第2話・ふたりぼっちの夜
王都を出てほどなく、勇者エヴァルスとその相棒タンクの目の前には小さな森が広がっていた。
「どうする?突っ切るか?」
「それも良いけど……今日はここで休もうよ」
すでに陽は傾き、影は伸びている。
森の規模がどれほどかわからない以上、中に入るのは陽が高い方が良いとエヴァルスは判断した。
森がある、ということは多くの生き物が棲んでいる。
その生き物は概ね人間に害をなす魔物なのだ。
もちろん、小型の魔物であれば人間を襲うことはまずない。
いくら魔物とはいえ膝丈程度の生き物が自分よりも大きな存在に立ち向かうほど凶暴でも愚かでも無いのだ。
ただそれは小型の魔物の話。
街と街を繋ぐ道でなく、このような森には中型から大型の魔物が棲んでいる可能性がある。
そのため王都の人間が森や山に立ち入ることはほとんどなくなっているのだった。
「それなら枝拾ってくるわ」
「ボクも行くよ。今夜のご飯仕留めないと」
そんな普通は立ち入らない森の中に何の躊躇も無く踏み入る。
「兎か、リスでもいればしめたものだけどな」
タンクは乾いた枝を集めながら周囲を伺う。
軽く言っているが兎と言っても牙と爪があるし、リスなんて王都に出た時には数の暴力で民家3軒更地にされてしまう。
一般市民が聞いたら顔を青くして逃げ出す魔物だが、このふたりは違った。
紋章を持って生まれた時点で15年後心許ない装備で旅立つことが決まっている。
そのため物心ついたときから魔物と戦い、そして糧にする経験を積んでいた。
もちろん食事面だけではない。
今回のように必ず宿で眠れるわけでは無い以上、野外で眠ることも当然のように起こりえる。
そのためエヴァルスもタンクも、野宿は初めてではない。
なんなら人生の半分くらいは家で寝ていない。
そのことにふたりは諦めに似た感情を抱いていた。
「見つからないな、今日は飯抜きか?」
タンクは既に両手いっぱいに集めた木々を抱えながら露骨に表情を歪める。
「あんまり奥に行くと戻れなくなるかも知れない。まだお腹は保つだろうから……」
「嫌だ!断る!初日から食いっぱぐれるなんてごめんだ!」
「そんなこと言っても……タンク」
タンクのワガママをいさめようとしていた時、ふたりは同時に表情を強張らせた。
手に持っていた枝をその場に捨てるタンク。
エヴァルスは銅の剣を構える。
ふたりの視線の先から茂みが揺れて、小枝が踏み抜かれる音が響く。
奥から姿を現したのはイノシシだった。
その大きさはおよそ人の肩ほどの体躯。
息の荒さからすでに気が立っているのが伺える。
「やりぃ!肉だ肉だ!」
「タンク、そんな悠長な。ボクらが晩御飯にされちゃうかも知れないよ」
夜食の食材が現れたことに喜ぶタンクと、それを嗜めるエヴァルス。
これではどちらが年長者かわからない。
「そうは言っても雑魚だろ。エヴァ、やっちまえ」
「えー、タンクも手伝って……うわ!」
ふたりの会話の最中、イノシシがまっすぐに突撃してくる。
充分距離があったおかげでその突撃を躱すことができたエヴァルスは、通り抜けたイノシシに向き合う。
「タンク!」
「おうさ!」
ふざけていた空気から一転、タンクの紋章が光を放つ。
光に目を捉われたのか、先ほどとは標的を変えてイノシシはタンクに向かって突進してきた。
ただの突進と言えど、人の肩ほどもある巨体。
質量に物を言わせた勢いを、タンクは正面から受け止めた。
「おう、晩飯ちゃん。いい体当たりだ。だけど……」
両手で押さえつけていたイノシシの眉間にタンクは頭突きをお見舞いする。
先ほどまで荒い息を漏らしていたイノシシは「うきゅぅ」という身体に似合わない声を出してそのまま膝から崩れていった。
「運が無かったな、腹が減っているオレは手が早いんだ」
どちらが悪者かわからなくなる言葉を吐きながら、タンクは自分の二の腕を叩くのだった。
集めた小枝をエヴァルスが拾い直し、森の入り口に戻る。
タンクは仕留めたイノシシを嬉しそうに引きずっている。
「いやぁ、こんなデカいの初めて見たな。お前より大きいんじゃないか?」
「そんなサイズの魔物に素手で、しかも正面からぶつかるなんてどうかしてるよ」
エヴァルスの呆れた言葉を気にも留めていない。
「これも紋章の加護ってやつだな」
ふたりの手に宿る紋章には特殊な力が宿っていた。
タンクの紋章は身体硬化の術を使うことができた。
その”タンク”の名前の通り隊列の前衛で味方を守る役割を担う彼にはうってつけの力だった。
「でも、意味なく使わなくても。正直この力のことほとんどわかっていないんだから」
初代勇者……もっと言えば初代タンクにも同じ紋章が宿っていたと言われるものの、この紋章についてふたりが知っていることは少ない。
王都ほどの都市であればもちろん魔法の研究機関は存在する。
存在する上で、紋章の仕組みについて何もわかっていないのだ。
研究により魔法と紋章の作用が別の物であるということまではわかっているのだが、その違いが何かわかっていない。
その理由は紋章について調べている時間がほとんどないのだ。
15年あれば研究する時間もあると思うかもしれないが、すでに再び戻れない旅の決まっている人間、しかも子どもに対して「研究のために」と告げられるほど心を失っている者のいない証拠でもあったのだが。
年端もいかない子どもを人身御供に出して、更に研究材料にしようだなんて言いだす者はごく少数だった。
どの時代にもわずかにいた少数派はその提案をした3カ月も経たぬうちに”病死”していることは、さほど重要で無い事実であるのだが。
「そうは言ってもお前もつかうだろ。わざわざ火起こしなんてしてられないから」
相棒の指摘に眉をひそめながら木々を集めた場所に火の玉を放り込むエヴァルス。
その火は指摘の通り、紋章の力で作った火の玉だった。
小さな火の玉は集めた枝に燃え広がり、パチパチと音を立てて大きくなっていく。
紋章の力は便利だと思っている。
子どものころから慣れ親しんだ炎の力。
王都で訓練こそしていないが、簡単な火起こしをすることくらいは簡単にできた。
もちろん、それ以上の強さにもできるだろう。
そのことに恐怖は無かった。
自分の目的は魔王を討ち滅ぼすこと、そのための力なら多ければ多いほど良い。
この力がどこから生まれて、何のエネルギーを使っているのか考えたこともあったがタンクと相談したところで何もわからない。
火を起こすことも別に紋章じゃないとできないわけじゃない。
タンクの身体硬化も同じこと。
魔法で同じこともできるし、魔法が使えなかったとしても鎧を着こめばいいのだ。
結局”紋章が無ければできない”ことは無い。
今、この左手にある紋章はこの旅に出る理由以上の存在では無いのだ。
「おい、エヴァ。火を起こせば終わりか?イノシシ捌くの手伝えよ」
「ごめん、ぼーっとしてた」
タンクの不満を聞いて小刀片手に近寄る。
貰った銅の剣なんて、剣という名の鈍器だ。
刃もついちゃいない。
すでに半分になったイノシシを、骨に沿って肉を削いでいく。
火を付ける時余った小枝に肉を刺して大きくなった焚火の周りにくべていく。
昔から、調味料が無くてもご飯を食べられるように慣らされていた。
たぶんタンクも同じだろう。
生まれてからというもの、この旅のためにすべての時間を使ってきた。
不満なんてない。
だって比べられるものが無いんだから。
「この大きさじゃさすがに食いきれないか。捨てちゃうのもったいないけどな」
「人を襲う魔物が減ったで良いんじゃない?」
自分の肩ほどもあるイノシシ、その肉すべてをふたりで食べるのは少し無理があった。
「その考えは無かったな。干し肉にして持って行こうと思ってた」
「荷物になるから」
軽くたしなめるとタンクは口をとがらせながら解体に戻った。
もともと本気でも無かったみたいだ。
初日からしっかりと獲物を仕留め、腹を満たしたふたりは先に眠る順番を話していた。
睡眠を削るわけにいかないが、ふたり同時に眠るほど安全な場所ではない。
それがたとえ王都からほど近い場所であってもだ。
「そうしたらオレから寝るわ」
「食べすぎた?」
結局タンクは仕留めたイノシシの2/3をひとりで食べ切ってしまった。
今回を逃すと次にいつ食べられるかわからない、それが本人の談だったが、要するに食い意地が張っているだけのことだった。
「そういうなよ。食えるときに食っておかないと。それじゃ寝るな」
タンクは相棒の返事を待つことなくごろりと横になった。
すぐに規則正しい呼吸音が聞こえてきたのでよほど眠かったのだろう。
気持ちよさそうに眠る相棒を横目にエヴァルスは焚火に小枝を投げ入れた。
紋章の力で起こした火は、普通に起こしたそれとなんら変わらない。
燃料が無ければ燃えることはできないし、風が吹けば消えてしまう。
特別なことなど、何ひとつない。
ただきっかけが火打ち石か、魔法か、紋章か。
ただそれだけの違いなのだ。
燃える火はゆらゆら揺れていた。
今回倒したイノシシがこの森では強い部類にいたのか、それとも見慣れない火に怯えているのか。
少なくとも魔物が出てこないことは助かる。
気を緩めるわけにいかないけど、静かであれば襲撃にすぐ気付ける。
気付くのが早ければそれだけ守る準備ができる。
無駄なケガを負うこともないだろう。
(次、いつ食べられるかわからない、か)
そう、そうだ。
この食事が、いつ最後になるかわからない。
勇者の旅は100年に1度繰り返されているが、その旅が成功したことはない。
紋章持ちが産まれるたびに行なわれているのに帰ってきた者が居ないからどんなことが起きたのか王都にいた自分は何も知らない。
そう、何も知らない。
王都以外の、何も。
火が揺れる。
小枝を投げる。
火の中で爆ぜる。
この小枝のように消えてしまうのか。
それとも、生きて帰れるのか。
その答えは知っていた。
ボクは。
生きて戻ることは。
できない。
そんなこと、わかり切っている。
1,000年できなかったことがなぜできると思えるのか。
この旅は、死にに行く旅。
ただ、人に安心を与えるための旅。
……誰のために?
顔も知らない、会ったことも無い人のために?
それとも、ボクやタンクの両親のために?
「寝れないのか」
横になっていたタンクから、そんな声がする。
「寝ちゃダメでしょ」
お互いが休むために代わりに起きているんだから。
「それもそうか」
「いいの?寝なくて」
タンクはこちらを向いて身体を起こした。
「人間、食べ過ぎるとな、眠れないみたいなんだ」
それは、そうだろうと納得してしまう。
タンクの食べた量は単純にボクの倍。
しかも脂が乗った肉をあれだけたくさん食べたのだから。
「それは自業自得」
「少しは心配してくれてもいいだろー」
タンクはお腹を押さえて軽く叩いている。
それは満腹のジェスチャーだって。
「タンクが寝れないならボクが寝ようかな。ふたりで起きてる必要ないし」
どうせボクも眠れないだろうけど、このまま時間を失ってしまうよりずっといい。
「おう、寝ろ寝ろ。自分のために寝ろ」
「そうするよ」
タンクの言葉に甘えて横になる。
「エヴァ」
「なぁに」
「考えすぎるな。オレが一緒にいてやるから」
……なんだ。気付かれてたのか。
「何言ってるの?寂しがる歳じゃないよ。おやすみ」
少しだけ、ほんの少しだけど。
怖さが無くなった、気がしたんだ。




