◇無力の証明
◇無力の証明
《1》
「ビバ!スパ!」を出ると、日は既に暮れ始めていた
【丁度夕飯刻だな】
【うん、早く肉食べよう】
【……あー、なんかそんなこと言ってたな。まあいいや。約束は約束だ、行くぞ坊主】
やはり素面ではなかったのか、思い出すとルヴは渋い貌をした
店が立ち並ぶ町の中心まで、再び歩く
【せっかく汗流したのに……】
と、ワイズが愚痴るのも無理はなかった
【なに、行きがけほど急ぎはしねぇよ。湯上がりなんだ。まったり行こうじゃねぇか】
そう言いつつも、疲れも取れて、心なし健脚に磨きがかかったルヴは軽い足取りでワイズの前を進んでいる
負けじとワイズも早足になる。日が落ちたことで街にはひんやりとした風が吹いていたので、行きがけと同じようなペースで歩いてもそれほど苦ではない
20分もかからずに、ふたりは繁華街にたどり着いた
◇
【こういうとき、俺はケチったら負けだと思うんだ。肉の陰に金がチラついたら、鉄っぽくて食えたモンじゃねぇだろ?】
ぐい、とジョッキを煽って、赤ら顔をしたルヴはそう豪語した
【なるほど】
それらしい相槌を打つワイズは、その実、話半分といった様子で、もぐもぐと肉を頬張っている
そうとは気づかないようで、隣席のルヴは気持ち良さそうにひとりでに話し続ける
【肉を食うとな、元気が出る!そしてな、食い過ぎるとウンコが出る!……なーーーんつってな!!ぎゃひゃひゃひゃひゃ】
その出来上がったさまに、周囲の客は迷惑そうに目を細めていた
【オッサン、もうちょい声静かにな】
冷静に言うと、ルヴの方には目もむけず卓上に並べられた肉を絶え間なく齧るワイズ。目の前には、空になった皿が幾重にも重ねられていた。会計の桁数には期待できそうだ
1時間ほど、酒と肉を堪能して(前者は主にルヴ、後者は以下略)
【よし、オッサン。そろそろ出よう】
満腹になったワイズが、腹をさすりながらルヴに声をかけた
ベロベロに酔っ払っていたルヴだったが、辛うじて会計を済まそうとする意思は見せ
【そうらな、うん。マスター、おあいそ!】
【あい、えー…しめて10万7千ポムね】
無慈悲にも、恰幅の良い店主から告げられた金額は、案の定ふたりの背筋を凍りつかせるに十分な桁数だった
【………】
一瞬、時が止まる
【ひぇ!?あんだって!?
おえはほんなにのんだおぼえはないぞ!?】
我に帰ると、ルヴは大声でがなる
【いや、お客さんかなり飲んでるよ…
あと、そこの少年がかなり食べたからね】
呆れ顔で向こうを見やる店主の視線をなぞると
【………】
ルヴの目に、そそくさと店を出る、おろしたてのコートを着た少年の背中が映った
およそ負けてくれそうには見えない店主の冷ややかな眼光から目を逸らす
ーーそして、すっ、と真顔になると
【ノイル・マルホゥプ・ナズヒルシィ】
ルヴは神に祈り、財布をひっくり返した
そして、食材やその他諸々を買うために多めにお金を入れてきた財布には、千ポム札が4枚だけ残ったのだった
◇
【おい坊主、お前さんも責任持って探せよ】
【わかってるよ……】
ふたりは、宿を探していた
それも、4千ポムぽっちでふたり泊まれるだけの、とにかく安い宿を
【なあ、ウェンズの宿の相場ってどれくらいなんだ?】
【5千ポムだな、だいたい。安いとこで4千…うぷ】
飲み過ぎた反動で気持ち悪そうにするルヴ
【!!それなら、ちょっと探せば足りるんじゃないか!?】
聞いて嬉しそうに言うワイズだったが
【ひとり、5千ポムだ】
【………】
がっくりと肩を落とす。どれだけ安い宿でも、2人で8千ポムは下らない計算だ
【ったく、これじゃ明日の買い物なぞ望むべくもねぇな】
と、ルヴは顎髭をポリポリと掻いた
【わ、悪かったよ……】
【いや、俺も飲みすぎた。別にお前さんを責めてるわけじゃねぇから気にすんな】
もう夜更けも近くなり、いよいよ途方に暮れるふたり。中心部には安宿などありそうにないということで、外れの方を当てもなく一縷の望みを探り歩いていると
ひらり
一陣の風と共に、ルヴの足元に何やらチラシのようなものが落ちてきた
一瞥して、素通りしようとしたルヴだったが……
【オッサン、これ……】
チラシを拾い上げるワイズ。そこには、明らかに手書きの乱雑な文字で
《宿屋シーラン:大人一泊1800ポム
西ウェンズ8番区、赤い看板が目印》
とあった
【ここなら……】
胡散臭さは凄かったが、とにかく今は泊まれさえすればどこだって良いだろう
【……この際やむを得んな。場所は……ふむ。坊主、かなり歩くが問題ないな?】
【うん】
にこやかなワイズを尻目に、ルヴは苦い貌をする
(西ウェンズ8番区……か)
そして、億劫そうに髭を掻くのだった
《2》
ゴーストタウン。そう称して差し支えない街並みの荒れた道を往き、すっかり暗くなって覚束ない足元に注意しながらもやっと辿り着いた宿は、そんなゴーストタウンの中でも外れの外れ。「ビバ!スパ!」の真逆、ウェンズの最西端に構えられていた
【ここ、本当に宿なのか……?】
【赤い看板だし、間違いねぇだろ……】
掠れた黒文字で「シーラン」と書かれた赤い看板が、暗がりに辛うじて目に入った
眼前の建物は、小屋と呼ぶには少し大きいが、とても客を迎えられるような様相をしていない。かといって民家と呼べるほどまともな外観ではなく
周囲の家屋にも言えることだが、よくわからない植物のつるが全体に蔓延っていて、どう見たって廃墟にしか見えなかった
ガラララ、ガシャ
ーーと、勢いよく、古戸が開いた
【わあっ!】
咄嗟に後ろに飛び退くワイズだったが、中から出てきた人物を見て目を見張る
【サツキ……!?】
【おお、ワイズじゃん】
そこには、長い黒髪を結んだお下げが両肩にかかっている、美しい少女ーー否、少年、サツキが立っていた
【なんだ坊主、知り合いか?】
【うん。浴場で知り合って……】
思いの外早く訪れた再会に、呆気にとられるワイズ。お下げ髪のせいで余計に男に見えないが、その翡翠の瞳は一度見たら忘れない
(いや、確かに【またな】とは言ったけど……)
それにしても早すぎる再会だった
【おいおい、可愛い娘じゃねぇか。お前さんも角におけねぇな……って、ん?浴場で知り合った?】
にやにやとオヤジ臭い面で肩を寄せるも、一考して意味がわからないといった感じで眉をひそめるルヴは差し置いて
【サツキも、この宿に泊まってるのか?】
【うん、金なくて。「も」ってことはワイズも泊まるんだな。こんなボロ宿でも意外と泊まる客は多いから、急げよな】
そう言うと、バイバイ、と手を振って、サツキは駆け足でゴーストタウンの闇へと消えて行った
(せっかくまた会えたのに。神出鬼没だな)
ワイズはそう思ったが
【まあ、ここに泊まってるなら明日にでも話せばいいか】
ぼそりと言って、楽観することにした
【おい、こんな暗がりに、いいのか?女の子ひとりで行かせて】
心配そうに赤ら顔を歪ませるルヴ
【わかんないけど、大丈夫なんじゃない?あいつ、男だし】
驚愕の表情を浮かべ、サツキの去って行った方をゆっくりと振り向くルヴに
【オッサン、受付。急がなきゃ】
と言って、ワイズは宿の中へ足を踏み入れた
◇
【ほい3600ポム。確かに】
代金を渡すと、気怠げに肘をついていた受付の青年が、奥へ案内してくれた
どうやら鰻の寝床らしく、入り口の狭さに反して床は奥の方へと長く続いている。細い廊下の壁には左右等間隔に扉があり、全部でざっと8部屋ほどあるようだ
ルヴとワイズは、最奥の左側、「七の間」に泊まることになった。扉を開けると、四畳ほどの空間に、小窓がひとつだけの質素な内装が窺えた。壁紙が剥がれている箇所が目立ち、剥がれていない箇所も殆どが黄ばんでしまっている。
しかし、床には普通に布団があり、スペース的にも大人ふたりくらいなら難なく眠れそうだった。トイレはないが、途中で共用トイレがあったから、それを使えばいいだろう……つまり、総合的に言えば
【確かにボロいけど、それにしても安すぎない?】
ワイズは声を顰めてルヴに問いを発した
しかし、その声はまだ残っていた受付の青年にも聞こえたようで
【そうっすよね……】
と、青年は気怠げに言った
【あ、いや、別に深い意味は……】
慌てて訂正しようとするワイズ
【いいんすよ。所詮雇われなんで、別に気にしませんし……】
【なあ兄ちゃん。じゃあ訊くけどよ。ここ、何でこんな安いんだ?やっぱ西ウェンズだからか?】
ずけずけと訊ねるルヴ
【えっ、西ウェンズがどうかしたのか?】
すかさずワイズも問いを連ねる
【あー、坊主には言ってなかったな。西ウェンズはだなーー】
と、ルヴが言いかけて
【ああ、いいっすよ。ここが何でこんなに安いのかも含めて、僕がお教えします】
眠たげな目を擦って、青年は説明してくれた
◇
【西ウェンズは、まあ、見ての通りゴーストタウンです。だから、昔からならず者の溜まり場ではあったんですが……最近、ここ一年くらいですかね。殺人が多発するようになりました】
淡々と話す青年の言葉に、ふたりは目を見開く。どちらからともなく生唾を飲む音が聞こえた
【時期も手口もバラバラ。ただ、その遺体の全てが見るも無惨な状態だったとか。まあ、僕も実際に見たわけじゃないすから、本当のところはどうか判りませんけどね。こんな場所っすから、自警団もロクに動いてくれませんし、まだ犯人は捕まってないんすよ。外見的特徴も不明、恐らく同一犯であるとする見方が強いんすけど。ひとつ、聞くところによるとーー】
ーー狙われるのは、若い女性だけだとか
青年は、口をすぼめて苦々しくそう言った
【若いーー女性?】
【ええ、それも、とびきりべっぴんな。先月の初めなんか、ふらりとこの辺まで来たウェンズ町議の孫娘が殺されたって噂で持ちきりでしたよ。まあ、そういうことで、この宿には女性は泊めないようにしてるんす。その上、殺人鬼の噂のせいでこの辺には輪をかけて人も寄り付かなくなりまして。元々安い宿でしたが、これでもかってくらいに値を下げざるをえなかった、って話っすね。お客さん方……特にそちらの大柄の方なんかいれば安全でしょうから、気にすることはないでしょうが】
【では】と言うと、青年は廊下を引き返して受付の方へ戻って行った
顔を見合わせるふたり
【おう、予想はしてたがやっぱ物騒だな。町境に廃れた門があった辺りから嫌な予感はしていたんだが…周囲に宿らしい所は他になかったし、民家も荒れ放題。ひょっとして、西ウェンズに人がいるのなんてこの宿くらいなんじゃねぇのか?】
ルヴが顔をしかめつつおどけてみせた
【殺人…】
そう呟くに留まるワイズの背筋を、冷たいような燃えるような、厭な汗が伝った
◇
【まあ、泊まれるだけマシだな。どうせ明日には教会に戻るんだ、そんなに怯えるようなことでもないだろうよ】
言いながら、ルヴは早速寝る支度を始めた。風呂にも入り、食事も済ませたとなると、あとは歯を磨いて寝るだけだ
【…そうだよな】
相槌して、ワイズもルヴに倣う。寝支度が整うと、歯を磨きに備え付けの小さな洗面器へ向かった
鏡に映るふたりの顔は険しい。口から白い泡を溢れさせながら、ワイズはおもむろに口を開いた
【壁破って殺人鬼がやって来たらどうしよう……】
顎あたりまで泡が垂れていた
【んなことある訳ねぇだろうが。だいたい、男二人じゃ襲われねぇって言ってたろ】
【言ってたけど…】
手の甲で泡を拭いながら、不安げにそう溢す
【いざとなりゃ俺が守ってやる。とにかく今日はさっさと寝よう】
浴場で見た逞しい肉体を思い出し、疑いない説得力に首肯するワイズ
ペッ、と吐いて口をゆすぐと、ふたりは寝床へ戻った
(そういや、明日どうするんだろ。やっぱ帰るのかな)
気になって、ワイズは
【オッサン、明日はーー】
と、言いかけたが、酔いどれのルヴは既に布団を被っており、このまま眠ってしまうつもりらしい
【ふあ……明日のことは明日、だ
坊主、寝るときゃ電気消せよ?】
そう言うと、糸が切れたように枕に沈んでしまった
仕方なく、ワイズも横になる
ほつれが目立つが、暖かい布団に気持ちが落ち着いた
(眠れるかなぁ…)
完全に眠りに就こうと思ったところで、ワイズは青年の話を思い出した
《ここ一年くらいーー殺人ーー》
微睡んでいて、朧げになる記憶の中
《狙われるのは若い女性だけーー》
ワイズは、ガバッと起き上がった
【サツキ!!!】
いくら内実は男だとは言え、彼は外見だけ切り取れば紛れない美少女
そうとあらば、例外はなく
自分たちがこの宿に来たのとは逆方向に走って行ったサツキの背中を思い出して
ワイズの全身からどっと冷や汗が吹き出す
【おぉい、うるせぇぞ坊主……】
夢うつつのルヴの言葉を聞き終える前に、コートだけ引ったくって、ワイズは部屋から飛び出した
ギシッ、ギシッ
踏むたびに軋む廊下を駆ける
(クソッ、何でオレは引き止めなかったんだ!)
そのときはまだ殺人鬼の噂を知らなかったから、など、今のワイズにとっては糞の言い訳にもならない
かつて隣にいた、そしていなくなった少女の赤髪を悼む。二度と触れられない悲しみを、ワイズ・ダイラーはその魂で知っているのだ
大切な人が死ぬかもしれないのに何も出来ない奴には、もう、なりたくない
ーー自分の無力のために、二度と喪いたくない
その一心で、ひた走る
【ああ、お客さん。どうかされまし……】
受付の青年を無視して、立て付けの悪い古戸を力任せに押し開けると、ワイズは当然見えないサツキの背中を追って、闇の中に消えて行った
タッタッタッ、と乱調子の足音が、宿から離れていく
【ったく、何やってんすか…あーあー】
ワイズが開きっぱなしにした戸を締めに、重い腰を上げる青年
【無駄だと思いますけどねぇ…】
億劫そうに頭を掻いて、青年は受付へ戻った
《3》
【サツキ!サツキ!】
土地勘などあるはずのない夜道を進む
点在する壊れた街灯から漏れる微かな明かりを頼りに、ワイズはサツキの影を探した
(闇雲に探しても見つかる訳ないか……)
息切れに耐えかねて、一旦膝に手を置く
慣れてきた夜目で見回すと、いつの間にか辺りには建物の一軒すら見当たらず、周囲には、ルヴと教会を出てすぐに広がっていたものによく似た鬱蒼と茂る森が広がっていた
さわ、さわさわさわ
【うわっ……】
底冷えする夜風が枝葉を揺らす音にたじろぐ。怯む心を叩いて進んだ
【サ、サツキ!いるか、サツキ!】
叫ぶも、声は木々の隙間に消えていくばかりだ
【サツ…ん?】
ーーと、静寂の中、ワイズの耳に空を裂くような音が微かに聞こえてきた
(何の音だ…?)
予期せぬ異音に、思わず黙り込む
ヒュッ、ヒュッ
ゆっくりと、その音のする方向に近づく
様々な可能性が過り、伴ってワイズの膝は小刻みに震えた
(いかん、怖気づくな)
パン、と軽く両頬を叩くと、震えは止んだ
方向は正しかったようで、徐々に音は鮮明に聞こえてきた
ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!
(なんだ……?)
立ち止まり、目を閉じる
(これは……刃?が、風を、切って……!!)
刃。その存在を認めて
ーー瞬間、背筋が凍る
(殺人鬼!!??)
しまった、と思ったときには、ワイズの脚は恐怖で動かなくなっていた。やせ我慢にも限界が来たのだ
そして、その場に崩れ落ちる
ザザッ、と尻餅をついた先の草が潰れる音がした
(やっっっっば)
遅ればせながら、身体を硬直させる。先の音については、殺人鬼には聞こえてなかったことを祈るしかない。信教もないのにひっそりと手を合わせると、ワイズは身体中の音が森に溶けるように固まった
ザッ、ザッ、ザッ
健闘も虚しく、足音は近づいてきた。そうっと口元を抑えるが、そんな行為に最早意味もない
だんだん見えてくるシルエットに、失禁しそうになる
(終わった……)
と諦めかけて、首を振る
(ダメだ…!このままじゃ、あのときと同じだ
ーーサツキを救けるんだ!!)
ワイズは、大きく息を吸って…そして、覚悟を決めて立ち上がった
【うおおおおおおおおお】
威嚇も兼ねて、けたたましく叫ぶ
無駄な咆哮を飛ばした後、ワイズは閉じていた目を、かっ、と開けて、いよいよ、殺人鬼と対峙するーー
【……うわっ、なに。うるっさいなぁ】
ーーことはなく。涙目のワイズが捉えたのは、黒髪の華奢な少女の姿。しかしワイズは彼が少年であると知っている。つまりそこには、彼が探していた張本人、サツキの姿があったのだ
【君さぁ、何時だと思ってんの?本当勘弁してくれよな…ってワイズ?】
剣を地面に突き立てながら、サツキは不思議そうに首を傾げた
【へ?】
同じくワイズも首を傾げる
【なんでここにいんの?】
【いや…】
言葉につまるワイズにため息をつき
【…まあそれはいいや。そうだ、おれも丁度キリの良い所まで終わったし、一緒に宿まで戻ろう】
思いついたようにサツキはそう提案してきた
差し伸べられた手に、ワイズはぽかんとして
【うええ?】
恐る恐る、手を伸ばした
◇
【んっふっふっふっふ。おれが殺人鬼?そんなわけないじゃん!ほら、こんなに可愛いんだぜ?】
可笑しそうに笑うと、剣を背中に掛けた鞘に戻したサツキは、チャーミングに自分の頰を両手の人差し指で差した
宿の方へ戻る途中。軽快な足音と、どんよりと疲れ切った足音が別々の調子で夜道に奏でられている
【……じゃあ何してたんだよ、あんな所で】
訝しむようにサツキを見るワイズの表情は、羞恥半分、安心半分といった所
【んー、まあ、日課?かな。ほら】
シャキン、と、サツキは再び鞘から剣を抜いた。抜き身の刀身が夜光に煌めく
【おわっ!し、しまえ、剣なんて!】
すごいビビるワイズ。武器を見たのは初めてだった
【ごめんごめん】
軽く舌を出して笑うサツキの様は、やはり可憐な少女そのものだ。悪びれる様子もなくけらけら笑うのもそこそこに、サツキは煌めく刃にその顔を映す
【おれ、騎士の家系でさ。こうやって旅先では人気のない所で修行するんだ】
刃を鞘に刺し納めるサツキ
【修行……】
よく見たら、その首筋には爽やかな汗が伝っている
あの風切り音は、サツキが素振りをしていた音だったようだ
(サツキが殺人鬼ってわけではないんだな…)
合点がいき、ワイズは胸を撫で下ろした
【安心した。でも、無言で素振りすんなよ。こっちは殺されるかと思ったんだぞ】
失禁しなかっただけ格好がつくが、ワイズは内心少しも穏やかではなかった
【やー。集中すると周り見えなくなるからさ。鍛錬のときには、切っ尖しか見えなくなる。それが、騎士ってもんだ…まあ、親父の受け売りなんだけどね】
【なるほど、かっこいい。ってか、ん?
え、騎士?お前、騎士なの?】
先ほど耳にした情報の筈なのに、あまりの唐突さに、二度聞くまで呑み込めなかった
いかに世間知らずのワイズとはいえ、さすがに騎士が何たるかは知っている
ーー王統百騎。この国における、三大勢力の一つ
市井の民を守る、盤石の盾
勅令によって選ばれた、有数の猛者たちが集う、王国最強の武装機関
ワイズの村には半年に一度、傘下兵団の駐屯兵が形ばかりの監督をしに訪れるくらいだったが、彼にとって、そんな駐屯兵の来訪すら、密かな楽しみだった
王統百騎の名声は、蒼銀の袖章に収斂する
【そう言ってるじゃん。ほら】
そして、今でこそシャツにホットパンツというラフな出で立ちのサツキの二の腕にも、確かにその袖章は掛かっていた
微かな灯りにも乱反射するその光沢に、明けの海色が踊る。紛れもない、それは騎士の証だった
【うおお……】
【なに、尊敬した?んふふ】
薄い胸(というか、無くて当然なのだが)を張って尊大に言うサツキ
【尊敬…した。でも、サツキ華奢なのに、騎士とか似合わないから、驚きの方が強いよ】
無神経にもそんなことが口を突いて出た
【む。失礼だな……試してみる?】
カチリ、と鍔鳴りの音がした
ひやりとして
【いや、やめろや!オレ死ぬだろ普通に】
というかこの男いたずらに庶民に剣をちらつかせるの好きすぎるだろ。などと心裡でぼやく
【そうだね、やめとこう】
んふふふ、と愉快な笑い声を上げると、サツキは空を仰いだ
【……救けに来たんだろ、ワイズ】
どきり、とワイズの心臓が鳴った
【……ああ、そうだ
オレなんかより全然強いやつを救けるなんて、馬鹿みたいだって思うなら笑えよ】
ばつが悪そうにそっぽを向くワイズに
【笑わないよ。弱くても動けるやつの方が、強いのに動かないやつの何倍も偉い
何かを守れる強さよりも、そういう愚直な勇気がまず必要だと思うよ、おれは】
サツキは笑いかけてーー
【適当なコト言って慰めたいんならやめろ】
自分の方を向いたワイズの、冷たい瞳に、
【強くないやつは、何もできない】
そう言うと、コートの襟をはだけさせ、ワイズは自らの首筋を晒した
痛々しい火傷の全容が、冬の空気に触れる
【サツキも浴場で見ただろ。これはその証だ
何もできなかった弱者が、中途半端に生きようとして出来た、無力の証明
力があれば救えたかもしれない命を捨て置いて、のうのうと生を貪る卑怯者の証拠だ】
ワイズの瞳には、悔恨の火が燃ゆる
静寂に、鈴虫が鳴いた
石道を行く中、途中で踏んだ砂利が擦れる音が響く
【……ふうん】
やっと口を開いたサツキの目は、前髪に隠れてよく見えない
【でもさ、ワイズが生きてても、死んでても。結局はワイズは何も出来なかったんだから、どっちにしろ喪われた命だ】
いっそ突き放すように、サツキは明後日の方を見ながら語りかける
【なら、おれは臆病の結末だったとしても、ワイズ自身が生きていることが重要だと思う。だって、生きてたら何だってできる。ガムシャラに死なれてたら、おれはワイズに出逢えなかったしね】
風が吹き、サツキの前髪がふわっ、と浮いた
翡翠の瞳は、いつのまにか前を見ている
【何だって……できる】
サツキの意外な返しに、言葉に詰まる
【そう。何だって。死んだ人は帰って来ないけどさ……基本的には。うん、それ以外なら、何だってできる
弱さが憎いなら、これから強くなればいい。強くなって、次こそきっと守れるように生きていけばいい。違う?】
【……違わない】
唇を結んで、サツキを見た
【だろ?ほら、冷え込んできた。宿に戻ろう】
サツキもワイズの目を覗き、笑いかける
汗でじわりと湿った黒髪が、暗がりに幽かに光っている
この可憐な少年は、騎士なのだ。ワイズにその事実を疑う気持ちはもうなかった
宿が近づいてきて、サツキが騎士だと知ってから、ずっと考えていたことを告げようとワイズは口を開いた
【……なあ、サツキ】
【ん?なに?】
【オレに稽古をつけてくれ、って言ったら…】
【おお、つけるよ】
【へ?】
半ばダメ元で言ったワイズは、予想だにしなかった即答に驚く
【じゃあ、明日の朝、宿の裏に集合ね】
間髪入れず約束を取り付けてくるサツキ
【は、話早くない……?】
【なに?強くなりたいんだろ?】
サツキは、何食わぬ貌でけろりと言った
【強くなりたい……うん、なりたいよ】
【じゃあ、しのごの言わず集合だ】
【……なんで断らないんだ?】
てっきり、騎士の技は門外不出なもので、知り合って1日の田舎者なんかに教えられるようなものじゃないと思っていた
【友達だろ?理由なんて要るかよ】
髪を結っていた紐を外しながら、サツキは微笑を湛える
【ありがとう】と言って、ワイズは照れ臭そうにつむじを掻いた
【集合……森の方じゃなくていいのか?】
【ん?ああ…あっちは危険だからさ。知ってる?あの向こうには、西ウェンズなんて比じゃないくらいのゴーストタウンがあるんだぜ】
危険と聞いて、思わず息を飲む
【なぁるほど。じゃあ、明日よろしく頼む】
内心、そんな所で敢えて修行しようとするサツキに慄いたが、そんなことはおくびにも出さないように気張った
【任せろ】
そんなこんな話しているうちに、ふたりは宿にたどり着いた
暗くなりすぎて、《シーラン》の文字は見えなくなってしまっていた
【オッサン、怒ってたら面倒だな…】
行きがけは一心不乱に動いていたものだから、ひょっとするとルヴの気に障ることをしでかしているかもわからない
少しの不安を胸に、宿の古戸をガラリと開けると、変わらず青年が肘をついて受付で番をしていた
【おお、お帰りなさい。遅かったっすね】
眠たそうにゆらりと手を振る青年
安全な場所に戻ってきた実感に、ワイズの口元には笑みがこぼれた
(サツキも無事…というかオレの勘違いだったわけだし、今度こそゆっくり眠ろう)
【じゃあ、また明日ね、ワイズ】
と、何故だか、サツキは宿に入らなかった
【?サツキもここに泊まってるんだろ?】
【嫌だな。こんな汗だくで眠るわけないだろ
もうひとっ風呂浴びてくるんだよ!】
冗談だろ?という貌をして、【明日は朝食の前な!】と言うと、小走りで今度は「ビバ!スパ!」の方へ行ってしまった
【また風呂……?】
仕方ないので、ワイズはひとりで部屋に向かった
【あの騎士さん、変わってますよねぇ】
とぼとぼと歩くワイズに、素通りしようとした受付から声がする
【…アンタ、サツキが騎士だって知ってたんですか?】
【ええ、勿論。受付の段階で素性は判りますから。最初は僕も女性だと思って、宿泊はお断りしようかと思ったんすけどね
実は男で、さらに騎士の身分だと言われれば、断る理由なんてないでしょ】
飄々と言う青年は、心なしか可笑しそうに目を細めている
【なら…】
【ええ、お客さんが血相を変えてここを飛び出して行った理由には思い当たりましたし、一応止めようともしたんすけどね。お客さん、足が速いから】
にこにことしているが、その貌はどう見てもワイズをからかっている
【ア、アンタ、性格悪いよ】
ワイズはそう吐き捨て、部屋に行った
【…あーあ。嫌われちゃいましたかね
こりゃリピーターにはなってくれないっすね】
再び自分以外誰もいなくなった受付で、青年はひとりごちる
【うへぇ、またひとりか……もうちょっと優しくしてあげれば、話し相手くらいにはなってくれたかもしんないな。反省っすね】
彼の名前はヒューブレヒト。この辺鄙な場所にある安宿で、半月前から店主に雇われ働いている彼は、今日も気怠げに仕事をする
【ふあ、眠い……】
王統百騎と並ぶ、この国の三大勢力のひとつ、白賊
ヒューブレヒトは、この組織の下っ端としての身分を隠して生活している
というのも、大した給料も貰えないのにここに勤める彼は、ある目的のもと店番に甘んじているのだった
【《ジャック・ザ・リッパー》…動かないもんかなぁ。いや、未然に防げたら願ったり叶ったりなんすけどね…】
《4》
【裏……】
眠たい眼を擦って、ワイズはそろりと部屋を抜け出した
見た目とは裏腹に大したいびきもかかずに眠っているルヴを背に、サツキとの約束通り、ワイズは宿の裏を目指して歩く
ギシギシと鳴る床に不快を感じつつ進む
裏口は鰻の寝床の丁度尻に、分かりやすく構えられていた
入り口とは全く趣向の異なる鉄製の扉をギイイ、と開こうとした、そのとき
【だぁぁぁぁれかぁぁぁぁ!!】
甲高い、女性の悲鳴。その声には息切れが混じり、激しい焦燥と絶望が漏れる
【!!】
気付き、ワイズが動き出そうとするーー
ダダダダダダダダダダダダダダダ
ーーそれよりも数秒速く、脆い床に構わず大きな足音をたて走り向かったのはふたりの男
【朝っぱらから!】
たなびく黒髪と
【やっと出ましたか、糞下郎!】
飄々と笑う痩身
鉄製の扉をぶち破り、ふたりは外へ飛び出す
【あ】
結局、一瞬の出来事に出遅れたワイズが動き出すと、ワイズの目に映ったのは、怯える少女の姿だった




