11.境界線!
「――まあ、冗談はともかく」
ケイイチはほっとした。
どうやら「その手があったか」は、早乙女シキなりの冗談だったらしい。表情がまったく変わらないので冗談なのか本気なのかさっぱりわからないが。
「隠れてこそこそやるのは嫌だから。だからすっぱりやめたの。未練は……ないと言えば嘘になるけれど。でも一年前はそうすることが正しいと思ったから」
口調も静かで、表情も変わらない。
だが発せられる言葉に揺らぎはなく、環境やその他の要因で「仕方なくやめた」のではなく、自分で決めてやめたのだろうと察することができる。
意思は硬いのだろう。
「イッキ」
もう行こう、とケイイチは続けようとした。決めたのであれば、これ以上しつこく言っても仕方ないだろう。
だが、イッキは相手の気持ちを汲もうともせず、偉そうに腕を組んだ。
「今はどうだ?」
「今?」
「一年前は【ユニオン】をやめるのが正しいと思った、だろ? 今はどうなんだ? 一年経った今も、まだやめるべきなのか?」
一年。
その区切りは、ケイイチにとっても無視できるものではない。
子供の一年は長い。この町に越してきてからのケイイチは、良い方向に変わった。周囲の環境は当然として、自分自身も多少は変わっただろうと思う。少なくとも学校が嫌じゃない。
端から見ると、イッキは諦め悪く下級生に絡んでいるように見えるのだろうが、……まあ実際も自分の物欲のために動いているのでそうなのだろうが、その言葉は苦し紛れの詭弁よりは強い説得力があった。
「今、か……」
早乙女シキは小首を傾げる。
「そうだね。今は多少違うかもね」
――離婚が成立した当初は、痛々しい心の傷を窺い知れた母親だが、今は表面上は元気に見える。内心はどう思っているかわからないが、少なくとも一年前より悪化はしていないだろう。そしてシキ自身の心も、一年前に【ユニオン】を置いたあの頃と比べれば、だいぶ気持ちに整理がついている。
そんなことを考えた早乙女シキは、「今なら再び【ユニオン】に触れてもいいかもしれない」と思い始めた。
この一年は考えないようにしていたが、未練が残っているのだ。
その未練は、離れることになる父親への想いと一緒に、【ユニオン】を置くことで断ち切っていた。
父親への想いはもういい。
毎日は会えないが、月に一度会えることに、もう慣れた。
だがもう一つの方は、どうにも忘れがたいようだ。こうして誘われた時点から、心の底に沈めていた一年前の未練が色鮮やかに浮かんできている。
再戦を約束していたライバル。
無理やり自分の弟子を自称し始めた、年上の友人。
1000番以内入りを果たした時に祝ってくれた人たち。
ずるずる引き摺るのも嫌だったし、何より当時は母親も自分も余裕がなかったせいで、知り合いへ別れの挨拶さえせず【ユニオン】を封印してしまった。
今更連絡を取っても仕方ない気はするが、それでも未練は未練だ。
一度気にしだしたら、どうにも気になってしまう。
まあ、なかなか断ち切れないから未練なのだろうが。
「明日、もう一度来てくれる?」
今の気持ちを見据え、考えたシキは、かすかに笑った。
――親の許可を貰ってくるから、と。
翌日、早乙女シキは封印していた【ユニオン】を持って登校していた。
約束通り今日もやってきたイッキとケイイチは、これで助っ人の目処が立ったと肩を撫で下ろす。
「予想通り、だいぶ鈍ってるけれど」
ケイイチに調子を聞かれたシキは、そう答えた。
【ユニオン】には自動更新機能がついている。特定エリアで、自動的にデータを更新するサービスだ。バージョンアップやメールマガジン、イベントの紹介、その辺にいるプレイヤーの対戦者探し、最新ランキング更新などなどだ。
シキは一年以上【ユニオン】の電源を入れていなかったので、ランキングから外れていた。順位変動が激しいせいもあり、一ヶ月更新しなければネット上のランキングデータが消える仕様になっているのだ。たとえ1000番以内でも例外はない。
昨日は難儀した。
作り上げた【ヴィジョン】は久しぶりの再会に、へそを曲げたかのように思い通りに動いてくれなかった。再び慣れるまでに二時間を要した。
ようやく動きだけは一年前のあの頃に追いつけたと思うが、しかし勝負勘はまた違う。一年前には感覚と経験でできたことが、果たして今できるだろうか。できる自信はあまりない。
「お母さん、何か言ってた?」
ケイイチの問いに、シキは「特に何も」と首を振る。
昨日、シキは母親から使用許可を貰った。まあそもそもを言えば、禁止されていたわけではないのだが。
少しでも嫌そうな顔をしたら、諦めようと思っていた。
わりと度胸が据わっているシキでも、いざ話そうという時は緊張した。痛々しい母親の心の傷に触れるんじゃないかと心配していた。
そして、そんな娘の緊張を知ってか知らずか、母親は笑顔で「やればいいじゃない? そういえばどうしてやめていたの?」と拍子抜けするような返事をくれた。
(――おかあさんは鈍くないから)
娘が【ユニオン】を置いた理由くらいは察していたはずだ。だから一年間、持ち歩かなくなった【ユニオン】のことには何も触れなかったのだ。
果たして許可した心が本心からなのかどうかはわからない。が、もしかしたら心のどこかでは「そろそろ先に進もう」という気持ちが、お互いあったりするのかもしれない。
「それより勝負だろ勝負! おまえ1000番以内まで行ったんだよな!?」
イッキはシキの家庭の事情にはあまり興味はないらしい。本当に心の機微に鈍感な奴である。
「行ったけどれ、今はランク外だよ」
「いいからその腕見せろ!」
イッキは強引にシキの手を掴み走り出した。シキは引かれるまま走り出し、遅れたケイイチも慌てて後を追う。
気がはやるのはイッキだけじゃない。
ケイイチだって元1000番以内クラスの実力を生で見るチャンスに心踊り。
早乙女シキも、一年でどれほど腕が落ちているのか、昨日から気になって仕方なかった。
屋上には、朝も早くからバトルに興じる子供たちが集まっていた。
一年前、シキもここの常連だった。【ユニオン】を置いたあの日から一度も来ていなかったが、雰囲気は何も変わっていない。
イッキを先頭にした三人は、自然と学年で区分されている最も奥の六年生スペースへ行き、【ユニオン】を装着した。
「上位100組以内でカードが貰えるんだよね?」
一応、シキはイッキらが参加したいと言っていた、チャレンジイベントのことも調べてきた。
「県じゃないんだよね? 全国で100組以内なんだよね? だったらかなり厳しいね」
恐らく一秒どころか、コンマ一秒の差でかなりの差がつくはず。あの手のタイムアタックはそういうものだ。最高タイムを目指して何度もチャレンジすることになるだろう。
シキは、やや不安だった。
一年のブランクは軽くないことを、昨日久しぶりに使ってみて思い知った。一年前は指先まで正確に動いてくれた【ヴィジョン】はまったく言うことを聞かないし、それに休んでいた一年間で新しいカードも発売されている。自分の知らない戦法や戦術がたくさん生まれているに違いない。
腕も知識もかなり錆び付いている。
この分では、イッキらの足を引っ張ってしまうのではないか――そんな不安があった。
腕を期待されて助っ人に呼ばれているのだ。足を引っ張るなんてことになれば、それこそ恥ずかしくて、かつてのライバルたちに顔向けできなくなる。
「もう話はいいから出せよ! おまえの【ヴィジョン】を!」
この小学校で最強である相手を前に、イッキは待ちきれないようだ。
まあ、戦えばわかることだ。
ブランクも、どのくらい衰えたかも、今の第二小学校の実力も。
「――【斬斬御前】」
早乙女シキが呼ぶと、【それ】が現れた。
何もないそこから、摺り足の歩みからゆっくりと姿が浮かび上がる。
青白いとまで言えるほどの白い肌に、それを際立たせるような長い黒髪を首の後ろで一つにまとめた女性だった。前を併せた白い和服と緋袴、千早を羽織った巫女姿である。見た目は普通の人間にしか見えないが、異様なのは顔にかぶった狐面と、白木柄と鞘の一振りの刀である。
鞘ごと左手に刀をぶら下げ、狐面の巫女は静かにそこに立っていた。
【斬斬御前】。
これが、一年前は天才プレイヤーと言われた早乙女シキの相棒である。……今は若干機嫌が悪いが。
「それじゃやろうか。……一年ぶりだからお手柔らかにね」
勝負は……いや、勝負にさえならなかった。
「……い、今、何した……?」
時間にして3秒ほどである。
【キャラメル】を使用して突っ込んだ【無色のレイト】は、何が起こったのかわからないまま、バトルフィールドから姿を消した。
負けたのだ。
バトル参加者であるイッキは元より、傍から油断なく見ていたケイイチにも、何が起こったのかまったくわからなかった。
何せ【斬斬御前】が動いたようには見えなかったからだ。
何かしらの攻撃をしたのだろうとは思うが、何をしたのかさっぱりわからない。
――居合い斬りである。
かつては神速とまで言われた、抜き手も見せないし空を切る音も置き去りにする速度の一閃だ。――相棒はまだへそを曲げているのか、現役時代に比べて少し遅い気がするが。
「……あれ?」
驚愕する少年たちをよそに、シキは拍子抜けしていた。
「もしかして、まだ境界線越えてないの?」
境界線――それは一人での【百人組手】突破のことである。あそこが一人前と半人前の線引きになっている。
一人どころか、実際は四人掛かりでもまだ未達成である。
レベルが違う。
たとえ一年間のブランクがあろうと、イッキたちとは圧倒的にレベルが違う。
「これが元1000番以内の実力か……」
驚いたし、格が違うこともはっきりわかった。
だからこそ。
「……おもしれーな」
「ああ、面白いね」
少年たちは燃え上がった。
圧倒的な実力差なんてすぐに埋めてやる、という闘争心が燃え上がった。
心が折れるなんてとんでもない。
この早乙女シキを相手に何度もやりあえば、もっとずっと早く、強くなれることがわかっていたから。
まあ、それはいいとして。
「これじゃまずいね」
と、早乙女シキはたった数秒のバトルをこなし、早々に【斬斬御前】を引っ込めて【ユニオン】を外した。
「あ、おい待て! まだバトルやるぞ!」
「待てイッキ! 次は僕だぞ!」
先を争うイッキたちに、シキは言った。
「やらないよ」
外した【ユニオン】をケースに収め、代わりにメガネを掛ける。
「山本くんたちの相手は私じゃないでしょ。まず【百人組手】をクリアしてきて」
「「えっ」」
さらりと簡単に言われてしまったが、それこそイッキらの超えられない壁であるからして。
「できないなら、カードは諦めた方がいいよ。100組以内に入るなんて絶対に無理だから」
「そんなのやってみないとわかんないだろ!」
「わかるよ。だって私より強い100組くらいたくさんいるから」
全国百位以内を目指す――その現実がはっきり見えていたシキは、「それを目指す」と言ったイッキらにはそれ相応の実力があるんだと思っていた。ランカーとまでは行かないが、それなりに戦えるんだと。
だが、今の一戦でよくわかった。
イッキらはまだまだ初心者か、論ずる暇も惜しいくらいの経験不足だと。
たとえ【斬斬御前】の攻撃をかわせないまでも、何をしたのかわからない、というレベルでは話にならない。
一緒に遊んでブランクを取り戻そうと思っていたシキだが、この実力差では一緒に遊んでいてもお互い訓練にならない。いっそ一人で訓練した方が効率的だろう。
「時間はまだあるじゃない。二週間。そしてイベント中の一週間。ギリギリまで粘れば約三週間ある」
強い風が吹き、シキの髪が舞い踊る。
「その間に私はブランクを埋める。この一年で発売されたカードのことも勉強したいし、現ランカーの動きもチェックしたい。山本くんたちは【百人組手】をクリアするだけの実力を身に付けて。本気でカードが欲しいなら、それが最低ラインだよ」
やるべきことはたくさんある。計画的にこなしていかないと時間が足りない。
そんなシキの提案に、少年たちは頷いた。
「わかった。それでいいぜ」
「僕も異論はない」
二週間後の再会を約束して、元1000番以内と別れた。
「おい早乙女! おまえ二週間後にまた勝負だからな!」
「次は僕からだから」
「なんだよケチ! ケーチのケチ!」
「なんと言われようと僕からだから」
みにくい言い争いを始める少年たちを置いて、少女はその場を後にした。
やるべきことはたくさんある。
特にシキは、一年分の作業が滞っている状態だ。
「……まずはメールかな」
【ユニオン】にはフレンド登録という機能がある。登録している者同士であれば、簡易的なメールやボイスチャット等のやり取りができるというシステムだ。
その機能の中に、フレンドが接続・更新したら報告がある、というものがある。
一年前、何も言わずに【ユニオン】を置くという勝手と不義理をしたシキだが、かつての旧友たちは当然のようにフレンド登録を消すことなく、そのまま残していたようだ。
昨日、【ユニオン】を起動させてから、ひっきりなしにメールがやってきている。
急に連絡が取れなくなるという顔向けできないことをしてしまっただけに、そして弱くなった自分を晒したくない、というシキのプレイヤーとしてのプライドが邪魔をして、メール内容を確認するどころか、なかなか返信する気にもなれなかったのだが。
未だ無反応のシキにしつこくしつこく、そろそろ100通を超える簡易メールが届いている。もはやこのまま無視していても旧友たちは諦めることはないだろう。
そろそろ返さないと、本気で怒られそうだ。
いや、まあ、一年も放置していたのだから、すでに怒り心頭かもしれないが。




