第1話・伝説の誕生
大陸中央にある王都ニュウスにてひとりの男の子が誕生した。
大陸唯一の王都に生まれた新生児。
よくある子どもの誕生であるとその時まで誰もが思っていた。
父親は病院の待合室に置いてあるソファーに落ち着かない様子で手を組んで座っていた。
どれくらいの時間、その場に座っていたのだろうか。
父親の手は血液が下がり白くなっていた。
頬を伝う汗を拭ったその時、分娩室から慌ただしい音が聞こえてくる。
(頼む。無事で……何事も無く産まれてくれ……)
父親は俯き握りしめる手の力を強くした。
この父親の祈りの半分は通じ、半分は届かなかった。
分娩室から赤子の泣き声があがる。
(よかった、生まれた)
あまりに強く握りしめていたのか、軽く痺れて固まってしまったのか、手を振っている。
(名前、結局決まらなかったな)
いくつかの候補まで絞れたものの、どの名前が良いのか決め手にかけているのだった。
その者への最初に届く祝福に頭を抱えるのは産まれてくる子どもを愛する親ならば平等の悩みであろう。
(遅いな……もしかしてなにかあったのか)
子どもの産声が聞こえてから随分と時間がかかっている。
座っていられないのか、分娩室の扉の前で聞き耳を立てる。
中から漏れる声ほとんどない。
どちらかと言うと意図的に声を抑えて話しているような雰囲気が伝わる。
(伝えて、ください。あの人は、大丈夫ですから)
扉の奥から女性の声がかすかに聞こえる。
それは確かに母親の声だった。
父親は扉から離れて先ほどまで座っていたソファーの前に居住まいを戻す。
分娩室の扉が開くと助産師が出てくる。
その腕の中にはお包みに埋まっている子どもをしっかりと抱いている。
「子どもは、妻は無事ですか……!」
嫌に長かった時間を心配して父親はふたりの身体を尋ねる。
「ええ、母子共に健康です。ただ……」
そう言うと助産師はお包みから子どもの手を出した。
その手には青く光る鳥の紋章。
紋章を見た父親は目を見開いた。
出てくるまで時間がかかった意味、なぜひそめて相談していたのか。
そして、ふたりで相談していた名前が意味をなさなくなったことを知ったのだった。
「おめでとうございます……エヴァルスくんは、元気ですよ」
助産師から励ますように告げられた言葉はこの子の運命が15年で閉じることを実感せざる得ないものだった。
”魔王歴”985年。
この世に新たな勇者が誕生したことは、3日と経たずして王都すべてがすることとなった。
時をして1,000年近く前。
平穏だったこの大陸の最北西に突如魔王を名乗る存在が出現、周囲を侵略し始めた。
圧倒的な力と、数多い手下。
そして凶暴な魔物たちの恐怖に人々は叩き落とされた。
そんな侵略に対して王都からひとりの若者が立ち上がり、魔王討伐の旅に出た。
若者の手には青い紋章が浮かんでいた。
それこそが魔王を討伐する者の証だと。
その若者は同じく紋章を宿した仲間を集め、武具を揃え、魔王の住まう居城に進行した。
しかし、その若者は戻らなかった。
若者だけでない、仲間も、その亡骸さえも。
勇者が旅立ちしばらくしたのち、なんと王都の城に魔王がどこからともなく現れた。
恐れおののく王以下貴族たちの前で一言。
『勇者は屠った。2度と我が前に姿を見せるな』
それだけ言うと忽然と姿を消してしまった。
魔王を前にして手足も、それどころか口すら出せなかった事実を恥と捉えた王はかん口令を敷いた。
だが人の口を完全に閉ざすことはできなかった。
まして、王よりも目に見える脅威が存在し続けているのだから。
王は魔王の存続を流布した者を処刑しようとしたが、罪状を告げることは自ら魔王の存在を晒す必要が出てくる。
そのため重臣からの忠言で処刑までには至らなかったが、折り悪く騒動の最中に王が崩御した。
通例であれば、後継者争いが行なわれる事態に見舞われるのだが魔王の呪いという噂がまことしやかに流れたことで後継順位の高い者たちが次々と辞退。
そのことで後継第6位が次代国王に即位することになる。
元より国王になれる予定など無かった新国王は誰に憚られることも無いのを良いことに、魔王の存続を公布。
勇者一行の追悼を国を挙げて奉るのと同時に、魔王に支配されている歴史として暦を”魔王歴”と変えた。
その暴挙に対してさすがに黙っていられなかった老臣たちは暦を本来の王国暦に戻すように強く進言するも、その進言した者がひとり、またひとりと不可解な死を遂げた。
ある者は馬車に撥ねられた。
ある者は寝室で不審死。
ある者は不正が明るみに出て縛り首。
魔王歴を改めようとした者の死が続いた結果、誰もその改変には口を出せなくなった。
魔王の支配が始まり民の心は徐々に、だが確実に荒んでいくことになる。
いつ襲われるかも知れない恐怖。
自らが生き延びるために他人に構う余裕も消えてただ嵐が過ぎるのを待つばかり。
最初は北西地域のみだった魔王の支配圏も時が流れるにつれて広くなっていった。
魔王の居城のある北西から始まり、東と南に進軍。
大陸の南西と北東に到着するとそれぞれ砦を作り上げたのだった。
次は南東と思われたとき、魔王歴85年にとある子どもが産まれた。
それは勇者と同じく、手に青い鳥の紋章を宿した少年だった。
唐突に産まれた少年の扱いに当時の王は頭を抱えることになる。
それはこの”勇者”は魔王に対して明確な反旗の象徴だったからだ。
既に2世代替わっている時代、魔王歴に変えた王も既にいない。
当時の王が勇敢であれば、もしくは大胆であればなにか名案が出てきたかも知れない。出なかったかも知れない。
しかし当時の王はただただ優柔不断だった。
その産まれてきた子どもに勇者の使命を強要した。
名前を前勇者と同じ「エヴァルス」とし、15歳になったら魔王討伐の旅に出ることを国策と定めた。
前回勇者が魔王に相対しながらも被害としては大きくなかったことを引き合いに出し、勇者を旅に出すことで目の前から問題を無くすことを決めるしかできなかったのだ。
80年以上の年月が経ってなお、魔王の恐怖に囚われていたのだ。
要するに厄介払いである。
そのことは臣下の誰の目から見ても明らかだったが、表立って反対はしなかった。
”魔王の呪い”にて自らの命が危ぶまれることを恐れたのだ。
結果、その誕生してしまった国策に異を唱えられる者はいなかった。
その「栄誉ある旅立ち」は100年に1度紋章を宿す者が産まれる度に繰り返されていた。
誰も魔王を討伐できず、時は魔王歴1,000年まで進むのだった。
王城にある謁見の間にて整列した兵士が金管楽器を吹き鳴らす。
100年に1度この日のために吹かれる曲は、奏者の指に力が入る。
1音も1拍も間違えてはならないと緊張からか皆一様に肩があがっている。
この曲が流れる意味を知らぬ王都民は誰一人といない。
その曲名は祝福。
その真意は謝罪。
謁見の間、中央に跪く少年と今生の別れを王都中に知らしめる、我が身の可愛さを誤魔化すための葬送曲。
その曲が終わると周囲は静まり返った。
「勇者エヴァルスよ、今日という日を待ちわびた。そなたに授ける物がある。受け取るが良い」
その沈黙を破ったのはひとりの老人の声だった。
謁見の間の最奥に鎮座する玉座からまっすぐエヴァルスに向けた老人は視線を動かさずに横にいた壮年の男に手を振る。
壮年の男は更に控えた兵士に合図を送り、敬礼した後勇者に前に銅の剣と小袋に入った金貨が乗った台を運んでくる。
「わずかばかりであるが、この剣と路銀を受け取って欲しい。そなたの旅に幸多からんことを」
この剣と金貨も、初代の旅の時に渡された物をそのまま渡している伝統だ。
初代の時は誰も勇者など信じていなかった。
そのため、廉価で売られている銅の剣と雀の涙とも言える路銀で旅に送った。
その結果は歴史の教科書に載っている次第である。
そのことは当代のエヴァルスも承知している。
自らが生贄であることも、すべて。
「有難く賜ります。必ずや魔王を打ち倒して参ります」
そのことを理解して、飲み込んで目の前に置かれた剣を両手で捧げ持つ。
「期待しているぞ。では行くがよい!」
老人の声と共に再び鳴り響くファンファーレ。
その曲に合わせるように1歩、また1歩と歩みを進める勇者エヴァルス。
その曲は謁見の間からエヴァルスが消えるまで高らかに鳴り響くのだった。
エヴァルスが謁見の間を抜け、廊下を歩き城門を通り抜けた。
もう2度と歩くことのない道に、何の感慨も浮かばなかった。
(まぁ、歩くのこれが初めてだからね)
いくら勇者といえど一般庶民のエヴァルスが王城に幾たびも行く用事も理由もない。
王城に入るのはただ1度きり。
すなわち今日この日の旅立ちを祝福する茶番を演じるための入城だった。
「よぉ、パーティで出してくれるケーキは美味しかったかい?」
エヴァルスが門を抜けたところ、壁に寄りかかっていた青年がからかうように声をかけてきた。
「ちゃんとオレの分も持ってきてくれたんだろ、勇者さま」
「残念、全部食べちゃった。このフォークでよければ使っていいよ、タンク」
エヴァルスは青年……タンクに賜った銅の剣を見せて片唇をあげた。
その反応にタンクは口笛を吹いた。
「フォークがそのサイズってことはずいぶん大きなケーキだったんだろうな、うらやましい」
「そうだね、こんなたくさんのケーキだったよ」
エヴァルスは同時に貰った金貨の皮袋をタンクに放った。
タンクは両手で受け取ると軽く振って鼻で笑ったあとエヴァルスに投げ返す。
「これっぽっちかよ。これから魔王を倒しに行く勇者さまへの選別にしたら太っ腹なことで」
タンクも本気で言っているわけでは無いようだ。
勇者出立の選別が伝統で決まっていることも知らぬ者が居ないからだ。
「だね。ありがたくて涙が出る……タンク、だから」
エヴァルスの言葉の途中でタンクは頬を右手で掴みそれ以上発せないように遮った。
「お前ひとりで行かせられねぇだろ。それに、な?お前が行くならオレも逃げるわけにゃいかないんだわ」
タンクは左手の甲をエヴァルスに向けた。
そこには黄色く光る剣と盾の紋章が浮かんでいた。
頬を掴む手を振りほどいたエヴァルスは眉をしかめる。
「……わかってるよ。もう言わない」
エヴァルスだけじゃなく、タンクも歴史における勇者一行の一員だった。
その手には勇者と似て非なる黄色い紋章が宿っているのが目印だった。
その紋章はエヴァルスと違い、産まれた時にはタンクの手に祝福の紋章は刻まれていなかった。
しかしエヴァルスが産まれたその瞬間にタンクの手にも黄色の紋章が浮かび上がった。
その時、今まで別の名前で呼ばれていた男の子の名前はタンクとなり、15年後勇者と共に出立する運命が宿るのだった。
「さて、もう行くか?おばさんに挨拶は済ませてきたか?」
タンクは伸びをすると先を歩きながら尋ねてくる。
その問いにエヴァルスはゆっくり首を振る。
「ううん、そのまま行こう」
今さら家に戻ったら決意が揺らいでしまうとエヴァルスは考えていた。
その答えにタンクは頷き、王都の外壁へ向かう道を歩き始める。
「しかし、見送りが無いのは気楽でいいな。オレが謁見に呼ばれなくてよかったよ」
「ボクも辛かったよ。変なこと言っちゃいけな……」
王都の外に出る門に差し掛かったところでエヴァルスは言葉を止めた。
壁に作られた門を抜ければもう2度と戻れない。
その門の前に4人の人影が見えたからだ。
門の前に立っていた人物はエヴァルスとタンクの両親、その人だった。
「やっぱり。そのまま向かうと思ってました」
「母さん、なんでわかったの」
言葉を失っているエヴァルスに母親は怒っているような、呆れているような表情で頭を小突いた。
「何年親をやってると思ってるのよ。あなたのことなんてお見通しです」
すでに自分より低くなってしまった母親の少し背伸びをした手のひらを受けてエヴァルスは視界が歪むのを感じていた。
「エヴァ、バレバレだって。ってぇ!?」
「アンタも同罪でしょ!行ってきますくらい言えないのかい」
タンクの母親は遠慮なくゲンコツをお見舞いしていた。
「別にいいだろー。帰って来れるかわからねぇんだし」
「アンタは!」
タンクの言葉を聞いた母親は先ほどよりも勢いよく、手を振りかぶっていた。
咄嗟に身構え目を閉じるタンク。
しかしいつまでも衝撃が届くことは無かった。
ゆっくり目を開けたタンクの視界には手を振りかぶったまま大粒の涙を流す母親が立っていた。
「……そんなこと、言わないでよ。アンタたちは帰ってくるの。伝説も、伝承も関係ない。帰ってくるの!」
「……母さん、ごめ、痛ってぇ!?」
母親の涙を見て気が緩んでいたタンクの顔に平手打ちがしっかりと入るのだった。
「……痛そう」
「エヴァルス、あなたもよ。もし魔王が強かったら逃げてきなさい」
エヴァルスは母親の言葉に思わず顔を歪める。
そんな無茶苦茶できるわけがない、そのことは母親もわかっているはずなのに。
「うん、必ず、帰る」
「エヴァ」
エヴァルスが頷くと父親が母親の肩を抱いて声をかけてくる。
「今日、酒を仕込んだ。お前が成人するとき一緒に飲もうと思ってる。……だから、無駄にさせるな」
「……うん!」
それ以上、言葉を交わさなかった。
正確に言うと交わせなかった。
これ以上言葉を交わせば決意が揺らぐことをエヴァルスはわかっていたから。
「行くね」
エヴァルスのその言葉をきっかけに勇者のふたりは門をくぐり王都を後にした。
ふたりは振り返ることはしなかった。
1,000年にも渡る魔王の支配を終わらせる旅。
勇者の目に映るものは、果たしてなんなのだろうか。




