第十四話「エルフの魔術師」
俺は屋敷を訪れた美しい女性の姿に言葉を失っていた。
濃い茶色の革製のヘルメットからはみ出る豊かな髪は、収穫前の麦の穂のようにやや薄い緑色を含んだ黄金色で、日の光を浴びてキラキラと輝いていた。そして、その髪の間から覗く耳は、長く尖っている。
僅かに汗が煌くその顔は、暑さのためか白い肌がうっすらと赤みがさし、バラ色に染まっていた。その瞳は、湖に映る深い森のように濃いエメラルド色で、俺を不思議そうに見つめている。
革鎧で身を包まれた体は、身長百七十cm弱くらいだろうか。この世界では小柄なほうに入るかもしれないが、その細い腰のせいか、すらりと背が高く見える。
俺が見つめたまま固まっていると、彼女は優雅に俺に近づき、しゃがみこんで視線を合わしてきた。
それでも俺は、何も言えないまま、時間が止まったように固まっていた。
その深い翠色の瞳はすべてを見透かしているようで、俺にはこの世の生き物とは思えなかったからだ。ありきたりだが、妖精か、天使のようだと考えていた。
俺の様子が面白かったのか、彼女は小首を傾げて微笑んでいる。俺は年甲斐もなく恥ずかしくなり、思わず目を逸らしてしまった。
彼女は埒が明かないと思ったのか、そのまま俺に話しかけてきた。
「ゴーヴィは、いいえ、おじい様はいらっしゃるかしら? リディアが着いたと伝えてくれない?」
その声はソプラノよりやや低いメゾソプラノといった感じの心地の良い声で、声すら美しいと思ったが、俺は何も言えないまま、黙って頷き、祖父のところに走っていった。
(あの女がリディアーヌさんか。凄い美人だな……それに、無茶苦茶俺の好みだ……)
自分で思っているより舞い上がっていたようで、自分の顔が赤くなっていることにも気付いていなかった。
祖父は開口一番、「赤い顔をしてどうしたんじゃ?」と不思議そうに声を掛けてくる。気恥ずかしい思いの中、俺はリディアーヌが訪ねてきたと祖父に伝えた。
祖父は俺が赤くなっていた原因が分かったようで、何も言わずニヤニヤしながら歩いていく。
(そんなに赤かったのか? しかし、どういう関係だ、じい様とリディアーヌさんは?)
一応、リディアーヌが長命なエルフであることは聞いているが、俺の見た感じでは二十代前半から半ばくらい、白い素肌には染み一つない。
祖父の後をついて歩いていくと、リディアーヌを見つけた祖父が彼女に駆け寄っていく。
「よく来てくれた! 連絡が先にあると思っていたぞ!」
そういいながら、彼女を抱きしめ、背中を叩く。
恋人同士というより、体育会系の男らしい抱擁だが、彼女は少しはにかんだような表情を浮かべていた。
「相変わらずね、ゴーヴィは。でも、ほんとに久しぶり。何年ぶりくらいかしら?」
祖父の声に父たちも続々とやってきた。
口々に挨拶を交わしていき、普段は無口で無表情な従士頭のウォルトですら、ニコニコと笑っている。
ウォルトが馬を厩に連れて行くと、「こんなところではなんじゃ、場所を変えるぞ」という祖父の一言で、皆で食堂に向かう。
俺は何となく疎外感を感じながら、その後をついていった。
父や母からの歓迎の言葉を正式に受けたリディアーヌは、その装備には似合わない優雅な仕草で礼を返す。
「これから、しばらくお世話になりますわ。よろしくお願いしますわね」
いつの間にかやってきた兄のロッドも彼女の姿を見て、顔を赤くしている。
俺はあのくらい赤かったんだろうかと思いながらも、彼女の仕草から目を離すことができなかった。
祖父が兄と俺を紹介していく。
「こっちがマットの長男、ロドリックじゃ。ロッドと呼んでやってくれ」
兄ははにかみながら、「ロドリックです。ようこそ我が家へ」と、か細い声で挨拶をする。
その様子に大人たちは皆、微笑んでいるが、俺にその余裕はなかった。
「こっちがザカライアスじゃ。今回、お前さんに指導を頼もうと思っている当人じゃ」
俺は心の中で深呼吸を繰り返した後、「ザカライアスです。ザックと呼んでください」と何とか声を搾り出す。我ながら声が震えているなと少し凹む。
「ロッド、ザック。リディアーヌよ。よろしくね」
笑顔でそう言われた兄は、頭から蒸気が噴き出すのかと思うほど更に赤くなる。
(隣でここまで反応してくれると、少し冷静になれるよ。兄様、感謝しますよ)
俺は笑みを浮かべて「よろしく」と手を差し出す。
彼女は驚きながらも腰を曲げ、手を取ってくれた。
(こういう時に幼児という事実に凹むな。まあ、父上やじい様を見る限り、将来、背は高くなるはずだから、安心なんだけど)
その後、リディアーヌを囲んで、年長者たちの現状報告会が始まった。
俺は聞き耳を立てていたが、分からない話が多く、少し退屈だった。
昼寝を終えたメルたち三人も、リディアーヌに挨拶をし、俺はメルとシャロンに引き摺られるように部屋から出て行った。
(退屈していたし、ちょうどいいか。それにしても、この歳で嫉妬なのかね。この辺りの心理は誰に聞いたらいいんだろう?)
そう思いながらも三人と屋敷内にある東の林に遊びに行った。
その夜、夕食後に祖父に呼ばれる。
そこには旅装を解き、ゆったりとしたシャツを着たリディアーヌの姿もあった。
「お前の魔法の指導の話じゃ。リディア、お前から話してくれんか」
彼女は小さく祖父に頷くと、俺に向かって話し始める。
「あなたの“秘密”は聞いたわ。魔法の才能を神から与えられたことも。正直、まだ心の整理ができていないわ。もちろん、ゴーヴィが嘘をつくとは思っていないけど……」
最後はどう言っていいのか、困るような感じで語尾が小さくなる。
俺はその言葉を引き継ぐ形で、
「祖父は信じられるが、あまりに荒唐無稽な話だから俄かには信じられないと。確かにそう思うのが普通だと思います」
俺の言葉を聞き、彼女は目を大きく見開く。
「本当なのね! 四歳の子供がそんなしゃべり方はできないもの。分かったわ。信じることにする」
自分の中で折り合いがついたのか、大きく頷いた後、再び話し始めた。
「魔法を教えることなんだけど、四歳の子供には早いと思うの。小さい子供は魔力が少ないから……」
彼女の話では、魔力が少ない子供が魔法を使うとすぐに魔力が底をついてしまう。魔力は生物が生きるために必要な力だそうで、心臓を始め、臓器を働かせるために必要なエネルギーなのだそうだ。
そのエネルギーが尽きると、まず意識を失い、その次に臓器が働かなくなっていく。そして、最悪の場合、死に至るそうだ。
そのため、魔術師の家系でも本格的に訓練を開始するのは七歳以降で、それまでは魔力を感じる訓練や、体内で魔力を操作する訓練に費やすそうだ。
「そういうわけだから、明日から魔法の理論と、魔力を感じる訓練を始めるわ。何か質問は?」
「私は自分の魔力を数字として知ることができます。だから、魔力切れになることはありません。私の体のことは気にせず、訓練計画を考えてください」
彼女は一瞬声を上げそうになるが、すぐに祖父のほうに顔を向け、「本当にあなたの孫は常識外れね」と、呆れ顔で言った後、「あら、ごめんなさい。悪く言ったつもりはないのよ」と、俺に謝罪する。
俺は気にしていないと笑顔を見せるが、すぐに真剣な表情に戻す。
「祖父から聞いているかもしれませんが、私は全属性が使えるはずです。各属性を極めるためには、普通の人より多くの時間が必要だと思うんです。だから……」
俺の真剣な表情を見て、彼女は安心させるように微笑み、
「心配しなくていいわ。魔法は武術とは違うの。一つの属性を極めれば、他の属性もさほど苦もなく使いこなせるようになるわ。その辺りは明日から説明していくわね」
彼女の言った通り、俺は属性ごとに修行が必要だと思っていた。どうやら、それは俺の思い込みのようで、少しだけ安心した。
「午前中はゴーヴィの剣の修行なんでしょ。じゃ、午後に魔法の勉強ね。文字は読めるって聞いたから、いきなり魔法の勉強から始めるわよ」
微笑む彼女に「分かりました。リディアーヌさん」と丁寧に頭を下げる。
少し口の端を上げ、意地悪そうな顔を作って、
「そのしゃべり方が普通なの? 堅苦しいのは苦手なんだけど」と、可愛く文句を付けてきた。
(一応、年上なんだよな。見た目は二十代でも、じい様のことをゴーヴィって呼んでいるし。それに師匠になるわけだから……)
俺が困っていると、祖父から助け舟が出された。
「メルたちと同じように接すればいい。歳は食っているが、精神年齢は同じようなものじゃ。そうじゃろ、クッ、ハハハ!」
祖父は自分の言葉がつぼに入ったのか、体を曲げて爆笑している。
その様子に彼女は少し傷付いたような顔を作り、「歳を食っている……それは酷いわ」と泣きまねをしていた。
(精神年齢は同じようなものってところはスルーなんだ。まあ、演技なんだろうけど。見た目がクールな美人な分、こうでもしないと人付き合いがしにくいのかな? 少し付き合ってみようかな)
少しだけ余裕ができた俺は、前世ならしないであろうアプローチを彼女にしてみた。
「分かった、敬語は止める。じゃ、リディア……いや、リディって呼ばせてもらうよ。そうだな、これは俺専用の呼び方にしてもらえるかな?」
彼女は突然雰囲気の変った俺に驚き、泣きまねを途中でやめていた。そして、“リディ”と言った瞬間、そのままの格好で固まってしまった。
俺はその様子にしくじったかと思い、咄嗟に謝ろうとするが、彼女の表情が嬉しそうな笑顔に変わったことに気付き踏み留まる。
「ええいいわ。リディか……うん、これはあなた専用の呼び方。一生、他の人にはそう呼ばせない。リディ……」
リディの様子が予想と違ったため、俺は少しパニクっていた。
(“俺専用って何?”って返される予定だったのに……この反応は何なんだ? じい様は笑っているから、理由を知っていそうだけど、ここで聞くわけにはいかないよな……)
彼女から「じゃ、明日からよろしくね、ザック」と笑顔で言われ、更に混乱していく俺は、「ああ、よろしく、リディ」と答えるのが精一杯だった。
翌日、朝の訓練の前に祖父に、昨日のリディの反応について聞いてみた。
「昨日のリディアーヌさんの反応は何だったんですか?」
祖父は突然の話題に面食らうが、すぐに噴き出しながら、「初めてリディアを見た時、どう思った?」と聞いてきた。
質問の意図が分からない俺は、正直に思ったことを口にする。
「凄い美人だと思いましたよ。うちの母上やクレアも美人だと思いますが、“世の中にこんな美人がいるとは”っていうのが、第一印象ですね」
母ターニャやシャロンの母クレアも前の世界なら、女優かモデルかと思うほどの美女だが、リディはそんな次元ではない。
その考えは祖父も同じだった。
「そうじゃろう。リディアはな、あの美しい顔のために友達が少なかったんじゃ。考えてもみよ。あれほどの美人にそうそう男は声を掛けられん。女もそうじゃ。自分より遥かに美しく、とっつきにくそうな女に近寄ることはない。まあ、声を掛けるような軽い男もおったようじゃが、そんなものはリディアのお眼鏡に適うはずもないしな」
(確かにそうだよな。俺も最初、声が出なかったからな……でも、一度話せばすぐに打ち解けられるんじゃないのか?)
「ですが、気さくな方だと思いましたけど。一度話せばすぐに人気者になれると思うのですが?」
祖父はやはり分かっておらんなという感じで首を振り、
「人付き合いに関して、あの娘は臆病なのじゃ。まあ、昨日は別じゃな。うちの連中は皆、昔馴染みじゃからな……」
祖父はリディが昔、ドクトゥスの魔術学院にいたことがあり、そこで友人を作ることができず、軽い対人恐怖症になったのではないかという話をする。
「サルトゥースの田舎の村から出てきた娘、知り合いも無かったのじゃろう。十三歳で入学してから五年間、心を許せる友がいなかったと言っておった。寮にいるとはいえ、かなり心細かったと見える……」
そして、祖父とリディの出会いの話になっていく。
「リディアが卒業して間もない頃、そう、まだ一人で寂しそうに依頼を受けていた頃。儂はそんな彼女と出会った。その時、儂も思ったものじゃ、この世にこんなに美しい娘がいるとはと……」
「おじい様から声を掛けたのですか?」
祖父は昔を思い出すように少し目を瞑り、「そうじゃ」と頷く。そして、遠い眼をしながら、
「儂もまだ十八、九の頃。ソロで依頼を受けて森に入った時。その時、リディアに出会った。彼女もソロだった。俺は野犬の討伐、彼女は薬草の採取……俺が野犬に囲まれ、危機に陥っているところを助けてくれたのだ……」
昔のことを思い出しているのか、口調まで若い頃に戻っている。
(しかし、運命の出会いにしては少し情けないだろう。普通、美女を助けるのが騎士であって、美女に助けられるっていうのは……まあ、本人の中では美しい思い出になっているからいいが……)
祖父は五分ほど思い出話を語っていた。その話からは、祖父が十八くらいからの五年間、パーティを組んで依頼を受けていたとのことだった。
(十八で五年だから二十三歳? 父上が生まれたのが、じい様が二十三歳の時だから結婚していても冒険者をやっていたのか。やんちゃだったんだな)
「リディアーヌのことをリディアと呼べるのは、彼女の村以外では儂と儂の家族だけじゃ。まあ、今は亡き、昔の仲間もそう呼んでいたがな。だから、“リディ”という愛称を贈られたことが相当嬉しかったんじゃろう」
俺も美人が喜んでくれるなら、それはそれで良かったのだと思うことにした。
午後三時頃。俺たちの昼寝の時間が終わると、リディの魔法の授業になる。
風の通る涼しい木陰が教室代わりだ。
最初、俺は一人で受けるつもりでいたが、シャロンが珍しく自分も習いたいと主張した。
それに釣られる形で、メルとダンも同じように授業を受けたいと言い出した。
リディも少し困った顔をし、「困ったわね。三人は文字が読めるの?」と聞かれたので、俺が教えたと答えると更に表情を曇らせる。
どうやら、文字が読めないから駄目だと言いたかったようだ。
「分かったわ。知っておいても無駄にはならないし、もし才能があったらラッキーだしね」
結局、いつも通り四人で行動することになった。




