第四十二話「騎士たち」
トリア暦三〇一七年七月二十一日の朝。
私――マンフレッド・ブレイスフォード――は、お館様である北部総督閣下のご命令により、ロックハート家の早朝の訓練に参加することになった。
事の発端は、私の部下である第一騎士団所属の従士、フィリップ・イングリスが招待客であるザカライアス卿に斬り掛かろうとしたことだった。その罰として総督閣下よりロックハート家の訓練に参加するよう命じられたのだが、正直なところ、罰になるのか疑問に思っていた。
もちろん、ロックハート家の訓練が非常に厳しいものであるという噂は耳にしたことがある。現にロックハート家の嫡男、ロドリック・ロックハートが騎士団の訓練の他に厳しい訓練と実戦を行っている。そのことは私も良く知っていた。
そして、獅子心の異名を持つゴーヴァン・ロックハートの噂も聞いていた。私が騎士団に入った頃には既にその名が知れ渡っていたからだが、残念なことに、私が騎士に昇格する前に騎士団を辞めて領地に篭ってしまったので面識はない。
私とて北部総督府軍で代々騎士団長を輩出するブレイスフォード家の者であり、幼少から厳しい訓練を受けている。だから、騎士団長を辞任する覚悟の私にとっては如何に厳しいとは言え、たかが訓練では罰にならないと思っていたのだ。
そう、模擬戦が始まる前までは。
準備運動として素振りを行ったが、我々が行うものとは大きく異なっていた。我々も一振り一振りに魂を込めて振っている。だが、彼らの素振りはその程度ではなかった。十歳に満たない子供は別だが、彼らの行う素振りは、型をなぞると言うより見えない敵を斬り倒しているような、そんな素振りだったのだ。そして、少しでも剣の振りが甘いと容赦なく「そんなことで敵を倒せるか!」という罵声が飛んでくる。マサイアス殿を含め、十人以上が素振りをしているのだが、ロックハート家の従士であるバイロン・シードルフとガイ・ジェークスの二人はすべてを把握しているようだった。
この家の従士たちは主君だろうが嫡男だろうが、躊躇することなく罵声を浴びせている。さすがに私に罵声を浴びせることはなかったが、何か言いたげな視線は何度も感じていた。
僅か十分間の素振りとは言え、一瞬の休憩も与えられず振り続けるというのは、それだけでも息が上がる。だが、これは体を温める準備運動に過ぎなかった。
素振りが終わるとすぐにマサイアス殿の号令で模擬戦が始まった。
「ガイは私の相手を! バイロンはロッドの相手を!……ザックはブレットたち五人を相手にしろ!……」
マサイアス殿は次々と相手を指名していくが、私たちの相手を指名することはなかった。私はマサイアス殿に自分たちも加えて欲しいと頼んだ。
「我らも模擬戦に加えて欲しいのだが」
マサイアス殿は少し困った表情を浮かべ、
「うちの訓練は激しいので、今日は見学して頂きたいのですが」
私はその時、マサイアス殿が我らのことを気遣ってくれていると考えていた。
「総督閣下のご命令なのだ。済まぬが何とかならぬだろうか」
だが、私は思い違いをしていたようだ。その時、マサイアス殿は普段の柔和な表情を潜め、厳しい表情でこう言ってきたのだ。
「如何に総督閣下のご命令とは言え、覚悟のない者を加えるわけには参りません。我がロックハート家の訓練は実戦と同じ。死を容認できる覚悟をお持ちでなければ参加は許可できません」
私はその言葉に気分を害した。
我らとて帝国の盾である騎士。訓練とは言え、任務中であれば、常に死の覚悟はあると思っていたからだ。
私がそのことを告げると、彼は私の目を静かに見つめ、
「では、ロックハート家の流儀に従って頂けると。我が家では即死以外は何でもありです。気絶でもしない限り、倒れることは認められません。それでもよろしいのですな」
彼の言葉に戦慄するが、私も騎士団を預かる将。まして、お館様に罰として与えられた訓練で否はない。
「もちろんだ。大ケガをしようが、先ほどのような罵声を浴びようが全く問題はない」
マサイアス殿は静かに頷くと、シードルフとジェークスの二人に一言二言話し、模擬戦の相手を指名していった。
「団長閣下の相手はバイロン! ダイアス小隊長の相手はガイ! イングリス殿の相手はメル!……ベアトリス嬢は私の相手を頼む」
私の相手は巨漢の両手剣使い、シードルフに決まった。イングリスの上官であるケネス・ダイアスはジェークス、そして、イングリスはメリッサ・マーロンという少女が相手だった。
私の相手であるシードルフは二m近い巨体に相応しい百五十cmほどもある巨大な木剣を持ち、自然体で立っていた。だが、その体からは滲み出るような殺気で溢れ、強力な魔物と対した時のような恐怖を感じていた。
私が木剣を構えると、開始の合図もなく唐突に模擬戦が始まった。
私は一瞬、何が起こったのか判らなかった。始まったと思った瞬間、数mほど吹き飛ばされていたからだ。
「遅い! 戦場では常に油断するな!」
シードルフの罵声が私に飛んでくる。それだけではなく、木剣を振りかざしながら、倒れている私に向かって飛ぶように向かっていたのだ。
その時、私は迫りくる死を感じていた。そして、今更ながらに、これは訓練ではないと気付かされた。
死に物狂いでシードルフの剣を避ける。
そして、転がりながら距離を取ろうとした。だが、彼はそれを許さず、巨大な木剣を地面に突き刺しながら襲ってくる。
「転がるばかりでは何ともならんぞ! 反撃を考えろ! 敵の足を止めねば立ち上がる時間など永遠に来ることはない!」
私はその言葉を聞き、彼の足を斬り付けるように剣を振った。だが、その一撃も巨体に似合わぬ素早い足捌きによってかわされてしまう。だが、僅かにできた時間で何とか立ち上がることに成功した。
その後は酷いものだった。
恐らく十分も戦っていなかったはずだが、棍棒のような両手剣で数十回打ち据えられ、最後には左腕を骨折していた。その時、左腕には騎士団で使っている丸盾を装備していたのだが、ただの木剣に頑丈な盾を叩き割られただけでなく、そのまま腕を折られてしまったのだ。
左腕を押さえて蹲ると、シードルフが攻撃の手を止め、治癒師であるリディアーヌ・デュプレを呼んだ。
「リディアーヌさん! 骨折のようです。お願いします」
その時、リディアーヌは本格的な模擬戦には参加せず、魔術師であるシャロン・ジェークスという少女と剣の稽古をしていた。剣術士でないはずのリディアーヌだが、その技量は十分に我が騎士団の騎士クラスに匹敵し、まだ幼い少女にしか見えぬシャロンの技量も従士以上に見えた。
私は我が目を疑った。
二人は宮廷魔術師以上の魔術師なのだ。その二人がそれほどの剣術の腕を見せていることが信じられなかった。
リディアーヌは稽古を中止し、ゆっくりとした足取りで私のもとにやってきた。
そして、私の腕を見ながら、シードルフに向かって「あらあら。もう少し手加減したら」と言っているが、全く緊迫感がない。
こちらは骨折の激痛が何度も襲ってきているのだ。その態度に思わず抗議したくなり、強めの視線を送ってしまった。
すると、リディアーヌから冷たい声が返ってきた。
「この程度で文句を言いたいのなら、最初から参加しなければいいのに。村では当たり前なんだから」
それは独り言のようだった。だが、私に聞かせるつもりでもあったのだろう。
独り言を呟きながらも、私の装備を外し、治癒魔法を掛けていく。その手際は非常に手慣れており、一流の治癒師であることが窺えた。
私はその時、ロックハート家の強さの根源が何か、そう、その本質を理解した。
我々のような騎士団の者は大きな戦に出征することがない限り、実戦に巡り合う機会はそれほど多くない。その経験の少なさを訓練で埋め合わせている。
だが、彼らは常に実戦を経験しているのだ。それも大戦と同じ、死と隣り合わせの戦いを。
私は治療の間、マサイアス殿の訓練を見ていた。
彼は大柄な虎獣人の女槍術士、ベアトリス・ラバルを相手に必死になって剣を振っていた。彼女の槍は離れた場所から見ている私の目ですら追い切れないほどの速度で繰り出されており、それを捌きながら剣を振るうことは至難の技だろう。実際、マサイアス殿は何度も槍を受け、地面に打ち倒されている。
私の相手をしたバイロン・シードルフと、このベアトリス・ラバルは我が騎士団に入った瞬間、騎士団一の手練と呼ばれるほどの実力者だ。ガイ・ジェークスも剣術士としても弓術士としても騎士団のトップクラスの腕を持っている。
それほどの実力者たちが手加減抜きで模擬戦を行うのだ。確かに死者が出てもおかしくはない。もちろん、ゴーヴァン・ロックハートとともに伝説となっている三人の従士たちはこの者たち以上の実力者だ。
その彼らが毎日自警団を鍛えている。そう考えるとロックハート領の自警団が一流の傭兵団以上の実力を持っているという噂は十分に頷ける。
そんなことを考えていると、マサイアス殿が大きく吹き飛ばされ気を失った。
ベアトリスはシードルフとは異なり、マサイアス殿の体が心配なのか、すぐにリディアーヌを呼んだ。そのリディアーヌがすぐに治療に行くが、ベアトリスと一言二言話した後、やや緊迫した声音でザカライアス卿を呼んだ。
「ザック! マットが頭を打ったようなの! すぐに来て!」
私はその時、城に常駐する侍医を呼びに行くため立ち上がろうとした。如何にザカライアス卿が天才とは言え、頭部への衝撃に対する治療ができるとは思えなかったからだ。幸い、ウェルバーン城の侍医は治癒師として非常に優秀だ。特にパトリック様がお亡くなりになられてから、お館様が優秀な治癒師を招聘しており、帝都の侍医に匹敵する腕を持っている。
私が立ち上がった時、ザカライアス卿は自警団の若者たちとの模擬戦を切り上げ、落ち着いた足取りでマサイアス殿のところに向かっていた。
そして、マサイアス殿の傍らに跪くとその頭に軽く手を触れ、治癒魔法の呪文を唱えていった。
十秒ほどでマサイアス殿が目を覚まし、軽く頭を振る。ザカライアス卿が笑みを浮かべると、マサイアス殿も同じように笑みを浮かべていた。私はその光景に立ちつくすしかなかった。
「いいのを貰い過ぎたな。ベアトリス嬢、もう一番頼む」
マサイアス殿のその言葉に、私は即死さえしなければ何でもありという言葉が大袈裟でないことを知った。
私とともに訓練に参加したケネス・ダイアスとフィリップ・イングリスは模擬戦で打ち据えられ動けなくなっていた。そして、邪魔にならないところに寝かされ、ロックハート夫人の介抱を受けていた。
私たち三人以外は訓練を続けていた。自警団の若者たちですら、未だに模擬戦を続けている。
自警団ということは正式な兵士ではなく、普段はただの農民たちだ。私はロックハート領の農民以下なのだと自嘲気味に考えていた。
そう考えるとお館様が何をお考えになられたのか、おぼろげながら判り始めていた。
その後も模擬戦は続いていった。
私は目の前で繰り広げられるザカライアス卿とシードルフの模擬戦に目を奪われた。
ザカライアス卿は十五歳という年齢とは思えぬほどの技のキレを見せていた。
巨大な両手剣を振るうシードルフに対し、獣人もかくやというほどのスピードを見せ、前後左右から斬り込んでいく。さすがにベテランのシードルフには一撃も入れられないが、彼が一流の剣術士であることには間違いない。
少し前、ロドリックに軽い気持ちでこう言ったことがあった。
「お前は武の天才。弟は魔術の天才か。ロックハート家は安泰だな」
ロドリックはいつものように笑みを浮かべながらも、真剣な表情で私の言葉を否定してきたのだ。
「弟の方が剣の才能もあります。私が優っているように見えるのは単に経験の差。弟に足りないのは経験だけなのです」
私は彼が謙遜していると思っていた。
当然だろう。
既に私以上のレベルであり、彼を超える腕の持ち主は騎士団でも数人しかいないのだ。そして、一つ目巨人という大物を倒すという実績も上げてもいる。
だが、シードルフと戦うザカライアス卿を見て、ロドリックが謙遜していたわけではないとはっきりと判った。
木剣とは言え、死の覚悟が必要な剛剣に対し、一切の迷いも無く斬り込む胆力。
暴風のような攻撃を旋風に舞う木の葉のようにかわす身体能力。
そして、圧倒的な力量差を如何に埋めるかを常に考える冷静さ。
そのいずれもが一流の武芸者のレベルに達しているのだ。
そのザカライアス卿も時間が経つにつれ、シードルフに押されていく。そして、足を僅かに滑らすというほんの小さな隙を作ってしまった。
次の瞬間、ザカライアス卿の胴が棍棒のような木剣に薙ぎ払われ、彼は体をくの字に曲げながら吹き飛ばされていった。
その時、私はようやく気付くことができた。
シードルフは私に対し、手加減してくれていたことを。
もし、私がこの一撃を受けていれば、未だに気絶したままだっただろう。今の一撃と私への一撃では振り抜かれた時の音が全く違ったのだ。恐らくだが、騎士団長である私が訓練を終えるまで気絶したままでは外聞が悪いだろうと手を抜いてくれたのだろう。
私なら間違いなく気を失う一撃を受けたにも関わらず、ザカライアス卿はシードルフの追撃が来る前に立ち上がり、剣を構えるとともに血を吐き捨てた。
「や、やはりスタミナの差だな。さすがにバイロン相手に一対一では勝てないか」
血反吐を吐きながら軽口を言える神経に、私は瞬きすることすら忘れてしまった。
ザカライアス卿が剣を構えていると、ジェークスの声が響き渡る。
「ザック様、メル、ダン、シャロンはバイロンの相手だ! 魔法も弓も使え! 始め!」
四対一の模擬戦で更に魔法や弓の使用まで認めている。まさに実戦形式なのだが、その非常識さに、今日何度目かのため息を漏らしていた。
この四人、ザックカルテットと言うそうだが、それは見事な連携だった。前衛であるザカライアス卿とメリッサが交互に打ちかかり、その隙をついて斥候であるダンが矢を放っていく。更に魔術師のシャロンがゆっくりと位置を変えながら射線を確保しつつ、呪文を唱えていく。
シードルフもこの状況が危険であることに気付いていた。彼は形振り構わず、前衛の二人を突破して後衛に向かおうと、あの最初に私を吹き飛ばした爆発的な突進を見せようとした。
だが、ザカライアス卿とメリッサのコンビネーションは見事だった。シードルフが突進を始める直前にフェイントの攻撃を掛けるのだが、その攻撃が実に見事だったのだ。
ザカライアス卿が首を、メリッサが脛を狙うという上下同時攻撃であり、さすがのシードルフもその攻撃を無視できず、突進を諦め攻撃を捌こうとした。
そして、それは巧妙な罠だった。
足を止めるタイミングを計っていたシャロンが、シードルフの腹に向けて空気の槌を放ったのだ。
この魔法が決め手となった。
馬に跳ね飛ばされるようにシードルフの巨体が吹き飛んでいった。そして、それを予想していた前衛二人が飛ぶように追いかけ、何とか転倒を免れたシードルフを滅多打ちにしていく。
防御に徹して状況を変えようとしたシードルフだったが、さすがに捌ききれず、遂には血反吐を吐き、ゆっくりと倒れていった。
私はその姿を見て驚くというより呆れていた。
シードルフはこの場の教官的な立場だろう。その教官にすら血反吐を吐かせるような訓練を強要する。そのような訓練は聞いたことが無い。
一時間ほどの訓練が終わった。
マサイアス殿を含め、全員が汗と泥に塗れ、疲れた表情をしていた。
だが、その顔には満足げな笑みが浮かんでおり、不満に思っているものは誰一人いない。私の様子を見に来たマサイアス殿に対し、思わず疑問を口にしてしまった。
「これが毎朝の普通の訓練なのだろうか? これほど激しい訓練では体がもたぬと思うのだが」
マサイアス殿は少しばつが悪そうな顔で答えてくれた。
「さすがに村ではこのような訓練はできませんよ。今日はザカライアスがおりますから」
ここでザカライアス卿の名が出たが、すぐに理由が思い付けなかった。最後の模擬戦の印象が強すぎて治癒師であることを失念していたからだ。
「息子がいれば、本当に即死さえしなければ何とかなるのですよ。それに旅の間はまともな訓練が出来なかったので、ここにきて激しさが増したのでしょう。私も少しやりすぎだと思ってはいますが」
逆に言えば、ザカライアス卿がいれば、この程度の訓練が当たり前ということだ。私と同じ考えに至ったのか、ダイアスもイングリスも唖然とした表情をしている。彼らから見れば、私も同じ表情をしているのかもしれない。
「明日からも参加させてもらえないだろうか。今日のような無様な姿は見せぬ」
その言葉にマサイアス殿は大きく頷く。そして、こう続けた。
「明日からと言わず、今日の夕方の訓練からどうですか? 朝食前の訓練より体は動くと思いますよ。まあ、うちの連中の動きも良くなりますが。ははは!」
未だに私はロックハート家を理解していなかったようだ。先ほどの激しい訓練は単なる朝飯前の運動に過ぎなかったのだ。
私は夕方の訓練の約束をし宿舎に戻っていった。そして、歩きながら今日の夕食は喉を通るのだろうかと考えていた。
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僕――フィリップ・イングリス――は自らの行いに後悔していた。
招待客の一人であり、ロザリンドお嬢様の義理の弟になられるザカライアス卿に斬りかかろうとしたことに。
確かに兄レイモンドはザカライアス卿の魔法によって命を失った。
だが、兄はルークスの狂信者たちに操られていたとはいえ、主君であるお館様を弑そうとしたのだ。だから、ザカライアス卿が兄の命を奪ったことは正しいことで、兄の名誉を守ったと言ってもいい。
僕にもそんなことは判っていた。だけど、簡単には割りきれなかったんだ。
あの時、二人の美しい少女と楽しそうにしている彼を見て、僕は頭に血が上ってしまった。それからのことはよく覚えていない。二人の少女に何か言われたことも、隊長――ケネス・ダイアス小隊長――に引き摺られて、その場から立ち去ったことも。
それからゆっくりと頭が冷えていった。そして、自分が取り返しのつかないことをしたことに気付き、知らず知らずのうちに涙が浮かんでいた。
僕一人の責任で済む話じゃない。その程度のことは僕にも判っていた。
そして、僕の予想は当たった。それも予想より遥かに悪いことになっていた。
尊敬する騎士団長、マンフレッド・ブレイスフォード閣下が責任をとって団長を辞められるという噂が流れた。
隊長も平騎士に降格し、更に辺境の砦に左遷されるという話も聞いた。
僕は絶望した。
そして、自らの命で贖おうと団長閣下にそのことを伝えた。
「私を処刑してください。私がすべての原因です。ですから……」
閣下は「馬鹿者!」と一喝し、
「貴様の命でどうこうできる話ではない。既にお館様に多大なご迷惑を掛けておるのだ。ザカライアス卿と鍛冶師ギルドの関係を考えれば、私が命を絶っても解決せぬ可能性もあるのだ……」
僕は閣下の顔を見ることができなかった。
閣下はお館様に心からお仕えしておられる方だ。今回のことでラズウェル家に迷惑が掛かるのならば、自らの命すら絶とうと考えるほどに。
その後、閣下はザカライアス卿に謝罪し、赦しを得たが、それでも納得されず、お館様に騎士団長の職を辞するとお伝えしたそうだ。
僕はその話を聞き、悔し涙が流れた。自分の愚かさに対して。
だが、お館様はその処分を保留され、僕と隊長、団長閣下にロックハート家の訓練に参加するようお命じになられた。
僕にはお館様のお考えがさっぱり判らなかった。
ロックハート家はあと十日ほどでここウェルバーンを去る予定だ。その間に訓練に参加するだけで罰になるのだろうかと。
翌日の早朝、僕はお館様がお考えになられたことが少しだけ判った気がした。
ロックハート家の訓練は激しい。それも自分の命を掛けて仲間や領民を守ろうという覚悟がなければできないほどの激しさだった。
ザカライアス卿たちを見て、僕は自分の考えが間違っているとも気付いた。
ザカライアス卿が天才だから剣術も魔法も一流なのだと思っていた。だけど、僕が見たものは天才がする訓練じゃなかった。
泥に塗れ、何度も打ち倒されながら、立ち上がる。そんな訓練は僕が考えていた天才がする訓練じゃない。
恥ずかしい話、僕は最初に相手となったメリッサという少女に僅か一合で打ち倒され、気を失った。そして、意識が戻っても立ち上がることができなかった。彼女の一撃は今まで受けたことがないほどの衝撃だった。
彼女は僕と同い年だそうだが、剣術士レベルは僕の倍以上、騎士団長閣下とほぼ同じレベルだ。その一撃は非常に重いが、それでもシードルフという巨漢の従士の剣の方が遥かに重い。そのシードルフの攻撃をもろに受けても、ザカライアス卿は笑みを浮かべながら立ち上がるのだ。どれほどの痛みがあるのだろうか。僕には想像もできない。
天才と呼ばれる彼がそれほどの努力をしているのに、僕は何をしていたのだろう。
僕は十二歳で騎士団に入り、二年前に見習いから従士になっている。イングリス家は名門とは言えないまでも武を以ってお館様に仕えている家だ。
僕も八歳頃から本格的な訓練を始めている。もちろん、僕には優れた才能があるわけじゃない。努力しても従士仲間の中では、中の下というところだ。それでも僕なりに努力していたつもりだった。
メリッサという少女もダンという少年も僕と同い年だ。だけど、二人とも既に一流の冒険者であり、お館様のお命を救う際にも活躍していると聞いている。
それに比べて僕は何をしていたのだろうか。そして、僕より一歳年下のザカライアス卿に対してなぜ斬りかかろうとしたのだろうか。
そう考えていくと何となく判ってきた。
僕は甘えていたのだ。
兄を殺された悲しい弟として、同情してもらいたかったのかもしれない。
僕はそのことに思い至り、覚悟を決めた。
どんなに苦しくとも立ち上がってやると。それだけの覚悟を見せても彼らの足元にも及ばないのは判っている。
僕はこの十日間の訓練をやり切ったら、ザカライアス卿に謝罪しようと考えた。
本来なら、すぐにでも謝罪すべきだろう。だけど、今の僕が何を言っても言葉が軽い気がする。もし、十日間やりきれたら、その時に謝罪しよう。いや、絶対にやりきって、きちんと謝罪しようと心に誓った。




