第五十七話「里帰り準備」
ティリア魔術学院の六月は、補習の時間に当てられていた。
実技や座学の成績で合格点に達しなかったものが、この時期に補習を受けて進級の条件をクリアする。
もちろん、俺たちのように補習が必要ない生徒にも授業はあった。
それは社会見学のような授業だった。
魔術師ギルドの魔術師は、宮廷魔術師やギルド職員になるだけでなく、地方の魔法の指導者になるものも多い。こういう者たちは魔法だけでなく、座学の授業も行うため、幅広い知識が必要になる。もちろん、中心は座学の授業で受けているような内容――算数、歴史、地理など――なのだが、やはり、実際に現場を見た方がいいという意見があり、社会見学が行われるということだ。
一年生の見学先はドクトゥス市内であり、魔術師ギルドや冒険者ギルド、鍛冶師などの工房、宿や店舗など、十人程度の少人数に分かれて見学する。
二年生以降は見聞を広めるという名目で、近隣の村や街、更には冒険者の街ペリクリトルやラズウェル辺境伯領などに行くことになっている。
言ってみれば、一種の遠足か修学旅行のようなものだ。
四年生以下で遠方の出身者は、この社会見学に参加せず、実家に帰るものも多い。
俺も社会見学にはあまり興味はなかったが、成績表をラスモア村に持って帰る必要があり、終業式のある六月二十九日まではいなくてはならない。
これは俺の成績表というより、シャロンの成績表だ。次席で入学したものの、きちんと勉学に励んでいることを、父親であるガイに報告しなければならないのだ。
俺とシャロンも社会見学という奴に参加してみようと思った。
そのためには十人程度のグループを作る必要があるのだが、ほとんど授業に出ていない俺たちにはそんなグループを作る時間も伝手もない。
諦めようと思った時、クェンティン・ワーグマンが声を掛けてくれ、彼のグループに加わることになった。そのグループには以前クェンティンと一緒にラスペード教授の講義のことを聞きに来たエリオット・ウェントワースと、イシャーウッド参事の娘、アニータ・イシャーウッドもいた。
クェンティンなのだが、月に一度、森に入るようになり、かなり力を付けてきている。更に自主的に図書館で勉強しており、時々、俺たちと一緒に勉強していた。その結果、魔法の知識もかなり増え、もう少し努力すれば、ラスペード教授の講義を受けられるようになるかもしれない。
最初に冒険者ギルドに行ったのだが、俺たちの場合、冒険者ギルドはほとんど職場と言っていい。付き合いのつもりで来たのだが、これが結構面白かった。
何度も来ていると言っても、さすがにギルド長――通称であり、この場合ドクトゥス支部長を指す――の部屋に行くことはないし、素材の買取り後の選別作業なども見たことがなかった。
受付カウンターの内側から、冒険者たちを見るというのも新鮮な経験だった。
俺が受付カウンターの内側にいるとき、一緒に仕事をした二級冒険者のジェラルドが俺を見つけ、
「誰かと思ったら、ザックじゃねぇか。“真闇の小魔剣士”殿が受付してくれるのか。それは光栄だな」
と言って、からかってきた。
俺は微妙な顔で彼を見つめ、返す言葉を見付けられなかった。
そして、更にクェンティンが追い打ちを掛けてきたのだ。
彼は目を爛々とさせ、
「ミスター・ロックハートは凄いな! その歳で二つ名持ちなんだ」
と言ってきたのだ。
もちろん、彼に悪気など全くなく、本心でそう思っているのだろうが、俺は恥ずかしさのあまり、その場を逃げ出したくなってしまった。
他にも、鍛冶や縫製、樽作り、醸造などの各工房の見学を、数日にわたって実施していく。
ラスモア村で見ているものもあるが、さすがに一万五千人の大都市――この世界では一万人を超えれば大都市と言われる――であり、どの工房も規模が大きく、見ていて面白かった。
最後に魔術師ギルドに行ったのだが、対応してくれたのが、教育研究委員会の参事、マイルズ・イシャーウッド氏だった。
参事はワーグマン議員と同い年だと聞いているが、議員よりかなり若く見える。颯爽とした二枚目で、確かに野暮ったいワーグマン議員とは対照的だ。
参事は爽やかな笑みを浮かべ、俺たちに歓迎の言葉を掛けてきた。
「ようこそ、魔術師ギルドへ。見知った顔もいるようですが、一応自己紹介を。私は君たちの学院の管理も行っている教育研究委員会のマイルズ・イシャーウッドという者です。それではご案内しましょう」
人当たりのいいしゃべり方で、彼の本性を知らなければ、いい人だと勘違いしそうだ。
彼の案内でギルド内を見ていくが、忙しそうな職員たちがいるだけで面白いものは一つもない。
今回のメンバーにはエリートクラスの上位者が多いことから、特別に評議会室も見せてもらえた。と言っても、評議会が開かれているわけではなく、十二個の椅子が並ぶ円卓があるだけで、ただの会議室にしか見えない。
「ここで全世界に広がる魔術師ギルドの政策などが決められていきます。この中にも将来ここに座る人が出てくるでしょうね」
イシャーウッド参事はクェンティンと俺をチラリと見てそう言った。
(俺が首席だと知っているのは判るが、どうも彼に注目されるのは気に入らないな。さすがに俺が陰で動いていたことは知らないのだろうが、ワーグマン議員を追い落とすために、俺を利用しようとしてくるかもしれないな……)
クェンティンはイシャーウッド参事のことを家によく来る父親の友人と思っており、参事の視線を受けてもにこやかに笑みを返していた。
(クェンティンが参事の本性を知ったら、どうなるんだろうな。それを言ったら、父親である議員の本性を知ったらどうするのだろうな……)
俺はそんなことを思いながら、出来るだけ目立たないようにしていた。
魔術師ギルドを出たとき、俺はふぅと息を吐き出す。イシャーウッド参事と一緒にいたためストレスを感じていたからだが、それを見たエリオット・ウェントワースが声を掛けてきた。
「ミスター・ロックハートでも、魔術師ギルドでは緊張するんだな。僕は緊張しなかったけどな」
どうやら彼は、俺が偉い人であるイシャーウッド参事に対して緊張していたと勘違いしているようだ。
最近知ったのだが、エリオットはサルトゥース王国――魔術が盛んな北の王国――の伯爵家の次男だそうで、入学後にベネット教諭が言っていた伯爵家の直系と言うのは彼のことだった。
俺がそんなことを考えている間も、しゃべり続けている。
「……まあ、僕は国王陛下にも謁見したことがあるから、ギルドの参事くらいで緊張することはないな……」
俺は幸せな子供だと思いながら、これが普通なんだろうなと考えていた。
(クェンティンやエリオットが普通の十二、三歳の子供の反応なんだろうな。これからこいつらにもいろいろあって、今この時が一番幸せな時間だったということに気付くのだろう。まあ、四十を超えてからだろうが……)
そんなことを考えながら、学院に戻っていった。
トリア暦三〇一三年、六月二十九日。
ティリア魔術学院の卒業式が行われる。
俺たちも在校生として式に出席していた。
今回はワーグマン議員が魔術師ギルド代表として出席しており、学院長以下学院関係者のみならず、卒業生総代として挨拶を行う首席の生徒はガチガチに緊張していた。
(首席で卒業するってことは恐らくギルドの職員になるんだろう。だとすれば、次期評議会議長であるワーグマン議員がいれば緊張しても仕方はないな。卒業式に自分の入社する会社の次期社長が来たようなものだからな……)
つつがなく卒業式が終わり、そのまま終業式が行われる。
終業式は日本の小中学校と同じような感じで、休みの間の注意などがあるだけだった。
終業式終了後、教室で成績表が配られる。
俺は全く気にしていないのだが、成績の下位の者はかなり緊張している。彼らはこの一組であるエリートクラスから一般クラスである二組から五組のいずれかに移る可能性があるからだ。
成績表には学年順位が記されるので、結果は一目瞭然だ。自分の順位が四十位以内でなければ、別のクラスに移ることになる。
とりあえず、席次順に手渡されていくが、以前はあれほど敵視していた担任のベネット教諭も今では普通に接してきている。
彼は「ミスター・ロックハート」と俺の名を呼び、俺は彼のところに向かう。
「君がこの二百八十一期の首席だ。これからも頑張りたまえ」
そう言って筒状に丸められた成績表を手渡してきた。俺は礼を言って自分の席に戻る。
次にシャロンにも成績表が手渡された。
当然、次席なのだが、未だにシャロンは信じられないという表情をし、「私が次席ですか……本当に」と絶句していた。未だに自分が次席であることに慣れないようだ。
その後、帰郷していない生徒たち――三十人ほど――に次々と成績表が手渡されていく。
そして、三十五番目くらいに渡された生徒が成績表を開いた瞬間、泣き崩れた。どうやら、四十位以内を確保できなかったようだ。
後ろを見ると、更に二人ほど涙を浮かべており、最低三人は入れ替わるようだ。
(悔しいんだろうな。この制度は成績の底上げに有効だとは思うが、この年でこういう競争社会を経験するのは酷なような気がする……それを言ったら、元の世界でも同じか)
ベネット教諭から簡単な挨拶があり、それで解散となった。
俺たちが帰ろうとすると、クェンティンが近づいてきた。
彼が「休みは実家に帰るのか?」と聞いてきたので、そのつもりだと答える。少しガッカリしており、話を聞いてみると、休みの間に一緒に森に入りたかったようだ。
俺たちは明日、故郷ラスモア村に向けて出発するつもりでいる。
リディやベアトリスは、明後日の夏至祭を楽しんでからでもいいのではないかと言ってくれたが、俺は出来るだけ早く故郷に帰りたかった。
シャロンも同じ気持ちのようで、結局、明日六月三十日にドクトゥスを出発する。
行きにはシャロンの父で従士のガイ・ジェークスが護衛についてくれたが、今回は俺たちも十分に強くなったことと、三級冒険者のベアトリスも同行することから、従士の護衛を断っている。
卒業式と終業式があったものの、まだ昼前であり、今日中に明日の出発の準備をしておく。
家は二ヶ月くらい空けることになるが、大した物が置いてあるわけでもないので、不動産屋のマクラウドに管理を任せることにしていた。
既に村への土産は買ってあり、本や魔道具、調味料などだ。更にメルとダンへの土産である防水防刃機能のついたマントも準備してある。
このマントだが、メルとダンの分を買う時に、リディとベアトリスの分も買っている。俺がシャロンのマントを買う時に“買ってやる”と言ったのを、リディがしっかり覚えていたのだ。
結局四着で一万C(=一千万円)もの大買い物になったが、活版印刷技術で儲けた金で賄えたので問題はない。
このマントなのだが、ダン用に迷彩柄のウッドランドパターンを作ってもらった。俺にとっては軽い遊び感覚だったのだが、それを見たベアトリスが、大層気に入り、彼女の分も迷彩柄にすることになった。
そこで、更に俺の遊び心に火がついた。
王虎族のベアトリス用に、タイガーストライプの物を作ってもらったのだ。
そこまでは良かったのだが、革防具の職人であるリュファスとラシェルの二人が、このパターンがいたく気に入ったようで、標準デザインとして使いたいと言っていた。そのうち、迷彩柄の革鎧もできるかもしれないが、どうもファンタジーな世界にはそぐわないような気がする。
ちなみにリディはシャロンと同じ濃いモスグリーン、メル用のものは赤みの掛かったこげ茶色の物にした。
俺のマントも新調しようかと思ったが、まだ充分使えるし、周りの反対の声が大きく、買い換えていない。つまり、未だに漆黒のマントを使っているということだ。
翌朝、両隣のノヴェロ家とリトリフ家に挨拶をして出発する。
馬は冒険者ギルドで貸し出している馬を使う。
冒険者ギルドと傭兵ギルドでは馬の貸し出しを行っている。そして、これが便利なところは借りた場所に返さなくてもいいということだ。両ギルドの支部があれば、その場で引き取ってくれ、保証金を返却してくれる。
そして、今回は以前のようにゆっくりと進むのではなく、一日の移動距離を上げるつもりでいた。ドクトゥスからラスモア村までは約三百七十km。前回は大雨というトラブルがあり、十七日も掛かった。今回は安全なアウレラ街道――西の商業都市アウレラと東の冒険者の街ペリクリトルを結ぶ主要街道――では一日当たりの移動距離を四十から五十kmとするつもりだ。ペリクリトルから先のアルス街道――ペリクリトルとカウム王国の王都アルスを結ぶ街道――は、危険が多いため、移動距離を短くするつもりだから、十日強でラスモア村に帰るつもりだ。
朝八時にドクトゥスを出発した。
初夏の爽やかな朝で、出発にはもってこいの天気だ。俺たちはアウレラ街道を東に馬を進めた。
明日は七月一日。つまり夏至の日だ。
夏至の日には各地で夏至祭が行われる。この辺りで一番の街はドクトゥスであるため、昨日から街には人が溢れている。
明日の祭を控えて、街から出発する人たちは少ない。
普段なら主要街道ということもあり、朝のこの時間は荷馬車でごった返すのだが、街道はかなり空いていた。
俺たちは周囲を警戒しつつも、四人での初めての旅行ということもあり、和気藹々と馬を歩ませていった。




