1-30 精霊の愛し子
蔓薔薇に巻き付かれ血を流す大司教を、無表情で見下ろすリップルは、いつもの可愛らしい姿ではなかった。
豊かな薔薇色の長い髪。花びらを思わせる、柔らかく体を覆う豊かな布地は、半透明のようでいて透けていない。瞳はガラス玉のように輝いていて、でも、恐ろしいほどに冷たかった。
リップルは、静かに大司教を見下ろした。
『その力、覚えているわ。はるか昔、人間界で生きると決めたお姉様にお父様が渡した、お父様の力の塊。お姉様の夫となる者が、お姉様と同じように生きられるよう、お姉様を守れるようにと力を与えたもの。それを――私達精霊がそれと分からないよう、こんな風に隠蔽の術と共に結晶化して誤魔化して使うだなんて』
「ぐあああぁぁぁ!!!」
大司教が身体中から鋭い棘の蔓薔薇を生やし、狂うような痛さに身悶えている。その恐ろしい光景に、聖職者達は後ずさりを始めた。
『――大聖堂の中で、私達が見えないところで、お姉様にこんな酷いことをしていたなんて。挙句の果てに、その力でお姉様まで殺そうとするなんて……お姉様の希望したことだから、これまで我慢してきたけど。もうやめたわ』
そう言うと、リップルは両手を宙に翳した。突然、宙に聖水晶が幾つも現れた。丸く大きいもや、欠けたもの、そして床に落ちていた首飾りが、ふわりと宙に浮かぶ。
「うわあぁぁぁ!」
ユリウス様が急にうずくまった。手から血が滴り落ちる。そして宙には聖水晶の指輪も加わった。
そしてそれはぐるぐると周り、一塊の大きな聖水晶となった。リップルの手にふわりと引き寄せられ、触れる寸前でゆらりと浮かぶ。それは先程までの硬質さは無く、不思議な色に光り輝き、ゆらゆらと形が定まらなかった。
『……こんなものが人間の手に渡っているのがいけないのよ』
リップルの、今まで聞いたことのないような悔しさの滲むその声に、私は思わず一歩前に踏み出した。
「リップル……」
『……アニエスはこの世界にいて幸せ?』
リップルの静かな声が、私に向けられる。振り返ったその顔は、悲しそうだった。
『アニエス、貴女は精霊の愛し子。精霊王の娘である私のお姉様の魂が宿った、精霊にとって、とても大切な存在なの。それはアニエスが望む望まないに関わらず、死ぬまで変わらないわ。人が生みの親を選べないように、アニエスが特別な魂であることは、変えられない』
ふわりと大きな聖水晶の――精霊王の力の塊を浮かせたリップルは、私の元へ音もなく歩み寄ると、そっと私の手を取った。
温度のないその手が、優しく私の手を包む。
『人間界にいれば、必ずまたその力――精霊王の娘であるお姉様の魂の力を求められるわ。あなたを操り富や力を得ようとする者が、必ず現れる。あなたは――アニエスは、それでも幸せ?』
小さな精霊達がぴょんぴょんと近寄ってくる。
楽しそうに、嬉しそうに。
緑の精霊が手に持つ薬草は、私が薬草園で育てていたものだ。
貴重な、育てるのが難しい薬草。
のびのびと育ったそれは、ただ私の管理が上手だったからだけなのだろうか。
『後ろの白装束の者たちは、愛し子が何が出来るのかを知っている。その知は必ず次の者へ受け継がれるわ。人はそれが得意だから……人間界にいれば、その繰り返す人の欲からは逃れられない』
ガラス玉のような瞳が私を見つめている。
深い海の底のような、高い空の果てのような深みのある瞳は、人のものとは違う、何かを見ていた。
『――帰ろう、アニエス……ううん、お姉様。精霊界なら、人間に搾取されることはないわ』
「か、える……?」
『大丈夫、何日か精霊界にいれば――この世界の事なんて、数日で忘れるわ』
その意味を理解して、焦りつつも、待って!と口にするけれど。
その声は、無意味な世界に響いた。
その時にはもう、私の身体は、美しいけれど人の気配が無い、知らない世界にあった。
読んでいただいてありがとうございました!
大司教倒したと思ったら、まさかの……
「えっ、待って、精霊界に帰るって!?ディカルドは!?えっ離れ離れ!??」と慌ててくださった神読者様も、
「おのれ大司教、貴様のせいだ。恥を知れぃ!」と上様のようにブチギレてくれた優しいあなたも、
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