自警団の詰め所にて
交易都市グリア―ド。
この大陸有数の交易地であるこの街にはありとあらゆる国の物資が集まってくる。
様々な人種が行きかい、眠らない街とも呼ばれる不夜城。夜になっても、魔術によって灯された明かりがこうこうと道を照らしていた。
街の中心に位置する中央市場の片隅に、この都市の治安を守る自警団の詰め所があった。
市場の安定と治安の維持を主な任務とする自警団の兵士達はこの詰め所に常時二人は在籍していなければならない。
夜が更けて間もなく、市場の警邏を行っていた二人の兵士が帰ってきた。
「お疲れ……交代だな」
「おう、後は頼むわ」
入れ替わるように待機していた二人が完全武装をして退屈な警邏に向かう。
それを見届けた後、帰ってきた兵士の一人であるアランが質素な椅子にドスンと腰を下ろした。
「あいつ、ようやく静かになったか……」
忌々しげに舌打ちをしながら詰所の奥、留置所の方向へ視線を送る。
身体を圧迫する鎧を脱ぎ捨てながらぽつりと言い捨てた。
現在、そこには連続殺人犯として捕縛された一人の青年がいた。
昨晩の夜に捕まえて、そのまま牢獄へと叩きこんだのだが、それはもう、うるさいのなんの。
自分は犯人ではない、騙されたのだなど、昨日から一日中、騒ぎ続けていた。
日が暮れたころになってようやく静かになったようだ。
留置所は詰所の奥にあるのだが、壁が薄いせいかその叫び声が響いてくるのだ。
おかげで今日はその声に大いに悩まされていた。
あれほどの事件を起こしたのだ、さっさと殺すべきだと思うがそうもいかない。
巷を騒がせたとして公開処刑にするという通達があるのだ。
まったくめんどくさいことをするよな、呆れたように溜息をつくアラン。
「……でもあの男、本当に犯人なんですかね?」
同じく警邏から帰り、鎧を脱ぎ捨てた後輩の男がぽつりと呟く。
ダスティという自警団に入ってまだ一年足らずの若者は訝しげな表情を浮かべていた。
彼の頭にあるのは昨日捕まえた、自分とそんなに変わらないだろう青年のこと。
本当にあの青年がこの凶悪な事件を起こした犯人なのだろうか?
「そりゃそうだろ、あんな怪しい奴、他に見たこともないぜ?それに教団の証であるあのナイフを持っていたんだ。
これまでの事件の調査から黒の教団の仕業だってのは判明してたからな、決まりだよ決まり!」
それとは対照的に悩む素振りなく言い捨てるアラン。彼の心の中では、もうリックが犯人だと断定されていた。
だが、ダスティはというと……
「教団ですか……俺にはあの青年がそこに与しているとは思えないですけどね」
「は?何でだよ?」
「だって犯人は人を殺した上に、シンボルを身体に刻み込むかのような狂信者ですよ?そんな頭のネジが吹っ飛んだ奴は大抵、捕まったとしても開き直ったりするんじゃないですか?
それなのにあいつは一貫して教団との関わりを否定していまましたよ」
ダスティの経験上、信仰にのめり過ぎてしまった者は生死の概念が常人と大きくずれている。
むしろ己が信ずる神のために死ぬことは誇りとさえ思う者もいるという。
それなのに狂信者とされたあの青年は無様にも死ぬことを怯えていた。
「それは……いざ死ぬってなったら怖くなったんじゃないのか?人間なんて生き汚い生き物だからな。生きるためなら信じる宗教だって切り捨てるさ。
要はびびったんだよ」
確かにアランの言うことも分かるのだが……どうも納得がいかない。
それにリックと言うはどこか変わった雰囲気を醸し出していたがそれでも、目には確かな理性の光があった。
どうも見ても人を惨殺できるような狂信者とは思えない。
それに、青年には他にもいくつかナイフを持っていたが、あれだけ大きさが異なっていた。
身に覚えがないと訴えていたが、あながち嘘でも無いのかもしれない。ダスティはそう考えていた。
そして……ふと思い出すしたのは連行するとき、取り調べをするときのあの青年の様子だった。
訳の分からない事態に怯え戸惑う様。あの青年はどこからどう見ても人畜無害にしか捉えられない。
「……とてもあんな凶行を引き起こせるようには見えませんでしたけどね」
その凶行を思い出したのか、ダスティは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。それを見たアランも同様に顔をしかめる。
この街には様々な境遇を秘めた、多種多様な人種が集まる。
そのため、殺人もさほど大事件では無く、珍しいことではない。
街のスラムといえるイーストエリアを歩けば、死体なぞごろごろ転がっているだろう。
そのため、自警団の連中も人の遺体を見るのは慣れている。
だが、あれほど猟奇的な殺人はいくらなんでも稀だった。
遺体は原型をとどめることなく切り刻まれ、直視するのも難しいほど。
背中に刻まれた教団の代名詞とも言える死紋。
調査の結果、これは命を落とす前に刻まれたものだと判明した。
つまり……犠牲者は生きながらにしてナイフで身体を彫られるという激痛
を体感したわけだ。
それを知った時、犯人に対する憎しみと共に恐怖が自警団には芽生えていた。
てっきり頭のネジが数本いかれたようなトチ狂った怪人を予想していたのにまさか、あんな平凡そうな青年だとは。
何となく納得のいかない表情を浮かべるダスティにアランはため息をついた。
「人は見かけによらないんだ、無害そうな面して中身はとんでもなく腐ってる奴もいるんだよ。お前もこの仕事やってりゃすぐに気付くよ」
「そうかもしれませんが……それでもあと少しぐらい調べてみてもいいんじゃないですか?」
「駄目だ、一刻も早くこの騒動を終わらせなきゃいけないんだ」
「…………」
「俺ら、自警団が上からせっつかれているのはお前の知っているだろう?いい加減、犯人捕まえて騒ぎを鎮めないと俺達の首も危うくなる」
殺す手口も異常なら殺された人物達も皆、並々ならぬ者達だった。
グリア―ドを恐怖の底に陥れた惨殺事件……被害者は皆、都市の政治を司る市参事会の人間だったのだ。
都市の有力な者たちばかりが殺された事で自警団はかつてない重圧の中にいた。
一刻も早く犯人を捉えなければ無能の誹りは免れられない。
そしてようやく見つけた犯人らしき男。
事態をすぐにでも鎮静化したい自警団にとってはリックが犯人でないと困るのだ。
「団長はもう上に犯人は捕まったって報告したんだ、だから今さら間違いでしたなんて言えないんだよ。処刑の日には商人ギルドのお偉いさんも来るみたいだしな」
「そう、ですか……」
なるほど、もう再調査をするという段階ではないらしい。
「ったく、厄介な人を殺してくれたもんだよ……殺すのを楽しみたいなら亜人やら浮浪者がいるだろうに、何で有力な商人や職人に目を付けるんだ?」
「そうですね……金目当てっていうわけでもなさそうでしたしね」
「まったく狂信者っていうのは分からんよ……」
さらに場所も悪かったと言えるだろう。
街の中枢ともいえる場所で商人が殺されてしまったのだ。それも七人も。
一か月前から起こったこの凶行によってグリア―ドの人々は大いに怯えていた。そして、その批判は自警団にも寄せられている。
上からも下からもせっつかれて自警団はかつてない苦境の中にいた。
「まっ、そういうわけだから、あいつには死んでもらわなくちゃ困るんだよ。我ら自警団の名誉のためにもな」
吐き捨てるように呟くアラン。彼の表情からは、青年の命に対して何も思うことが無いようだ。
いまいち納得が出来ないダスティはもう一度、疑惑の視線を牢屋に送った。
これで殺人事件が幕を引けばいいんだけど……嫌な予感はなおも膨らんでいくばかりだった。
あの青年を処刑してもなお殺人が続くようなら……いや、考えるのはよそう。
それは最悪の考えだ。
トントンッ
二人がくつろいでいる最中、不意に戸が叩かれた。
ドアを開き、入ってきたのは紺色のコートで全身を覆った小柄な人物。フードで顔を隠しているが、おそらくは女だろう。
「こんばんわ、ここは自警団の詰め所でよろしかったでしょうか?」
いかにもめんどくさそうに顔を上げるアラン。
せっかくの休憩時間に水を差された不満をまるで隠そうともしない。
小柄な人影はおそるおそる詰め所へと足を踏み入れると、おどおどしながら口を開く。
「申し訳ありません、少々、道を尋ねたいんですけど……」
「悪いが俺達は今、休憩中なんだよ。道を聞きたいのなら、警邏中の奴らに聞いてくれ」
傍から聞いていてもアランの言うことは無茶苦茶だった。中央市場を歩きまわっている自警団をどうやって見つけろというのか。
あまりの言いように少女はもちろんのことながら、同僚であるダスティも眉をひそめる。
アランに少しだけ軽蔑のこもった視線を送りながら、ダスティが少女へと近寄る。
「道を聞きたいんだっけ?一体どこなのかな?」
先輩とは正反対な誠実な対応をするダスティ。少女は安心したようにほっと息を吐きながら……
「それはですね……」
ドゴッ!
腹部に凄まじい衝撃を感じ、ダスティは自分の腹を見下ろした。少女が腰に付けた剣をわずかに抜き、柄を己の鳩尾に打ち込んでいる。
「ぐぅ、かはぁッ!」
空気が肺から漏れる。とても立っては居られず、ダスティは詰所の床へと倒れ伏した。何が起きたのか、理解する前に意識は闇へと沈む。
「は?……な、何するんだ、てめぇは!」
一拍後、アランは来訪者の突然の凶行に慌てて自分の剣を抜き放った。
少女……フィーナはフードの闇から鋭い眼光を光らせ、
「悪いけど、しばらくの間、眠っていたもらおうかしら」
冷たい口調で言い放った後、剣を引き抜いた。