第三十六話「祝宴」
トリア暦三〇一七年七月二十日午後四時。
祝宴は二人の主役の登場から始まった。
パレードから帰ってきた新郎ロドリックと新婦ロザリーは疲れも見せず、笑顔で入場してきた。逆に俺の横にいる父と母はパレードで疲れたのか、笑顔が微妙に固い。
「さすがに二時間も腕を振り続けるのは……作った笑顔で顔が固まるのではないかと思ったよ」
父はおどけて言うが、疲れているのは間違いないようだ。田舎の領主が数万人の目に曝されることなどあり得ないことだから仕方がないだろう。母も同様に「やっぱり私には貴族の生活は無理だわ」と漏らしている。
それでも兄たちの入場の時は疲れも忘れ、満面の笑みで拍手を送っていた。
会場は日本の披露宴会場のような丸テーブルを並べたものではなく、五mほどの長さの長テーブルが使われている。一列当たり六台、それが四列並べられ、上座側に辺境伯一家と兄たちが座るテーブルがあり、そこだけが五十cmほど高くなっている。
俺たちの席だが、中庭側の列の後ろから二番目のテーブルだ。帝国の慣習ではこのような宴の席順は明確に定められているため、騎士階級という身分のロックハート家は末席に近い場所が割り当てられていた。俺たちの後ろの席には母方の祖父たち一家が座っている。
更に隣の列には父の妹、すなわち俺の叔母に当たるルアナ・バズビーが夫と息子と一緒に座っている。この宴の前に簡単な挨拶をしたが、叔母と祖父ゴーヴァンの関係があまり良くないらしく、父や母との会話を聞いてもギクシャクした印象を受けた。詳しく聞いたわけではないが、俺の祖母に当たるベリンダが病死した後、叔母はある子爵家の侍女となり、ラスモア村からウェルバーンに戻ったそうだ。田舎暮らしが性に合わなかったことと、祖父が妻ベリンダを愛していなかったと思っているため、ロックハート家とはほとんど交流が無い。
バズビー家はラズウェル家譜代の騎士の家であり、家格的にはロックハート家より上だ。だが、祖父の武名は未だに高く、更に主家筋と姻戚関係を結んだロックハート家の方が貴族たちからの注目を集めている。叔母としてはロックハート家を飛び出した手前、擦り寄るわけにも行かず、かといって、完全に無視するわけもいかない。だから、何となくギクシャクとした感じを受けたのだろう。
兄たちの入場が済むと、北部総督ヒューバート・ラズウェル辺境伯の挨拶が行われる。
スピーチは政治絡みの話も無く、和やかな雰囲気の中、二分ほどで終わり、乾杯が行われる。この辺りの段取りは日本とそれほど異なるところはなかった。
辺境伯が銀のゴブレットを持ち上げると、出席者もそれに倣い、ゴブレットを手に取って立ち上がった。
「それでは……神々と皇帝陛下にこの盃を捧げる……乾杯!」
その声に全員で「乾杯!」と唱和する。そして、一斉に盃を空けていった。
俺も同じように盃を空けるが、やや温い赤ワインが口に広がっていく。
(あと五度くらい冷やしてほしかったな。もう少し早く気づいていれば、自分で冷やしたんだが、気付かなかった……まあ、真夏に金属製のゴブレットでそれを言うのは酷か……)
乾杯用のゴブレットは辺境伯の挨拶前に配られており、冷房など無いこの大広間で更に温くなったようだ。もちろん、味を楽しむものではなく、儀式用と割り切っていたのでそれほど不満はないのだが、どうしても温度が気になってしまう。
乾杯が終わると、五人の給仕たちと十五人の侍女たちが一斉に動き出した。
給仕たちが銀色のワインクーラーを載せたワゴンを押しながら、各テーブルに向かい、侍女たちが前菜を載せたトレイを持って一斉に散っていく。
「まずはロックハート家から贈られた発泡ワインを味わって頂きたい……」
辺境伯が発泡ワインとグラスについて簡単に説明する。その間に給仕たちが緊張した面持ちでコルクを開けていった。
音を立てることなくコルクを抜くと、静かにワインを注いでいく。注ぎ終えるとボトルを半回転させるように回しボトルの口をナプキンでさっと拭く。そして、美しい黄金色のグラスをテーブルに置いていく。その動きは流れるようで、招待客から感嘆の声が上がるほど洗練されていた。
彼らは僅か二日という短時間でほぼ完璧にマスターしていたのだ。
(元から上級貴族を相手にしていたとはいえ、さすがだ……もう俺よりうまいんじゃないのか?)
給仕たちはきびきびとした動きと優雅な手捌きに隣にいる父も感心していた。
「見事な動きだな。お前が指導したと聞いたが、どれだけ厳しくやったのだ?」
俺が苦笑しながら、「厳しくなんかしていませんよ」と答えると、俺の斜め前に座るリディが小さく噴き出す。父はその姿を見て、やれやれという表情で小さく首を振るだけでそれ以上何も言わなくなった。
父に誤解されたようだが、説明するのも馬鹿らしいと思い、俺もそれ以上何も言わなかった。
(酒が絡むと俺の性格が変わると思っているみたいだな。そんなことで変わることはないんだが……変わっていないはずだ……)
俺が自らの行いについて思いを巡らせている間に、給仕たちが次々と発泡ワインを給仕していく。これだけの人に見つめられながらも、開ける時に一度もポンという音を立てることなかった。
俺たちのテーブルには給仕長のファーガス自らがやってきた。そして、真剣なまなざしで発泡ワインを注いでいく。その洗練された所作に父はしきりに感心していた。
更にアイナという若い侍女が説明を加えながらアミューズを配っていく。彼女は二日前、オン・ザ・ロックを作る練習でロックグラスを割ってしまい、泣き出してしまった娘だ。今回の祝宴のメンバーでは最年少だが、かなり頑張ったようだ。
俺が目で「良くやっている」と伝えると、彼女は嬉しそうに笑顔を見せるが、それでも手を止めることはなく、堂々と配膳を行っていた。
(確か十四歳だったはずだが、さすがに城に上がるだけのことはあるということか……)
聞いた話ではウェルバーン城の侍女になるのはかなり難しいらしい。貴族や騎士たちが娘の行儀見習いと良縁を求めて、娘たちを城に上げようとするのだが、侍女になるには文官の実質的なトップである家宰のフェルディナンド・オールダム男爵と侍女長であるバーバラ・ハーディング男爵令嬢の面接に受かることが必要だそうだ。その倍率は何と十倍以上。彼女たちはその難関を潜り抜けたエリートたちなのだ。
発泡ワインを受け取った人たちから、グラスとワインの美しさに何度目かの感歎の声が上がる。
「何という美しい酒だ。まるで黄金が湧き出す泉だ……このグラスも素晴らしい! 水晶を溶かしたかのようだ……皇宮ですらこれほどのグラスを見たことがない……」
最前列にいる三十代半ばの侯爵がかなり大きな声でそう叫んでいた。
その声に同意の声が次々と上がっていく。
「ヒューバート殿はロックハート家からの贈呈品と申されたが、これほどの物をあの辺境で作れるものなのだろうか……」
遠くて良く聞こえないが、そんな声すら出ているようだ。
宴会の後半で何度かグラスを譲ってほしいという依頼があったが、面倒なのですべて断っている。
「これは私の手作りでして、中々材料が揃えられないのです。総督閣下にお譲りした分で在庫も尽きてしまいましたし……お譲りできる分の材料が揃いましたら、ご連絡させて頂きます」
一応、嘘は言っていない。材料のガラスと鉛を揃えるのは面倒だし、“譲れる分”のグラスの在庫も尽きている。“譲る分”の材料は本当にない。ただ、譲る気がないから、その材料が揃うことはこれからもあり得ないだけだ。
断った理由だが、これは簡単なことだ。単に上級貴族を相手にするのが面倒だったからだ。
確かに一つ千C、百万円の値を付けても買い手はあるだろう。平民たちから集めた血税を贅沢品であるグラスに使われるのも気に入らないのだが、それ以上に上級貴族の誰かに売ってしまうと、“誰それには売ったのに自分には譲ってくれないのか”などと言い出しそうで、それなら最初から誰も相手にしない方がいいと思ったのだ。決して、価値が暴騰するのを期待しているわけではない。
祝宴は滞りなく進んでいった。
料理の合間に辺境伯のテーブルに祝いの言葉を述べに行くだけで、日本の披露宴のようなスピーチなどはないから、長く詰まらない話で辟易としたり、微妙な宴会芸を見せられてリアクションに困ったりすることはない。
スピーチではないが、文官たちが出席した伯爵以上の上級貴族の名前と、贈られた祝いの品を大声で読み上げていく。宝石や絵画などが多いが、中央の草原地帯で産する名馬も祝いの品に入っていた。
祝いの品はラズウェル家に贈られたものもあり、すべてが兄の物になるわけではない。だが、その名馬は騎士として名を上げている兄個人に贈られたものだった。
カエルムの名馬は軍馬として高い評価を受けている。体が大きく耐久力もあるため、重装備の騎士を騎乗させても速度や移動距離が落ちることはない。更に頭もよく、主人と認めた乗り手に忠誠を尽くすことから、カエルム帝国ではこの名馬、カエルム馬を所有していることはかなりのステータスとなる。
戦力として優秀なため、かなり厳しく管理されており、帝国外に持ち出すことは禁じられていた。もちろん、ラスモア村はカエルム帝国の一部でもあるので問題はないが、家臣でもない騎士に贈られるのはかなり異例のことらしい。
ただ、この名馬たちなのだが、頭が良い分、気位が高く、馬の方が乗り手を選ぶという話だ。馬術のスキルが高くても馬に気に入られなければ跨ることすらできないため、折角貰っても乗れない可能性がある。
通常、カエルム馬を選ぶときは、群れの中から馬に選ばせるそうだが、今回は贈られるということで、そういったプロセスが行えない。
まあ、四頭いるから一頭くらいは乗せてくれそうだが、一頭も手懐けられなければ、兄は騎士としての面目を失うだろう。贈った方がそれを狙っているかは判らないが、微妙な贈り物と思わなくも無い。
名馬とともに驚きの声が上がったのが、鍛冶師ギルドから贈られた一振りの剣だった。
支部長のデーゲンハルトは貴族が多く出席するこの祝宴を敬遠したため出席していなかったが、贈呈品は午前中に届けさせていたようだ。
その剣なのだが、実用的なバスタードソードであり、鞘の意匠も平凡であり、見た目はさほどでもなかった。だが、兄がその剣を引き抜くと、会場に大きなため息が漏れたのだ。そのため息には俺のものも含まれている。
その刀身部分はすべてミスリルでできていたのだ。正装に身を固めた兄が剣を掲げると、中庭から差す西日を受けて銀色に輝き、英雄譚の一幕のようだったのだ。
兄も酒が入っており、いつもより陽気になっていたのか、その剣を抜いた瞬間、声を上げていた。
「これほどの業物は見たことが無い! これならば竜の首すら断ち切れそうだ」
後で見せてもらったが、本当に美しく、そして実用的な剣だった。鏡のように磨き上げられたミスリルの刀身に硬化の魔法が施されており、祖父のような一流の剣術士が振るえば鋼すら断ち切れるのではないかと思わせるものだった。
デーゲンハルト本人から聞いた話では、数年前にルークス聖王国からやってきた鍛冶師が持っていた剣をベースとしているそうで、鍛冶師ギルド本部のあるアルスに持ち込めば、光属性の魔法剣に出来るのだそうだ。
皮肉な話だが、ロックハート家を異端扱いにした影響でドワーフたちがルークスから立ち去り、その際に未完成であった剣がウェルバーンに持ち込まれ、それがロックハート家の嫡男である兄の手に渡ったのだ。そのことに関し、デーゲンハルトは愉快そうに話してくれた。
「聖騎士が発注したそうなんだが、剣の腕も魔法も大したことが無い奴だったそうだ。まあ、剣にとっちゃ、ロッドに使われる方が幸せなんだろうがな……」
言われてみれば、白銀の鎧に身を固めた聖騎士が持つに相応しいように見える。ただ、噂を聞く限りは聖騎士たちの練度は低く、これだけの業物を持つに相応しい人物がいるようには思えない。
“巨人殺し”という称号を持ち、騎士の鑑といわれる兄こそ相応しいと俺も思っていた。
祝宴が進んでいくと、俺たちロックハート家のテーブルにも何人もの招待客がやってくるようになる。
その中には心から祝いを述べる人たちもいるが、ロックハート家と誼を結びたいという打算的な人々の方が多かった。
ただ、帝都から来た侯爵や伯爵といった上級貴族ですら辺境伯に遠慮しているのか、俺たちに高圧的な態度に出る者はいなかった。
そのため祝宴で嫌な思いをすることなく、心から兄たちを祝福することができた。
料理もメインディッシュまで終わり、あとはデザートを残すだけとなった。
途中で出したリンゴ酒の蒸留酒だが、思った以上に好評だった。だが、本当にうまいと思って飲んでいるかは微妙なところだ。ドワーフたちが目の色を変える蒸留酒というものを飲んだと言いたいためだけに飲んでいるような気がしたからだ。
飲み方だが、ドワーフたちと違い、ストレートで飲むより、ロックの方が多かった。これは想定どおりだ。飲み慣れていない人間が四十度近い度数のアルコールを初めて口にするのだから、やむを得ない。
俺の個人的な思いだが、本当はストレートを、それもゆっくりと時間を掛けて飲んでもらいたかった。三年熟成の若い物だから、それほど拘りはないが、今後長期熟成の物を出す時は出来るだけストレートで味わってもらいたいと説明するつもりだ。
だが、グラスに関しては何の思惑も無く、賞賛していたようだ。
重量感ある丸みを帯びたクリスタルガラスのロックグラスに、気泡が入っていない球形の氷と琥珀色の液体。その美しい造形に上級貴族たちのすべてが嘆息していた。
「先ほどのワイングラスも芸術品だが、これはあれすら凌駕する……神器と言っても過言ではない……これは何で出来ているのだ? ただのガラスではありえぬ……」
さっき発泡ワインで感歎の声を上げていた侯爵が我を忘れてそんなことを言っていた。神器と言われると面映いが、自慢の一品を褒められるのは悪い気はしない。
グラスやゴブレットと一緒に置かれるコースターだが、これにも驚きの声が上がっていた。元々、氷を使うことが少なく、グラスに汗をかくことが無いから思いつかなかったのだろうが、その配慮に賞賛の声が漏れていたのだ。
このコルクもどきのコースターなのだが、ロックハート家の立ち上がった獅子の紋章が描かれている。本当はラズウェル家の紋章とロックハート家の紋章を並べたかったのだが、勝手に紋章を使うわけにもいかず、うちの紋章だけにしている。
これについては特に深い意味はない。というより、遊び心に近いものだ。
コースター自体はテーブルクロスを濡らさないため使うつもりだったのだが、コルクのコースターではあまり面白くないなと思い、何か絵でも入れようと思っただけだった。そこで思いついたのが、ウィスキーやビールのメーカーが自社のブランドをコースターにして使っていることだった。ロックハート家もウィスキーメーカーと言えなくもないので、遊び心で真似て見たのだ。
残念ながら俺に絵心はないので、こういうことがなぜか得意なシャロンに下絵を作ってもらい、それを使って金属性魔法で焼印を作り、押していったのだ。
後で聞くと、このコースターがかなり人気で持ち帰りたいという客が続出したそうだ。さすがにグラスをくれとは言い難いが、この程度のものならと思ったのかもしれない。
そして、デザートだ。
料理長と相談して、リンゴの蒸留酒をパウンドケーキにたっぷりと塗ってある。アップルブランデーの香りと焼いた小麦の香りが相まって、非常に評判が良かった。こちらに関しては蒸留酒と違い、純粋に味に満足しているようだ。
更に絶賛されたのはパウンドケーキと一緒に出したアイスクリームだ。
今までも疑似ペルチェ効果の魔法で作ったことがあったのだが、今回、氷と塩を混ぜて低温を作ることを思い出し、理科の実験でやったアイスクリーム作り――子供の時はシャーベットだった気がする――を再現してみたのだ。
バニラビーンズやエッセンスがないため、バニラアイスは無理だが、牛乳と砂糖――ここには白砂糖もある――なら手に入る。玉子は生で使えるか不安があったので使っていない。
出来としてはそれほどではないが、真夏に冷たいデザートが食べられたことに皆、驚いているようだ。
何でも帝都の皇宮でも真夏に氷を使った料理が出されることはないそうだ。
騎士団の魔術師たちに聞いたのだが、魔法を料理に使おうなどとは今まで一度も考えたことがないそうだ。なんとも勿体無い話だと零すと、なぜか苦笑されてしまった。
二時間ほどで祝宴が滞りなく終わった。
かなり酔っぱらった人もいたが、侍女長の的確な指示もあり、大きな混乱はなかった。
この後、日が沈んでから、中庭で舞踏会が始まる。




