第五十六話「技術の価値」
当面、火曜日の12時に更新します。
兵隊蟻の討伐依頼を受けた後、何度か山にも行った。だが、今のところ、それほど強い魔物に出会っていない。
そうこうしているうちに五月下旬になり、期末試験があった。
筆記試験は相変わらず簡単なもので、俺もシャロンも満点だった。
そして、実技試験なのだが、一年生は魔力操作を見るとのことで、危うくシャロンに首席を奪われるところだった。正確に言えば、試験結果が出るのは六月二十九日の終業式の日であり、結果はまだ出ていない。だが、ラスペード教授の見立てでは、俺が首席なのはほぼ確実だ。
魔力操作の試験は自分の得意な魔法を発動し、いかにうまく制御するかという試験だった。具体的には魔法の命中率などの精度を競う物だ。
威力だけなら負ける気はしないが、精度となると話は変わってくる。特に燕翼の刃の魔法ではシャロンの方が微妙な操作がうまい。
今回、俺が彼女に勝てたのは、目標が固定されていたからだ。固定されていれば、俺でも、ど真ん中に命中させられるから差は出ない。
では、なぜラスペード教授が俺の首席を断言したかと言うと、俺は三羽の魔法のツバメを同時発動させ、すべて的の中央に命中させたのだ。
今のところ、シャロンは同時発動が苦手で、最も得意なスワローカッターでも、二発までしか出せない。それでも、今の魔法の常識から言えば、十分に驚異的なことなのだが、同時発動という観点だけ見れば、俺の方が圧倒的にうまい。
俺は発動後に操作が不要な魔法なら、同時に五発くらい発動できるのだ。
魔力制御というお題に対して、俺のやったことは若干インチキくさいが、同時発動も魔力制御のうちとラスペード教授が太鼓判を押してくれたので、俺の首席はほぼ確実だと思っている。
これが移動する目標なら、シャロンが首席になった可能性が高い。俺もある程度の速度で移動する目標なら、狙ったところに当てられる自信があるが、シャロンの場合、下手をすると、飛んでいる矢にすら当てられるほどの制御を見せる。
もちろん、争いごとを好まないシャロンは自分が首席になろうとは思っていない。特に俺相手に首席を取ったら、卒倒してしまうだろう。そして、首席を返上すると言い出しかねない。
そういう俺にも首席であることに対し、全く拘りはない。
学院の序列が魔術師ギルド内での出世には不可欠のようだが、俺が魔術師ギルドの職員になることはないし、宮廷魔術師になるつもりもない。
今のところ学院にいる唯一の理由はラスペード教授の指導が受けられることだ。教授の指導は一般的なものではないが、俺にとっては非常に判りやすい。特に一つの事例に対して、議論を深めるやり方は技術者時代の設計の打合せにも似ており、新たなアイデアが出てきたり、自分の勘違いを訂正できたりと、とても役に立っている。
そのラスペード教授だが、一月から公開講義を始めている。
学院生全員が聴くことができる講義だが、講堂の大きさの関係で当初、二百人限定としていた。
だが、その受講希望が物凄かった。
まず、最上級生である五年生はほぼ全員が希望し、四年生も八割近い応募があった。更に三年生以下でも二百人近い応募があった。つまり、応募総数は六百人弱、学院全体の六割近い生徒が希望したことになる。
これには学院側も慌てた。当然、ラスペード教授に相談にいくのだが、教授は学院側に任せるとだけ言って相談に乗ろうともしなかった。
埒が明かないと学院長が直談判に訪れたのだが、運が悪いことに俺たちが教授の講義を受けているときだった。
学院長から泣き付かれ、教授は面倒になったのか、俺にこう言って来た。
「君に任せるよ、ミスター・ロックハート。君はこういうことが得意そうだからね」
俺が教授に「私は先生の助手でも何でもないですよ。それに一年生の私が……」と言い始めると、学院長が俺を遮り、
「ミスター・ロックハート。君が何とかしたまえ。必要なら私の権限を使っても良い。これがうまく行かねば、私が委員長に……いや、何でもない」
どうやら、ワーグマン議員を気にしているようで、何としてでも大成功に終わらせたいようだ。
俺は単純に、抽選で二百人に絞ったらいいのではと言ったのだが、
「それでは駄目なのだよ。この公開講義は、やる気のある生徒に対して広く門戸を開き、より深い知識を修得させるという趣旨なのだ。それが三分の一にまで縮小されれば、目的を達しえないのだよ」
一年生の俺にそんなことを言われてもと思わないでもなかったが、俺は次の考えを示してみた。
「そういうことでしたら、先生が三回講義を開かれればよいのではないですか?」
俺がそう言うと、今度は教授が「ただでさえ面倒なのだよ。それを二回も余分にやるつもりはない」と全く取り合おうとしない。
面倒になった俺が「どなたかを先生の担当に指名してください」と学院長に耳打ちすると、彼は俺を廊下に連れ出し、
「ラスペード先生の相手が出来る職員などおらんのだよ。先生は君の言うことなら聞いてくれそうだ。何とかしてくれんか。頼む」
そう言って、俺を拝むように頭を下げてきた。
俺は一生徒、それも最下級生に頼むことじゃないだろうと思ったが、公開講義の発案者でもあるので、仕方なく受けることにした。
それからが大変だった。
六百人が入れる場所は、この学院の中でも一箇所しかない。
それは学生食堂だ。
食堂自体は三百人ほどが一度に食事を取れるようになっているので、テーブルを片付ければ、何とか全員入るはずだ。
だが、それだけで教授の講義が開けるというものではない。
講義自体は一時間の一コマだけなのだが、準備と後片付けの手配も必要だ。これはさすがに職員に丸投げするが、それでも問題はあった。
この世界には当然のことながら、マイクもスピーカもない。
六百人を相手に肉声で講義を行うのはかなり無理がある。更に講堂のようになっているわけではないから、後ろの席からは二十m近く離れるので、持ち込まれた黒板の文字は見えにくいだろう。
まず、教授に拡声の魔道具がないか確認したが、見たことが無いと言われてしまった。
魔道具の専門家である教授が知らないのであれば、拡声の魔道具は存在しないのだろう。
二十mくらいなら教授の声はよく通るから、私語とかが無ければ、何とか聞こえるはずだ。黒板の文字も大きく書いてもらえれば、何とか見える。そう思うことにした。
だが、教授の講義はかなり高度な内容になるはずだ。恐らく四、五年生でも理解が追いつかない可能性がある。
俺は要約を作ることを考えた。これがあれば、ある程度ついていけるだろうと思ったのだが、これも大変だった。
まず、コピー機のような便利な物がない。
この世界の書物はすべて手書きで木版印刷すら使われていないのだ。A4一枚ものくらいのレジュメを作るにしても、それを六百枚用意しないといけない。
俺は木版印刷を目指したのだが、彫刻のうまい人を見つけることが出来なかった。仕方なく自分でやろうと思ったのだが、そこで閃いた。
木の板を使う必要はないのではないか。金属性魔法を使って金属板で作れないかと考えたのだ。
A4サイズくらいで厚さ二cmくらいの分厚い鉄の板を用意してもらう。そして、教授の手書きの原稿をその上に貼り付ける。
文字の部分を丁寧に切り取っていく。この作業は器用なシャロンにやってもらった。
鉄の板には文字部分だけが残り、板の上から厚さ五mmくらいの感覚で金属を面に対し垂直に抽出していく。抽出の魔法は直接手に触れる必要があるので、紙部分には鉄が残る。ここで注意しないといけないのは、垂直に魔法を掛けないと文字部分の下が削れてしまうので、文字が切れてしまう。
何度か失敗し、一枚の鉄板版画を作成した。
簡単に書いたが、実技の時間のほとんどを費やし、魔力を限界まで使う非常にしんどい作業だった。そのため、風呂当番をリディとシャロンに代わってもらう必要があったほどだ。
教授はその様子を興味深げに見つめており、版画が完成し、試し刷りしたときにはかなり驚いていた。
「これは凄い発明ではないかね! 学問の発展に革命的なものだよ。うむ、さすがはミスター・ロックハートだ。これは是非とも普及させるべき技術だよ!」
確かに印刷は学問の発展には必要だろう。紙の製造は魔法で比較的容易に出来るので、金属版画で本が出来れば一気に本の価格が下がる。
俺はそれに頷いたが、全部終えた後にあることに気付いた。
(これなら活版印刷にした方が良かったな。文字も簡単だしな……この面倒な金属版画を普及させても誰かが思いつくから、活版印刷を普及させてしまおうか……)
俺は活版印刷を普及させることを決めた。
そして、肝心のラスペード教授の公開講義だが、整理券などを配ったわけではないので、予定人数より多くなってしまった。それに気づいた俺や職員たちはかなり焦ったが、何とかうまく押し込め、大成功のうちに終わった。
ただ、講義中、俺とシャロンを教授の横に座らせ、何かあるたびに質問してくることには参った。俺は何とか後ろまで聞こえる程度の声でしゃべれたが、シャロンはいつもより更に小さな声になり、俺が通訳のような感じで話すことになったのだ。
何となく、教育番組の生徒役のようで、とても居心地が悪かった。
その後も月一回のペースで公開講義を行っているが、毎回大盛況で準備が大変だった。そのことを教授に零すと、「助手になれば手当てを弾むよ」と言われてしまった。
俺は活版印刷を普及させるため、魔術師ギルド評議会議員、ピアーズ・ワーグマンを動かすことにした。
昨年十月に同級生のクェンティン・ワーグマンの遭難事件から、出来るだけ顔をあわせないようにしていたため、数ヶ月会っていない。
それでも、俺が魔術師ギルドを訪ねると、すぐに面会が叶った。どうやら、未だに借りがあることを気にしているようだ。
簡単な挨拶の後、ストレートに話を持っていく。
「魔術師ギルドに非常に役に立つ技術を考えました。買って頂けませんか」
そして、サンプルとして作った活版印刷用の活字とはめ込み用の板を見せる。
「この活字を文章通りに並べていきます。そして、このように嵌め込み……これで印刷すれば、本の製造が飛躍的に容易になります。いかがでしょうか?」
議員は驚愕の表情でそれを見つめてから、大きく頷く。
「確かにこれは非常に役に立つ技術だ。君はこれをいくらで買って欲しいのかね?」
正直、俺はこれで金儲けするつもりはなく、いくらでも良かった。それにこの技術は金属性魔法を使うだけで、それほど複雑な物ではない。ここで議員がいらないと言って、自分で開発したことにして、アイデアを盗むことも出来る。
「閣下の評価額なら、いくらでも。たとえ、一e(=十円)でもお売りしますよ」
俺はワーグマン議員に貸しがあることを気にしていた。今回のアイデアで議員が借りを返したと思ってくれればいいと考え、彼の言い値に乗ると言ったのだ。仮に本当に一eでも問題はない。ただ、その時は彼が俺を敵に回すつもりだと認識するだけの話だ。
議員にも俺の意図が理解出来たようで、「本当に君を相手にするのはやりづらい」と苦笑いした後、三十秒ほど考えてから、
「一万C(=一千万円)でどうかね? 教育研究委員会の予算から出すには、これが限界なのだ。次年度の支払いでいいというなら、もう少し上乗せできるが」
議員は俺を試すようにそう言った。
(俺がどう答えるかを試すつもりのようだな。次年度でもいいと言わせておいて、予算が取れないと言えば、結局金額は変わらない。俺のいくらでもいいという言葉の真偽を確かめるつもりなんだろう)
「それで構いません。というか、もう少し下げて頂いてもいいですよ」
俺は軽い気持ちでそう言ったのだが、それは失敗だった。
「そうかね。ならば、多いと思う分はギルドの魔術師の技術指導をしてもらおう。私には判らんが、かなり難しい加工に見えるからね」
議員は俺に技術指導をやらせるつもりで誘いをかけたようだ。
(相変わらず、面倒な御仁だな。まあ、元々そこまで面倒を見るつもりだったから、別にいいのだが、やられっぱなしというのが癪に障る……まあ、これで対等という感じだな。議員も俺に借りがあるとはもう思わないだろう)
議員はすぐに職員を呼び、その場で契約書を作成させた。
俺は出来上がった契約書を二十分以上掛けてじっくりと確認していった。
作った職員は俺が理解できないと思って、説明しようとしたが、俺と議員に睨まれて黙ってしまった。
(契約の履行条件は問題ない。瑕疵についての条文も問題ないだろう……ここだけが問題だな)
俺が目を上げると、ニコニコと笑っている議員と、イライラとしている職員の姿があった。ギルド職員は忙しい議員を二十分以上無駄に拘束する学院の生徒に苛立ちを覚えていたようだ。
俺はそれに気付かない振りをして、問題点を指摘した。
「この条文、第六条ですが、“乙は甲の金属性魔術師に技術を移転すること”とありますが、ここが問題です。技術移転を名目に“乙”である私がいつまでも指導し続ける可能性があります。そこで、技術移転の定義を明瞭にすること、甲であるギルドは誠意を持って能力のある魔術師を選定することと明記してください。技術移転の方法については、乙が甲の魔術師の技量が十分であると認めること、又は、修得に掛ける時間は計二十時間以内とすることと追記していただきたい」
議員は吹き出しながら、「やはり気付いたかね」と言い、職員に修正を命じた。
職員は俺と議員の会話に目を丸くしながら、契約書を作り直していく。その間に議員が真面目な表情で、
「この発明は歴史に残る発明だよ。この印刷法の名を“ロックハート印刷”と名付けよう。それだけの価値があるものだ」
俺はこれ以上目立つのは勘弁して欲しいと、「普通に“活字印刷”か“活版印刷”でいいです」と言って固辞した。
俺はそのやりとりをしながら、この発明がこの世界にどう影響するか考えていた。
(書籍の値段が下がれば、飛躍的に知識の拡散が進む。そうなれば、教育水準が上がり、数学や物理といった自然科学が革新的に発展するかもしれない。この先、魔法の素養が無いものでも使える科学技術の発達が進む可能性があるな。いや、魔法と科学が融合した新しい技術かもしれない……今回はちょっと早まったかもしれないな……)
契約書ができ、問題ないことを確認すると、俺とワーグマン議員がサインを行う。
サインを終えると、俺たちは立ち上がり、握手をした。
「また、君に借りが出来たようだ。ただし、私個人ではなく、魔術師ギルドがということだがね。この発明はそれだけの価値がある」
俺は「教育の発展に使うなら、報酬はいりませんから」と言って、彼の部屋を出て行った。
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ザカライアス・ロックハートが私の部屋を出て行った。
残された職員が「彼があのロックハートですか」と聞いてきたので、
「ああ、あれがあのロックハートだよ。あの外見に騙されると酷い目に遭うから注意したまえ」
私にしては珍しく職員の言葉に付き合ってしまった。
だが、彼に言ったことは本心であった。
もし、彼が私と同じ歳であったなら、私はマイルズ――参事のマイルズ・イシャーウッド。ワーグマンの学院の同期――のような嫉妬に狂った男になっていたかもしれない。
我が息子クェンティンがロックハートに対して持っていたライバル心は、大きく燃え上がる前に消えた。これは息子にとって大いなる僥倖だろう。




