13
「この世界には三種類のプレイヤーがいるって言ったでしょう」
「うん、言ってたね」
ママは静かに話し始めた。
以前に一度聞いた話だ。この世界には三種類のプレイヤーがいる。現実世界からログインしているプレイヤー。ゲーム世界に初めから存在していたプレイヤー。そして、現実世界からゲーム世界へ命を移したプレイヤー。僕は三つ目に該当する。ママが嘘をついていなければの話だが。
「NPC……私たちは"現地人"と呼んでいるけど、彼らを殺すと、ある利益を得ることができるの」
「利益……?」
「詳しくはまだ知らない方がいいわ。でもね、その利益を狙って、現地人を狩るプレイヤー達が大勢いるの」
「でも、NPC……現地人は、命があるんだよね?」
「ええ、そうよ」
ママは静かに答えた。
現地人はこの世界で実際に生きている生物で、異世界の住人なのだとママは以前に話してくれた。もしそうなら、現地人を殺すことは、人を殺すことと同じだ。ゲーム世界で行われる普通のPKとは違う。
「利益に目がくらんだプレイヤー達は、現地人が生きていると知っていながらも殺しているの。感覚が麻痺してるのでしょうね」
「そんな馬鹿な」
現地人を殺すことによって得られる利益は、それほど大きなものなのだろうか。
あるいは、彼らはあくまでもゲーム感覚で現地人を殺しているのだろうか。
僕がカマキリを殺したように、ゲームの敵と割り切ってしまえば、プレイヤーを殺すことはできる。そうでなくとも、人間は種族が違うという理由だけで人を殺せる。そのような意思を持ちうることを、歴史が証明している。
"異世界の住人"は難しくても、"ゲーム世界の住人"なら、あるいは……。
「このゲームが作られた理由って、まさか、異世界の住人を殺させる為……? "ゲーム"に見せかけて人間を異世界に転移させて、先住民を殺させる為……?」
「わからないわ。ゲーム製作者はあの変人でしょう? どこまで計算してたのかなんてわからないわよ。ただ、私があなたを産んだ理由は一つ」
ママは僕の頭に手を置いた。
その答えが母子愛ではないことだけはわかった。
心のどこかで期待していた甘い日常が、次のママの言葉で崩れると知りながら、僕は耳をふさぐことができない。
「現地人を殺しているプレイヤー達を、レルガルドーオンラインから追い出す為。彼らを全員殺す為よ」
ママは僕の頭をなでながら、力強く言った。
「雑黒。力を貸して」
つまり、この世界には二種類のPKが存在していたということなのだろう。
一つは、命あるNPC――”現地人”を殺す行為。
もう一つは、そんな悪意あるプレイヤー達を殺す行為。
簡単に言ってしまえば、悪のPKと正義のPKということになる。
悪のPKは罪に問われないものの、殺人と同義だ。許させる行為ではない。
一方で、正義のPKは地球人のアバターを殺すだけだ。せいぜいマナー違反の範疇に収まる。ママが行っていたPKはこちらだったのだ。
これでママが『最悪の魔女』『PKマニア』などと呼ばれていた理由が判明した。ママは正義の為に、そのような汚名を被っていたのだ。
僕はママの意思を継ぎたい。手を貸したい。
しかし、戦闘の重みは増した。
ママが戦っている相手は、言ってしまえば殺人者だ。確実に、勝たなければならない。倒し損ねてしまえば、そいつはいつか罪のない現地人を殺すだろう。
さらに言えば、僕はレルガルドーオンラインに命を移したので、この世界で死んだら、現実世界でも死んでしまう。つまり、二つの命を賭けて戦っていくことになる。
失敗の許されない戦闘が延々と続いていく。悪意あるプレイヤーを駆逐するまで終わらない。無理ゲーにもほどがある。
想像を巡らせるほどに、背筋が冷たくなっていく。
手足が震えて、力が抜けていく。
僕には荷が重すぎる。現実世界ならこれは警察の管轄だ。一介の高校生の手に負えるような事件ではない。
……ママはこれまで、こんなプレッシャーの中で戦っていたのか。
悪意あるプレイヤー達を敵に回し、人命のかかった戦いを、何度も繰り返してきたのか。
その凄さを認識してしまうと、僕がママのようになれるとは思えなかった。
自分の弱さが嫌になる。
ママを助けたいと思う一方で、戦いから逃れたい気持ちが増していく。
このまま家にいることができたら、どれほど楽だろう。
ママの手料理を食べて、適当にモンスターを倒して、レベルを上げて、ゲーム世界を謳歌することができたら、どれほど楽しかっただろう。
生まれながらに背負わされた業に、押しつぶされそうになる。
僕はなぜ、世界に選ばれたいなどと思ってしまったのだろう。
僕はなぜ、何者かになりたいなどと思いあがってしまったのだろう。
平凡でよかった。ザコでよかった。ただ平和に、最低限の幸せを甘受していれば、それでよかったのに。
僕はフラフラと立ち上がり、頭を押さえた。
眩暈がする。頭が痛い。いっそログアウトしてしまいたい。
そんな弱い心の叫びと同時に、別の思いが沸き上がる。
「真白……」
僕の口から、自然とその名が零れた。
関西弁を話すウサギアバターの少女。
彼女は、大丈夫なのだろうか。
関西弁を話しているということは、現地人ではないのだろうか…。
「ウサギの子?」
ママが背後で呟いた。
真白と一緒にいるところも見られていたのか。
「そうだよ」
「あの子と何を話したの?」
「PKの話を少ししたんだ。この近辺にPKの狩場があるって」
記憶をたどりながら正直に話す。
ママの魔法は遠くを見ることはできても、会話の内容まで聞き取ることはできないようだ。
「狩場ね……。彼女は何者なのかしら」
「何者って?」
「彼女がここにいる意味がわからないのよ。彼女はウサギ系アバターのような恰好をしているけど、ただの人間よ。しかも、現地人」
「えっ……」
真白が現地人……? つまり、この世界の住人ということか……?
「でも、関西弁を話してたよ? 異世界の住人が関西弁を話すなんて……」
「"翻訳感覚"でしょう。この世界の方言は地球の方言に置き換えられるの。実際にはそう感じるだけで、よく聞いてみるとまったく別の言語なんだけどね。アバターが作られた時点で標準装備されている機能よ」
「そんな高水準な機能が……」
このアバターは命を移すことができる器のようなものをイメージしていたが、ウィンドウ画面や翻訳機能といった地球のテクノロジーが埋め込んである。人造人間みたいだな。
『数世紀先のオーバーテクノロジー』『このゲームの発明者は創造神と同等の知能を持つ』といったゲームの謳い文句が、誇張には思えなくなってきた。
「それで、真白がただの人間ってのはどういうこと? なんでウサギのフリを?」
「それは私にもわからないわ。その謎を解き明かせるとしたら、雑黒じゃないかしら?」
「…………」
確かに、真白のことはママよりも僕の方が知っている。実際に面と向かって話した経験もある。
真白はママのことも、殺人プレイヤー達のことも警戒していた。だとしたら、その情報でも集めていたのだろうか。足の速いウサギのフリをして……?
そこまで考えたとき、僕は気づいた。
この近辺には殺人プレイヤーがいる。そして、真白は彼らから逃げる術を持たない。ウサギのフリをしているが、実際にはただの人間なのだから。
「真白が、危ない……」
僕は立ち上がった。
自分でも気づかないうちに、その足は玄関へ向かっていた。
「待って」
ママは僕を引き留めた。
「彼女に近づくのは危険よ」
「なぜ?」
「彼女は何かを隠してるわ。ただの人間がこんな森の奥まで入ってこれるはずがないもの」
「真白が敵だって言うの……?」
「そうは言ってないけど、迂闊に近づける相手じゃないのは確かよ。この世界は戦闘力が全てじゃないわ。情報戦術に長けた相手ほど、敵に回したときは厄介よ」
ママの言葉には説得力があった。きっと経験に裏打ちされた発言なのだろう。
確かに戦闘力は大切な要素だが、強者を操る力、相性を見極める力、弱点を見つける力、罠を張る力、様々な力が存在する。レルガルドーオンラインが単純なゲーム世界でないのなら、現実世界と同様に、戦闘以外の能力も十分な脅威となりうる。圧倒的な戦闘力を持つママだからこそ、そのような搦め手を得意とする相手を警戒しているのかもしれない。
「だとしても、真白を放っておくことはできないよ」
彼女は悪い人間には見えなかった。僕にとって彼女はもう他人ではない。少しだけど言葉を交わし、名前を教え合った。コミュニケーションの苦手な僕にとっては貴重な体験だった。
万が一真白の身に何かあったら、僕は後悔するだろう。
僕はドアに手をかけ、振り返った。
ママは諦めたようにため息をついた。
「意外と強情なのね。仕方ないわ……それなら手を出して」
「ん……?」
言われた通りにすると、ママは自分の手から指輪を外し、僕の指に嵌めた。シルバーの細い線が二本絡み合っていて、グミのような玉が包まれている。
「いざとなったら"帰還"と叫んで。そうすればこの家に帰ってこれるわ。ただし、後を付けられる可能性があるから、不用意には使用しないで」
「わかった。これは一人用?」
「もちろん」
「そっか……」
真白と一緒に緊急離脱することはできないのか。だとしたらあまり過信できないな。
「私は見守ってるけど、助けは期待しないで。移動系の魔法は制限が厳しいから、この森の中ではほとんど使えないの」
「大丈夫、一人でなんとかするよ」
無敵に見えるママの魔法も万能ではないようだ。最初に会ったときは、何もない野原フィールドだったから自由に移動魔法を使えたのだろう。ここからは僕が自分の力で、授かった魔法で戦うしかない。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
温かい声を背に、僕は家を出た。
いつの間にか恐怖は収まっていた。




