1-26 狂犬の妻
眩しい光がユリウス様の手の指輪から放たれ、会場の人々がこちらを驚いたように見ている。
そして、待ち構えていたように、沢山の白い法衣の聖職者達が踊り場へ雪崩込んできて、一斉に私に跪いた。
「聖女アニエス様、この時をお待ちしておりました。御身をお探しするのに時間がかかりまして申し訳ございません」
ユリウス様が、跪きながら、恭しく祈るように私に言った。
「前聖女様が旅立たれてからずっと、聖女様――アニエス様をお待ちしておりました。私も、教会の者も、民もです。少しずつでも構いません。どうぞ、我々をお救いください」
そうして再び頭を下げるユリウス様や沢山の聖職者達の様子を、信じられない気持ちで眺める。
その向こう側で、薬師長やダカール様が、驚いたようにこちらを見ているのも分かった。
――精霊の愛し子であることが、知られてしまった。
その事実が、足元からじわじわと這い上がってきて、私の身体を冷やしていく。
大聖堂が、目の前に迫ってくるようだった。
精霊が、いない場所。レックスに、会えない場所。自由のない場所。
――ディカルドと、過ごせない場所。
その悲しみに、目を伏せる。やはり隠し通せなかった。沢山の人達に光を見られ、大勢の跪く聖職者達に囲まれた。もう言い逃れはできないだろう。
輝く光に驚いたのか、精霊たちも遠目にこちらを見ている。
もうすぐ、独りになる。沢山の人に囲まれながら、何故か強い孤独が私を襲ってきた。
不意に、ぽん、と暖かい腕に支えられた。それから、肩をぎゅっと抱き寄せられる。
「すみません、少し手加減していただけませんか。妻が驚いています」
静かに、でも毅然と響く、ディカルドの声。そして、抱き寄せられた肩から伝わってきた暖かさに、冷静さを取り戻した。
そう、まだ諦めるな。大丈夫だ。約束したもの。
何があっても、私の帰る場所は、この腕の中だ。
負けるな、負けるな。大丈夫。私は、今回もきっと、乗り越えられる。
ぐっと、お腹に力を入れて、踏ん張って両足でしっかり立った。
そう、こんなことで負けたりしない。だって、私は――アニエス=オーギュスティンなのだから。
「……どうして突然、私が聖女となるのですか?」
静まったホールに私の声が響く。そう、まだツッコミどころなんて沢山ある。そう首を傾げながら困惑顔で言い放つと、ユリウス様がにこやかに顔を上げた。
「実は、私の指にはまっている指輪は、聖水晶の指輪なのです。それが光り輝いたので、間違いなくアニエス様が聖女様ですよ」
「指輪?指輪ではなくて、あちらにあるのが聖水晶ですよね?」
「えぇ、あちらも聖水晶なのですが、私のこの指輪も聖水晶なのです、聖女様」
「……私はまだ、聖女の職を受け入れていません」
そう静かに言い放って相手の出方を見る。ユリウス様は困ったように笑った。
「それは大変失礼致しました。少しずつ慣れていって頂ければ問題ございません。我々も尽力致しますので」
「では、家に返してくださいますね?」
「家に……ですか?」
ユリウス様の表情がわずかに揺れ動いた。そのほんの少しの様子に、確信を強める。この人は、なんとかして今すぐ私を連れて行こうとしている。
――大聖堂には、やはり何かある。
得体の知れない、大聖堂の中。聖女として入ったら、二度とそこから出てこられないという、精霊のいない場所。
ユリウス様はもう一度、綺麗な顔でにこやかに笑った。
「そうですね……相談次第ですが、時々ご自宅へお帰りになる事も検討してもいいかもしれませんね」
「本日は急ですし、自宅に帰ります」
「困りましたね……掟では、聖女様を発見してすぐに大聖堂で保護しなければならないのです」
まるで小さい子を諭すように優しく私を説得するユリウス様の目が笑っていない。やはり、私を何とかして大聖堂へ連れていきたいのだろう。相談次第で本当に家に返してくれるのかも怪しい。
囚われたら、だめだ。そう頭の中で、本能のような何かが激しく警鐘を鳴らしている。
ぐっと手を握ると、肩の手が、私を宥めるようにそっと動いた。ディカルドの低音の毅然とした声が静かに響く。
「ユリウス殿、それはあまりに突然過ぎるのではないですか?アニエスはオーギュスティン家の次期当主である私の妻です。それを私の許可無く家に返さないとは、いくら教会といえども目に余ります」
そうしてディカルドは私と一瞬目を合わせて微笑んでから、もう一度強い視線でユリウス様を見た。
「――今日は結婚後、初めての妻との夜会だったのです。あまり水を差して欲しくないのですが」
「それは大変失礼致しました。ですが、」
「私は妻を手放すつもりはありませんよ」
ピシャリと言い放ったディカルドの強い言葉に、その場に重い沈黙が流れる。
「……聖女様は大聖堂にお入りになるというしきたりがございます」
「なぜ聖女の務めは大聖堂で行わなければならないのですか?別に我が邸でも構わないでしょう」
「……掟がございます」
「その掟がある理由は?」
ユリウス様は無言でディカルドを睨みつけた。一歩も引かないディカルドは、冷めた表情でユリウス様に静かに視線を返した。
「無意味な掟など不要です」
そう言い放ったディカルドは、ユリウス様を冷たく見つめ、しっかりと私を抱き寄せたまま動かない。ユリウス様は美しい瞳を細めてその様子を眺めてから、ふぅ、と息を吐き出した。
「――聖女様は第二王子とご婚約されることになります。これは、王家の命。気持ちはわかりますが、貴族の義務をお果たしください」
「うーん、別に僕はディカルドの妻をよこせなんて命令してないけどな」
脇から軽やかな声が聞こえてきた。サラサラの金糸の髪の毛を揺らしたアレクシス殿下が、穏やかな笑顔で輪の中へ乱入してくる。
「ごめんね、ユリウス。僕は友人の妻を奪い取るような下衆にはなりたくない。別に聖女が僕の妻じゃなくても構わないだろう?」
「……御冗談を。王家と教会の繋がりを強固にすることは大事なことではありませんか」
「そう?教会が王家と繋がることで、確固たる権力を手に入れたいからなんじゃないの?
「何を、おっしゃいますか」
「僕自身は君たちの権力は別に欲しくないんだよね。それに王家としてはオーギュスティン家と対立するのは好ましくない」
そう言うと、ディカルドと私の側に立ち、白い法衣の聖職者達と対峙した。
「久々にこの国に精霊の愛し子が見つかったんだ。君たち教会が盛り上がるのもわかる。でも少し落ち着いて考えないか?アニエスだってオーギュスティン家だって、急に聖女になってくれと言われても困るだろう」
「――仰る通りだ殿下。我が教会の者たちが申し訳無かった」
重厚な声が響き、聖職者の人々が2つに割れ、一人の人物を先へと通す。
豪華な法衣を纏った恰幅のいい薄白髪の男。大司教アゾリアーヌ・ロドリゲスは、鷹揚な態度でゆっくりと私達の前へ進み出た。
「ディカルド殿の仰ることもご尤もだ。急に奥方を奪うような態度を取ってしまい誠に申し訳ない。教会を代表して謝罪しよう」
ゆっくりと薄白髪の頭を下げた大司教は、神妙な顔つきで再び顔を上げた。
「しきたりについても仰る通りだ。古い、意味の無いしきたりは見直さなければならない。そちらについては、このアドリアーヌが責任を持って処理しよう」
バサリ、と豪華な法衣を翻した大司教は、その場に跪いた。静かな面持ちで、アレクシス殿下とディカルドを見上げる。
「だが、どうしても本日だけは、聖女様――いや、愛し子アニエス様を大聖堂へお連れしなければならないのです。前聖女様からの教えを引き継いでいる我々から、アニエス様へ聖女の勤めをすべてお話する必要がある。アニエス様が聖女としての勤めを担って頂けるかどうかは、前聖女様の教えを聞いていただいてからご選択頂くので構わないでしょう。どうか、前聖女様からのご遺言通り――本日は大聖堂へお越し頂きたい」
そう言うと、聖職者達を促し大きく膝をついて、ひれ伏すように頭を下げた。
「――どうぞ、今宵一晩で良いのです。王族も貴族も、我々教会も、皆この国に身を捧げる公僕の身。聖女様は……愛し子様は、この国の光なのです。この国の未来のため、どうぞ一晩、アニエス様を我々教会へお貸しいただけませんでしょうか」
今や王子と同等とまで言われている権威のある大司教がひれ伏す異常事態に、会場は水を打ったように静まり返った。
自分の息遣いさえ大きく響く気がして、息を潜める。
一晩だけ。ほんの一晩だけ大聖堂へ来てほしい。その小さな願いに反して、恐ろしいほどの懇願だった。
大聖堂へ行ってはだめだ。内側から湧き出るその直感だけは変わらない。だけど。
――この懇願を避けることはできない。静まり返ったディカルドとアレクシス殿下の空気に、そう悟った。
アレクシス殿下の、はぁ、という重いため息が聞こえる。
「明朝、十の刻までだ。その時刻に謁見の間へアニエスを連れてこい。話がしたい」
「――アニエス様のご準備を考えると、大聖堂の方が宜しいのですが」
大司教が答えるまでに、ほんの少しの間があった。その考えているような間に、ひやりとする。
やっぱり、この人達は――私を、大聖堂から出すつもりがない。
ゾクリとして、震える。それに気がついたのか、ディカルドが、そっと私の肩を撫でて引き寄せた。そして、大司教へ冷めた強い視線を向け口を開いた。
「まだ聖女の任についていない妻を大聖堂の中に留めておく理由はないでしょう。それに、一晩の約束だ。謁見の間へお送り頂くのに何か問題が?――それとも、アレクシス殿下に大聖堂へわざわざ出向けと、そう仰っているのか」
「……いや、大変失礼した。謁見の間に十の刻にアニエス様をお送りしよう」
ほんの少し、苦々しさの滲み出た大司教の返答。ゆっくりと立ち上がった大司教は、初めて私の方を見た。
冷たい、ブルーグレーの瞳は、絡みつくような強さを持っていた。
「……さぁ、アニエス様。行きましょう」
目を細めて笑い、一歩踏み出して手を差し出すその優しげな表情に、何か黒い影のようなものが見えて。
私はスッと一歩後ろへと引き、しっかりと大司教を見据えた。
「お待ち下さい」
「……まだ何か?」
「夫と二人で話をさせてください」
ほんの一瞬、大司教の表情に苛ついたような感情が見えた気がしたけれど。大司教は微笑むと、どうぞ、と手を向こう側へと向けた。
「そうですね、ご夫婦で話したいこともあるでしょう。ただ、皆待っておりますので、ホールの中の見える位置でお願いしたい」
「……分かりました」
そっとディカルドを見上げる。ディカルドは、静かに頷いて私の肩を抱いたまま、皆から少し離れた位置に、私を連れて行ってくれた。
「――やっぱり、ダメだったね」
苦笑しながら笑い飛ばす。ここに来るまで、もしかしたらと淡い期待も持っていたけれど。薄々気づいてはいた。現実は甘くなかった。
悔しくて、寂しくて、俯く。今夜は――もしかしたら、明日からも。ディカルドとは、もう一緒にいられないかもしれない。
「――アニエス」
そっと、ディカルドの長くて硬い指が、私の目を拭った。見上げると、ディカルドは寂しそうな――でも、優しい表情で笑っていた。
「約束、忘れてないよな」
大好きな赤銅色の強さのある瞳が、私を見下ろしている。涙を拭った大きな手が、私の頬を優しく撫でた。
「どんな事があっても、必ず取り戻すから。だから、諦めるなよ」
「――うん」
次いで浮かんで来ようとした涙を飲み込んで、ディカルドに笑いかける。
「ディカルドこそ忘れないでよね。私は、窓でも壁でも突き破って、必ず帰るから。……私の夫は、ディカルドだけだよ」
「……俺の妻も、ずっと、アニエスだけだ」
そう言って私を優しく見つめたディカルドは、次いでゆっくりと愛おしそうに私の手を持ち上げると、左手のルビーの結婚指輪に口付けを落とした。
柔らかく押し当てられたディカルドの唇が、そっと指から離れる。
その、優しいぬくもりが、離れていくのが嫌で。私は体当たりするように、ディカルドに抱きついた。
珍しく、少しよろめいたディカルドは、そっと私の背中に腕を回すと、一拍おいて、ぎゅっと、力強く私を抱きしめた。
「――離したくない」
「……私も」
「あいつら、絶対ぶっつぶしてやる」
「そうよ、コテンパンにしてやりましょ」
また浮かんできた涙をディカルドの胸に染み込ませて、笑い飛ばす。
この腕の中は、いつだって本当に暖かい。
必ず、帰ってくる。私のいるべき場所。
「あいつらの弱みを握って帰ってくるから、ぶっ潰す計画は抜かりなくやるのよ?」
「お前こそ、ドジすんじゃねぇぞ」
「余裕よ。私を誰だと思ってるの?」
もぞりと動いて、顔を上げた。ディカルドの顔をニヤリと笑って覗き込む。
「狂犬の妻、アニエス=オーギュスティンよ」
「――頼もしいな」
ディカルドは、眩しそうに目を細めてから私のおでこにキスを落とすと、同じようにニヤリと笑った。
「じゃあ、奴らをぶっ潰しに行くか」
「えぇ、そうしましょ」
多分、この時の私の顔は、ディカルドにそっくりの悪役顔だったんじゃないだろうか。
「――行くか」
ディカルドの強い視線に導かれるように、白い法衣に見を包んだ大勢の聖職者の群れと対峙する。大司教が、待ちかねたように法衣を翻して、私に手を差し伸べた。
「では、行きましょうか、アニエス様」
「……分かりました」
一拍置いて、ディカルドの腕の中から、一歩前に進む。
冷たい空気が、さっきまで暖かかった肩を、ひやりと冷やしていく。
そっと、ディカルドへ振り向いた。
「――行ってきます」
「ああ、行って来い」
目を細めて笑うディカルドに、笑顔を返す。
「さぁ、アニエス様。こちらですよ」
ユリウス様がエスコートをするように優しく手を差し出した。それを、スッと素通りしながら、大勢の聖職者が導く方向へ足を進める。
背後に、大司教とユリウス様が続く。
遠巻きに私を見ている精霊たちが、名残惜しそうに追いかけてくる。
離れた大きな花瓶の花の上では、リップルが恐ろしいほどの無表情で、私たちのことをじっと見ていた。
読んでいただいてありがとうございました!
遂にアニエスとディカルドが離れ離れに……
「まじかよぉぉぉ(´;ω;`)」と泣いてくれた優しい読者様も、
「その薄白髪毟り取ってくれよう」と大司教へ熱いヘイトを放つ読者様も、
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