第四十九話「職人同士、酒飲み同士」
トリア暦三〇一七年九月二十二日。
ラスモア村から運ばれてきた酒樽がすべて倉庫に運び込まれた。
それを見届けた鍛冶師ギルド長、ウルリッヒ・ドレクスラーが、ロックハート家の従士であるウィル・キーガンに声を掛けた。この場でロックハート家の紋章をつけた装備をつけているのは彼しかおらず、責任者だと思ったようだ。
「ご苦労だったな。貴殿がロックハート家の責任者か?」
ウィルは「わ、私は従士に過ぎません!」と慌てて否定する。
元農民であるウィルは鍛冶師ギルド長という国王にも匹敵する権力者に声を掛けられ、かなり焦ったようだ。そして、近くにいた俺を少しどもりながら紹介した。
「こ、こちらが我が主家、ロックハート家のご次男、ザカライアス様です」
俺はいつもの冒険者スタイル――当然黒尽くめの装備――なので、ロックハート家に雇われた護衛に見えていたのだろう。それまではほとんど注目されていなかった。
だが、ウィルの言葉に気付いたドワーフたちの驚きに満ちた視線が一気に俺に集中する。
鍛冶師たちに名が知られていることは自覚していたが、百人以上のドワーフたちの視線を一身に集めるとさすがにたじろぐ。
「貴殿がザカライアス殿か。良く来てくれた」
ウルリッヒが強面の顔に笑顔を浮かべてくれたため、俺も強張りながらも笑顔を返すことができた。
「ウルリッヒ・ドレクスラーじゃ。何の因果か、鍛冶師ギルドの長などをやらされておるがの」
そう言って右手を出してきた。
身長差があるため、やや屈み加減でその手を取る。
「初めまして、ザカライアス・ロックハートです。よろしければ、ザックとお呼びください」
「噂には聞いておる。酒に関しては俺たち以上だとな」
俺は誰から聞いたのだと思いながらも、「それほどでもありませんよ」と笑顔で否定した。
彼は小さく首を振り、
「酒飲み同士だ。敬語はいらん」
俺にはどういう理屈でそうなるのか理解できない。
それにそんなことを言われても、世界情勢に影響を与える権力者――実際に一国の元首に相当する宗教指導者の首をすげ変えている――である鍛冶師ギルドの長を相手にタメ口で話すことはハードルが高過ぎる。
何とか断ろうと、「ですが……」と言い始めると、軽く右手を挙げて俺を制し、
「ベルトラムやデーゲンハルトとは“タメ”で話しているそうではないか。儂もそれで構わん。儂も敬語は使わんがな」
周りにいるベテランのドワーフたちも皆頷いている。
鍛冶師ネットワークは思った以上に発達しているようだ。連絡手段が手紙しかないこの世界で、数百km離れたウェルバーンでの話を知っていた。
ウェルバーンのギルド支部長、デーゲンハルトの話を持ち出されると言い返せない。とりあえず話題を変えるため、四年前の光神教騒動の後始末の礼を言うことにした。
「まずは我が家の危機を救ってくださったことに礼を言わせて下さい。光神教のことでは本当にお世話になりました」
そう言って頭を下げるが、ウルリッヒは最初、何のことだという顔をした。そして、一拍置いて思い出したのか、「礼を言われるほどのことはしておらん」と軽く手を振っていた。彼らにとってはロックハート家を救ったという意識が無かったのかもしれない。
間を置いたことにばつが悪かったのか、
「こっちの方が礼を言いたいくらいじゃ。よく持って来てくれた。“ザックコレクション”をな」
そう言って話題を変えてきたが、その顔は本当に嬉しそうに笑っていた。
簡単な挨拶を終え、リディたちを紹介していく。そして、ジョナサン・ウォーターを紹介すると、僅かに場の雰囲気が変わった。
「デーゲンハルトから聞いておる。ウェルバーンにも一樽寄越せと交渉したいとな」
ウルリッヒはそう言いながら、ジョニーを睨むでもなく見つめていた。周囲にいるドワーフたちからは僅かに剣呑な空気が流れてくる。
ジョニーはその視線と空気に一瞬たじろぐものの、ウルリッヒの目をしっかりと見つめながら、大きく頷く。
「デーゲンハルト支部長およびウェルバーンの鍛冶師方、すべての非常に強いご要望ですので。ロックハート家のご領主様、および、ザカライアス様より、現状ではアルス向けのものから回すしかないと伺っております」
僅かに声が震えているが、それでもしっかりとした口調だった。
ジョニーが言っていたギルド本部での用事というのは、ウェルバーン用のスコッチの確保の話だったようだ。
「我らの分から寄越せと言うのだな。良い度胸じゃ……まあいい。この話は後日、じっくりとさせてもらおう」
そのやり取りを感心しながら見ていた。二十代半ばという若者がギルド長という権力者に対し、堂々と物を言ったのだ。
(地方支社の若手社員が、本社に行って社長に意見を言うようなものだな。いや、それ以上か。ドワーフに酒を譲れと要求するんだから……俺でも言い出しにくい。さっきの状況を見たらな……)
ウルリッヒとジョニーの会話が終わり、最後に残った一人を紹介することになった。
「こちらが蒸留責任者のスコットです」
酒樽がすべて搬入され、倉庫の前から動き始めていたドワーフたちだったが、彼らの足が一斉に止まった。そして、ガバッという音がしそうな勢いで振り返り、半ば呆けた顔でスコットを見つめる。
ウルリッヒも同じようにやや呆けた顔でスコットを見つめていた。数秒後、ジョニーとの話で強張っていた顔が見る見る変わっていく。最初は驚いたように目を見開き固まっていたが、次第に口をわなわなと動かしているのか、僅かに髭が揺れていた。その表情を良く見ると感動に打ち震えているようだ。
「おお、ようやく来てくださったか……スコット殿……」
声を震わせながらスコットの手を取る。だが、感極まったのか、それ以上言葉が出てこない。ただ、髭に埋もれた顔でも容易に判るほど、歓喜に溢れていた。
当のスコットだが、どう対応していいのか判らないようで、目で俺に助けを求めてきた。
俺に助けを求められても困るのだが、この状況を何とかしないと宿に行くことすらできない。
「後ほど、ご挨拶に参ります。とりあえず、宿を探さねばなりませんので」
俺がそう言うと、ウルリッヒは「宿? ああ判った」と頷く。俺はこれで何とかなると安堵するが、スコットの手を放す様子がない。そして、すぐに大きなドラ声が中庭に響き渡る。
「誰でも良い! すぐに近くの宿を取ってきてくれ! 儂の名を使っても構わん! 大至急、人数分を押さえてくるんじゃ!」
その声に数人の職員が走り出す。それを見たウルリッヒは「これで問題なかろう」と笑みを浮かべていた。
「では、立ち話もなんじゃ。ザック、スコット殿、中に入るぞ」
そう言って、ギルド本部に行くよう促す。
スコットは主家である俺が呼び捨てで自分に“殿”という敬称がついていることを気にし、
「私もスコットとお呼びください。ただの平民に過ぎんのですから」
半分泣きそうな顔でそう懇願した。
「うむ……だが、スコット殿は我らにとっては恩人のようなもの。それに尊敬すべき御仁でもある……呼び捨てにするのは……」
ドワーフにとってスコットは特別な存在のようだ。
(この国の王様でも敬語を使わなさそうなんだが……ほとんど教祖と信者の関係だな。だが、これじゃ、スコットが居辛いだろう。何とかした方がいいな……)
「ウルリッヒとスコットは尊敬できる職人同士。互いに敬意を持って接するのはおかしなことじゃない……」
俺はあえてギルド長であるウルリッヒを呼び捨てにした。そして、更に話を続ける。
「……そして、俺とウルリッヒはただの酒飲み友達。まあ、ベルトラムと俺の仲みたいなものだと思えばいい。それなら、呼び捨てでも問題ないだろう?」
ウルリッヒは俺が突然自分のことを呼び捨てにし始めたことに少し驚くが、俺の屁理屈を聞いて、豪快に笑い出した。
「ガハハハ! その通りじゃ! 儂とザックは酒仲間じゃ! それに平民というなら、儂も同じ! 一介の鍛冶師に過ぎんのじゃからな! だから、スコット殿も細かいことはあまり気にするな!」
それに釣られるかのように、周囲のドワーフたちも笑い始め、「今から宴会じゃ!」、「酒飲み仲間の歓迎をせねばの!」とか言って騒ぎ出す。
ウェルバーンでも思ったことなのだが、ドワーフというのは相手を認めさえすれば、心から打ち解けられ、すぐに親友のような付き合いになる。それが種族全体の特性なのか、鍛冶師だけの特性なのかは判らない。ただ、彼らに認められるというのが非常に難しいことは確かだ。金や地位では全く心を動かさないし、力で脅しても屈服しない。たとえ世界一の軍事国家、カエルム帝国の皇帝が相手であっても、気に入らなければ抵抗するだろう。それも相手が強いとか、自分たちの身に危険が及ぶとか、そんなことは全く考えずに。
そして、もう一つの特徴は仕事、特に物作りに対する情熱だ。
ロックハート家が蒸留酒という画期的な酒に“スコッチ”という一介の職人の名を付けたことに、彼らは驚いた。そして、その英断を行ったロックハート家に対し、最大級の敬意を払ってくれている。それだけ、物を作るという仕事に誇りを持っているのだ。
今はギルド長という要職にあるが、元々はウルリッヒも世界に名を知られた名工だ。ゼロから新しい物を作り上げたスコットに最大級の敬意を払うのは当然だろう。その対象が自分たちの愛する酒であったこともあるのだろうが、仮に別の新しい製品であっても何も無いところから作り上げ、それを世に広めた職人に対しては一定の敬意を払ったはずだ。
スコットも何となくそのことが判ったのか、渋々ながらも頷いていた。
中庭からギルド本部の建物に入るのだが、これがかなり立派な建物だった。
幅は五十mほど、奥行きは二十mほどの重厚な石造りの建物で二階には大きな木窓が多く取り付けられている。
中に入ると、通用口なのか職員たちが忙しそうに動き回っていた。彼らの手には木製のジョッキやつまみの載ったトレイがあり、大きな階段を足早に上っていく。
「スコッチが届いた日は宴会なんじゃ。皆、禁断症状が出ておるのでな」
そのまま二階に上がっていこうとするが、せめて装備くらい外したい。リディたちも何となく流されて付いてきているが、俺の背中をつつき、「このまま宴会に突入する気?」と小声で抗議してくる。
俺は小さく頷き、
「俺たちはともかく、スコットは旅慣れていないんだ。挨拶は明日にしたいんだが」
事実、スコットは今回の旅が生まれて初めての長距離旅行だ。
近くの街、キルナレックには行ったことがあるらしいが、僅か二十五kmほどの距離しかない。今回は約三百km、十五日間の旅で、実際、少し疲れを見せ始めている。それが旅による疲れか、ここでの騒動での疲れかは判らないが。
「……すまんな。儂らは自分のことしか考えておらなんだようじゃ。確かに今日はゆっくり休んだ方が良かろう」
ウルリッヒはそう言うと、鍛冶師たちに告げた。
「スコット殿とザックたちの歓迎の宴は明日の午後に行う! 急ぎの仕事がある奴は明日の午前中に終わらせておけ!」
鍛冶師たちは「ゆっくり休んで下され!」とか、「明日が楽しみじゃ」などと口々にスコットに労いの言葉を掛けていく。
確認しておかなければならないことを思い出す。
「明日はザックコレクションの“試飲会”を行うつもりなんだが、何人くらい来るんだ?」
ウルリッヒは試飲会という言葉に首を傾げる。
「あれはそのまま飲むんじゃないのか?」
俺は頭を振り、真剣な表情を浮かべる。
「いや、最初だけは俺の流儀で飲んでほしいんだ。二杯目からは好きに飲んでくれていいが、一杯目だけは譲れないことがあるんだ」
俺の言葉にウルリッヒは最初きょとんとした顔で俺を見つめていたが、すぐに大声で笑いだした。
「ガハハハ! 噂通りじゃな。良かろう。スコット殿の歓迎の宴に合わせて試飲会とやらをやろうじゃないか!……人数か……そうじゃな、三百人くらいか」
アルスには百を超える鍛冶工房があり、スコッチを飲む資格のあるドワーフの鍛冶師は三百人ほどと言われていたから予想通りの人数だ。
(まあ予想通りなんだが……親方とベテランクラスが全部来るってことは、明日の午後は、すべての工房は休業ってことか……)
予想していたとはいえ、その人数の多さに呆れる。
そんな話をしていると、職員の一人が宿を確保したと報告に来た。
「金床亭を確保しました。部屋割が判らなかったので、とりあえず一人部屋を人数分確保しています……」
その報告にウルリッヒが「良くやってくれた」と言って労っていた。
鍛冶師ギルドの職員は大変だと思いながら、宿に向かおうとしたのだが、ウルリッヒが俺を引き留める。
「お前さんに相談がある。すまんが、夕飯の後にもう一度来てくれんか」
俺は何のことだろうと疑問に思いながらも頷き、「俺だけでいいのか?」と聞き返した。
「ああ、お前さんだけの方が都合がいい」
何のことかは判らないが、とりあえず了承し、ギルド本部を後にした。




