第四十四話「懐かしきラスモア村へ」
トリア暦三〇一七年八月一日。
ここウェルバーンを発ち、懐かしきラスモア村に帰る日になった。
兄ロドリックたちは二日前に近隣の主要な街での“お披露目”を終え、ここに戻っていた。
義姉であるロザリーとともに村に行く侍女だが、最終的に二名となった。元々ロザリー付きの侍女であったアンジーこと、アンジェリカ・コールリッジと、舞踏会でダンと踊ったエレナこと、エレアノール・メイスフィールドだ。二人とも剣術の心得があり、辺境の地でも問題ないとされたことが決め手となったようだ。
内政を取り仕切るフェルディナンド・オールダム男爵から苦笑交じりに、この決定までの話を聞かされていた。
「……大変だったのですよ。侍女の半数が希望を出すなど前代未聞のことですので……最初は驚きました。ウェルバーン城は非常に人気のある職場なはずなのですが、侍女長に話を聞くまで、私のやり方に不満があるのかと思ったほどです……」
ロザリーには二人の姉がいたが、その二人の時にはこのようなことは起きなかったそうだ。
「……ロザリンド様の姉君たちの時は、若い者たちの憧れの地、帝都プリムスだったのですが、それでも希望者は元から担当していた侍女のみでした……今回はどうしてもと食い下がる者までおりましてな。その者を説得するのに骨が折れました……」
当初からアンジェリカとエレアノールの二人が候補だったそうで、実家の了承を得るだけで問題なかったのだが、辺境伯の提案で希望者を募ったところ、思った以上に希望者が集まった。このため、増員しようという話も出たそうだが、ロザリーが自分はロックハート家に入るのだからと断ったそうだ。
ロザリーは自分が多くの侍女を連れて行けば、ロックハート家側の“侍女”たちとの間に軋轢が生じると考えた。まあ、うちにいるのは従士頭のウォルト・ヴァッセルの妻モリーと娘のトリシア――現在は従士ウィル・キーガンの妻――しかいないし、彼女たちは侍女というより、“お手伝いさん”という印象の方が強い。そのため、そこまでの配慮はいらないと思うのだが、さすがに“お姫様”には田舎領主の家の事情は想像できなかったようだ。
ちなみに侍女のうち、誰が食い下がったのかは聞いていない。
ロザリーと二人の侍女は磨き上げられた美しい革鎧を身に着け、細めの長剣を佩いていた。
三人とも馬車ではなく騎乗で移動する。
安全を考えれば馬車の方がいいのだが、下手な従士より乗馬が得意であるということと、長旅ということで慣れた騎乗を選んだそうだ。
俺たちロックハート家一行だが、往路に比べ、兄ロドリック、メルの兄のシム、ロザリーたち三人が加わっている。鍛冶師ギルドから将来建設される蒸留所の責任者ジョナサン・ウォーターと蒸留技術を学びに行く職人十人、更に蒸留器などの製造法を学ぶ若い鍛冶師が二名加わっている。
その鍛冶師の一人なのだが、なんと鍛冶師ギルドの支部長であるデーゲンハルトの息子クルトだった。話を聞くと、大宴会の時に飲んだ蒸留酒が忘れられず、蒸留器の製造をやってみたくなったそうだ。
デーゲンハルトに修行中の息子に蒸留器の製作を学ばせてもいいのかと確認すると、
「まあ、いろいろ手を出すのは悪いことじゃねぇ。誰かが行かなきゃならんのなら、行きたい奴に行かせるのがいいだろう。まあ、ベルトラムが師匠になるなら腕が落ちることはあるまい」
デーゲンハルトとラスモア村の鍛冶師ベルトラムは旧知の間柄だった。少し考えれば判ることだが、ベルトラムは祖父ゴーヴァンに招聘されてラスモア村に来ている。祖父は冒険者をやっていた時代もあるが、基本的にはここウェルバーンで生活していたから、ベルトラムがここにいたことがあってもおかしな話ではない。
(そう言えば、ベルトラムの昔の話って聞いたことが無いな。いつも酒の話ばかりだったから、そう言う話をする機会が無かったんだよな……)
もう一人の鍛冶師だが、何と若い女性だった。
ドリスという二十歳になったばかりのドワーフの女性で、ドワーフらしく背は百四十cmほどだが、ウエーブの掛かった豊かなブラウンの髪と愛嬌のある大きな瞳でかなりの美人だ。一緒にいるクルトが意識しているのがよく判る。
話を聞いてみると、彼女も大宴会でスコッチを飲み、虜になったのだそうだ。
ただ、彼女の場合、両親から、“まだ見習いとして修業し始めたばかりなのだから、新しいことに手を出す必要は無い”と反対されたそうだ。
それでも頑固なドワーフらしく、どうしても蒸留器を作りたいと譲らなかった。なぜかジョニーが間に入ることになり、困った挙句にデーゲンハルトに相談に行き、蒸留器を作る時に助手がいると理由をつけて、クルトの助手のような立場で同行することを認められたそうだ。
この件でジョニーがこうこぼしていた。
「私はよくこういうことに巻き込まれるんですよ。まあ、あの時に比べたら、全く問題になりませんでしたよ……」
“あの時”という時に少し遠い目をしたような気がするが、それが何を指すのか俺には全く判らなかった。
ジョニーは面倒見がよく、頭の回転が速い。だからこそ、鍛冶師たちに信頼され、今回のような相談も受ける。思うにこういった点が評価されて、蒸留酒造りの責任者に抜擢されたのだろう。
兄たち五人に鍛冶師ギルド組十三人が加わったことから、行きに比べ倍近い人数――三十七人――になっている。これにロザリーたちの荷物を積んだ荷馬車が一両、鍛冶師ギルドの荷馬車が二両加わり、荷馬車が四両になった。
ちなみにうちの荷馬車にはウェルバーンで手に入れた香辛料類や食材、更には珍しい布や皮などの素材が積み込まれている。
往路は蒸留酒を積み込んでいたが、復路はそんな大物がないので、出来るだけ村に必要な物資を持ち帰ろうということになったのだ。
ここウェルバーンは帝国南部から多くの物資が流入しており、珍しいものが多い。特に南方の乾燥させた果実やハーブ、胡椒などの香辛料、そして、砂糖が比較的安く手に入る。また、帝国中央部で取れる綿や平原地帯にしかいない魔物や獣の皮なども手に入れやすい。
もちろん、ドクトゥスでは筆記用具や教材となる本などを購入する予定でいるため、荷馬車が満載になっているわけではないが、うちの馬車の中身はどう見ても商人の買い付けたものにしか見えなかった。
更に辺境伯が愛娘の安全を考え、騎士団から二個小隊、四十名を護衛に付けたことから、ちょっとした商隊のような感じになっていた。
兄たちの結婚祝いに贈られたカエルムの名馬だが、四頭とも乗り手が決まった。父と兄は順当なところだが、父が大層その馬を気に入り、俺にも勧めてきたのだ。
軍馬にそれほど詳しいわけではないが、その俺が見ても四頭とも素晴らしい軍馬だ。だが、俺はそれを断っていた。
疑問に思ったのか、
「お前なら十分に馬に選ばれると思うのだが?」
「私は冒険者として森に入ることが多いと思います。そうなれば、これだけの名馬を厩舎に閉じ込めておくことになりますし。それにギルドで貸馬を借りた方が安上がりですから」
正直なところ、この馬を自由に乗り回せたら、さぞ楽しいだろうと思わなくもなかった。だが、街道での移動手段としか使わないなら、名馬である必要はない。依頼を受けて森に入る時に宿に預ける必要もある。当然、飼葉代も掛かるから、貸馬を借りた方が安上がりであることは間違いない。更に言えば、草原を駆け回っていた馬を狭い場所に閉じ込めてしまうのはかわいそうだと考えたことも理由の一つだ。
父はあまり納得しなかったようだが、結局、ロザリーとシムが乗ることになった。兄とシムは現役の騎士であり、すぐに馬に認められた。そして、ロザリーも馬との相性が良かったのか、すぐに乗りこなしていた。父だけが馬に中々認められず、結局、一日かけて馬に認めさせ、ようやく自分の馬に出来たのだ。
カエルムの名馬に認められるのは一流の騎手である証なので気にする必要はないのだが、やはり一番最後ということで、父は少し凹んでいた。
午前八時。
大所帯のロックハート家一行はウェルバーン城の前の広場に集合していた。
そこにはヒューバート・ラズウェル辺境伯一家の他に、腹心のフェルディナンド・オールダム男爵を筆頭とする文官たち、マンフレッド・ブレイスフォード男爵を筆頭とする武官たち、更にバーバラ・ハーディング男爵令嬢と数十人の侍女たちが俺たちを見送るため並んでいた。
辺境伯が「娘を頼む」と言って、父マサイアスの手を取る。その姿は政治家のそれではなく、愛娘を嫁に出すただの父親の姿だった。
父が「お任せください」と言うと、辺境伯は何度も頷いていた。
そして、ロザリーに「体に気をつけるのだぞ」と言って抱きしめた。その言葉にロザリーは思わず涙を浮かべ、「はい……お父様」というのが精一杯だった。
俺のところにもオールダム男爵や騎士団長が別れの挨拶にやってくる。そして、武官や文官たちと挨拶を交わしていった。その中には十日間ロックハート家の訓練をやり遂げたフィリップ・イングリスもいた。
昨日の夕方、模擬戦でボロボロになっていた彼が俺の前に立ち、深々と頭を下げ、「あの時は申し訳ありませんでした」と謝罪してきた。
「僕は甘えていました。この十日間でそれがよく判ったのです。これから僕が成すべき事は兄の分まで働くことです……国のために、お館様のために、そして、イングリス領の領民のために、僕は騎士として命をかけてがんばっていきます。その覚悟を貴方から学びました……」
何か勘違いしている気がするが、清々しい笑顔で宣言されると指摘しづらく、俺は頷くしかなかった。
(俺が物凄い覚悟でみんなのために生きているみたいに思っていないか? まあ、この少年がいい方向に行くのなら問題はないんだが……)
そのフィリップは「道中、お気を付けて。ありがとうございました」と言って一礼すると、颯爽と見送りの列に戻っていった。
広場には異質な集団がいた。
それは屈強なドワーフの鍛冶師集団だった。彼らは蒸留酒造りを学びに行く、ジョナサン・ウォーターらの壮行のために来たようなのだが、出発する本人たちより気合が入っていた。
ギルド長のデーゲンハルトがジョニーの腕を掴み、村に向かう全員に向かって叫んでいた。
「頼んだぞ! お前たちはウェルバーンの全てのドワーフの希望なのだ!」
ジョニーは若干引き攣りながらも、「はい。全力でがんばります」と応えていた。
デーゲンハルトは更に、
「アルスから行っている職人たちに負けるなよ。奴らの方が先行しているが、お前たちなら必ず追い越せる……アルスの連中はラスモア村のスコッチが手に入るが、俺たちはそうはいかねぇ。少しは回して貰えるようだが、何としても頑張ってもらわんと困るのだ……」
カウム王国の王都アルスから、鍛冶師ギルド本部の意向を受けた蒸留職人たちは昨年から修行を開始しているが、それより早くものになって帰ってこいと言っているようだ。更にデーゲンハルトの後ろの親方連中も彼の言葉に大きく頷いていた。
その言葉と親方たちの顔にジョニーたちの顔が引き攣っていた。
俺は助け舟を出すつもりで、
「デーゲンハルトはそう言うが、酒造りは競争じゃないんだ。納得いくまでじっくりやってくれた方がいい。その方が早くものになるはずだ」
親方たちが少しバツの悪そうな顔をしている。自分たちが大人気なく嗾けていることに気付いたようだ。
デーゲンハルトは頭をかきながら、俺の前に立ち、「済まんが、こいつらのことを頼む」と頭を下げる。俺が何か言う前に顔を上げ、にやりと笑った。
「たまには遊びに来い。いつでも大歓迎だ」
俺が頷くと、「ベルトラムにもよろしく伝えてくれ」と言って離れていった。
十分ほどで別れの挨拶が終わった。
最初こそ湿っぽさがあったものの、今日の晴れ渡った夏空のように、明るい表情になっていた。
父の「騎乗!」の合図で全員が騎乗する。
そして、「出発せよ!」との命令でロックハート家一行はウェルバーン城を後にした。
ウェルバーンからラスモア村までは約六百二十km。
今回は北部総督府軍の二個小隊が護衛に付くことから、往路のように商隊と行動を共にする必要はなく、自分たちのペースで進んでいく。
カエルム帝国北部の街ロークリフから学術都市ドクトゥスまでの危険な地域もあったが、一度も襲撃を受けることはなかった。
アウレラ街道――商業都市アウレラから冒険者の街ペリクリトルを結ぶ北部の主要街道――では、ロックハート家は三倍の敵を無傷で殲滅した猛者集団と言われ、盗賊たちも“立ち上がった獅子の紋章”、すなわちロックハート家の紋章を見たら手を出すことを諦めると言われているほどだ。更にカエルム帝国の正式装備に身を固めた正規二個小隊が付き従っていることも大きい。これだけの戦力に対し、並みの盗賊団では手を出しようがない。
そして、もう一つの要因は鍛冶師ギルドの紋章――ハンマーと金床――が入った荷馬車の存在だ。ロックハート家と鍛冶師ギルドに共通することは“酒”だ。つまり、少しでも情報に気をつけていれば、このギルドの荷馬車は“酒”が絡んでいると判る。盗賊たちも武器や防具を運んでいる荷馬車なら襲うかもしれないが、ドワーフたちの酒に対する執念を考えれば二の足を踏まざるを得ない。
ドワーフたちが怒りに我を忘れ、金に糸目をつけずに懸賞金をかければ、傭兵団はおろか、各国の騎士団ですら討伐に乗り出すだろう。もちろん、騎士団は懸賞金に釣られるわけではなく、ギルドに恩を売るために動くのだが、そんなリスクを負ってまで襲う盗賊団はいないはずだ。もし、いたとしたら、情報収集を怠る三流以下の盗賊たちだろうから、騎士たちの姿を見て襲撃を諦めるのが関の山だ。
旅は順調に進み、二十三日後の八月二十四日に無事ラスモア村に到着した。
村は相変わらず平和で、多くの村人たちが出迎える。
特に兄夫婦に対しては、「お帰りなさい! ロッド様!」とか、「ようこそ、若奥様!」という声がかかり、その都度、二人は手を振って応えていた。
フィン川沿いにある蒸留所が左手に見えてきた。勢い良く煙が上がっているから、蒸留が行われているのだろう。今ではスコットの蒸留所だけでは手狭になり、更に二棟の蒸留所が建てられている。
ロックハート家の屋敷がある“館が丘”にも変化があった。保管している樽が増えてきたため、赤レンガの見事な貯蔵庫が増築されていたのだ。
ようやく村に辿り着きました。
長かった……




