第二十五話「母の懐妊」
十一月二十日。
ラスモア村にある唯一の神殿で、イーノスとジーンの結婚式が行われていた。
祖父は二人のためにボグウッドの街から神官を招いていた。二人の式は、厳かな雰囲気の中で挙げられていく。
結婚式自体は人の神の祝福を受けるだけの簡素なものだが、その後の披露宴が盛大だった。
イーノスは父からカエルム帝国の軍服をベースにした礼服を贈られており、それを身に纏っている。そして、腰には祖父が貸した立派な剣が吊るされていた。
ジーンは母から贈られた白いドレスを纏い、真っ赤な髪には白い花が飾られている。
(イーノスは七五三の男の子じゃないが、服に着られているって感じだな。ジーンは大人しい感じの娘だと思っていたけど、結構美人だったんだな。母上、クレア――シャロンの母――、それにリディみたいな美人に囲まれているから気付かなかったな……)
二人はそのままの格好で黒池亭に向かう。
馬車が荷馬車なのはご愛嬌だが、それでも村の人々から次々と祝福の言葉を掛けられ、二人は恥ずかしそうに手を振っている。
黒池亭に着くと、すぐに宴会が始まった。
祖父は屋敷で披露宴を行いたかったようだが、俺が黒池亭でやることを提案したのだ。
イーノスは父の副官のような立場であり、ジーンも屋敷の手伝いが主な仕事なので、二人とも村人との交流が少ない。俺はこの機会にもう少し村の人たちと交流したほうがいいと、父と祖父に提案したのだ。
村の人々はジーンが村の運営で世話になっているニコラスとケイトの娘だと知っており、収穫祭かと思えるほど大勢の人が集まっていた。
祖父の挨拶で宴が始まるが、堅苦しいことが嫌いなロックハート家らしく、無礼講で宴会は進んでいく。
ニコラスに世話になっているからと、二人には様々な祝いの品が贈られ、それが山のようになっていく。チーズなどの食材、羊毛で作られた毛糸の束や蔦で作られた素朴な籠など、高価なものはないが、彼らが心を込めて作ったものだった。
その光景に祖父も父も驚いていた。
ニコラスは結構細かいことに気が付くから、村の人に人気がある。
誰のところが小麦の出来が悪く、誰のところが豆の出来が良いとか、そんなことを知っているから、誰と誰で物々交換するといいとかアドバイスもしていた。病気の子供がいるところには、森に入るガイに頼んで薬草を取ってきてもらって届けさせたこともある。
俺も一緒に仕事をするようになって初めて気付いたのだが、恐らく父も祖父もここまで慕われているとは思っていなかったはずだ。
(実際、ニコラスはロックハート家には勿体無いくらいの出来る人材だと思うよ。気配りはできるし、一を聞けば十を知るみたいなところもあるし……)
そこでまだ驚いている祖父の顔を俺は見ていた。
(じい様がドクトゥスに留学させたのはさすがだな。でも、じい様もここまでニコラスが慕われているとは思っていなかったんだろうな)
披露宴でイーノスはベロベロになるまで飲まされていた。
(今日の初夜はどうなるんだろうね。さすがにそこまでは考えなかったな……)
この披露宴を仕組んだ黒幕である俺も、さすがに夜のことまでは気が回らなかった。
(まあ、母上辺りがフォローしてくれると信じているんだけど……)
披露宴は夜まで続いたそうだが、俺たち子供は午後三時くらいに屋敷に戻っていく。
帰り道は、ジーンの姿に感化されたのか、メルとシャロンがいつも以上にくっついてきた。
それを見たリディが、「もてていいわね」と嫌味を言って、プイと離れていく。
お子様相手に嫉妬しなくてもいいんじゃないかと思わないでもないが、面白いのでそのまま放置しておいた。
案の定、その夜は構って欲しいのか、甘えたような仕草が多かった。
(本当に精神年齢は四歳児だな。エルフは人間の十倍の寿命を持つって言われているが、精神の成長も十倍遅いのか? それなら計算が合うな……)
俺がそんなことを考えていると、リディが気付いたのか、「何か失礼なことを考えていない?」と言ってくる。
俺は「リディはかわいいなと思っていただけだよ」と言ってはぐらかすが、「子供っぽいって考えていたんでしょ」と口を尖らせている。
(そこが子供っぽいんだけど……まあいいか。これはこれでかわいいし……)
イーノスとジーンの初夜がどうなったのかは知らないが、次の日以降も仲良くしていることから、うまくいったのだろう。
十二月になると、丘を寒風が吹き抜け、ラスモア村は一気に冬化粧を始める。
空は灰色の重い雲に覆われ、大地は灰色と茶色に染められていた。夏にはあれほど色彩豊かだった丘も、モノトーンに変わっている。
屋敷のある館ヶ丘も霜がおり、馬場を歩く馬たちの吐く息が白く吹き上がっていた。
日照時間が短くなったこともあり、朝の訓練は暗闇の中で行われるようになった。
祖父が用意する灯りの魔道具の中で、兄と俺は必死に素振りをしていく。
俺の剣術レベルは三に上がり、何となくだが素振りの型が決まり始めたような気がしている。だが、祖父の素振りを見た瞬間、その歴然たる差に自分はまだまだだと思い直してしまう。
レベルについて疑問に思ったので、ニコラスに教えてもらった。
まず、“レベル”は正式には“職業レベル”と言うそうだ。剣術士という“職業”のレベルを表すもので、スキルレベル――剣術などのレベル――と、表示されないが経験レベルの低い方が職業レベルとして表示される。
つまり、スキルレベルは訓練などによって得た技量を表わすが、技量があっても経験が無いものは職業レベルが低くなるということだそうだ。
そこで不思議に思ったのだが、俺の剣術士レベルはスキルレベルと同じだ。そのこともニコラスに聞いてみたら、祖父のような達人に一から修業を付けて貰う場合、こういうことが起こるそうだ。
理屈は分からないが、感覚的には分かる気がする。
実戦経験豊富な達人に習うことにより、経験を生かした修行となるため、ある程度経験レベルが上がるのではないかというものだ。どれだけ高レベルであっても教え方が悪いと、経験レベルが上がらないこともあるそうなので、その考え方であっていると思う。
そして、大まかな目安というものについても教えてもらった。
剣術士で言えば、レベル一から五が一応使い方を知っている程度の素人。十五くらいまでが軍隊の新兵クラス。三十くらいまでが一般的な職業軍人レベル。五十くらいまでがベテランと呼ばれるレベルで、それ以上が達人と呼ばれるレベルだそうだ。
ちなみに祖父のレベルは七十五で達人レベルと称されるレベルだ。実力主義の傭兵の中でも一流を指す三級の上位に当たるレベルだそうだ。
(キャラクター作成時の設定が正しいなら、剣術ならレベル八十に到達できる才能があったはずだし、修得速度は普通の人の三倍なんだが、全然実感が湧かないな。メルがほぼ同じペースで上がっているし、ダンもそれほど差が付いていない。どうなっているんだろうな……)
俺はなかなか上がらない剣術レベルに少し嫌気が差していた。
祖父に聞くと、四歳でレベル三というのはありえないレベルだというのだが、半年も掛けて素人程度という評価に凹んでしまう。
一方、魔法の方は順調に上がっている。
毎日、魔力切れ寸前まで魔力を消費しているおかげなのか、九月からの三ヶ月で光と風がレベル二、火と木と水と土がレベル一に上がっている。闇と金についてはイメージがうまく伝えられないのか、レベルは上がっていない。
リディが言ったとおり、得意な属性を上げておけば、その他の属性の上がり方が早いような気がしている。
初雪が舞った十二月十三日。
夕食の時に父から母が懐妊したという発表があった。
産婆も兼ねる治癒師のドロシー婆さんのところで見てもらった結果、三ヶ月目を過ぎたところで、来年、トリア暦三〇〇七年の六月頃に出産予定だということだった。
この発表にメイドのモリーが興奮気味に「おめでとうございます!」と祝福を伝え、「すぐにでも準備を……」と、すぐにでも出産準備を始めそうな勢いで立ち上がろうとしていた。
それを見た祖父が「落ち着け、モリー。まだ半年以上も先じゃ」と言うと、食卓に笑いが起こる。
(弟か妹か……前世でも歳の離れた兄貴だけだったし、どんな感じなんだろうな。兄弟って言うより子供か孫っていう感じなんだろうか……)
来年の六月ということは、俺が召喚された時に神に言われた二年後に当たる。
と言うことは、生まれてくる子供がその“神に送り込まれた者”の可能性があると言うことだ。俺が必ず出会うと言うなら、最も確実に出会う方法が兄弟になることだろう。
弟か妹なら守るのも教えるのも不自然じゃない。
できれば、生まれてくる弟か妹がその神の子でないことを望む。誰かは分からないが、その子を排除しに掛かるということは、命を狙われるということだ。
その子が不幸になることもあるが、それよりもこの村、この家の人たちに不幸が舞い降りてくることの方が気になる。
もし、生まれてきた瞬間に“運命に導かれた子”であるという啓示が降りてきたら、俺はどう思うのだろうか? その子の誕生を心から祝福できるのだろうか?
母の懐妊の話を聞いてから、そんな不安が胸の中に渦巻いていた。
夕食後、祖父と父にその話をしにいった。正直、話をするのは気が重かったが、半年前に俺が導くであろう子供の話をしている。二人が覚えているかは定かではないが、言わざるを得ないだろう。
祖父の部屋に父と共に行く。二人は俺が不安そうにしていることに気付いていたようだが、何も言わず、俺に話をするように促した。
俺は自分が感じた不安について伝えていく。
「以前、私が神にこの世界を救うであろう者を導くようにと言われたことを話したと思います。その者が生まれるのが、来年に当たります」
二人もその言葉ですぐに気付いたようだ。
父が「つまりターニャの腹の子がその神に遣わされる子だと」と呟く。
俺は首を横に振り、「いいえ、その可能性があるというだけです」と答える。
「だが、お前がここにいる以上、ここで生まれると考えるのが最も自然ではないのか?」
祖父も俺と同じ結論に達しているようだ。
「生まれるまで分かりませんが、出会えば啓示があると言われたと記憶しています。それがどのようなものなのかは分かりませんが、少なくとも私が教え導くものであると認識できるそうですから……」
「儂もマットもこのことを忘れておった。ターニャにはどうすべきだと考える?」
俺は僅かに躊躇った後、「母上にはお話ししないほうがいいと思います」と答える。
正直なところ、どちらがいいのか分からない。だが、生まれてくる子がその神の子であるとは限らないから、母を無駄に心配させる必要はないと考えたのだ。
「そうじゃな。ターニャが気付いておれば別じゃが、無駄に心労を与える必要は無かろう。マット、お前の意見はどうじゃ?」
父は目を伏せて十秒ほど口を開かなかった。
「私も話さないでおこうと思います。これは我々三人だけの胸に収めておいたほうがよいでしょう」
父はこのような重要なことを妻に隠すことについて、抵抗を感じていたようだ。だが、最終的には心労を与えるべきではないという祖父の意見に従った。
重苦しい空気を引き連れ、俺と父は祖父の部屋を出て行く。
「考えようによっては、その子がここで生まれたほうが良いのかもしれんな」
唐突に話し始めた父に驚き、俺は父の顔を見上げる。
「ここなら父上もいる。ウォルトたちもいる。そして私も。お前が生まれてくる子を守るとしたら、ここ以上に適したところは無い。お前もそして生まれてくる子も一緒に守れるからな」
俺は父が生まれてくる子供だけでなく、俺のことも案じてくれたことに胸が熱くなる。
「私はここではないところで生まれてほしいと思っています。ここがその世界を破壊するものの標的になるのは耐えられません」
父は「そうだな。そうあって欲しいものだ」と言って、俺の頭にその大きな手を載せる。
俺の部屋の前で父と別れ、俺は一人になる。
(これからの七ヶ月が辛そうだ。一年、いや半年ずれただけでも良かったのに……だが、生まれてくる子を守るために俺にできることをやる。それしかない……)
その翌日、俺は訓練メニューを増やした。
四歳児の体にはかなり負担を掛けるが、それでもやれることを少しでもやっておきたいと思ったからだ。
そのことに気付いた祖父に静かに諭される。
「焦る必要は無い。儂もマットもおる。お前はもっと家族を信頼するべきじゃ」
「その通りですが……」
俺が反論しようとしたところで、祖父に厳然たる事実を突きつけられる。
「今のお前が焦ったところで、その体で、それも僅か半年では何も出来ん。体を壊すのがおちじゃろう。お前なら分かっておろう」
確かにその通りだった。今、焦ったところで何も出来ない。もし、俺の力を必要とするなら、もっと早い時期に俺は召喚されたはずだ。
俺は最も俺の力を必要とされる時期に、必要十分な力を持っておくようにすべきだ。変に焦って体を壊しては元も子もない。
俺は素直に頷き、訓練メニューを元に戻した。
だが、翌日、祖父から訓練方法の変更が伝えられた。
「ダンも剣術のレベルが上がってから大分経つ。今日から素振りだけではなく、打ち込みも訓練に加える」
この時、ダンの剣術レベルは二に上がっていた。ちなみにメルはすでに三に上がっている。
今日から午後の訓練の時に、祖父かウォルトを相手に打ち込みの練習をすることになった。
当面は反撃しないそうだが、打ち込み方が悪い場合は、罰として祖父から打ちすえられるという話だ。
ただの木の棒とは言え、防具も無く、ただの布の服の上から打ち込まれると思うと、ぞっとする。
昨日はあんなに焦っていたのに、自分が痛みを感じる訓練が始まるとなると怖気づくのは如何にも情けない。
十二月に入り午後四時頃には薄暗くなってくるため、自警団の訓練に混じって午後の訓練を行う。
自警団の男たちは、小さい子供がかわいい木の剣を持ってやってきたため、微笑ましく思っているようだ。俺たちに笑顔を向けるが、すぐにウォルトの怒声で表情を引き締める。
「今日からザカライアス様と従士の子供らが訓練に加わる! 子供たちに無様な姿を見せるんじゃねぇぞ!」
俺たちは自警団の様子に目を向けることなく、祖父の前に立つ。
まずは俺からだ。
俺は木剣を正眼に構え、甲高い子供の声で気合を入れ、祖父の剣に目掛けて打ち込んでいく。
五mほどの距離を一気に縮め、上段から叩きつけるように剣を振り下ろす。
カーンという硬い木が打ち合わされる音が聞こえるが、その直後に背中を打ち据える打撃が降ってきた。俺はそのまま顔面から地面に倒れ、鼻を強かに打つ。
「打ち込んだ後に目を離すな! 打ち込んだらすぐに離れろと教えたはずじゃ!」
痛みを堪えながら「はい!」と答えて、すぐに立ち上がり祖父から距離を取る。
(痛ぇ! じい様も容赦がないな。普通の子供なら泣くぞ。いや、俺でも泣くぞ)
俺が離れたことに満足したのか、メルの名が呼ばれる。
俺は剣を構えながら、ダンの待つところに戻っていくが、今の容赦の無い一撃を見たダンの顔は青くなり、泣く寸前といった表情になっていた。
「大丈夫だ。おじい様も手加減して下さっている。少し痛いけど我慢できないほどじゃないよ」
一応、フォローを入れておくが、目の前でメルも同じように叩きのめされると、鼻をぐすんと鳴らしていた。
そして、ダンの番になる。
彼は俺とメルが叩きのめされたのを見てびびったのか、動きがいつもより硬い。
打ち込みの速度も遅く、祖父は剣で受けずにそのまま背中を打ち据える。
「敵に呑まれてどうする! 戦いは気迫だといつも言っている! 死ぬ気で掛かって来い!」
半泣きのダンは、それでも立ち上がり、今度は渾身の力を込めて打ち込んでいった。
祖父の剣に当たり、いい音をさせた後、すぐに祖父の剣が彼の背中を襲う。
「ザックに言ったことを聞いていなかったのか! 敵から目を離すな!」
ダンは泣きながら、俺がやったように剣を構えながら、後ろに下がっていく。
その後は祖父から打ち込まれることなく、訓練が進んでいく。
ダンの動きもびびっていた最初に比べるとかなり良くなっており、打ち込んだ後も油断なく目を配っている。
(確かに最初に体に叩き込まれると、嫌でも覚えるもんだ。しかし、メルの動きはいい。二、三ヶ月で兄様たちを抜くんじゃないか?)




