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1-27 大聖堂の闇

 王宮からほんの少し馬車で移動した王都の中心地に、その大聖堂はあった。


 美しいアイアンフェンスと、模様を描くように配列された石畳に囲まれた大聖堂は、壁面の白い石材にふんだんに彫刻があしらわれている、歴史のある佇まいだった。


 馬車停めから大聖堂の門まで、聖職者達がずらりと並んでいる。


「さぁ、こちらですアニエス様」


 美しい顔で微笑むユリウス様が、私をエスコートしようとして手を差し出すけれど。やっぱりその手を取る気にはなれなくて、スッとその横を通り過ぎた。


 大聖堂は、大きくて。豪奢な屋根の向こうに、高い塔が見える。


 精霊に祈りを捧げるための、聖女の塔。この大聖堂の中で、唯一精霊に会える場所。


 アイアンフェンスの手前に、不安そうな小さな精霊達が集まって、私を見上げている。それなのに――大聖堂の敷地の中には、一匹も精霊達はいなかった。


「アニエス様?」


「……いえ、何でもありません。行きましょう」


 大聖堂の門をくぐる。美しいエントランス。そこにも、やっぱり精霊達はいなくて。小さい頃に感じた不気味なほどの静けさが、大きな建物全体を覆うように満ちていた。


「さぁ、こちらです。まずは湯浴みをしてゆるりと寛いで下さい。本日はお疲れ様でした」


 そう甘く微笑むユリウス様から少し距離を取りつつ、促されるまま、やってきたメイドに従う。


 花の香りのする浴槽。滑らかで上質な、聖女を思わせるような気持ちの良いローブ。髪を香油で梳かれ、指の先まで磨かれて、別の部屋に通される。


 清廉な、でも明らかに高級感の漂う美しい部屋。私の部屋だというそこは、とても上質な空間で。


 そして、やっぱりどこにも精霊たちはいなかった。


「夜会では、お食事もあまり取れなかったですよね?軽くご用意致しました。どうぞ遠慮なくお召し上がり下さい」


 そう優しく微笑んだユリウス様が、私を食事の前の椅子に促す。


 サンドイッチに、野菜スープに紅茶。柔らかく煮込まれた羊肉に、瑞々しいサラダ。


 そこへ向かう途中、ふと美味しそうな香りの中に違和感を感じて、歩みを止めた。


 ――――まさか。


「アニエス様?どうされました?」


「いえ……なんだかあまり食欲がなくて」


「そうですか……では、スープや紅茶だけでも」


 そう優しく私を誘導するユリウス様に、申し訳なさを取り繕った表情を向ける。


「ごめんなさい、少し休みたいの」


「そうですか……分かりました。では、少しこのままここに置いておきますので、ご気分が向いてきたら遠慮なく召し上がってくださいね?また来ますので、どうぞごゆっくりお休みください」


 そう言うとユリウス様はメイド達に頷くと、部屋を出ていった。メイド達は無言で部屋を整えるよう動いてから、同じようにそっと席を外した。


 誰もいなくなった部屋で、そっと部屋の外の様子を窺う。鍵がかかっているようだが、近くには見張りもいないようだった。まさか、一人にしてくれるなんて。この状況であれば、ベッタリと監視されるのだろうと覚悟していたのに。どうして――


 そう疑問に思ったところで、恐ろしい違和感を感じた。まさか、ここまで。慌てて姿勢を低くして、ローブの布地で口を覆う。


 甘い香り。これは――間違いない。


 思考と理性を混濁させる、ケトロシヤの種子から作られる精神薬。燃焼させたケトロシヤの煙に強い薬効がある。厳重な管理の元、痛みや恐れを減らすために手術に使うものなのだが、別の顔もある。


 洗脳薬。ケトロシヤの香は、そう呼ばれていた。


 ――だから、みんなこの部屋から出ていったのね。


 姿勢を低くして香の在処を探す。ケトロシヤを燃やして空気中に出る薬効成分は、軽さがあり通常上の方から充満する。できる限り空気を吸わないよう姿勢を低くして辺りを探すと、それは思ったよりも簡単に見つかった。


 ベッドサイドにあった美しい香炉に、食事用のスプーンを持って近づく。息を止めて、香炉を開け、燃えている中心部分をそっと掬い取った。


 ――何か、代わりになるもの……


 スプーンを香炉の横に置き、使われていない暖炉の隅から灰をかき集め、残りのケトロシヤの香と入れ替え、スプーンの上の燃えたケトロシヤを上に戻す。ほんの少し灰の色が違うけれど、詳しい人で無ければ恐らく判別はつかないだろう。


 窓を開けようとして、辺りを見渡してゾッとした。


 窓がない。


 こんな大きな部屋なのに、ここには、一つも窓が無かった。


 ――前聖女様は、もしかして、ずっとこうして……


 恐ろしい事実に鳥肌が立つ。


 大聖堂だなんて、清廉な響きを纏っているけれど。実際は、愛し子を囲い込み薬漬けにして思いのままに操る、汚い鳥籠だったのだろう。俄には信じがたい事実に、息が震える。


 許せない。


 ギュッと手を握る。


 だから、精霊がいたらいけないんだ。精霊達が、愛し子にこんな事をするのを許すわけがない。


 ここで、思うままに操った愛し子を塔の上へ登らせ、ほんの少し精霊と会わせて、願い事をさせる。それをさせるための場所が、きっと、この大聖堂という場所だ。


 震える己を叱咤する。気を強く持て、アニエス。ケトロシヤは解毒処理をしないままであれば、長期に体内に留まり効果を発揮する。これが繰り返されるのなら、私だって時間の問題だ。いつまでも暖炉の灰での誤魔化しは効かない。なら、今やれることをやって、全力でここから逃れるしかない。


 誰もいない部屋を見渡す。換気は諦めて、空気が薄まるまで、できるだけ姿勢を低くして過ごすことにした。ケトロシヤの香は少量しか燃えなかったし、恐らく大きな影響はないだろう。このまま誰も入ってこれないなんてことはないだろうから、じきに空気は入れ替わるはずだ。


 ローブの布で口を覆ったまま、そっと食事に近づき、紅茶の香りを嗅ぐ。


 ――紅茶とスープにはエトリヤ草……パンにもそのまま練り込んでいるわね。


 エトリヤ草もケトロシヤと同じ、洗脳に使われる意識を混濁させる薬だ。燃やすことではなく、経口摂取だが。


 少し考えて、部屋の中をざっと見渡してからカップを手に取った。紅茶とスープは観葉植物の土へ染み込ませ、具材が見えないよう更に上から土を被せる。パンは問題のない中身を食べてから、パンの部分だけを机にあった便箋で包み、枕の中へ隠した。


 他の物には薬物は入っていないようだった。少し悩んでから、気をつけつつ全部美味しく平らげる。味は悪くない。良かった。お腹空いてたのよ。


 ふぅ、と椅子の背もたれに身体を預けた。


 ――これで、教会の人たちは私が薬を摂取したと思うはず。それできっと、何らかのやり方で、私を洗脳しようとしてくるはずだわ。


 椅子から立ち上がって、ベッドへ向かう。少しグラリとして、慌ててテーブルに手を付いた。


 ――やっぱり、ほんの少しケトロシヤを吸ってしまった。


 しっかりしてと、自分を奮い立たせながらベッドに辿り着き、ボスン、とベッドに顔を埋める。この高さでいれば、まだマシなはずだ。


 ――この後、洗脳しようとしてきた教会の奴らに、すっかり言うことを聞くようになったと見せかけて、油断させる。それから、この事実をディカルドやアレクシス殿下へなんとかして伝える。そうすれば、きっと……


 シーツをかぶり、ぎゅっと両手を握り合わせた。


 抜け出すチャンスは、きっと、一度しかない。


 謁見の間。


 明日、大聖堂から出ることができる、その一瞬に賭ける。私は決意を胸に抱き、ぐらつく意識の中、そっと目を閉じた。


読んでいただいてありがとうございました!


なんという闇……

「いや酷すぎるでしょう」と大聖堂の闇っぷりにドン引きのあなたも、

「処理の上、完食するアニエスの図太さよ」とアニエスの強さに感心してくださったあなたも、

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また遊びに来てください!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 妖精さんの無表情……暴れていいんじゃないかな^^ 愛し子を返せって、暴れていいんじゃないかな^^(そそのかし)  [気になる点] 歴代の、愛し子の夫。聖女が「おかしい」の知ってたのか、知ら…
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