錆びた銅貨の一秒
書き貯めの在庫が尽きてしまいました……。
今月の目標として毎日投稿を掲げているので頑張ります。
おそらく誤字、脱字が多くなるかと思いますがご了承くださいませ。
濁った泥水が、爆発的に跳ね上がった。
夜明け前の薄暗い廃坑最下層。
膝まで浸かるほど水没した冷たい区画で、銀狼と化したアワユキが水面を蹴り立て、銀色の弾丸となって疾走する。
狙うは、眼前に立ちはだかる巨大な魔道ハンマーを担いだ少女――ボタン。
「単純やでぇ、獣」
だが、アワユキの直線的な軌道は、後方に立つ痩身の男――ザックによって容易く読まれていた。
ザックは常に笑みを浮かべているような糸目を細め、指先に挟んだ絵札を軽やかな手つきで弾く。
札が空中に展開されると、緑色の円環状の術式が浮かび上がった。
無機質な詠唱の代わりのように圧縮された突風が生み出され、真横から銀狼を容赦なく殴りつける。
『グルァッ!?』
強烈な風圧に空中の軌道を強制的にズラされ、体勢を崩したアワユキ。
その眼前を、空気を圧殺するような巨大な影が覆い尽くした。
「えーいっ! ぺしゃんこになっちゃえ!」
無邪気で愛らしい声。
だが、それに似合わぬ凶悪な魔道ハンマーが、ボタンの特殊な義手によって軽々と振り抜かれた。
ドゴォォォォンッ!
破滅的な衝突音が赤銅色の空間に反響する。
アワユキの巨大な体は、水飛沫を引き連れてコンクリートの壁へと激しく叩きつけられた。
壁面が蜘蛛の巣状にひび割れ、瓦礫が泥水へと崩れ落ちる。
重々しい水音を立てて落下したアワユキは、そのまま泥の底へ沈むかに見えた。
ザックとボタン。
戦術家と破城槌。
彼らの連携は、付け入る隙がないほどに完成されている。
だが、アワユキは絶対に膝を突かなかった。
『……グルルルゥゥゥ……ッ」
泥水に半ば顔を沈めながらも、その喉の奥から獲物を威圧するような重低音が響き渡る。
銀の尾が水面を激しく叩き、ひしゃげた足で無理やり身を起こす。
限界を超えた彼女の傷口からは、高純度の銀色の魔力が極寒の冷気となって漏れ出していた。
ピキ、ピキピキピキ……ッ。
彼女の足元から、淀んだ水面が急速に凍りついていく。
痛ましいまでの執着が、空間の温度を力ずくで奪い、周囲を白く染め上げていた。
「……っ、ふぅぅ……」
少し離れた瓦礫の影。
身を潜めていたページは、浅くなりかける呼吸を強引に押さえ込んでいた。
スラムの裏通りでチンピラをあしらうのとは次元が違う。
盤面を完全に支配する戦術眼と、それを実行できる圧倒的な暴力。
完成された『殺し合いのプロ』が放つ死の気配に、生物としての本能が警鐘を鳴らす。
だが、ページの目に迷いはなかった。
先ほどの落下直後、アワユキに提示した起死回生の作戦。
彼女は自分の狂った作戦に躊躇なく命を預け、文字通り囮となって突っ込んだのだ。
ならば、泥の街の運び屋として、相棒との約束を違えるわけにはいかない。
(よし、あいつらの目は今、完全にアワユキに釘付けになってる。……あとは俺が――)
ページは泥水に浸かった瓦礫の中から、鋭く尖ったガラス片を拾い上げた。
冷たく震えようとする右手に力を込め、一切の躊躇なく、自らの左腕を深く切り裂く。
傷口から溢れ出したのは、毒々しい青鈍色の燐光を放つ魔力の液体だった。血の共有により、アワユキと命を繋ぎ合わせた今の彼から流れる血は、もはやただの赤ではない。
ぽたり、と。
その青い血が、冷たい水面に落ちる。
ジュワッ!!
魔力が焦げたような異音と共に、水面から青い蒸気が立ち上った。
同時に、アワユキが受けた壁に叩きつけられた激痛が、共鳴を通じてページの神経を直接焼き焦がす。
「ッ――!!」
ページは顔を激しく歪め、奥歯が砕けそうなほど噛み締めた。
だが、決して膝はつかない。
その僅かな異変に即座に気付いたのは、後方で盤面を俯瞰していたザックだった。
瓦礫の影から立ち昇る青鈍色の蒸気と、異常な魔力の光。
それは先ほど少女が銀狼へと変異した際と、酷似した波長だった。
「アカン……こいつも変身する気や!?」
ザックの目に致命的な錯覚が走る。
抜け目のない知略型の賞金稼ぎである彼だからこそ、この得体の知れないイレギュラーな事態を極端に警戒した。
彼は、今まさに銀狼へトドメを刺そうとハンマーを振りかぶったボタンへ向けて、鋭く叫んだ。
「ボタン!そっちはええ!先に裏の奴を潰せ!!」
「えーっ!?せっかくの獲物なのに!」
不満げに頬を膨らませながらも、ボタンは相棒の指示に絶対の信頼を置いている。
即座に標的を変更し、巨大なハンマーを担ぎ直して泥水を蹴立てた。
一直線に跳躍。
空を覆う異形の少女。
肉塊すら残らないほどの重圧。
足が竦むほどの死の恐怖。
だが、ページは顔を上げ、爛々とした目でボタンを見据えた。ギリギリまで、限界の限界まで、死の圧力を引きつける。
(……今だ)
ページは右手の親指に引っ掛けていた、『錆びた銅貨』を、天に向かってピンッと弾き飛ばした。
――チィィン……。
重苦しい水音と暴力の気配に支配された空間に、場違いなほど高い金属音が響き渡る。
「効かないよ!」
本能的に音に反応したボタンの視線が、空を舞う小さな銅貨へと釣られた。
彼女は邪魔な羽虫を払うかのように、空中の銅貨に向かって巨大ハンマーを無造作に振り抜いて弾き飛ばす。
だが、それこそがページの狙いだった。
自身の顔の前に巨大なハンマーを振り上げたことで、ボタンの視界は一瞬、完全に塞がれる。
完璧な死角。
そして、その一瞬の隙を、底に沈んでいた銀の獣が逃すはずがなかった。
パァンッ!!
凍りついた水面を蹴り砕く破裂音。
限界まで身を沈めていたアワユキが、自らの命を推進力に変換して発射された。
『退けッ!!』
少女と獣の声が混ざり合ったような、低くドスを効かせた咆哮。
弾丸のような体当たりが、無防備なボタンの胴体に真横から深々と突き刺さる。
「が、ぼァッ!?」
鈍い音と共に、ボタンの小柄な体が巨大なハンマーごと吹き飛び、廃坑の奥深くへと沈んでいった。
「チィッ!ボタン!!」
虚を突かれたザックが舌打ちと共に風の札を放つ。
「見え透いたブラフに引っかかるとは、ワイも焼きが回ったわ!」
不可視の刃がページの頬を浅く掠め、赤い血を散らす。衝撃でページは水面へと無様に転がったが、致命傷には至らない。
その直後、限界を迎えていた廃坑が牙を剥いた。
崩落で開いた天井の穴から、冷たい大粒の雨が滝のように降り注ぎ始める。
アワユキの極寒の冷気と、工場の熱気が入り混じる空間を、容赦のない雨が洗い流していく。
泥水の中から身を起こしたページは、頬の血を拭いながらザックを見据えた。恐怖を乗り越え、不器用な相棒との計算を成立させたその瞳には、もはや逃亡者の怯えはなかった。
アワユキが放ち続けていた極寒の冷気と、水面を焦がすページの青鈍色の血の熱。
二つの異質な温度が、降り注ぐ雨を巻き込んで爆発的に膨れ上がった。
シュゥゥゥゥッ……!
再び、濃密な霧が水没区画を完全に覆い尽くす。
「……チッ、アカン。完全に目隠しやな」
視界を奪われたザックは、これ以上の戦闘は不利と即座に断じた。
重傷を負って水面でもがくボタンの襟首を、その痩身に似合わぬ力で引き上げると、白銀の闇の向こう側を鋭く睨みつける。
「……食いそびれたわ。運び屋の兄ちゃん、今回の勘定は高くつかせてもらうで」
苛立ちを押し殺した独り言と共に、泥水を蹴る足音が徐々に遠ざかっていった。
プロとしての冷徹な損切り。
もはや追手の気配はない。
静寂が戻った。
残されたのは、天井の崩落跡から降り注ぐ、雨だれの音だけ。
「……はぁ、はぁ……」
ページは泥水の中から、ボロボロの身体を執念で引きずり起こした。
全身の骨が軋み、傷口からは熱が逃げていく。
霧の向こう側で、魔力を使い果たしたアワユキが元の少女の姿に戻り、糸の切れた操り人形のように倒れ伏していた。
「……ほんと、割に合わねぇ仕事だ」
ページはふらつく足取りで彼女に歩み寄り、冷え切ったその小さな体を、自身の熱が残る腕で抱き寄せる。
痛々しい傷跡。
だが、その胸には確かに微かな、それでいて確かな鼓動があった。
彼はそのまま、暗い廃坑の通路から、冷たい雨の降る外の世界へと、重い足取りで一歩を踏み出した。
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