7:可哀想なクロエ(1)
それからの日々はもちろん、平穏無事……に過ごせるはずもなく。
クロエは体調が回復した翌日には親族や友人たちから送られてくる手紙に返事をし、翌々日には改めて仲人を務めた王妃への謝罪と報告に出向いた。
またその一方で領地では収穫祭が開かれ、そこでライルとクロエの結婚が発表され、それと同時に次期当主がライルになったことも報告し……、と実に慌ただしい日々を過ごした。
「気がつけば、結婚してもうひと月も経つのね」
忙しいと時の流れは一瞬だ。じきに冬がやってくる。
クロエは屋敷のコンサバトリーで、陽に当たりながら優雅に新聞を広げるライルにお茶を出した。
「何を見ているの?」
「今週のトップ記事だよ。『シルヴェスター家のスキャンダルに領民たちからは不安の声』、だってさ」
ライルは、まるで人ごとのように大見出しを読み上げた。
「そりゃあ、不安にもなるよなぁ。次期当主がこんなチャランポランな男となれば。……ククッ」
「笑い事じゃないでしょう」
となりに座ったクロエは、当事者意識に欠けるライルの態度に大きなため息をこぼす。そして彼の手から新聞を取り上げた。
「『次期公爵は失敗作のライル・シルヴェスター』、『遊び人と噂の彼に領主が務まるのか』、『ライルは当主の座を奪うため、オスカーを唆し、追放したのではないか』……。ですって。いいの?好き放題に書かれているけれど」
「いいよ、別に。事実だし」
「どこが事実なのよ。こんな適当な記事」
「でも皆んな、品行方正で優秀な兄さんに期待していたんだ。不安がるのも当然だろう?」
「だけど……、これは流石に無礼だわ。ライルのプライベートな情報まで載ってるし。やはり抗議すべきよ」
「気にすることはない。その新聞社はこういうのが売りなんだ」
「でも……」
「クロエは心配しすぎだ。こんなの、一種のエンタメだよ。貴族のゴシップは民の娯楽でもあるからな。だから放っておけばいい。読み手もこれが誇張された表現であることはちゃんとわかってるさ」
「そうかしら……」
「それに、俺としては期待値は低い方がありがたいしな」
「どういう意味?」
「期待値が低かったら、普通のことをしただけでも褒めてもらえるってことだよ。ほら、例えば不良少年がちょっと人助けをしただけで、周囲の人間は誉めそやすだろう?あれと一緒。だからきっと、シルヴェスターの失敗作である俺は、特に努力しなくても普通に領主として振る舞うだけで評価されるんだ。ありがたいことじゃないか」
ライルは楽勝だなと笑う。そんな彼に、クロエはなんとも言えない気持ちになる。
こんな風に書かれても飄々としていられる彼が、クロエには理解できない。
「あなたがそんなだから、お義母様も心配が絶えないのね」
「……何か言ってたのか?」
「ライルは普段はあんな風に振る舞っているけれど、本当はとても優秀でとても優しい子なのよって。だから、ライルのことを嫌わないで欲しいって。どうか妻として支えてあげて欲しいって」
「はっ!どの口が言っているんだよ!」
「ライル……」
「クロエ。母さんの言うことは気にしなくていいぞ」
自分の息子が結婚式を台無しにしたのに、代わりに当てがった次男のことを妻として支えろだなんて。厚顔無恥も甚だしい。本来ならば、シルヴェスター家はクロエに何も強制できないし、してはいけないはずだ。
ライルは口元に笑みを浮かべながらも、怒気の孕んだ声色でそう言った。
「俺はクロエに妻の役割も、次期公爵夫人としての役割も押し付けるつもりもない」
「……」
「君は今まで自分を律して努力し続けてきたのだから、これからは自由気ままにのんびりと過ごして欲しいんだ」
今まで、オスカーのためにしてきた努力は彼の逃亡により全て無駄になった。ならばせめて、これからは何にも縛られず、心穏やかにのんびりと過ごしてほしい。それはライルの優しさだった。
けれど、クロエはその彼の気遣いを跳ね除けた。
「ライル。それはあんまりだわ」
「何が?」
「私は公爵夫人となるためにずっと勉強してきたの。それなのに貴方はその努力して得た知識を使うなと言うの?無駄にしろと言うの?」
「そ、それは……」
「私は自分がしてきた努力を無駄にしたくはないわ。それに……」
クロエは新聞をソファに投げ捨てた。そして彼の黄金の瞳をジッと見据えて、優しく微笑む。
「妻が夫を支えるのは当たり前のことよ」
「クロエ……」
「それとも、貴方は私の夫ではないの?」
「夫だよ。結婚したのだから、俺は君の夫だ」
「じゃあ、私には貴方を支える義務があり、権利があるわ」
「……権利?」
「私は当主となる貴方を支えたいと思っている。それは今までの努力を無駄にしたくないという思いもあるけれど、一番は貴方の力になりたいからよ」
「……やめてくれよ。俺は、君に支えてもらえるほど立派な男ではない」
「いいえ、立派よ。とても立派。次期当主に相応しい能力と人格を持っているわ」
クロエはそっとライルの顔に手を伸ばす。そして愛おしそうに軽く頬を撫でた。
「ライル。もういいのよ」
「……」
「次期当主はもうオスカーじゃない。貴方よ。ライル・シルヴェスターよ。だから……、もう悪ぶらなくていいの」
「……別に悪ぶってなんていない」
酒に女にギャンブルと、娯楽に目がない愚か者。品行方正な兄とは真逆の遊び人。シルヴェスター公爵家の失敗作。出来損ない。恥晒し。
そんな風に言われているライルが、本当のライルではないことなんてクロエは始めから知っている。
「次男は優秀であればあるほど、苦労するものね」
「……やめろよ。そういうことを言うな。俺のこと、好きでも何でもないくせに」
どうかこれ以上、好きにさせるのはやめて欲しい。
ライルはクロエの腰に手を回し、少し強引に抱き寄せた。そして彼女の首筋に顔を埋める。
髪からはオスカーが好きだった甘い花の香りはしなかった。
代わりにライルの好きなベルガモットの爽やかな香りがする。
ああ、本当に。この女は何故いつもこうなのか。
「……ラ、ライル?」
「やめろよ。そういうところだぞ」
「そういうって、どういうことよ」
「だからだよ。だから……、好きなんだよ」
真実を見抜く碧い瞳が好きだ。周りに何を言われても決して流されない芯の強さが好きだ。自分の発言に誠実なところが好きだ。
抑えきれない想いがライルの口から溢れ出る。
「好きだよ、クロエ」
「は、離して……」
「いつから好きなのかわからないって言ってたよな?初めからだよ。俺は初めから、君が好きだった」
耳元で囁くライルの吐息がくすぐったい。クロエは無意識に声を漏らした。




