第十六話「初めての魔法」
リディの授業が始まってから十日ほど経った。
月は九月に替わるが、厳しい暑さは一向に収まる気配はない。
魔法の授業は座学が三十分、実技が三十分の一時間であることに変わりなく、座学では各属性の特徴、呪文の構成などを学んでいく。
実技の方はシャロンが魔力を感じる訓練を続けていたが、俺はそれを卒業し、魔力を動かす訓練に移っていた。
「魔力を精霊に与えるのは体のどこからでも可能です。ですが、魔法は魔力を与えたところから現れます。ですから、使いやすい場所に魔力を移す必要があるのです」
つまり、へそからでも魔力を与えられるが、そこから魔力を与えると魔法もそこから発動するわけだ。へそから石弾って言うのも有りかとは思うが、やはり指先か手の平の方が使いやすいだろう。
「魔力を感じたら形を変えてみましょう。腕を通して魔力を与えるなら、腕を通る太さに形を調整しなければなりません……」
魔力の変形と移動は割合簡単だった。
要はイメージで何とでもなるのだ。
俺の場合、魔法を増幅回路と考えたから、それを少し変えればいい。魔力を電力、神経を電線とするイメージで移動させ、手の平をコンデンサーかバッテリーと考えれば、簡単に手の平に魔力を溜めることができた。
その様子にリディが呆れる。
「自分の魔力を感じるのも早かったけど、魔力の移動は普通一年は掛かるものなのよ。それをたった三十分で……魔力の放出はもう少し先よ。あなたは魔力の制御の練習をしていなさい」
そう言って彼女は、シャロンの訓練に掛かりきりになる。
仕方なく、魔力をいろいろな場所に移動させて遊んでいた。それに飽きると右手から左手に瞬間的に魔力を移したり、腕全体に纏わせたりし始めた。
(よく考えると、魔闘術っていうのがあったよな。魔闘術ってこれのことなのかな?)
キャラクター作成時にあった、“魔闘術”の説明を思い出していた。
(確か、魔力を纏うことによって、攻撃とかの威力や成功率を上げるっていう説明だったよな。今やっているのはまさに魔力を纏うってことだよな)
俺はシャロンに付きっきりになっているリディから離れ、魔力を足に纏わせてジャンプしてみた。
僅かにジャンプ力が上がったような気がするが、気のせいくらいのレベルだった。
MPは減っているのかなと思い、ステータスを確認すると、MPが八十二から八十一に減っていた。
(今のでMPが減っているってことは、魔力を使ったことになるんだ。でも、呪文も魔法陣もなしで使えるし、どの精霊に魔力を与えると約束したわけじゃないんだが……説明書かWIKIが欲しいな……)
ちなみにダンとメルは、座学中は寝て、実技中は遊んでいるだけだったため、勉強するようにと本を読ませていた。
俺が遊び始めたと思った二人は、すぐに近づいてきた。
メルが「ザック様はもう終わったの?」と聞いてきたので、「まだ、体を動かしながら訓練をしている」と誤魔化す。
リディも俺の行動に気付き、三人から引き離したところで、何をしているのか聞いてきた。
「魔力を纏って体の動きをよくしようと思ったんだけど。変?」
彼女は盛大な溜め息を吐き、
「それはエルフの高位の魔術師がやることと同じよ。数百年生きた魔術師たちが、初めてできるようになることなの」
「エルフの魔術師しかできない技なんだ」と聞くと、首を横に振り、
「たまに無意識にできる人もいるって聞いたことがあるわ。でも、意識してやる人は高位の魔術師だけよ。本当にあなたといると飽きないわね。ふふふ」
最後には呆れを通り越して、笑われてしまう。
「これも神から与えられた力の一つ。だからできるんだと思う」
その言葉に彼女は笑うのをやめ、屈みこみ俺に視線を合わせる。
「その技は精霊の力を利用しないの。自分の魔力を直接、力に変えるから。だから普通の魔法より魔力の消費が大きいはずよ」
そして、俺を軽く抱きしめ、
「あなたなら大丈夫だと思うけど気を付けなさい。やることがないなら夜に付き合ってあげる。だから、私のいないところで魔力を使うのは止めて」
リディの真剣さに、俺は頷くしかなかった。
夕食が終わった後、約束通り、リディの部屋に行った。
彼女の部屋に入ると、既にゆったりとした椅子に座り、ワインを飲みながら俺を待っていた。
「お待たせ。じゃ、魔法の指導を頼むよ」というと、彼女は妖艶ともいえる表情を見せてきた。
「ほんとに無粋ね。女性の部屋に入ってきて、いきなりそれなの?」
少し酔っているのか、鼻に掛かった声も艶っぽい感じがする。
「四歳児を捕まえて、無粋も何もないだろう? この体じゃ、酒も飲めないし、すぐに眠くなるんだから」
彼女はクスクスと笑いながら、「冗談よ」と言って、酒を飲み干す。
「じゃ、始めましょうか。窓の外に向けて魔法を撃ってみるわよ」
俺は初めて見る魔法にドキドキしながら、その瞬間を待つ。
リディは表情を真剣なものに変え、窓際に立って呪文を唱え始めた。
「光を司りし光の神よ。御身の眷属たる精霊の、聖なる光を固めし光輝なる矢を、我に与えたまえ……」
呪文を唱える彼女の右手に光の粒子が集まっていき、次第に棒状に変わっていく。
「……御身に我が命の力を代償として捧げん。出でよ! 光の矢」
呪文を唱え終わると、彼女の右手から光の矢が飛び出していく。
窓の外では、音も無く飛び出していく光の矢が、流星となって夜空を一瞬明るくしていた。
俺は言葉も無く、呆けたようにその様子を見守っていた。
「どう? 初めて見た魔法の感想は?」
知らぬ間にリディの表情は、いつもの柔らかいものに戻っていた。
俺はどう答えていいか分からず、「あ、ああ」とだけ、口にする。
俺の顔を覗き込みながら、「どう、なかなかのものでしょ」と笑いかけてくる。
(映画の特撮でもこれほどリアルじゃない……光の粒子が集まる様子なんて、アニメがそのまま現実になったみたいだ……)
一時の放心状態から回復すると、次は猛烈な興奮が俺を襲ってきた。
俺は彼女の手を取り、「凄かった! 凄いよ!」と半ば叫んでいた。
リディは少し困ったような顔になり、「声が大きいわよ」と、注意してくるが、俺の興奮する様子を見て、すぐに笑顔になる。
「光、風、木、水が私の持っている属性なんだけど、一番得意なのは風なのよ。でも、この暗闇では見えないから、苦手な光にしたのよ」
そう言いながら、少し得意げにその豊かな胸をそらしていた。
「あれで苦手な方なんだ。で、あれはどのくらい飛ぶんだ? どのくらい撃てるんだ? 呪文は学校で習ったもの? どれくらいの威力が……」
興奮する俺は次々と質問していく。
彼女は呆れるような目付きで俺を見ながらも、俺の質問に答えてくれた。
「光の矢だと大体百mくらいかしら。そこまで飛ばすとほとんど威力が無いから、攻撃に使うなら三十メルトくらいってところね。回数は……五十回はいけると思うんだけど、良く分からないわ……」
彼女の話をまとめると、通常の弓と同じくらいの射程で威力もそれに準ずる。感覚的だが使う魔力は、全魔力の一から二パーセントくらいだそうだ。呪文も基本は押さえているが、決まったものではないとのことだった。
俺の質問攻めに少し呆れながら、
「本当に楽しそうね。そんなに魔法が使いたいの?」と笑っている。
「俺がいた世界には魔法は無かったんだ。物語の中だけに存在していたんだよ。どう言っていいのかな……そう、子供の頃の夢かな。おとぎ話と分かっていても一度は使いたいと……」
未だ興奮冷めやらぬ俺は、熱く語っていた。
後日、リディから、
「あの時のザックは別人かと思うくらい興奮していたわよ。ビックリしたわ」と言われるほどだった。
五分ほど話したところで、俺の興奮もようやく収まってくる。
俺は自分の行いに恥ずかしさを感じ、誤魔化すように少しおどけた感じで、「それじゃ、魔法を教えてください。リディ先生」と頭を下げる。
彼女は俺の様子に少し噴出しながら、「それでは魔法の授業を開始しますわ」と調子を合わせてくれた。
それから、一時間ほど魔法の授業が行われた。
「あなたは魔力を調整するのがうまいから、いきなりでも魔法は使えると思う。でも、まずは簡単なものから始めましょう。まずは呪文の説明から……」
呪文とは、それぞれの属性の精霊に、術者のしてほしいことを効率よく伝える言葉だそうだ。
呪文の構成として、使いたい属性を特定するために属性神の名を唱える。次に精霊の力をどのような形に変えたいのかを伝え、精霊に魔力を与えることを伝える。精霊の力が望んだ形になったところで、発動させるキーワードを唱える。
これが呪文の構成になるが、ただ唱えるだけでは魔法としては成立せず、強くイメージすることが重要だそうだ。
(呪文はイメージを補完するものということか。精霊というのが良く分からないな。見えるものなのか?)
目に見えない精霊というものが、どうもうまくイメージできない。
「精霊っていうのは見えるものなのか? 神様っていうのは会ったから分かるんだけど」
彼女はハァと盛大にため息を吐きながら、「本当にあなたは規格外ね」と呟く。
「精霊を見れる人は結構いるのよ。でも、神様を見たって言う人は、ほとんど聞いたことがないわよ」
「まあ、俺も本当に神様なのか、分かっちゃいないけど。でも、神様がいるんだから、会ったっていう話も多いんじゃないのか?」
「私が知っているのは、光神教の教祖がそんなことを言っていたくらいね。その人でも光の神と会ったっていうだけ。創造神から三主神、属性神のすべてなんて……もう言葉にならないわ」
俺は宗教絡みの話に警戒し、
「もしかして、かなりやばいことなのか?」と聞いた。
「そうね。光神教、光の神殿の神官にそれを言うと、“異端だ!”とか、“神を冒涜している!”とか言われそうね。まあ、普通の人は“何を言っているの”っていう反応しかないと思うけど」
光神教について詳しく聞いてみると、どうやら光の神、ルキドゥスを唯一絶対の神とする宗教で過激な集団らしい。信仰の地を手に入れるため、カエルム帝国の西で蜂起し、ルークス聖王国という国まで作ってしまったそうだ。
(国家権力と宗教の組み合わせか。最悪だな。宗教国家に目を付けられるのは絶対に避けないといけないな……おっと、話が脱線しているな)
話が脱線したため、元の魔法の話に戻す。
「ちょっと話が逸れたな。俺でもできそうな簡単な魔法ってないのかい?」
リディはあごに手を当て、少し小首を傾げて考える。
その姿が妙に似合っているため、
(こういう子供っぽい仕草も可愛いよな。酒を飲んで少し甘える仕草とかもいいけど……)
そんなことを考えながら彼女を見ていると、何か思いついたのか、手をポンと叩く。
「簡単なのがあったわよ。水を作る魔法。造水の魔法よ。これなら魔力の消費も少ないし、あなたでも大丈夫なはず」
そういいながら、すぐに呪文を教えてくれた。
そして、さっきまで酒を飲んでいたジョッキを手に持ち、
「私の言う呪文を覚えてね。“沸き出でる泉の守護者水の神よ。清き御身の血を我に授けんことを。我、我が命の力を代償として捧げん。沸き出でよ、清き水」
彼女の呪文が終わると、ジョッキの中に液体が湧き出てくる。
俺はその光景に驚きながらも、必死に呪文を覚えようとしていた。
呪文を口の中で何度か繰り返し、いけると思ったところで彼女に頷く。
「今からやってみるよ。見ていておかしなところがあれば、教えてほしい」
俺は彼女が見守る中、一度深呼吸をしてから、ゆっくりと呪文を唱え始める。
「沸き出でる泉の守護者水の神よ。清き御身の血を我に授けんことを。我、我が命の力を代償として捧げん。沸き出でよ、清き水」
呪文を唱え終わるが、何も起こらない。
俺はがっくりと肩を落としながら、リディの顔を見る。
「どこが悪かったんだ? 呪文は完璧だったはずだが」
彼女は俺の落ち込んだ姿がおかしかったのか、小さく笑っている。
「さっき言ったでしょ。呪文を唱えながらイメージするって」
俺は呪文を唱えることだけに集中していたため、イメージするのを忘れていた。
(水を作るイメージってどうやるんだ? リディに聞くのも悔しいから、自分で考えてみるか)
俺は水を作るということで、定番の“凝縮”を思いつく。
だが、凝縮で彼女が作った水の量を確保できるのかと思い直した。確かに凝縮が一番分かりやすいが、空気の中の水分量は湿度百パーセントでも一立方メートル当たり二十から三十gくらいだったはずだ。彼女が出した量なら相当広い範囲から水分を集める必要がある。
(凝縮では無理がある。イメージでいけるのなら、水があるところから見えない配管を通して移動させると考えてもいいな。そうだな、地下に水源があるとしよう。それを魔法のポンプでポンプアップする。見えない配管をジョッキの底に繋いでと……よし、いけそうだ!)
俺は方針を決めると、再び息を吸い、ゆっくりと呪文を唱える。
「沸き出でる泉の守護者水の神よ。清き御身の血を我に授けんことを。我、我が命の力を代償として捧げん。沸き出でよ、清き水」
右手に貯めた魔力がスーッと抜けていく感じがある。
魔力が抜けていくに従い、ジョッキの中にゆっくりと水が溜まっていく。俺は初めて成功した魔法に興奮していた。
しかし、すぐに興奮が冷める。湧き出した水がどんどん溜まっていき、ジョッキから溢れ出てしまったからだ。
俺は慌てて止めようとするが、焦りから止めることができない。
「魔力の放出を止めるのよ。手に貯めた魔力を体に戻して!」
彼女の声で魔力の放出を止めることができ、ようやく水が止まった。
「呆れたわ。こんなに簡単に成功されると、私が来た意味が無いじゃない。ああ、もう帰ろうかしら」
俺がたった二回で簡単に成功させてしまったことが、お気に召さなかったらしく、指でのの字書くような仕草をしながら、口を尖らせて拗ねた表情を作っていた。
(じい様が言っていた精神年齢がメルと同じって言うのは、本当かもしれないな。それとも俺に甘えているのか? 見た目、四歳児の俺に?)
「そんな寂しいことは言わない。リディがいたから使えるようになったんだ。誇っていいことだよ、これは。もっといろいろ教えてほしいな、リディ先生」
俺は濡れてしまった床を拭きながら、可愛く拗ねるリディを褒める。
彼女は「仕方ないわね。これからも教えてあげるわ」と言いながら、俺を抱き締めてきた。
端から見ると、美しい姉が小さな弟を抱き締めているだけだが、俺の心の中では様々な感情が渦巻いていた。
そう、俺は彼女に魅かれ始めていたのだ。その容姿に魅かれたのがきっかけだが、時折見せる子供っぽい仕草、特に一緒にいて欲しいと甘える表情に、守ってやりたいという保護欲のような感情が芽生え始めていたのだ。
(四歳児の体で守ってやりたいもないもんだ。本当にこの小さな体が恨めしい。もっと大きくなってから出会っていれば……)
過剰なスキンシップに俺の心が乱れていく。
無理に引き離す力も無く、されるままの無力な自分。
決してこの状況が嫌なわけではない。むしろ、好ましいとすら思える状況だが、自分の無力さを思い知らされる残酷な状況。
俺は無理に明るい声を出し、彼女の肩を軽く叩く。
「はいはい、これからもよろしくお願いしますよ。それより早く水をふき取らないと、床に染み込んでしまうから」
俺の言葉に、彼女は慌てて床を拭き始める。
(俺のことをどう思っているんだろう……考えるまでも無いな。ただの知り合いの子供。ただの生徒……)
俺は魔法が成功したという興奮も余韻も無く、「疲れた」と一言残して、彼女の部屋を出ていった。




