第六話「ロークリフの代官」
トリア暦三〇一七年七月七日午後五時。
俺たちはアウレラ街道を西に進み、カエルム帝国の事実上の国境の町ロークリフに向かっている。
途中の森で盗賊の襲撃を受け、予定より一時間以上遅れたが、その後は何の問題も発生しなかった。
再出発から二時間ほどで、ファータス河――アウレラ街道と平行に流れる大河――に掛かる巨大な橋と、それに隣接する街、ロークリフが見えてきた。緩やかに下る坂道から見えるロークリフの街は、人口三千人ほどの宿場町であり、ドクトゥスの旧市街と同じくカエルム帝国の標準的な城塞都市だ。
街の南側、つまりカエルム帝国側から見ると、ロークリフはファータス河を越えた一種の橋頭堡になっている。
実際、街の南側の城門にはファータス河に掛かる全長二キロにも及ぶ石造りの橋が直結し、ロークリフ自体が橋を守る城の役目をしている。
ファータス河を船なしで渡河できるのは、ここロークリフと西の商業都市アウレラ付近しかない。
ここは帝国の北方への侵攻拠点となっているのだ。
その巨大な橋はカエルムの城塞都市の城壁と同じで土属性魔法により作られた物で、着工から完成までに二十年以上の歳月を費やしたそうだ。
橋の幅は二十メートルほどで、荷馬車が四台並んでも十分な余裕があり、一定の間隔で高さ十メートルほどの監視塔が設けられている。
俺たちはファータス河を眺めながら、ゆっくりと歩を進めていた。俺たちを追い越していく人たちは俺たちに好奇の目を向けてくる。彼らの興味を引いているのは、荷馬車の後ろを歩く十八人の男たちだ。
さすがに十八人もいると、荷馬車に乗せるわけにもいかず、歩かせるしかない。
襲撃直後は、彼らの使っていた馬を回収できるのではないかと考えていたのだが、馬はすべて盗賊の生き残りに連れ去られており、結局一頭も回収できなかった。そのため、盗賊の歩みに合わせる必要があり、二時間近く経つのに未だ街に到着していない。
街が見え始めてから三十分ほどで、ようやくロークリフの街の東門に到着した。城門の警備兵は貴族の一行が縄で縛った男たちを引き連れていることに驚き、すぐに飛んできた。
父はすぐに馬を下り、責任者らしい四十代の兵士に声を掛けた。
「マサイアス・ロックハートだ。この者たちは我らを襲撃した盗賊だ。済まぬが守備隊の責任者を呼んでもらえないか」
父がロックハートの名を出し、簡単に事情を説明すると、責任者らしい兵士は「ロックハート卿でございますか! 直ちにボイエット卿を呼んで参ります」と言って、背筋を伸ばして父に敬礼する。そして、横に控える部下にすぐに連絡を入れるよう命じた。
ロックハートの名が知られていることはともかく、あまり馴染みのない父に対して敬意を表したことに、俺は違和感を持った。
近くに警備兵がいたので、そのことを聞いてみると、祖父ゴーヴァンの活躍を知っている者も多いそうだが、兄ロドリックがロックハートの名を広めていると教えてくれた。
「ここらで言うロックハート卿、つまりロドリック様と言えば、若くして北部総督府軍にその人ありと言われる騎士ですし、“巨人殺し”の話を知らない者はいないでしょう。それにあの姫様とご結婚されるんですから……」
兄ロドリックは一年ほど前にラズウェル辺境伯領の東部、ポルタ山地の麓で一つ目巨人を倒している。
もちろん一人ではなく、十五名の騎士及び従士からなる一個小隊――小隊にはこの他に五名ほどの軍属もおり通常二十名で構成される――で倒しているのだが、それでも身長が十メートル以上あるサイクロプスを倒すことは容易なことではない。
ドラゴンなどと同列の一級相当の魔物であり、訓練の行き届いた一個中隊――カエルム帝国では五個小隊で一個中隊が標準――と、十名程度の宮廷魔術師クラスの支援が最低限必要と言われている。サイクロプスはそれほど強力な魔物だった。
兄はそのサイクロプスを魔術師の支援なしに、それも僅か一個小隊で倒している。そのため、ラズウェル辺境伯領では知らぬ者はいないとのことだ。もちろん、俺もその話は知っていたが、こんなところで話が出るとは思わなかった。
(巨人殺しの英雄が辺境伯のご令嬢と結婚する。この手の話はすぐに広まるからな……身内が褒められるのはうれしいものだな……しかし、“あの姫様”の“あの”は、じゃじゃ馬のことを指しているんだろうな……)
兄の婚約者ロザリンド・ラズウェルは有名な令嬢だった。もちろん、支配者である北部総督の娘と言うことで知らぬ者はいないのだが、別の意味でも非常に有名だ。
十代前半からカエルム北部では並ぶ者がいないと言われるほどの美貌を持つ美少女だったが、それ以上に“じゃじゃ馬”で有名だった。
噂では十歳頃から剣と乗馬を始め、騎士団の教練に混じって野外演習に同行し、時には魔物や盗賊の討伐にも参加していたそうだ。
そのため、市井の者と言葉を交わすことが多く、飾らない性格と美しい容姿から辺境伯以上に人気が高い。平民たちは王族でもないロザリンドに対し、親しみを込めて“姫様”と呼んでいるほどだ。
そして、これも有名な話なのだが、自分の結婚相手は自分で決めると宣言し、求婚してくる貴公子たちに剣術の勝負を挑んでいた。
現在、十六歳のロザリンドだが、既に剣術士レベルは十八になっているそうで、同世代の貴族の御曹司――武門の家でなければ通常剣術スキルは十程度しかない――では全く太刀打ちできず、若い見習いの騎士――レベル十五程度――でも後れを取ることがあった。
もちろん、正規の騎士なら十分にあしらえるのだが、主君の令嬢ということもあり、大抵は彼女に勝ちを譲っていたようだ。
そんな時、ロザリンドは北部総督府軍で名を上げつつあった兄ロドリックに勝負を挑んだ。兄は戸惑いながらも彼女の要望通り全力で相手をし、そして当然のごとく圧勝する。ロザリンドは何度か兄に挑むが、真面目な兄はその度に剣術士として彼女を扱い、その都度圧勝した。
彼女は何度か剣を交えるうちに、いつしか兄に魅かれていき、兄のほうも同じように魅かれていった。そして、サイクロプス討伐成功を機に兄はロザリンドに求婚し、ロザリンド本人のみならず、辺境伯も二人の結婚を承認した。
という話が巷には流布している。
本人から直接聞いたわけではないため、どこまで信憑性がある話かは不明だが、それに近いことはあったようだ。
更に辺境伯は娘が後継者争いに巻き込まれないよう、真面目で不正に与しない兄に最愛の娘を預けることにしたという噂もあった。
辺境伯は兄ロドリックを非常に高く評価しており、サイクロプス討伐の褒美として、准男爵の爵位とそれに見合う領地を与えると言ったという話もある。それに対し、兄は自分は非才の身であり、まだ何もなしていないと言って辞退したそうだ。
(兄上が非才の身というのは謙遜が過ぎる気がするな。まあ、本心から言っているんだろうが、二十歳前にしてレベル五十を超えているんだから、十分天才なんだが……)
城門で待っていると、守備隊の指揮官らしき騎士が数人の従士と共に小走りで近づいてきた。鎧は着けていないものの、百九十センチを超える体躯と立派な髭を蓄えた三十代半ばの男で、父やバイロンと並んでも遜色ない貫禄を醸し出し、いかにも歴戦の武人という感じだ。
「お初にお目にかかる。このロークリフの街を預かるアルマン・ボイエットと申す」
そう言って、父に握手を求める。
父も名を名乗りながら握手を返し、すぐに本題に入った。
「途中でこの者たちの襲撃を受けたのだが、妙なことを言っているのだ……」
父はマドックが誰かに雇われた可能性を伝え、自分たちの安全のため、主犯であるマドックの身柄を預かると主張した。それに対し、ボイエットはやや上擦った声でそれを拒否してきた。
「盗賊の処罰は小職の役目。いかにロックハート卿といえども、総督閣下よりお預かりした小職の権限を侵すことは遠慮いただこう」
父は一度軽く頭を下げ、「済まぬが、これは譲れん」と言い、
「我がロックハート家を襲撃した不届き者だ。更に尋問の結果、黒幕がいると分かっているのだ。このことをウェルバーンにおられる総督閣下に報告せねばならん。その証人として、我らが連れて行くつもりだ」
そう言って僅かに目を細める。
父とは事前に打ち合わせており、少し強気に出るように頼んである。本来、父はそういう駆け引きが嫌いだが、今回は一族を狙われたと言うことで渋々俺の案に乗ってくれている。
ボイエットは体に見合った大音声で、「その判断は小職が行う! 貴公は閣下にそう報告すればよい!」と叫ぶ。
更に、父が反論の言葉を発しようとすると、ボイエットは父の言葉を遮り、「貴公は私を侮っているのか! 盗賊に襲われたというのも作り話であろう!」と更に声を荒げていく。
その言葉にガイの顔色が変わった。
さすがに主君である父を差し置いて、抗議の声を上げることはなかったが、殺気を込めた視線をボイエットに送る。俺の目には彼の体から殺気が噴出しているように見えていた。それだけではなく、彼の後ろにいるイーノスや自警団の若者五人の目付きも同じように険しくなっていた。
(ガイの忠誠心は相変わらずだな。だが、こうなるとバイロンがいてくれてよかった。宮仕えの経験のあるバイロンなら、こう言った時に冷静さを保てるからな……しかし、このボイエットという代官は自分が疑われていないと思っているんだろうか? それとも疑われていると思っているから強気に出ているんだろうか?……)
ボイエットは「話にならん」と言い放つが何かがおかしい。時折、目を泳ぎ視線が定まらない。よく見てみると、父の後ろにいるガイをチラチラと見ており、彼を気にしているようだ。
ボイエットは父とガイの視線に耐えられないのか、父の前をうろうろと歩き回りながら、自分の権限を侵すなら辺境伯に訴えると言い出し、更には捕縛するようなことも口走っていた。
(確かにガイの視線が気になるんだろうが、父上がいる以上、自分に危害が加えられる可能性がないことは分かっているはずだ……手が震えている? なるほど……)
ボイエットをよく観察していくと、必死に手の震えを抑えているようで、彼が見掛けとは異なり、小心者であることが分かってきた。
具体的にどこがどうとは言い難いのだが、偉丈夫然としている割に足運びや視線の移動など、ちょっとしたところに素人臭さが出ており、身体つきからは想像し難い“軽さ”を感じる。
そのぎこちない動きを見ていると、実戦経験のあるシャロンの方が、よほど訓練された兵士に見える。
更に言えば、彼は自分が周りから注目を集めていることを失念している。俺たちが二十人近い盗賊を連行しているため、城門を通る商人たちや騒ぎを聞きつけた野次馬たちが遠巻きにしていたのだが、彼は興奮のあまり周りが見えなくなり、自分が注目されていることを忘れてしまったようだ。
(見掛けとは違って小心者のようだな。これが演技なら驚きだが、この状況で興奮した愚か者を演じても意味がない……しかし、こんな小心者が暗殺などという大それたことに手を貸すのか? それとも弱みでも握られているのか?……)
父は困ったような顔をし、「ボイエット殿、ここでは少々拙いのではないか」と暗に周囲の視線を気にするように伝える。
面白いことに、周囲にいる野次馬たちは呆れた顔をしているが、意外そうな顔をしている者はいなかった。
ボイエットがこういう性格の人物だと知っているようだ。
(見掛け倒しの小心者で間違いないようだな。しかし、縁故で代官をやっているのか? それにしては、ここは重要拠点であるはずなんだが……ラズウェル辺境伯は優秀な統治者なはずだ。何か理由があるのかもしれないな……今はそれを考えているときじゃないな。この状況を何とかしないと……)
父の言葉にボイエットもようやく自分が逆上していたことに気付き、更に顔を赤くする。そして、城門近くの門衛の詰め所に向かうよう言ってきた。
父はそれに頷き、ボイエットの後ろを歩いていく。俺はこの機会に父に打開策を耳打ちした。
「どうやら後ろ暗いところがあるようですね。ここは更に強気に出てください。ガイとバイロンを付けますから、父上はマドックの身柄を要求し続けてください」
父は「それだけでいいのか?」と聞き返してくる。俺はそれに頷き、更にガイとバイロンにも指示を出していく。
「二人は父上の後ろに立って殺気を放ってくれ。分っているだろうが、あの男は小心者だ。二人の殺気には耐えられない」
ガイは腹に据えかねているのか厳しい表情のまま無言で頷き、バイロンはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべ、「ザカライアス様もお人が悪いですな」と言って頷く。
俺たちは詰め所の外で待つことにしたのだが、僅か十分ほどで父たちは出てきた。
「ボイエット殿が了承してくれた。マドックには奴隷の首輪を嵌めてくれるそうだ」
父は微妙に納得していない顔で説明する。
マドック以外の盗賊たちは詰め所で引き渡され、拘留されることになるが、父が黒幕の話と傭兵崩れではないかと言うことを伝えているため、確認に時間が掛かり、報奨金が確定するには数日掛かるとのことだった。
今のところ金に困っているわけでもなく、ウェルバーンには十日以上滞在する予定なため、その間に連絡を入れてもらうこととなった。
マドックだが、現状では処分保留の状態で逃亡防止のため、犯罪奴隷の首輪を付けられることになった。
父はボイエットでは話にならないと考えたのか、最初に対応した兵士に対し、処刑による証拠隠滅を図らないよう指示を出す。
「マドック以外の盗賊たちだが、総督閣下から尋問の指示か、ウェルバーンへの移送の指示があるはずだ。軽々しく処刑せぬように……」
父がそう説明し終えた頃、ボイエットが憔悴し切った表情で詰所から出てきた。
がっくりと肩を落とし、視線は定まらず、彼の従士たちが話しかけても頷くことしかできないようだ。更にガイとバイロンの姿を認めると、後ずさるような仕草も見せる。
(いくらガイとバイロンの殺気を浴びたからって、あんなに憔悴するものなのか? それとも、マドックを俺たちに引き渡したことで絶望しているのか?……)
俺が不思議そうな顔をしていたのか、バイロンが中であったことを簡単に説明してくれた。
ガイとバイロンが殺気を放った瞬間、ボイエットはわなわなと震えだしたそうだ。そして、投げやりにマドックを連れていくことを認めると、近くの椅子に座りこんでしまったそうだ。
「ザカライアス様のお言いつけ通り、殺すつもりの本気の殺気を放ちました。どこまで耐えられるのか少し興味があったのですが、あれほど耐えられぬとは……ここだけの話、ボイエット殿は僅かに失禁したようです。従士が気を利かせて奥に連れていきましたから……はいているズボンが変わっているはずです」
俺はそのことが信じられず、「本当に殺気を当てただけなんだろうな?」と呟いていた。
バイロンは大きく頷き、「もちろんです」と答え、
「ジェークス殿はお怒りのようでしたので、間違っても剣に手を掛けぬよう後ろ手に組んでいましたよ」
俺は未だに信じられず、「いくらなんでも相手は騎士なんだぞ。そこらの子供なら分からなくもないが……」と呟いていた。
バイロンは俺の言葉に頷き、小さな声で彼の感想を伝えてきた。
「恐らく実戦経験は皆無でしょうな。魔物の放つ殺気を浴びたことが無いのでしょう」
抜き身の剣のようなガイと二メートルを超える偉丈夫のバイロンが放つ本気の殺気を受ければ、俺でも鳥肌が立つだろう。だが、うちの村の若者でも訓練に参加できる年齢なら、失禁するような無様な姿は見せないはずだ。
話を聞きながら、一つ疑問が残った。
これほどの小心者が、なぜ俺たちを襲撃する手助けをしたかだ。
考えられるのは、黒幕に弱みを握られていることだが、黒幕側からしたら、この程度の男を引き込むと逆に足枷になるだろう。もちろん、重要な仕事は任せないのだろうが、それでも今回のようなコントロールが効かない時に馬脚を現すことは容易に想像できる。
(……仲間が少ないのか、それともボイエットの人となりを把握していなかったのか……俺の知らない何かがあるのかもしれないな……ボイエットを脅せば黒幕が分かるかもしれないが、相手は父と同格の騎士だ。それに辺境伯から信任を受けてこの街の代官を任されている。盗賊に過ぎないマドックの言葉だけでボイエットに手を出すのはリスクが大き過ぎるな……)
俺がそんなことを考えている間に、マドック以外の盗賊が引き渡され、俺たちの出発準備が整った。
父はイーノスに出発を命じ、俺たちはロークリフの街に入っていった。




