第十三話「夏の日々」
オーブを作った頃は手押しポンプの開発にも目途が立ち、トイレも順調にいっていると思っていたから、絶好調という感じだった。
その頃の俺は朝の素振りに始まり、午前中は祖父から剣の指導を受けて過ごし、昼からはニコラスの家に篭るという四歳児にしてはかなりハードなスケジュールをこなしていた。
(昼寝はしたいんだけどな。幼少期の睡眠は成長に影響するんじゃなかったか? 子供がいなかったから詳しくは知らないが……)
剣術の方も俺とメルが剣術スキルを取得したことから、素振りに加え、より実戦的な型の指導が始まった。
それまでは上段からの斬り下ろしと左から右への横薙ぎだけだったが、急所を狙う突きや、袈裟掛けのような全身を使っての威力の高い斬撃、更にはそれらの連続技など、いくつかの型の組み合わせなども覚えていく。
この世界の敵は人間だけでなく、竜のような大型の魔物からネズミの魔物のような小型のもの、更にはハーピーや巨大コウモリのような飛行生物にまで対応しなければならない。このため、剣道やフェンシングのような人間の弱点を狙うことに特化した武術ではなく、いかに効率的に大きなダメージを与えるかということに主眼が置かれている。
祖父の指導方針は、体が型を覚えるまで続けるというもので、兄たちも訓練時間のほとんどを素振りに当てている。さすがに三年もやっているため、俺たちと同じレベルの型ではなく、更に実戦的な動きをこなしていた。
俺たちはまだ幼いということもあり、午前中の訓練だけで済んでいるが、兄のロッドとメルの兄のシムは午後も訓練時間に当てられていた。
さすがに午後は夕方の涼しい時間帯が選ばれているが、夕食前にはフラフラになっている姿をよく見かける。
一方、祖父の方は俺たちの指導を行いながら、ラスモア村の自警団に対しても訓練を行っていた。
ここラスモア村には十五歳から四十歳までの男性、百五十人ほどで自警団を作っている。自警団は月に二回の訓練が義務付けられており、毎日十人くらいが屋敷の西で訓練に汗を流していた。
自警団の指揮官は祖父であり、訓練の責任者でもあった。
毎日、朝から晩まで訓練場で大声を張り上げているが、疲れている姿を見た事がない。
(日本にいた頃の俺より少し年上なんだが、それにしては元気だよな。粗食と運動が健康にいいっていうのを、地でいっているって感じだな)
この村の平均寿命は計算していないが、七十歳以上の年寄りはほとんどいない。そう考えると六十代半ばくらいが寿命なのだろうが、五十前の祖父は非常に元気だ。
六月の下旬になると、手押しポンプの開発が佳境に入り、更に石鹸の開発の細かい指示などで非常に忙しくなっていく。
その頃、俺自身気付いていなかったが、疲れた顔をしていたのだろう。
六月三十日の昼食時。
メルが剣術スキルを取得したことが分かり、俺たちは盛り上がっていた。
ダンが少し悔しそうだが、メルがスキルを取得したことについては、自分のことのように素直に喜んでいた。
翌日は七月一日。この世界では夏至に当たり、祭りが催される日でもある。
俺は屋敷近くにいることが多く、あまり気付いていなかったが、確かに祭り前のソワソワとした感じが、訓練に来る村人たちの間に漂っていた。
俺たちの訓練が終わった時、祖父が翌日の祭りの話をしに来た。
「明日は祭りだから、皆で行くそうじゃ。明日は一日、皆で遊んできなさい。ザック、ちょっと来なさい」
祖父は俺だけを呼び寄せ、
「明日の祭りはあの子たちと過ごせ。最近のお前は少し働きすぎじゃ」と言った後、ニヤリと笑い、
「童心に返れといわれても困るだろうが、少しは楽しむことを覚えるんじゃ」と、俺の頭に手を置く。
日本で毎日十時間以上の労働をこなしていた俺にとって、それほど働いているというイメージはなかった。しかし、この世界では異常に見えるようだ。
(確かに四歳児が剣の修行と仕事を両立させていたら、異常に見えるよな。いや、見えるだけでなく異常だな。日本でもそんな子供は売れっ子の子役くらいしかいないか……)
祖父の気遣いに感謝し、明日は一日、祭りを楽しむことにしたのだが、この村の祭りは大して楽しむことがないと思っていた。
出店があるわけでもなく、出し物があるわけでもない。
ボグウッドの街から神官がやってきて、祈りを捧げた後、若い男女が踊りに興じ、オヤジたちが酒を飲むくらいなものだ。俺たちのような小さな子供は、大人たちがうまそうに食べているご馳走を分けてもらうくらいしか楽しみがないはずだ。
それでも祖父の気遣いに対し、「ありがとうございます。明日はのんびりします」と感謝の意を表しておいた。
翌日の七月一日。
神殿がある南ヶ丘の東、黒池のほとりが神事の会場となる。神殿といっても素朴な神像が置いてある程度で、神官は常駐していない。日本の小さな神社と似ている。
神官は午前十一時頃に神殿に到着し、三十分ほど神事――神に感謝する祝詞のようなものをあげただけで、すぐに帰っていった。
どうやら、ボグウッドの祭りに間に合うように帰るようで、毎年このパターンだそうだ。
正午には無事神事も終わり、次はラスモア村の中心にある唯一の酒場、黒池亭が祭りの中心になる。
村の中心部に皆が集まり始め、テーブルや木の台、椅子などが並べられていく。
テーブルの上には人々が持ち寄った料理が並び、更に黒池亭では酒樽が開けられていく。
特に合図もなく、なし崩しで宴会が始まっていき、どこからともなく横笛の音が聞こえてくると、それに合わせギターのような弦楽器の音色も聞こえてきた。
一時間ほどで祭りらしい雑然とした喧騒が村を包んでいく。
俺たち四人は何をするわけでもなく、ブラブラと祭り会場をうろついていた。
時々、うまそうな料理――この日のために用意された肉料理など――があると、それを貰って食べながら、赤い顔をした村人の間をちょこまかと抜けていく。
(甘いものでもあればいいんだけどな。酒のつまみばかりじゃ、すぐに飽きる。ああ、早く酒が飲みたい……)
会場内を周ってみたが、甘いものは少なく、ブルーベリーに似たベリー系の焼き菓子と、パンに蜂蜜を塗ったものを見たくらいだった。
砂糖は南部から商業都市アウレラを通じて、交易されているはずなのだが、この村が交易路から離れているからなのか、砂糖をほとんど見たことがない。
(砂糖の生産は無理だろうな。サトウキビは北すぎてできないし、甜菜はあるのかすら分からないし……蜂蜜なら養蜂っていう手があるな。考えてみるか……)
祖父から注意されたにも関わらず、ついつい特産品作りなど、村の改革について考えてしまう。
我ながら仕事中毒だなと思いながら歩いていると、ウォルトの息子イーノス・ヴァッセルと、その婚約者でニコラスの娘ジーン・ガーランドの姿を見つけた。
普段、屋敷で働いているジーンはいつもの地味な服とは異なり、赤や黄色に染めたドイツかオーストリアの民族衣装のような鮮やかな服を着ていた。隣にいるイーノスも満更ではないという顔で手を繋いでいる。
(初々しいね。秋には結婚するから、今が一番幸せなんだろうな。マリッジブルーも無さそうだし……)
その姿を見たためか、メルとシャロンが突然、俺にくっついてきた。
(ませているんだな。こんな歳でも女の子はこんな感じなのか?)
二人の手を取り、両手に花状態で会場を歩いていく。
俺のことを知っている人たちは、酔った勢いもあり、冷やかしの声を掛けてくるが、俺は軽くいなしながら、二人の手をしっかりと掴んでいた。
(明日には領主の次男は女誑しだという噂が広がっているんだろうな。それにしても、あぶれたダンがかわいそうだな。本当はメルと手を繋ぎたいんだろうに)
会場の喧騒も徐々に大きくなっていき、横笛と弦楽器の音も徐々にアップテンポなものになっていく。
若い男女がその音楽にあわせて、フォークダンスのような踊りを始める。
女性はジーンと同じような鮮やかな民族衣装を纏い、男性のほうも腰に飾り布のようなものを巻いたりして、目当ての女性の気を引こうとしている。
踊りの輪は次第に大きくなり、この村の若い男女が勢ぞろいしたのかと思うほど、大勢で踊っていた。
(思っていたより凄いな。何十人いるんだろう?)
日が傾き始めると、徐々に帰路に着く人の流れができ始める。
酒場は相変わらずの喧騒だが、他では祭りが終わる少し寂しいような、悲しいような微妙な雰囲気が、漂い始めていた。
俺たちも時々道草しながら、丘の間の道を弾むように歩いていく。
(なんだかんだで結構楽しめたな。じい様に感謝しよう)
夕焼けというにはまだ早いが、少し茜色に染まり始めた空を見上げながら屋敷に帰っていった。
翌日は祭りの余韻もなく、村では冬撒きの麦、小麦の刈り取りが始まったことから、すぐに平常モードに戻っていた。
俺たちも翌日から、いつもの日課をこなしていく。
七月二十一日、ついにダンが剣術のスキルを得た。
彼に話を聞くと、一人だけ出遅れたのが相当悔しかったようで、家でも素振りを欠かさなかったそうだ。
喜ぶダンの後ろで祖父の驚く顔を見た俺は、その夜、理由を尋ねた。
「スキルを得るのは、普通早い者でも三月はかかる。才能のないものだと半年じゃ。それがお前とメルは一月、ダンも二月も掛けずにスキルを得たのじゃ。儂の指導方針は今までの者と全く同じ。つまり、お前たちの才能が飛び抜けておることを表しておる」
「私は神から才能を授かりましたから、分かるのですが、あの二人の方が凄いですね」
「そうじゃな。お前は大人の心を持ち、目標があるから厳しい訓練にも耐えられる。普通の子供なら最初の頃のダンのようにすぐに投げ出すものじゃ。それがお前らときたら……責任感の強いロッドですら、最後までやり抜けるようになったのは六歳の時、つまり一年掛かっておる」
「恐らくそれが原因ですね。私たちのスキルを得たのが早かったのは。兄上も同じようにやっていれば、もっと早かったのではないでしょうか?」
俺の言葉に祖父は頷き、
「子供にはそれができぬのじゃよ。メルもダンもお前の影響でやり抜けておる。それどころか、更に自分で素振りもしておる……無理をしておらねばよいのじゃがな」
俺もそれが心配だった。
俺の場合、前世の記憶があるから、ある程度の加減はできるが、小さい子供にその加減を期待することはできないだろう。
俺は二人があまり根を詰めないよう、祖父から諭してもらうよう頼んだ。
翌日、祖父は「無理をして体を壊すと余計に遅れるぞ。今後、儂の見ていないところでは素振りをしてはならん」と、二人に命じていた。
メルは素直に頷くが、ダンは遅れを取ったことが余程悔しかったのか、渋々といった感じで頷く。俺はメルの様子に違和感を覚えたが、師匠である祖父の命令に従っただけだと思っていた。
その日の夕方、祖父と一緒に素振りをしていると、二人が木剣を持って現れた。そして、徐に素振りを始める。
俺がどうしたと聞くと、メル曰く、「一緒ならいいんだもん」と答えてくれた。
子供とはいえ、俺に後れを取るのが相当悔しいらしい。
村の改革プランについては、トイレの普及の方は材木の確保から始めるため、村の中心地区以外は秋以降になりそうだった。それまでは問題を解決できるかフォローしていくことになる。
石鹸の開発は、ほとんどニコラスに任せきりにし、日に一回、状況を確認しに行くだけにした。
順調に進んでいる手押しポンプについても、素材の確保に時間が掛かるため、現在、三つの井戸に設置しただけに留まっていた。
屋敷のトイレの堆肥作りも、最初に作った穴は排泄物を入れ終わってから一月以上経っているが、まだ土になりきっていない。
(二ヶ月とか三ヶ月とか掛かるんだろうか?)
俺は自分の中途半端な知識にため息を吐く。
(はぁ……焦っても仕方が無いんだろうが、技術屋の性なのか、結果を早く出したいっていう欲求が強いんだよな。成果主義の悪弊かもしれないな……少なくとも清潔にはなったし、気長に待つしかないんだよな)
俺はなかなか出ない結果に少し焦りを感じていた。
八月に入ると村は猛烈な熱波に襲われるようになる。
地形が盆地に近いため、風のない昼間には体感だが三十五度を超えている気がしていた。
さすがに祖父も昼間の訓練を取止め、涼しい朝夕に時間をシフトしている。
更に俺たち年少組の訓練メニューも少し減らされ、午前中の涼しい時間だけになった。
(夏は暑くて、冬は寒い。京都みたいな気候だな。京都?……川床か!)
あまりの暑さに辟易としていた俺は、京都の鴨川に作られる“川床”を思い出していた。
ラスモア村には北、西、南に川が流れている。南側のブラック川は黒池の水が流れ出したものだが、北側と西側のアーン川、フィン川は山から流れ出た清水であり、かなり冷たい水だ。
(フィン川の川幅はそれほど広くない。水車小屋辺りに床を作れば結構涼しいんじゃないか? 魔物が心配だが、子供だけで行くところでもないし、誰かについてきてもらえれば……)
どこに作るかを思い立ち、材料のことを考え始めたところで挫折した。
(駄目だ。材木がないんだ。トイレ用に在庫をかなり使ったし、イーノスたちの新居にも必要になる。娯楽に近いから来年の課題にしよう……)
祭り以降、大したイベントもなく、春蒔きの麦、大麦の穂が揺れる八月下旬を迎えた。
八月二十日。その日も暑さが厳しく、朝早くに訓練をした後、いつものようにステータスを確認する。
そして、俺は一人でほくそえんでいた。剣術スキルが“二”に上がっていたのだ。
名前:ザカライアス・ロックハート 年齢:四歳 性別:男 種族:人族
出身地:カエルム帝国北東部辺境地区ロックハート領ラスモア村
レベル:剣術士 二
スキル:剣術二、体術六
(素振りだけだから、剣術だけしか上がっていないが、そのうち、模擬戦なんかもやるようになる。そうなれば、回避も上がるはずだ。俺の真骨頂は“回避”。早く上げたいな……)
俺はそんなことを考えながら、風の通る木陰で昼寝をしていた。
うとうとし始めた頃、丘を登ってくるカポカポという馬の蹄の音が聞こえてきた。
(珍しいな。お客さんかな?)
屋敷のある“館ヶ丘”に馬で上がってくるのは、うちの家族と従士たち、それに荷物を運ぶ荷馬くらいだ。
今日は誰も外に出ていないし、この暑い時間に荷物が届けられるとも思えない。
俺は好奇心を刺激され、纏わりついていた眠気が一気に飛んでいった。
(誰が来たんだろう。見に行くか……)
屋敷の西側の庭から、屋敷に上がる道の見える場所にいく。
見える場所に着いたとき、騎馬の人物は俺とは反対側にひらりと馬から下りていた。
馬が死角になって全身は見えないが、馬の腹の下から覗く下半身は茶色の革のブーツに濃い緑色のズボン、短めのマントを着けた冒険者風にも見える。
その人物が馬の前に来た時、俺と眼があった。
そして、俺は絶句した。
そこには革鎧に身を包んだ妙齢の美女が立っていたのだ。




