◆不老不死でも歳は食う
◆不老不死でも歳は食う
《1》
【……それだけ?本当にそれだけなのかい?】
スピシールは拍子抜けして、涙目で訴えかけてくる少女の言ったことを繰り返した
暁の魔女が少女の躰に再び潜り込んでから、少しだけ室温が上がった気がした
残雪が覗ける小窓を携えた木組みの小屋には、スピシールと赤毛の少女、そして、魔女の言った通りに再現したブラウが静かに対峙している
【ミ"ャゴゲェ】
相変わらず汚い鳴き声のこの生き物は、しかしある程度の安息を与えてくれる
赤く目を腫らした少女ーーミーナは、最後の一滴の涙を人差し指で払うと、こくりと頷いた
【ええ。会うだけ。ワイズに会わせてくれれば、わたしは消えると思う】
両拳を弱々しく握って、スピシールを真正面から見据える
【だから、お願いします。魔法使いさん。ワイズに会わせて】
【会わせる…】
【…そうだよね。見ず知らずの男の子の居場所なんて…】
【いや、悪いね。居場所なら判るんだ。この際だから言っておくと、僕はワイズくんを知っている。だから君と彼を引き合わせることなんて、僕には造作もない。むしろ、だからこそ僕は戸惑っている】
先ほどまで少女の願いを叶えるなど、全く気が進まなかったスピシールだったが、彼女の探す人物があの少年ならば、話は別だ
それが間違いないのであればーー
【決めたよ。君と僕との目的は一致した。それに、君の願いを叶えたらそれで流星が手に入るって可能性もあるしね。よし、君の願いを叶えよう。今すぐ叶えよう】
内心、うまい仕事もあるものだとほくそ笑むスピシールに対して、少女はその紺碧の瞳を潤ませて咽び泣いていた
【ありがとう…やっぱり魔法使いさんは万能だったんだ…】
羨望の眼差しに、スピシールはバツが悪そうに虚空に真っ黒な目を逸らす
(なんだか騙してるみたいであんまりいい気分じゃないな。まあいいや。ちょちょいと「依頼」をこなして、魔女から僕の「メリット」とやらを聞き出せばいいさ)
不敵に笑う魔女の顔が思い浮かぶ。それは眼前の少女の顔と相違ないもののはずだったが、魔女の魂が表出したときの少女と、今のミーナとでは夜と朝くらい違う
【いやいや、なんのなんの
えーと。ちょっと取りに行かなきゃならないものもあるからね。バックパックとか。その片手間と言っては悪いけど、ちゃっちゃとワイズくんを連れてくるから待ってて】
完全にやっつけ仕事をしに行くテイのスピシールは、言うや否や
【ついでにワイズくんに「カナシミ」を教えてもらって来るから、光の魔法で行ってくる。だから、また8時間後ね。いや、帰りは風の魔法で帰ってくるから、もう少しかかるかな】
そして、閉じていた左手を勢いよく開くと
【それじゃ!!】
声だけを置き去りにして、次の瞬間には、一枚きりのポンチョだけが宙を舞っていた
ぱさ、とポンチョがブラウの顔にかかる
【ミ"ャガガガガ】
【た、大変!】
じたばたともがくブラウを助けようポンチョを剥がそうとした少女だったが
【ミ"ャグヒヒギャア】
ブラウはポンチョにくるまって床でゴロゴロと踊り出した
【………】
存外楽しそうにしているのが判り、放っておくことにする
【本当に、あと少しでワイズに会えるの?】
虚空に問うてみたが、返答などあるはずもない
トントン拍子で事が進むことに何となく首を傾げたい気持ちに駆られつつも、ミーナは一心にスピシールの帰りを待つことにした
依然ポンチョと戯れるブラウを、ストゥールに腰掛けながら見守る彼女の口から、小さく
【本当に大丈夫かなぁ】と漏れ出たことは、女神しか知らない
【魔女さん。魔法使いさんは、どこか抜けてると思う。わたし、不安になってきた】
そう言うと、仮初めの心臓が、少し熱くなった気がした
《2》
【うん、戻ってきたね。なんだか、結局一日かそこらしか経ってないはずなのに、随分と久し振りに感じるなぁ】
聳え立つ白の教会を見上げて、しみじみと腰に手を当てるスピシール
そんな彼は、当然のように一糸たりとも纏わず、爽やかな森の風に煽られていた
白の教会、緑の森、青い空と来て裸の青年となれば、どこか幻想的な雰囲気すら感じられる
言い方を変えれば、77歳の老人が全裸でひとりごちながら野外で闊歩しているのだが
さらに言えばーー
【お、あったあった】
おもむろに門構えの脇にある古びた郵便物入れの中をまさぐると、スピシールは中からひと切れの布を取り出した
【これこれ。裸のままじゃ寒いからね】
そう言うと、その布を着ーーない
よく見ればその布に大の大人が纏えるほどの面積はなく、それは文字通りひと切れの、タオルと呼称して遜色ない布切れでしかなかった
【ふんふふんふふーん】
スピシールは門扉を開き、ワイズがいるであろう教会の医務室へ歩を進める
ゴシゴシ、ゴシゴシと、静寂の教会内に微かに響くその音は
【あったまってきたぁぁ】
スピシールが元気に乾布摩擦をする音だった
服を着なさい
おっといけない過干渉ですね
◇
【やあやあ、ルヴ。ワイズくん大丈夫だったかな?いや、光の魔法でフェンク村まで飛んだんだけどね、なんか猛烈に吹雪いてて雪崩に巻き込まれて僕死にそうになってさ、いや不老不死だけどね?なんちゃって。いやとにかく本当大変だったんだけど気絶してる内に近くの民家まで運ばれてて、そこで助けてもらったまでは良かったんだけどそこに臭い犬?猫?まあとにかく生き物がいてね、もう懐かれちゃって大変で、あ、そいつの名前ブラウって言うんだけど、その飼い主の女の子、えーと名前なんだったっけまあいいや。彼女が実は…
って、誰もいない!!!???】
誰もいない医務室の扉を勢いよく開けると、スピシールはにっこりと笑って聞かれてもないことを流暢に語る語る
奇しくも遠方の赤髪の少女と同じく虚空に語りかける形になったが、スピシールの独り言の延長みたいなそれと比べては失礼に当たろう
扉を開けるとそこに知人がいる。そう期待した孤独のスピシールは、少しでも多く喋っておきたかったらしい。勢い余って会話のキャッチボールは度外視されていた
【ど、どういうことだい?ワイズくんはしばらく安静にさせたいから、3日くらいはここに居させるんじゃなかったのかいルヴ!?】
居なくなった「友人」に叫び、スピシールは乾布摩擦用のタオルを振り回した
全裸のままで室内をくまなく探す
ベッドやテーブルの下、カーテンの裏、クローゼットの中
【いない】
医務室には最早居ないことを確認すると、次は礼拝堂で這いつくばっては全ての椅子の下、罰当たりにも宗教絵の裏、祭壇の袖を乱雑に捜索する
【いない】
身廊を経て対の廊下から蔵書庫へと走った。ぷらぷらと鬱陶しかったので、首に下げていたタオルは礼拝堂でその辺に放ってきた
ガチャリ
【開かない!!】
蔵書庫には鍵が掛かっており、魔法を使おうと左手を突き出す
【使えないんだった!!】
悲壮な表情で叫ぶスピシール
魔法が無ければ非力なスピシールには開けられるはずもなく、諦めて引き返す
一応【おーい、いるかーい】と、ドンドンと何度か扉を叩いてみたが、返事はなかった
礼拝堂へ戻る扉を開こうとすると、ふと右下のカーペットに違和感を感じる
【なんだろう】
ぺらりと巡ると、そこに隠し扉が現れた
【うおお!すごい!】
迷いなく取っ手を引き上げてみるーーが
【開かない!!】
それさっき聞きました。ああ、いけない。ハイ、語り部に徹しますとも
3分ほど、フンとかハアとか言いながら粘るも、一向に開く気配のない隠し扉に
【なんだい?こっちにも鍵が掛かっているのかい?全くルヴは心配性だな!】
スピシールはそう結論付けた
そして、プンスカ言いながら、諦めて礼拝堂への扉を開いたのだった
ーーちなみに。この隠し扉、鍵など掛かっていない。ただ扉自体が重く、さらに重力に逆らう形で開けなければならないだけである
軽々と開けていたのが、あの筋骨隆々なルヴだからこそ、スピシールの残念さにも同情の余地が残るように感じるが
参考までに、この扉。あの、か弱い少女でも頑張れば開けられる程度の代物である
ーー参考までに。深い意味はありません
◇
人が居そうな所は大体確認し終え、いよいやスピシールも教会に誰も居ないことを悟った
【この教会にいないとなると……まさか】
そして、ある可能性が過る
【ワイズくんは実はとんでもない危篤状態で、ルヴは彼を近くの病院まで連れて行ったのか!!】
残念、違います。…コホン
スピシールはそう推測すると、教会を飛び出した。ちなみに当然まだ全裸である
ギイイ、と鉄扉を開け放ち、外を眺める
【いい天気だ……!】
木々の隙間から覗く陽光に目を細め、呟く
【いや、それどころじゃない!ワイズくんたちを探さなければ!ーーはぁ!】
思い立ったように右手で空を掻く。しかし
【魔法使えないんだった!】
この男、少々おつむが弱かった。「選別の魔法」の影響のせいに出来ないのが、頭の痛い所である
【うーん。どうしようかな。とりあえず近くの病院まで行ってみようかな】
訥々と呟くスピシールだったが、ここで奇跡的に重要な事実に思い当たった
【そうだ、その前に服を着よう!】
良かった。そこに気づいてくれて本当に良かったです。早く医務室で兄の服を拝借してきなさい
再度教会の重い門扉を開こうとドアノブに手を掛けると、突然一陣の風がスピシールを襲った
【うひゃあ、寒い!!】
さっさと中に入ればいいものを、扉の前で身体をさするスピシール
ーーその一瞬がまずかったのかもしれない
否、もし仮にスピシールが素早く教会の中に入れていたとしても、この結末は時間差で訪れていたのだろう
我が身可愛しと全身を撫でるスピシールだったが、ある一点を見つめたのち、その動きは凍りついた
夜を焦がしたような漆黒の眼が眉ごと歪む
ヒュオオオ
再び吹いた強い風が、生い茂る草木を揺らした
しかし燦々と照り輝く太陽にそぐわない突風は、その一回を最後に鳴りを潜めたのである
打って変わって静まり返った森に残された音はーー
【ふおお、ふおお】
教会の門構に全裸の青年を見つけ、驚嘆する老人の呻くような叫びだけだった
《3》
対峙するふたりの人間を、例えば何処かの詩人気取りが見ていたのであれば、「森の精霊と賢者の邂逅」とでも一先ず名付けるだろうか
しかし、私は公正な語り部として、そのような多分に脚色に塗れた表現をするに些かの躊躇いがある
なればこそ、現在の光景を正確に描写するにあたって、実情と客観性をそれぞれ吟味したのち、私は最終的に彼らの出逢いをこう名付けることにした
ーー「ご老体、出遭う」と
◇
スピシールは目を疑った。これまで何度もこの教会を尋ねたが、最初に来た数十年前から、主のルヴと自分以外に、この白亜の教会訪れる者などワイズを除けば一人たりとも居なかったのである
それを、どうだろう。よりにもよってかなり不味い格好で、未曾有の信者第一号に遭遇してしまった
もちろんこれはスピシールが来たタイミングに偶々信者と居合わせることがなかっただけかもしれないし、以前はもっと多くの信者が来ていたという話もルヴから聞いていた
しかし、しかしである。流石に十年単位で遂に見ることのなかった信者の不在を、今さら疑うことが出来ただろうか
スピシールは、仮に今魔法が使えたとしても、咄嗟に《透化の魔法》なりを使ってお茶を濁そうなどいうことは思いも寄らない程には困惑していた
彼の脳内は現在こんな感じである
(?????????????)
もう何がなんだか判らない。遭遇の瞬間、一瞬だけ出たエクスクラメーションマークの後は、件の老人と泳いだ目で向き合いつつ、大量に浮かんだ疑問符を処理するまでのラグを、首をゆっくり傾げたり両手を出鱈目に動かしたりして何とか埋めていた
あたふたと空をこね、ようやく大事な部分を隠したスピシールに対して、一方のーーもう一方と言うべきかーー老人は、スピシールをしっかりと凝視し、【あが、ふおお】と相変わらず意味の取れない声を漏らし続けていた
気まずいとかそういう次元を超えた沈黙が続く
そして、ようやく口を開いたのはスピシールの方だった
【ち、違うんだ。ええと、うん。違うんだよ】
大事な所から手を離し、生まれたままの姿で両手を駆使して何かを説明しようとする青年(仮)
長い銀の前髪の隙間から、乾いた汗が不自然なくらい大量に流れている
【何が?】とここで老人が応えてくれていれば、話はもう少し円滑に進んだかもしれない。しかしーー
老人は穏やかそうな小さな目には似つかわしくなく、眉間に深く皺を寄せ、スピシールを更に険しい貌で見つめている
そして、しどろもどろに次の台詞を探るスピシールを他所に、わなわなと震える右腕を持ち上げて、他ならぬスピシールを指差した
【あ…あ、ああ】
どもる老人。スピシールも、何か言おうとする老人に気づき、一瞬落ち着きのない動きを止める
次の沈黙は、例えるならそう、嵐の前の静けさのような、そんな静寂だ
よく整えられた髭の下に見える、薄赤い唇をちろりと舐め、一拍置いて、老人はようやく意味らしい意味のある言葉を発した
【あなたは、神様ですか?】
老人の禿げた頭に残った白髪が風に吹かれたのと同じに、スピシールの滑らかな銀髪が揺れた
【ーーそ、そうだね!!】
サムズアップと共に放ったこのぎこちない笑顔がもたらす大きな混沌を、まだ彼は知らない




