第九話「ラスモア村改革プラン(その一):トイレ改革」
まずはトイレだ。
俺は誰もが行う排泄という行為の改革を、ラスモア村改革計画の第一歩とすることにした。
人によっては、もっと優先順位の高いものがあるだろうと思うかもしれない。
普通は村人の食糧事情を改善するとか、税収をアップさせる方策を立てるとかするのだろう。しかし、この村の食糧事情は決して悪くない。
更にロックハート家も税収不足に陥ったことがないのだ。
理由は簡単だ。
支配者であるロックハート家が税をあまり必要としていないからだ。
ロックハート家が掛ける税金はかなり安い。破格と言ってもいいほどだ。
このラスモア村の住民のほとんどが農家だ。
不作などで食料事情が悪くなることもあるのだろうが、税が安い分、備蓄に回せる。
更に税として納められた穀物などは、一部を現金化しているが、ほとんどを屋敷に備蓄してある。緊急時にこれを放出することで、村人が餓えに苦しむことはほとんどない。
税が安い理由は二つある。
一つ目だが、ロックハート家の家族と従士たちの生活に必要なものは、ほとんど自給自足で賄えており、領民から無理に徴収する必要がないことだ。
貴族なら衣服や食事などの交際費がかさむのだろうが、ド田舎の、平民上がりの騎士であるロックハート家は社交界とも縁が無く、無駄な社交費が無いため、必要以上に税を徴収する必要がない。
二つ目は、そもそも行商人が月に二回しか来ないから、村内では貨幣経済があまり発達していない。当然、ロックハート家も現金を使う機会が無く、物納される税を上げる必要がないのだ。
普通の真っ当な税収の使い道としては、道路の補修などのインフラ整備だが、インフラ自体が整備されていないラスモア村では、ほとんど村人のボランティアで解決してしまう。
インフラを整備すればいいだろうという意見もあるが、村人側にニーズがない。
次に掛かりそうな軍事費についても、平和なこの村では自警団の装備類の更新くらいしかないが、定期的な魔物討伐をするくらいで、これも大した金額にはならない。逆に討伐した魔物の素材や魔晶石を売ることで、現金収入を得ているほどだ。
正確な税率は分からないが、感覚的には年収の十%程度ではないかと思う。
食糧事情がいいにも関わらず、ラスモア村の人口はここ十年くらい大きくは変わっていないらしい。流行り病が数年に一回の頻度で発生し、抵抗力のない子供たちや年寄りが死んでいくためだ。
ニコラスに調べてもらったところ、乳幼児の死亡率も高く、年に十人以上が亡くなっている。年間に生まれる子供の数は三十人くらいだそうなので、三割以上の死亡率だったのだ。
すべての原因がトイレ事情にあるとは限らないが、少なくとも衛生管理という概念を村人に植え付けられれば、小さい子供を守ることができると思う。
俺は執務室に入ると、父の前に行く間に気合を入れ直す。
気合を入れた俺は大上段に構えて「父上にお願いがあります」と話を始めた。
「我が家のトイレを改善したいのです」
思ってもみない俺の言葉に、父は椅子から滑り落ちそうになる。
「ト、トイレ……なのか? それが今日の視察の結果だと……」
何とか言葉を搾り出した父に、俺は大きく頷く。
「はい。難しい言葉ですが、“衛生管理”という考え方があります。これは身体や環境を清潔に保つことによって、病の発生を抑えるというものです」
父はさっぱり分からないと言った感じで、両手を上げる。
「はいじーんまねじめんと? 体をきれいにすることと、病が関係あるのか?」
「はい。病の元は不潔なものに多くあります。特に糞尿には多くの病の元があるのです。その病の元が口から入ると腹を下したり、熱を出したりします。大人なら少し調子が悪いくらいで済みますが、小さな子供はそれだけでも死ぬことがあるのです」
「そうなのか? 確かに子供はよく熱を出すものだが、それは当たり前のことではないのか?」
「いいえ、病には必ず原因があります。必ずしも糞尿がすべての原因ではありませんが、今の状態はよくありません……」
俺は屋敷のトイレがいかに不衛生で、病気の元になりかねないということを、父に力説した。
現状では外に放置された排泄物が雨で流れるまで放っておかれ、更に雨水と共に道や家の周りに流れだしていく。
今のところ井戸に汚水が侵入している形跡はなかったが、いつ汚水が入り込んでもおかしくない。
更に子供たちは地面にあるものを平気で手につかむ。その地面が汚染されていたら、そして、その手を洗わなかったら……
大腸菌などの細菌が、どの程度の期間、地面で生きていられるのかを俺は知らない。しかし、村の状況をみれば子供が細菌に侵され、病気になってもおかしくないと考えた。
「ですから、トイレの下に樽か桶を置いて排泄物を受け、定期的にそれを処分します」
「樽を置くのは良いが、すぐに一杯になるのではないのか? 処分と言っても、そのような病の元の塊をどうするつもりなのだ?」
「樽に溜まったものは、屋敷から離れた場所にあけた穴に埋めます。その際、森の中にある落ち葉の腐敗したもの、腐葉土を上からかけておきます。こうすることで排泄物は分解して、臭いもなくなり、更には畑で使える肥料に変わっていくのです……」
俺が提案したのは、汲み取り式のトイレと微生物による分解だった。
うろ覚えだが、腐葉土の中には微生物が多く、コンポストのように分解を促進してくれるはずだ。
「今のトイレの場所をきれいにしてからでもいいですが、トイレを外に作ったほうが早いかもしれません。樽か桶を置くために床を高くする必要がありますし、このあと、村に広めるためには、同じようなトイレを作ろうと思っていますから」
村を視察した時、村人がどうやって用を足しているのか確認していた。
聞いて見てビックリしたのだが、家の外の畑の草むらや木陰で用を足しているとのことだった。
父は村に広めるという話には疑問を持っていたようだが、屋敷内に作ることについては、許可を出してくれた。
俺は設計図を書くための紙と筆記用具を貰い、父の執務机の上に乗って図面を引き始める。
(羽根ペンに羊皮紙か。書きにくいけど、何とかなりそうだな。定規代わりにナイフを借りて……)
ペンを持ちながら、頭の中で描いた図面を引いていく。
(大きさは二メートル×一メートルくらい、床高さを一メートルとして高さは三メートルくらいか……。百リットルくらい入る樽だと背が高いから、口の広い桶にするか。運ぶのに台車に載せないといけないから……最初から台車とセットにしておけば便利だな。そうすると床高さをもう少し……)
俺はよく引っ掛かるペンに四苦八苦しながら、三面図でトイレの図面を書いていく。
俺の横では父がそれを興味深げに見ていた。
「その図面はどう見るのだ? ああ、前と横、それに上から見た図面か。なるほど……」
しきりに感心している父が少しうるさいが、二十分ほどで大まかな図面を書き上げる。
そして、穴の大きさと通気口の構造、桶の材質の注意点なども書き入れていく。
「こんな感じですが、場所はお任せします。できれば、従士たちの家の近くにも同じものを作ってください」
「分かったが、どう説明したものか……」
(そうだよな。父上の発案では無理があるよな……ウォルトたちにもカミングアウトした方がいいかもしれないな……)
「父上に相談があります。私の秘密を従士たちに話しておいたほうがよいのではないかと。そうすれば、私が説明できます」
父は少し考え、「そうだな、ニコラスは気付いているかも」と呟き、
「父上に相談しよう。何ならベルトラムにも話しておいたほうが良いだろう。あまり広めたくはないが、従士たちは家族も同じ。ベルトラムも父上との友誼を考えれば信用できる」
祖父と父は俺の秘密を従士とその妻に話すことに決めたようだ。
翌日、従士たちとその妻たちが屋敷に呼ばれ、ホールで祖父が説明したようだ。
俺はその場に呼ばれなかったので、どういう反応だったのかは分からないが、その後、ウォルトやモリーに会ったが、いつも通りの反応であり、俺は思わず肩の力を抜いた。
しかし、誰に会ってもいつも通りであり、逆に疑問が湧いてくる。
(いくら、じい様の言葉でも、普通気味が悪いんじゃないのか? それにしては全然対応が変わらないし……)
その疑問は祖父の口から明かされた。
「うちの家臣たちは皆、お前に何かあると思っていたそうだ。儂らと同じ反応だったぞ。はっはっは!」
祖父はそういって大きな口を開け、笑っていた。
(結局、俺の演技は全然、駄目駄目だったってことか……良かったのか、悪かったのか……メルたちにもばれているのか?)
祖父は俺の表情を見て、真剣な表情になる。どうやらお見通しだったようで、
「ロッドには時期を見てマットから話すそうだ。メリッサたちに話すのは、その後にするんだぞ」
確かに家族である兄より先に話すのは拙いと思い、「分かりました」と頷く。
ウォルトとニコラスが俺の図面を持ち、何やら相談している。
俺は遠くから見ていたが、どうしても気になり、
「何か問題でも? 分からないことがあれば、いつでも言ってほしい」
突然声を掛けられたことにニコラスが少し驚くが、ちょうど良かったと、相談を持ちかけてくる。
「図面は分かるのですが、どこに建てたらいいのかと。ウォルト殿は目立たぬ北側がいいのではとおっしゃるのですが、私は林に近い東側がいいと」
どうやら、設置場所で悩んでいたようだ。
「ウォルトの案の方がいいかもしれないね。北の方が手を洗うのに水場が近いから。でも、あまり井戸に近づけないように。大雨で溢れたら水が汚染されるから」
二人は納得したのか、北側のやや下ったところ、屋敷から十メートルくらいの場所に決めたようだ。
(桶の運搬とかは誰がやるんだろうな。村から人でも雇うのかな?)
それについては当面、従士たちでやっていくそうで、ある程度やり方が分かったら、村人に広めるそうだ。
その翌日から、大工も兼ねる木工職人のクレイグが工事を開始した。
従士たちも手伝い、屋敷用は僅か三日で完成した。
図面の通り、床高さは一メートルくらいだったが、斜面を利用したため、階段は三段と少なく済んでいる。
手洗いの重要性も説明してあるため、出入口の横にきれいな水を入れた桶が設置されていた。桶からは柄杓で水をすくって手を洗える。
(できれば両手が洗えるようにしたいんだが、水の補給が問題なんだよな。手をきれいに洗えるよう石鹸でも作るか……)
裏側に回ってみると、肥桶を出し入れするところには道が作られ、馬場の方に向かっていた。馬場に行ってみると、厩の横に廃棄用の穴が作られていた。
ニコラス曰く、厩の臭いがあるから、多少増えても気にならないため、ここに決めたとのことだった。
(よく考えてある。道も僅かに下っているから重い桶を積んだ台車でも楽に運べる……厩の馬糞か。これも堆肥にできるはずだな)
俺は馬糞と牛糞についても一箇所に集め、同じように腐葉土を掛けておくように指示を出す。
(こっちにはミミズでも放り込んでおけば、もっといい土になるかもしれないな)
従士たち用のトイレにも着手し、その三日後に完成した。
家の中や庭で臭いがしなくなり、最初は戸惑っていた家族たちにも好評だった。
但し、雨の日だけは別で、わざわざ雨具であるマントを羽織る必要があることと、足が濡れることが不評だった。
(やはり家の中にあった方が便利だな。冬は大変そうだし。でも、農家の人って真冬でも外だったんだな。雨が降っている時はどうしていたんだろう?)
ちなみに屋敷内にあるトイレはきれいに掃除した後、冬用のトイレを作ることになった。
屋敷のトイレの改善が終わったところで、父と内政担当のニコラスに村人への普及に際し、更なる注文を付けた。
「トイレの改革と共に、以下の点の周知徹底もお願いします。一つ、家畜の糞も同じように集めて処理すること。二つ、手洗いの励行。特に食品を触る際には必ず手を洗い直すこと。三つ、乳幼児及び体が弱っている者には井戸水といえども、生水は飲ませないこと。四つ、食器類は常に清潔に保つこと。五つ、けがをした場合は良く水洗いし……」
衛生管理の基本を書いたものを予め作っておき、それを見せながら説明していく。
二人は訳が分からないという顔をして、唸っている。
「どれも良く分からんのだが、これはすべて必要なことなのか?」
父の疑問に対し、俺は「すべて必要です!」と力強く頷く。
ニコラスも「これをすべて徹底させるのですか……」と困った顔で唸る。
「一度にやらなくてもいいですが、最初の二つは必ず徹底して下さい。これだけでも効果は充分あると思います」
俺の自信たっぷりの説明に、父とニコラスは仕方が無いと言った感じで村人への周知方法を相談し始めた。
こうして、俺のラスモア村改革計画は始動した。
ようやく、内政らしきことを始めたのですが、これを内政チートと言っていいのか疑問です。
まあ、私もそうですが、主人公もかなりの潔癖症なのです。
普通、農業改革とか、税収アップの特産品作り(塩とかガラス製品とか)を最初にすると思うんですが……少しずれているような気がします。
ちなみにトイレの改革で、ドライコンポスト方式も考えたのですが、日本人にはあまりなじみがないので、江戸の汲み取り式厠をヒントに書いてみました。
ご意見、ご感想、お待ちしております。




