第五十話「頼まれごと、頼みごと」
トリア暦三〇一七年九月二十二日、午後五時頃。
ウルリッヒ・ドレクスラーら鍛冶師たちから解放され、ギルド本部の建物から外に出ると、蒸留酒定期便の責任者ネイサン・バーロウと、蒸留酒護衛隊の隊長ラッセル・ホルトが俺たちのことを待っていた。
「大変そうですね。あのまま宴会に連れ込まれるかと……」
バーロウは苦笑しながら、そう言い、隣にいるラッセルも同じように苦笑いを浮かべていた。どうやら、俺たちのことを心配して残っていてくれていたようだ。
「しかし、さっきの“あれ”だが、職員に聞いてもザックコレクションやスコット殿が来るという話は無かったそうだぜ。どうして判ったんだろうな」
“あれ”とは百人以上のドワーフが門で待ち受けていたことだろう。俺も同じことを思っていたので大きく頷く。
「まあ、“ドワーフ”だからな。酒の匂いでも嗅ぎつけたんだろう」
俺はわざと真剣な表情でそう言うと、バーロウとラッセルだけでなく、リディたちも同じように真剣な表情で頷いている。
「前にもありましたね。ウェルバーンでも……あの時もビックリしましたけど、やっぱり匂いで判るんですよね、ドワーフなんですから……」
特にウェルバーンでドワーフたちに気に入られたダンは、そう言いながらしきりに頷いていた。
軽い冗談のつもりだったのだが、その場にいる全員が冗談と受け取らなかったようだ。
(スコッチ絡みでいろんな噂を聞くから仕方がないんだろうが……俺自身、誰かに言われたら真面目に頷いたかもしれないな……しかし、ダンはドワーフに対してどんなイメージを持っているんだろう……)
何とも言えない雰囲気の中、バーロウたちと別れて宿に向かった。
金床亭はギルド本部から二百mほど西にある立派な宿だった。夕方ということで、宿泊客らしい人々が中に入っていくのだが、金回りの良さそうな商人や騎士らしい雰囲気の武人が目立つ。ギルド職員に聞いてみると、ここは鍛冶師街に買い付けに来る人たちが良く利用する宿だそうで、貴族から依頼された商人や自ら武具を買いに来た騎士や高名な傭兵たちが泊まっている。
ちなみにこのギルド職員の名は、ジャック・ハーパーというそうだ。特に深い意味はないが、バーボンを飲みたくなった。
それはさておき、このジャックだが、ジョニーと同年代――二十代半ば――の真面目そうな青年で、今回の俺たちの訪問の対応を急遽、任されたそうだ。
(ひとごとながら、宮仕えは大変だな。特に鍛冶師ギルドの職員っていうのは……)
心の中で同情していたのだが、当のジャックはかなりやる気になっているようだ。
「ザカライアス様やスコット様の担当になれたのです。本当に名誉なことだと思っています……」
もう少し話を聞いてみると、ウルリッヒが宿を押さえろと言った時に走り出した職員たちは、全員俺たちの担当になることを狙っていたそうだ。
「大きな仕事を任せてもらえそうなので……もちろん、面倒な事務仕事から解放されることもありますが……」
「大きな仕事?」
「ええ、蒸留所建設の仕事です。結果を出さないと大変ですが、予算は青天井ですし、権限も大きいですから……私たちのような若手には願っても無い機会なのです……」
真面目そうな青年だが、意外と熱い男のようだ。
同じように蒸留所建設の担当であるジョニーは横で小さく頭を振っていた。彼の場合、やりがいより困難さの方が先に立つようだ。
やる気のある若者は見ていて清々しいものだと思いながら、部屋に向かった。
夕食をとり、約束どおり鍛冶師ギルドに向かった。
リディとベアトリスが付いてきたそうだったが、俺だけが呼ばれているので、一人で夜の街に出ていった。
ギルド本部の前に着くと、二階から陽気なドラ声が聞こえてくる。見上げると、全開になった木窓から灯りが漏れている。
(まだ宴会中か……行くと巻き込まれそうだな。まあ、それはそれでいいんだが……)
大扉の前にいる守衛に名を告げると、すぐにジャックが飛んできた。
「お待ちしておりました。ギルド長がお待ちです」
そう言って一階の奥にあるギルド長室に案内された。
意外なことにウルリッヒは上の宴会に参加していなかった。
「良く来てくれた。まあ座ってくれ」
上の宴会には参加してなかったが、しっかりとジョッキは握っており、ここで飲みながら待ってくれていたようだ。
「宴会に参加していると思ってゆっくり来たんだが……待たせたようで、すまなかった」
「まあ、気にするな。ちょっと前まで上におったんじゃ」
そう言って右手をひらひらと振っている。
「何か飲みたいものがあれば言ってくれ……といっても、今日はいつもより種類は少ないがな……」
彼がそう言ったのには理由があった。
スコッチライナーは一ヶ月半に一回、スコッチを運んでくる。
このスコッチだが、短期熟成用のクォーター樽であり、内容量はおよそ百二十リットルだ。その樽が二十五個なので、約三千リットルとなる。
ここアルスにはスコッチを飲むことが許されている鍛冶師が三百人ほどいる。つまり、一人当たり十リットルしか割り当てが無いことになる。
測っていないので正確には判らないが、アルコール度数が五十度近い蒸留酒が一ヶ月半で十リットル、フルボトル十三、四本あるのだから、十分すぎると思うのだが、彼らはその蒸留酒を五百ccは入るジョッキで飲む。つまり、一ヶ月半で二十杯しか当たらないのだ。一日に一杯しか飲まなくても二十日分しかなく、残りの半分以上の期間は飲めない計算になる。
そのため、スコッチライナーが到着する十日以上前からアルスのスコッチのストックは尽きており、ドワーフたちに禁断症状が出ている。
ちなみにスコッチだが、当初は一杯いくらで売っていたが、今では完全な配給制になっている。ドワーフたちに人気があり過ぎて、値が吊り上がったことが原因で、ギルドが配給制に切り替えたそうだ。職員が厳正に量をチェックし、割当量を管理している。
現在は三百人の鍛冶師たちが月に五百C(=約五十万円)の蒸留酒基金という積み立てをし、そこから蒸留酒の買い付けの費用を出している。つまり、一ヶ月で一億五千万円もの金が積み立てられていることになる。
買い付けに二億円くらい掛かるが、それでも一ヶ月で二万C(=二千万円)くらい溜まっていく。既に百万C、十億円以上溜まっており、この資金で蒸留所を建設するのだそうだ。
蒸留酒本体の価格だが、未だにクォーター樽一つ千C、つまり約百万円で渡している。一回の輸送で二億円だから、蒸留酒の原価の十倍近い輸送費――正確に言うとほとんどが安全保障費だが――を掛けている。さすがにドワーフ側も安過ぎると思っているようで、何度か値上げの打診があったが、すべて俺の指示でロックハート側が断っている。
価値を認めてくれていることは嬉しいのだが、これでも十分に原価は回収しているし、第一、普及させるためにはあまり高くしたくない。もちろん、長期熟成酒は高級路線でいくつもりだが、三年物程度の酒に高級感を出したくないと思っているのだ。
これはあまり価格が上がり過ぎると、粗悪な酒が出回る危険を懸念していることが大きい。今の価格なら蒸留技術が普及し、粗悪な酒が出回っても、すぐに市場から駆逐されるはずだ。もちろん、ドワーフたちが粗悪な酒を認めるはずもないから、価格うんぬんに関係なく駆逐されるのだろうが、それでも出ては潰してのイタチごっことなる可能性は否定できない。だが、本物の価格を抑えておけば、品質の良い物だけしか、市場に出回らない。そう考えて、今の販売価格を据え置いている。
話を戻すが、今日、他の酒が少ないのは、待ちに待ったスコッチの解禁日だからだ。皆がスコッチに殺到するから、他を用意する必要があまりないのだ。
それでもビールやエール、ワイン、りんご酒などがあるそうだ。後でジャックに聞いてみると、
「鍛冶師方にとっては大した量ではないかもしれませんが、我々にとってはとんでもない量ですよ。エールやビールの大樽が五つや六つ無くなるんですから……」
俺はエールを頼み、ゆったりとしたソファに腰を下ろした。
ジャックがエールを俺に渡し出ていくと、ウルリッヒはゆっくりとした口調で話し始めた。
「で、相談なのじゃが……どう言っていいものかの……」
豪快を絵に描いたようなドワーフの鍛冶師が言葉を選んでいる。俺は急かすことなく、彼の言葉を待っていた。
「……スコット殿のことなんじゃが……儂らから感謝の意を伝えたいと思っておるんじゃ。それを相談したいと思ってな……何か良い知恵はないものかの」
意外だった。
言っては悪いが、そんなことで悩むような人物に見えなかったからだ。そして、なぜ俺に相談するのか、その理由も判らない。
「何でもいいと思うんだが……それにしても、なぜ俺なんだ?」
「ああ、ベルトラムから聞いておる。若いが知恵者だとな……」
どこまで俺のことを知っているのか気になるが、ウルリッヒは更に言葉を続けていた。
「……“スコッチ”という名を贈ったのはお前だと聞いたからじゃ。そんなお前ならスコット殿が何を望むか判るんじゃないかとな……儂たちじゃ、何も思いつかなんだのじゃ……」
確かにスコットが何を望むかと問われたら困るかもしれない。
大国や大手の商会からの引き抜き騒動で、金や地位を提示されても首を縦に振らなかった。その理由が既に“スコッチ”という名で名誉を得ているからだと言われれば、金や地位などは考えにくいだろう。
俺たちのような冒険者や傭兵なら、鍛冶師たちが心を込めて作った武具を贈るという選択肢もあるが、職人であるスコットは自警団の訓練を免除されており、武具は必要ない。
だからと言って、酒造りに使う道具ではここの鍛冶師たちが腕を振るうほどのものが無い。
だが、俺には腹案があった。スコットをここアルスに連れてくることが決まってから、こうなるのではないかと思っていたからだ。
「確かに難しいが……ないこともない」
「あ、あるのか! それを教えてくれ!」
相談したものの、あまり期待していなかったのか、俺の言葉に驚き、右手に持ったジョッキごと身を乗り出してきた。
「気持ちをそのまま伝えればいい。それで十分、スコットは満足するはずだ……」
俺がそう言うと、ウルリッヒはどっかりとソファに腰を下ろす。
俺はそれに構わず言葉を続けていく。
「そうは言っても、それでは気が済まんのだろう。なら、その気持ちをこう表してはどうかと思ってな……」
俺は暖めていた考えを伝えていく。
最初は俺の言う意味を掴みかねていたウルリッヒだったが、話を聞くうちに俺の考えを理解し、徐々に顔が綻んでいった。
「おぅ! まさしく儂らの想いを表しておる! これならば、皆も納得するじゃろう」
そして、そのまま集会室にいき、合意を得ようと考えたのか、
「よし、上で飲んでいる連中に話しに行くぞ! 工房を持っている連中はほとんどおる」
徐に立ち上がると、その太い腕で俺を引き摺るように上に行こうとした。
「ちょっと待ってくれ。俺の方にも話があるんだが」
興奮したウルリッヒだったが、「話じゃと?」と少し落ち着きを取り戻した。
「ああ、今回アルスに来た理由だが、スコットを連れてくることと、ザックコレクションの披露だ……だが、俺個人としても用事があるんだ。これはロックハート家とは全く関係ない……本当に個人的な理由で悪いんだが、相談に乗って欲しいことがな……」
俺が話し辛そうにそう言うと、「酒の話じゃ無さそうじゃな。まあよい」と鷹揚に頷き、話を促してきた。
「俺たちは冒険者だ。武器や防具の“出来”が、命に直結することもある……俺はいいんだが、仲間の武具を良い物に替えてやりたいんだ……」
アルスは言わずと知れた鍛冶師の街だ。世界で最も優秀な武具を作り出している。
今、俺たちが使っている武器や防具は基本的には学術都市ドクトゥスで手に入れた物だ。性能的には満足いくものなのだが、やはり本場に来たのだから、更に上を目指してみたい。
特に前衛であるベアトリスとメルはケガを負うリスクが高いから少々無理をしても良い物にしてやりたい。もちろん、騎士団で使うような板金鎧は冒険者に不向きだから、部分鎧かチェイン系の防具が候補だ。実際、ベアトリスはチェインメイルを革鎧の下に着けているから、実用性に問題はない。
「……もちろん、対価は支払うつもりだ。一応、十万C用意している……」
ドクトゥスの五年間でかなりの収入を得ていた。魔物の討伐でも月に千C程度、つまり百万円近い収入を得ていたし、印刷技術や防音の魔道具などの売却などで、数万C単位の金を手に入れている。今回用意した十万C(=約一億円)は、五年間に貯めたほぼ全額と言っていい。
それでもドワーフの、それも超一流の鍛冶師に武具を作ってもらえば、最低その数倍は必要だ。だから今回は超一流でなくとも若手の優秀な鍛冶師を紹介してもらえれば、かなり良い武具が手に入るのではないかと考えていた。もちろん、ラスモア村には、腕のいい鍛冶師であるベルトラムがいるから、全てを揃える必要はない。だが、彼も忙しい身だ。だから、少しでも自分で良い物を手に入れようと考えたのだ。
「まあ、ベルトラムに作ってもらってもよかったんだが、村の仕事でかなり忙しそうなんだ……ここなら、優秀な若手がいるんじゃないかと思ってな。誰か紹介してもらえないだろうか」
ウルリッヒは「何じゃ、そんなことか」と言い、
「お前さんのことじゃから、突拍子もないことを言い出すんじゃないかと構えてしまったわい」
何とか紹介してもらえると安堵する。だが、次の言葉に愕然としてしまった。
「だが、口利きはせん。というより、ギルド長としてはできんと言った方がよいじゃろう」
良く考えるとその通りだ。ギルド長という要職に就いている者が個人的に口利きを行うことは不健全だ。
「……そうだな。今のは忘れてくれ。こちらで探すよ」
「口利きはせんが、まあ、儂に任せておけ。用はそれだけじゃな」
俺には何のことか判らなかったが、とりあえず用事はそれだけなので素直に頷いた。
「よし! 上の連中に先ほどのスコット殿の件を言いに行くぞ!」
そう言うと再び立ち上がり、俺の腕を掴む。四十cm近い身長差はあるものの、鍛冶で鍛え上げられた力強い手に掴まれ、引き摺られるように階段を上っていった。
未だに仕事をしている職員たちが俺のことを心配そうに見ており、俺は軽く手を上げて問題ないことを伝える。
二階の宴会場になっているところは、集会室で幅が十五m、長さが四十mほどある大きな部屋だった。もちろん何本も柱があるのだが、城の大ホール並みに大きな部屋だった。
だが、今は非常に狭く感じる。髭面のむさ苦しい男たちがところ狭しとひしめき合っているからだ。
ウルリッヒに引き摺られるように入っていくと、陽気に呑んでいた鍛冶師たちから「よう来たの」とか「さあ、呑め、呑め」などと声が掛かる。
ウルリッヒが集会室の壇上に立つと、鍛冶師たちが不思議そうな顔をし、がやがやという声が僅かに静まった。
「皆の者、よく聞いてくれ!」
その言葉でドワーフたちの私語が止む。
「ここにおるザックがいい知恵を貸してくれたんじゃ。スコット殿への贈り物についてな!」
ドワーフたちから、「オウ!」という歓声が上がり、「で、何を贈るんじゃ!」という声が方々から上がる。
ウルリッヒはその声に「よく聞くんじゃ」と得意げに答え、俺がした話をしていく。
三分ほどで説明を終えると、集会室は怒号のような歓声に包まれた。
ある程度落ち着いたところで、ウルリッヒが採決を行う。
「聞くまでもないことじゃが、念のために聞くぞ! ザックの提案に賛同する者はジョッキを上げろ!」
次の瞬間、「「賛成!」」という唱和とともに三百のジョッキが掲げられた。
「よし! 全会一致じゃ! 明日の歓迎の宴で、スコット殿に伝えるぞ!」
その言葉にドワーフたちが賛同するかのように足を踏み鳴らす。
ドンドンという音がギルド会館だけでなく、外にも響き渡っているはずだ。
(凄い熱気だ……しかし、近所迷惑だな。いや、職員の方が大変か。下じゃ、うるさくて仕事にならないんだろうな……)
その後も宴会は続いていくが、俺は何とか抜け出し、宿に戻ることに成功した。




