第一話「方針」
第四章のスタートです。
トリア暦三〇一七年十月十三日の夕方。
昨日の命懸けの逃走劇の疲れと今日の迎撃の疲れが未だ抜けていないが、生き残れた喜びを実感している。
ティセク村でルナを救出し、城塞都市ソーンブローに逃げ込んでからのことだが、不可解なことが多く、未だに自分の中でうまく整理がついていない。
この先、父や祖父たちに報告することもあるからと、昨日のことをもう一度思い返している。
十月十二日にティセク村に到着したが、既に村人たちは虐殺された後で、魔族はおろかオークたちの姿もなかった。生存者を探すべく家の中を確認していくと、猟師の家の床下の収納庫に一人の少女を見つけた。
その少女の名はルナといい、俺の運命に関わる神から遣わされた者だった。
当初、ルナは襲撃の後にしては落ち着いていたが、村人たちが虐殺された現場を目の当たりにし、半狂乱に陥った。落ち着いていたと思ったのは俺の勘違いで、単に事実が受け入れられなかっただけだと後で気付いたが、後の祭りだった。
半狂乱になったルナは泣き叫ぶ幼子の姿そのままであり、普通なら時間を掛けて落ち着かせるのだが、彼女はただの子供ではなかった。
ルナの感情の暴走が周囲にいる闇の精霊たちを巻き込み、見たこともない現象を引き起こした。
彼女が感情に任せて泣き叫ぶと闇の精霊たちが集まり、彼女の心の中を映すかのように周囲に闇が満ちていった。そして、その闇は恐怖を撒き散らし始めた。シャロンとメルにより何とか感情の暴走は収まったものの、闇の精霊たちはルナの周りから離れなかった。
それが原因かは未だに仮説の域を出ないが、二十五キロメートル離れたソーンブローに向かう途中で何度も魔物に襲われた。その魔物たちは非常に好戦的であり、闇の精霊が与える恐怖のため暴走しているように思えた。
更にラスモア村周辺から追っていたオークたちが闇の精霊に反応したのか、俺たちに向かい始めた。嗅覚では感知できない距離であったはずだが、的確に俺たちを追い詰めていった。
途中でルナをダン、メル、シャロンの三人に任せ、リディとベアトリスと共にオークたちを引き付けていたが、その時も違和感があった。
本来、本能的に人に襲い掛かるオークが闇の精霊にのみ反応していた点だ。後で知ったのだが、ルナが眠りに就いたタイミングに合わせて、唐突に通常のオークと同じ反応に戻ったことも違和感の原因の一つだった。
その後、普通の魔物に戻ったオークから逃げ続け、最後の最後で取り囲まれてしまった。だが、ソーンブローの守備隊や冒険者たち、更には足止めを食らっている商隊の傭兵たちがシャロンの説得により駆けつけてくれ、九死に一生を得た。
もし、到着があと十分遅ければ、俺たち三人のうち、誰かはこの世にいなかっただろう。
力量的には全く俺たちの足元にも及ばないが、数の力はそれを容易く覆す。実際、接近戦が苦手なリディが酷く追い込まれていたし、俺自身それが気になり何度もオークの攻撃を受けていた。アルスで贈られた装備がなければ、致命傷を負っていた可能性は高い。
ソーンブローに戻り、守備隊や傭兵たちを出してくれた商人たちに礼を言い、少し落ち着いたところで情報を整理していくと仮説らしきものを思いついた。
オークの行動が劇的に変わったタイミング、すなわち日没直後のルナの状況を聞き、オークがルナに纏わりつく闇の精霊を目指していたという仮説だ。シャロンも同じように考えていた。
そして、今日の話なのだが、朝から再びオークたちが闇雲に襲いかかってきた。それも堅固な城壁を持つソーンブローの町に対して。
そこで俺の仮説が正しいと確信した。
ルナが目覚めた時、彼女は昨日の出来事が夢でなかったことに再び恐慌に陥った。昨日のように闇の精霊が暴走するところまではいかなかったが、数分間周囲に恐怖を撒き散らしたのだ。その結果、再びオークたちが狂い、打ち破れるはずもない城壁に打ち掛かったと考えた。
俺たちも城壁の上から応戦し、かなりの数のオークを倒したが、それでもすべてのオークを倒すには至らなかった。打って出ようという案もあったが、城門付近に群がっていたことと、他の魔物もソーンブロー周辺に集まり始めており、不用意に城門を開けられず、殲滅することができなかった。
メルの尽力によってルナの精神が落ち着き、オークたちは森に逃げ、集まってきた他の魔物たちも散っていったが、この状況が続くことは非常に危険だった。
俺の仮説が正しいことには自信があるが、どう対応するかが問題だった。
オークについては問題がない。オーガクラスでも防ぎえる城壁であり、城門さえ開けなければ突破される恐れはない。城壁の上から弓や魔法で攻撃していけば、いずれ殲滅できるだろう。
問題はこれから先のことだ。昨日や今日と同じ状況が続くなら、オーク以外の魔物を呼び寄せることになる。今日は集まってきただけだったが、最悪の場合、それらの魔物が暴走する可能性すらあった。
更に言えば、今日は飛行型の魔物はいなかったが、この先、有翼獅子や飛竜などの魔物が狂ったように襲い掛かってくる可能性もないとは言えない。つまり、この状況を何とかしなければ、ここのような城塞都市に居ても危険なのだ。
そして、今、ルナをどうすべきかについて、話し合っている。
まずはリディが闇属性魔法を使うことを提案してきた。
「闇属性魔法で落ち着かせたら? あなたならできるでしょ」
闇属性魔法は精神に作用する魔法で、睡眠や麻痺、暗示などの他に、精神を高揚させたり、逆に落ち着かせたりすることができる。
「俺も同じことを考えた。だが、リスクが大き過ぎる」
リディが「どういうこと?」と小首を傾げる。
「闇の精霊たちがあれほど集まっているんだ。下手な魔法は精霊たちを刺激する可能性がある。精霊の力が暴走するかもしれないんだ」
「でも、今は精霊たちも落ち着いているわよ」
「ああ。だが、例え暴走しなくても魔法が効き過ぎたり、逆に全く反対の作用を起こしたりするかもしれないんだ。そんなリスクは冒せない」
俺が考えたのは臨界状態の闇の精霊に魔力を与えていいのかということだった。通常、魔法は術者の魔力を精霊に与えて、その力を借りる。精霊には明確な意思がないが、MPを与えてくれた術者の願いを叶えようとするのだが、ルナの周りにいる闇の精霊たちは俺の願いを叶えず、ルナの想い、恐怖に反応するのではないかと思ったのだ。
「それなら、闇の精霊にお願いしてはどうでしょうか? ルナさんが危険になるからと。ザック様ならお出来になるのではないでしょうか」
シャロンの意見にメルも同意する。
「私が子守唄を歌って寝かせたときも、闇の精霊にそうお願いしました。ザック様ならもっときちんと伝えられるのではないですか」
ソーンブローに到着した後、ルナを落ち着かせたのはメルだと聞いている。
(確かにその方法ならリスクは小さい。駄目でも話を聞かないだけだろうから、突然暴走することはないだろう。問題はどうやって伝えるかだ。闇属性が使えると言っても精霊と話ができるわけじゃない)
俺が悩んでいると、ベアトリスが「難しく考える必要はないんじゃないか」と言い、
「精霊って奴は魔術師の願いを聴くんだろう。なら、ただ願えばいいだけじゃないのか」
その言葉に「確かにそのとおりだな」と頷き、精神を集中していく。
(闇の精霊たちよ。その子の恐怖に反応しないでくれ。できれば、そっと見守ってくれるだけの方がいい……ルナのことが大切なら、ルナを守りたいなら、力を抑えてほしい……)
祈るように心の中で五分ほど語り掛けると、少しずつ闇の精霊たちが離れていった。すべての精霊がいなくなったわけではないが、魔術師が感じられるかどうかという程度まで減った。
「これで何とかなりそうだな。リディ、どう思う?」
精霊の姿を見ることができるリディに確認する。
リディは「そうね」と言って寝台の上で眠るルナを見つめると、
「……ほとんど感じないわ。少しだけ残っているけど、守っているって感じかしら。多分、暴走することはないと思うけど……」
問題の一つは解決したようだ。後はルナが目覚めた時にどう落ち着かせるかだが、これについてはメルとシャロンに期待している。特にメルはルナの信頼を得ているから、彼女が語り掛ければ落ち着くはずだ。
だが、大きな問題がまだ残っていた。
それは魔族を発見できていないということだ。
今回の事件に魔族が絡んでいることは間違いない。少なくともティセク村襲撃前までは魔族が関与していたはずだ。そうでなければ辻褄が合わないところが多すぎる。
だが、俺たちを追いかけてきたオークの中に魔族の姿はなかった。理由は分からないが、何らかの理由で別行動を取り始めたと考えるのが合理的だろう。
特に気になるのは妖魔族と呼ばれる翼を持った魔族がいる可能性があるという点だ。
目撃情報を含め、妖魔族がいたという証拠はない。だが、オークたちの行動を見る限り、偵察要員がいたと考える方が合理的だ。
もちろん、非常に詳細な地図を持っていることや、この辺りに詳しい協力者がいるなどの可能性はあるが、広大なアクィラの麓の森の地図を作るには上空からの情報が不可欠だ。実際、カエルム帝国軍やラクス王国軍が使っている地図は飛竜部隊や有翼獅子部隊によって作成されたものだ。
また、今回のオークたちの行動範囲は二百キロメートル四方にもなる。これだけ広大な範囲を隅々まで知っている冒険者や猟師は存在し得ない。ロックハート家の従士ヘクター・マーロンやガイ・ジェークスと言った優秀な斥候ですら、二十キロメートル四方が限界だ。もちろん、冒険者の街ペリクリトルにいる優秀な冒険者なら行動範囲はもっと広いのかもしれないが、それでも精々五十キロメートル程度だろう。
今回オークが使われているということは、鬼人族の中鬼族が指揮官であったはずだ。一般論を前提に考えるのは危険だが、中鬼族は猛将タイプが多く、物事を深く考える知将タイプは少ないという話だ。だとするならば、妖魔族がいると考える方が辻褄は合うし、いないと決め付けるより安全だ。
いるかいないか分からない妖魔族はともかく、少なくとも中鬼族の指揮官は必ずいたはずだから、そいつを見つけ出す必要がある。カルシュ峠を越えた辺りまではいたと考えられるから、この辺りに潜んでいるか、別の場所に移動したとしても痕跡が残っている可能性は高い。
魔族、それも指揮官クラスがこちら側に潜入しているという事実は非常に拙い。噂に過ぎないが、鬼人族は眷属であるオークを召喚する能力を持っている。つまり、知らぬ間に魔族の拠点が作られる可能性があるのだ。
仮にその能力がなかったとしても、鬼人族が潜んでいるという噂だけでも経済活動に影響を及ぼす可能性がある。アルス街道やフォンス街道――ペリクリトルとラクス王国の王都フォンスを結ぶ街道――でゲリラ活動をされたら、大規模な討伐軍を編成する必要があり、経済的には大きな痛手になるのだ。
十月十三日の夜、オークたちの攻撃が収まったところで、守備隊の実質的な責任者、ノーマン・パークス副隊長らと今後について協議していく。
「今回の襲撃は分からないことが多すぎる。魔族がいたのか、いなかったのか。これでオークたちの襲撃が終わるのか、まだ続くのか。ザカライアス殿のお考えをお聞かせいただきたい」
パークス副隊長からこう切り出され、考えていたことを説明していく。
「魔族についてですが、いたことは間違いないでしょう。但し、今ここにいるのかと言われれば大いに疑問があります。現状ではオークたちの指揮を執っていないと考える方が自然です」
パークス副隊長は小さく頷き、「今後のオークたちの動きはどうお考えか」と重ねて尋ねてきた。町を守る責任者としては最も気になる点なのだろう。
「オークたちの行動については正直分かりません。ですが、今日一日で半数以上は倒しておりますから、討伐隊を組織して、一気に殲滅すべきでしょう」
パークス副隊長は頷くが、「戦力が心許ないですな」と呟いた後、
「商業ギルドの協力が得られれば、殲滅することはそれほど難しくない。この町にいる冒険者たちを斥候として放ち、守備隊と傭兵隊で一気に攻撃すれば……但し、これはオークたちが近くに潜んでいるという前提ですが……」
俺もパークス副隊長の考えに賛成だった。
守備隊と傭兵を合わせれば三百人近い兵力が集まる。オークの数は百を割っているから、十分な戦力だ。
「うまくいけば、オークたちをおびき寄せることができると思います。その後、魔族の捜索をどうするか、こちらの方が問題だと思っております」
俺は闇属性魔法の影流離の魔法でオークたちをおびき寄せるつもりでいた。ルナの周りの闇の精霊は落ち着いているが、闇の精霊の力に反応する可能性は高い。
影流離によるおびき寄せが、どの程度の距離まで有効か分からないが、少なくとも二、三百mなら気付くだろう。後は俺が作った影と一緒に町の周りをうろつくだけでオークはおびき寄せられる。
おびき寄せさえすれば、オークを殲滅することはそれほど難しくない。だが、その後の魔族の捜索をどうするかを悩んでいたのだ。
「とりあえず、オークの殲滅に注力しましょう。魔族についてはペリクリトルからの応援を待って大規模な捜索をしても良い訳ですし」
冒険者の街、ペリクリトルには既にオーク襲来の報が送られている。恐らく明日にはソーンブローに到着するはずだ。
俺はやや先走っていたことに気付き、「そうですね」と頭を小さく下げる。
(一つずつ片付けていくべきだな……)
方針が決まったところで、商業ギルドの協力を得るため、ソーンブロー支部に向かう。俺たちが訪れることが分かっていたのか、満面の笑みを浮かべたグラエム・サヴェージ支部長がすぐに現れた。
パークス副隊長が用件を切り出す前に、俺の方から俺たちの救出に傭兵たちを出してくれたことに感謝を伝えることにした。
「昨日はありがとうございました。商隊の皆さんのお力がなければ、私はこの世にいなかったはずです。本当にありがとうございました」
大きく頭を下げるとサヴェージは「いやいや、当然のことをしたまでですよ。どうか頭をお上げください」と慌てる。
「私個人としてできることは限られますが、この恩には報いるつもりです」
そう言うとサヴェージは「鍛冶師方との取引を考えたら当たり前のことをしたまでです」と汗を拭きながら答え、
「もちろん、損得は考えましたが、今回はザカライアス卿をお救いしたという事実だけで十分でございます。これ以上欲を掻いてもよい事はございませんから」
不思議なことに何も要求してこない。
(商業ギルドが得になると分かっていて何も要求してこない。なぜだ? ラズウェル辺境伯との関係修復はともかく、スコッチの販売権くらいは言ってくると思ったのだが……)
不思議に思い、そのことを伝えてみると、
「シャロン・ジェークス様よりザカライアス卿に迷惑を掛けるような要求はなさらないようにと……」
俺は思わず「シャロンがですか?」と言ってしまった。
「直接おっしゃられたわけではないですが、今回のことはジェークス家が独断で行ったものと何度もおっしゃられまして……正直なところ、シャロン様を敵に回す気にはなれなかったのですよ。あの方はある意味、あなた様より恐ろしい気がしますので」
シャロンが何を言ったのかは知らないが、今回のことは俺たちを助けるためだ。
「それでは今回のオーク討伐は私が依頼したことにさせていただき、適正な報酬をお支払いします。後ほど、傭兵ギルドに依頼票を出して……」
そこまで言ったところでサヴェージが慌てて「それには及びません」と遮ってきた。
「今回はアルスの鍛冶師方と取引がある我々商人が勝手にやったこと。ザカライアス様を見捨てたなどという噂が立てば、我らは商人として生きていけませんから。ですから、逆に金儲けのために助けたと言われない方がよいのです」
彼の言っていることは理解できる。だが、それでは商人たちに損害を与えることになる。元々アルス街道はコストが大きく、儲けが少ない。
これはアルスの武器をペリクリトルに運ぶ商隊が多いためで、重量物であるため輸送費が高いことと、難所が多いため護衛が必要であるためだ。
「では、私の名で鍛冶師ギルドのドレクスラー匠合長に手紙を書いておきましょう。私の救出のために尽力してくれたと。具体的に何かをお願いするわけではありませんが、多少なりともお役に立てればと思います」
俺の提案にサヴェージは満面の笑みを浮かべる。
「皆も喜ぶでしょう。明日以降に討伐隊を出されるのであれば、我々は全面的に協力いたします」
さすがに俺たちの目的を分かっており、既に商人たちにも根回しを終えているようだ。もちろん、オークたちの討伐が終わらなければ出発できないが、ペリクリトルから既に討伐隊は出発しているだろうから、無理に傭兵を討伐に回す必要はない。これも俺に協力している姿勢をアピールする意味があるのだろう。
その後、パークス副隊長から「明日の朝、斥候隊を出した後、オークの討伐を行う」という旨の話があり、サヴェージ支部長から各商隊の責任者に通知されることとなった。




