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部屋の中はスポーツのドームのようになっていた。
円形の周囲にスタンドが並んでいて、様々な種族が座り、中央のフィールドに注目している。
「やれッ! ぶっ殺せ! 鬼がそんなチビのガキに負けていいと思ってんのかッ! ざけんじゃねぇぞぉおおおおおッ!」
「ハハハハ! あの子強すぎー! 鬼何回ダウンしてるのよー? 戦闘種族のプライドズタズタじゃーん」
「だぁーから言っただろぉ。鬼は脳筋の馬鹿だってぇ。けどなぁ、超人はそれ以上の脳筋なんだよぉ」
「何それー! どっちもバカなのー? アハハハハ!」
ステージを見ると、身長三メートル以上の鬼と、真白より小柄な少女が肉弾戦を繰り広げていた。
少女はダボっとした寝間着のような服を着ている。どう見ても戦闘服ではない。裾が長くて足首まで隠れているし、首元にはフードがついている。戦いには邪魔だろう。おまけに色はピンクだ。武器は持っていない。
対する鬼は上半身裸で、緑色の硬そうな筋肉モリモリだ。下半身は短パン、手には刺々しい棍棒を持っている。しかし体のあちこちに傷があり、口からは流血していて、目は青く腫れている。今にも倒れそうだ。
少女の方は無傷……。やる気の無さそうなたれ目で、ぼーっと鬼を見つめている。まさか、この子が鬼を圧倒しているのか……?
「オラッ、やれ! クソ鬼ッ! 情けないと思わねーのかッ! 鬼の分際でリタイアなんて許さねぇぞ!」
「小娘ちゃーん! 早く勝負つけちゃいなよー! お姉さん飽きちゃったー! 鬼弱すぎー!」
お気楽な感じのお姉さんを、青筋を浮かべた鬼のオッサンが睨んだ。オッサンは同じ種族の鬼に賭けているのだろう。
会場がわっと盛り上がった。
闘技場を見ると、少女が鬼を背後から蹴飛ばしていた。ほんの数秒前まではリングの反対側にいたはずだが、いつの間に移動したのだろう。
鬼は頭からリングに突っ込み、フラフラと立ち上がる。棍棒を手に握り、大きく振りかぶる。
その腹部に、少女の強烈なパンチが叩き込まれた。
「ゲホッ……………………………………!」
鬼の吐いた息の量だけで、少女の拳が常軌を逸した重さだったことがわかる。
鬼は体をくの字に折り曲げ、少女の左手にぷらーんとぶら下がった。
審判らしき男がカウントダウンを始める。
『『『十……! 九……! 八……! 七……!』』』
審判と一緒にカウントする客席の声で、会場が揺れる。
これほどの大音量にも関わらず、鬼はピクリとも動かない。
カウントは進み、少女がふわぁぁと大きく欠伸をした。
『『『一……! ゼロ……! ウァワアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』』』
割れるような歓声とブーイングに会場内は包まれた。
称賛を受けているのは気だるげな少女。大声で罵倒されているのは鬼。
「なんだコレ…………」
「魔法禁止のバトルで賭けをしてるみたいね。あの少女は超人みたいだから、このルールなら最強じゃないかしら」
「超人?」
「魔力をたっぷり持ってるけど、魔法を使えない種族よ。魔力を体に巡らせてるんだって。私も初めて見たわ」
魔力で身体能力を強化している……ということは、筋肉量の多いオーガとは仕組みが違うのだろう。魔法禁止の戦闘で魔力を有効活用できる種族ということか……。たしかにこのルール下では無敵かもしれない。
『またしても超人―桃穂の勝利ィイイイッ! 先月から引き続き九十九人抜き達成ッッッッッ! 彼女を止める猛者はいないのデスかァアアア!? へっぴり腰の鬼に用はアリマセンよぉオオオッッッッッ! 我らが求めるは、彼女の三桁抜きを阻止する猛者ッッッッッ! 腰抜けダンスを披露する鬼じゃないッッッッ! 超人をも超える肉弾戦のスペシャリストッッッ! 会場にいたら是非挙手をお願いしますッッッッッ!』
独特な口調で会場を煽っているのはヒョロっとしたよくわからないアバターだった。腰の動きがクネクネしていて気持ち悪い。だが、会場は大いに盛り上がっている。
「雑黒、チャンスじゃないかしら」
「は?」
「この試合、誰でも参加できるみたいよ。雑黒があの子を倒せば、きっと一目置かれるわ。敵の秘密に迫る近道になると思うの」
耳元で色っぽく囁かれてゾクゾクする。思わず頷いてしまいそうになったが、なんとか冷静になり、留まった。
「それは無謀すぎるよ。僕は肉弾戦の経験がない。魔法無しであの子には勝てないだろう」
「そうかしら……? 私は雑黒なら勝てると思うわよ」
真白は本気で言ってるようだ。やはり僕の戦闘力を過信しているな。僕はただの防御系アバターで、素の攻撃力は無いに等しい。超人少女に挑んだら、鬼の二の舞になること請け合いだ。
『誰かいないのデスかァアアアアアアアアアアアア!? ここにいる男共は小娘にビビっちゃう玉ナシですかァアアアアアアアアアアアア!? 早くでてこいヤァアアアアアアアアアアアアアアアア!』
審判の煽りがヒートアップしていく。これは逆効果だろう。誰も出ていけない空気だ。
「雑黒、本当に行かないの? 敵の秘密に迫るチャンスなのに」
「うっ……」
そうだ。勝ったとしても負けたとしても、闘技場に出れば何かしらの情報を得ることはできる。何もしないよりはマシだ。それに……真白がここまで連れてきてくれたのに、僕が何もしないなんて情けないだろう。僕は真白のパートナーとして、できることをすべきだ。ましてや戦闘は僕の役割だ。
僕は勇気を振り絞り、大きく息を吸い込んだ。
そして。
「超人がなんぼのもんじゃーいッッッッッ!」
勢いに任せて、妙な口調で叫びながら挙手した。
一瞬、針の落ちる音も聞こえそうなほどの静寂が訪れた。
会場中の視線が僕に集まる。
気まずい……スベったか……?
そう思った瞬間。
『勇敢なる挑戦者の立候補ォオオオオオオオオオオオオオ!』
会場がドッと湧いた。
言葉が聞き取れないほどの絶叫、口笛、称賛らしき声に、罵倒らしき声、耳が痛いほどの音に包まれる。
僕は真白の腕からスルリと抜けて、喧騒の中、闘技場へとゆっくり歩みを進める。
「さすが雑黒ね。頑張って」
「うん、できる限りのことはするよ」
中央の闘技場に近づくほど、ライトが強くなっていく。これほど注目されたのは人生で初めてだ。
一歩ずつ踏みしめるように歩いていくと、審判の顔が見える距離に近づいた。
『おやおやおやぁあああ!?』
ふと、異様な空気になった。
審判が鬼の首でも取ったかのように、あるいは、滑稽なピエロでも見るかのように、嘲笑交じりの表情になる。
『挑戦者はなななななんとぉおおおお! 亜人のようだぁあああああああ!』
会場が静まり返る。
そして次の瞬間。
会場がブーイングに包まれた。
さきほどまでの歓声は、全てスラングのような暴言にかわっている。
『本職の魔法使いに劣る半端な魔力ッ! 本職のモンスターに劣る半端な肉体ッ! 器用貧乏を通り越して、ただひたすらに"半端"の二文字が似合う亜人ッッッ! 否、雑種ッッッッ! そんな戦闘には不向きな青年が、このステージに上がってきたぞォオオオオオオオオオオオオオ!』
審判の言葉に僕はイラっとしたが、無視して堂々と歩き続ける。
暴言にも嘲笑にも慣れている。会場が騒ぐほどに、冷静になっていくのを感じる。
『何か策があるのでショウカァアアアアアアアアアアアアアアアア!? 魔法ありきならともかクゥウウッ! 亜人が素手で超人を倒すなどォオオオオ! 前代未聞ッッッッッッ! 先ほど戦闘民族の鬼が情けないダンスを踊っていたようにィイイイイイイッ! 格の違いを教わること必須ゥウウウウウウッ! もしもッ! 万が一ッ! 彼が勝利したらァアアアッ! 否! 否! 否! もしも彼が三分以上少女の前に立っていたらァアアアアアアアアアアッ! 私は土下座して彼に詫びることをここに誓いまショォオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
『ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
審判の煽りで観客が熱気を取り戻した。ちらほらと僕を応援する声も聞こえる。審判の土下座という条件が追加されたことで、僕の勝利を願う者も現れたのだろう。
審判の煽りはどうやら、観客をコントロールしながら盛り上げる技術のようだ。そういえば格闘技で、当事者同士がマイクで罵倒し合う光景を見たことがある。あのパフォーマンスのようなものなのだろうか。
僕は闘技場に上がり、審判の頭を片手で小突いて、吹っ飛ばした。
審判は闘技場から転げ落ち、ドッと歓声が上がる。心なしか、僕を応援する声が増えた気がした。
『オォオオオオッ! なんという暴力性ッッッ! 彼はただの亜人ではないのかァアアアアアアアアアアアッ!? それとも超人―桃穂に負けることを見越して、早くもワタシに八つ当たりしているのだろうかァアアアアアアアアアアアッ!?』
口数の減らない審判の煽りで、再び会場が盛り上がる。空気は最高潮。おそらく僕を含め、(真白以外の)誰もが僕の敗北を予想しているだろう。それでもわずかな期待感が歓声に含まれているようだ。その声を聴くと、僕も一パーセントくらいは勝てる気がしてくる。
いや、そんな弱気では駄目だな。勝つ気で挑もう。全力で挑めばきっと何か、裏へ繋がるヒントを得られるはずだ。ここは裏への入り口……扉をこじ開けられるかどうか僕にかかっている。
僕の前では超人少女が、相変わらず寝起きのようなぼんやりした顔をしている。そのゆったりした挙動にはまるでやる気が感じられない。しかし、戦闘が始まれば種族名の通り、超人的な戦闘力を発揮するのだろう。何か考えよう。僕がこの子に勝てる方法を。




