ倒すような形で仕留めていくため、予想以上に時間が掛かったそうだ。
今回はリディがいたため、一匹も逃がすことなく倒せたが、もし、エルフの彼女がいなければ更に時間が掛かっていただろうと祖父は笑っていた。
「リディアがいてくれて助かったわい。さて、マットたちには悪いが一杯やって先に休ませてもらおう」
祖父はニコラスと共に食事を始めていく。
俺はリディに「お疲れ様。早く食べて休んだ方がいいよ」と言うと、彼女は俺の前にしゃがみ込んで「ご褒美は?」と上目遣いで聞いてくる。
(困ったな。何も考えていなかった……そうだ)
「じゃ、添い寝してやるよ。俺のベッドはメルとシャロンに占領されているしな」
その言葉にリディが噴き出す。
「それは誰にとってのご褒美なの? まあいいわ。じゃ、一緒に寝てあげる」
横で見ていた母とクレアは、「あらあら……」と何か二人で話しているが、俺はそれを無視してリディの横に座っていた。
体を拭き終わったリディが軽い食事を取った後、二人で彼女の部屋に向かう。
(大人の体なら興奮するところだが、この体じゃあな……本当にどっちが添い寝してもらうんだか……)
リディと共にベッドに入る。
彼女の温かい体が俺に触れ、ゆっくりと抱かれる。
悪戯っぽく、「温かいわ。今日はこのまま寝るわよ。ご褒美だものね」と言って、更に俺を抱き締める。
「今日はお疲れ様。でも、本当に良かった無事で……」
俺は本気でリディのことを心配していた。
祖父やニコラスがいるが、戦いに絶対はない。一つ間違えばケガもするし、最悪死んでしまうことだってあり得る。
俺の心の声が聞こえたのか、彼女は「大丈夫よ」と言って笑い、強く俺を抱き締める。
「こんなことで死にはしないわ。まだ、何も始まっていないもの。そう、まだ何も……」
「そうだな……あと十年。十年経ったらリディを守ってやれる。十年経ったら……」
彼女はもう一度笑い、
「焦らなくていいわ。あなたとの時間は楽しいもの。一緒にいられるだけで……」
その後、いろいろなことを話した。
これから何をしたいのか、どう生きたいのか。
「何をするにせよ、リディと一緒だ。約束してくれるか?」
彼女は小さく頷き、俺に口付けをしてくれた。
(俺はリディと一緒に楽しく暮らしたい。正直なところ、生まれてくる弟、妹が神に選ばれた者であったとしても、リディを一番に考えるだろう。だが、本当にそうできるのだろうか? 俺は神に操られないと言い切れるのだろうか?)
その思いを振り払うかのように、俺は自分の唇を彼女の唇に重ねた。




