残忍で冷酷な人殺し
「ライム君、お疲れ様」
あれからライムは店を這い出て、路地裏の中で身を潜めていた。
壁に背をつけ、体を小さく丸めて座り込んでいる。
とても奇跡を行使したとは思えない、寂しく惨めな姿で俯いている。
マリーはライムに近くで購入したココアを手渡した。
「あったかくて、甘い」
ライムは一口すすって呟くように感想を漏らす。
マリーは嬉しそうに頷いた。
「そうだろう。疲れた体にしみわたるようだろう。ボクも久々に飲んだが、悪くはないね。ねえライム君、君はお酒とココア、どっちが好きだい?」
問われて、少し考える。
酒を思い出すと対面のユニまでよぎって、ライムは胸に広がる苦味にギュッと目を瞑った。
「お酒、イチゴの果肉がいっぱい入ってて甘くて美味しかった。でも、舌や喉の奥に残るアルコールは苦くて熱くて微妙だった。ビール? とか、ハイボール? は苦いだけなんでしょ? 私、ココアの方が良いな。ココアは甘くて優しいだけだから」
ポッポと白い息を吐いて、訥々と言葉を出す。
マリーは「そうかい」と頷くと、ライムの隣に腰を下ろした。
それから、ココアの入ったカップに水酒を入れる。
美味しいものをわざとマズくする理由がライムには分からない。
「マリーはお酒が好きなの?」
「何を当たり前のことを。ボクの心は癒しを求めるが、あいにく脳が選ぶのは毒ばかりでね。それしか受け付けられなくなったのさ」
「何それ」
得意げなマリーにライムは苦笑いを溢した。
「ライム君は魔法が使えたんだね」
「うん」
「どうして今まで使わなかったんだい? 魔法は無欲と清貧の証。魔法の使用者には国に仕える義務があるが、同時に国の保護対象でもある。ボクや騎士共に魔法を見せれば、君は任務に関係なく城下町に住めただろうに」
「嘘つかないでよ。殺すくせに」
ライムが鋭く言い放って唸る。
ガルガルと牙を見せるライムに、マリーはニヤリと笑った。
「正解だよ、ライム君。ノストリアはスラムで魔法を使えるやつがいたとしても、わざわざ拾い上げたりはしない。スラムは城下町にとって惨めなゴミ箱じゃなくちゃいけないからね。普通はその場で殺される。ごく稀に拾われる奴もいるが、利用されるだけされて、搾り上げられて、想像もしたくないような末路を遂げる。痛い目を見たくなければ黙ってるのが一番さ」
ココアをとっくに飲み干して、使い捨てのカップに水酒を注ぐ。
茶色っぽい色が濁って水面に映った月に纏わりつく。
それを飲み干して真っ黒な目で自分を見つめるマリーがライムには恐ろしく見えた。
「マリーも、殺す?」
「誰を? まさか、君をかい? ライム君」
ライムは小さく頷いて膝の中に顔を埋めると、ギュッと体を抱き締めた。
体は凍えたように小さく震えている。
「だから、使ってこなかったの。皆のこと、治してあげたいって思っても、魔物のこと、倒せるって思っても、ユニやマリーの前では使わなかった。だって、死にたくなかったんだもん」
きつく閉じた瞼の裏に、自分へ剣を振り下ろすユニが見える。
一緒に任務にあたる上で、ライムは何度もユニの強さを見てきた。
彼が無慈悲に魔物へ剣を振り下ろす姿だって見ていた。
それなのに、何故かライムはユニが自分を害する姿を想像できなかった。
目の前で魔法を使っても、お願いすれば「別に」と言って見逃してくれる気さえしていた。
それだけライムはユニに気を許していたのだろう。
しかし、つい先ほどその信頼が崩れた。
今は問答無用で自分を切り捨て、振り返らずに去っていく彼の後ろ姿しか思い浮かべることができない。
ライムは空想の中でユニに無感情で無慈悲な目を向けられ、体を硬直させた。
「そんなに怖いなら、どうして使ったりしたんだい? 偽善かい? 死にゆく者の多さに、それを救えるのに力を行使せぬ保身的態度に、罪悪感でも覚えたのかい?」
救えるはずの人間を救わぬこと。
それは見殺しにするのと同等で、断罪したユニと同じ立場に陥る。
故にライムは殺されることを覚悟で人々を助けたのか。
そう問いかければライムはすぐに首を横に振った。
「私ね、多分そんなに優しくないの。自分の命と他人の命だったら自分を優先する。醜いスラム出身者だもの。自分のことばっかりで汚いの」
ライムは泣きそうな声で言葉を落とす。
「じゃあ、どうして皆を助けてあげたんだい?」
問い直されて、ライムは少しの間沈黙した。
「ユニがね、ユニが人殺しになるのが嫌だったの。ユニのした酷い事、全部無くしたかった。そうしたら、ユニ、また綺麗に戻れるかなって。一緒に、いられるかなって」
止まっていたはずの涙がポロポロと溢れ出す。
夜の乾いたレンガが大粒の涙を吸って少しだけ色彩を取り戻した。
ライムは泣いてしまったのが悔しくて、グシャグシャと両腕を使って涙を拭っている。
「君は馬鹿だね、ライム君」
胸の傷を抱えるようにうずくまり、嗚咽を溢してやまないライムをマリーは抱き締め、頭を撫でた。
口元は夜空に浮かぶ三日月と同じ形。
だが、穏やかな手つきは何よりも優しかった。
少しずつ、ほんの少しずつライムが落ち着きを取り戻していく。
「私ね、ユニを見た時にビックリしたの。凄く綺麗で、透き通ってて、城下町にいるのがユニみたいな人ばっかりなら、私みたいな汚いのが虐げられているのも仕方がないって納得した」
ユニはライムが生まれて初めて見た、「本当の」美しい人だった。
端麗な容姿はもちろんのこと、声はスルリと耳に入って雑味が無く、発される言葉の一つ一つが妙に心地良い。
空虚な瞳は清水のようで、所作の一つ一つに見惚れた。
人形のように魔物に向かっていくさまも勇敢で、バリバリと穢れを焼く雷の力強さが好きだった。
自分の心をそのまま言葉として出す素直さも、試行錯誤してライムに関わろうとするひたむきさも、任務に真っ直ぐ取り組む姿勢も、全部好ましかった。
だからだろうか。
気が付かない内にライムは自分の理想をユニに重ねていた。
ユニは自分たちを虐げてきたような他の騎士とは違うのだと思い込みたかった。
しかし、彼の見せた残酷さがライムの中に在る温かな希望を打ち砕く。
どんなに見てくれが美しくても、内面が輝いて見えても人は全て醜いのだと、ユニも彼らと同類なのだと突きつけられた気がした。
一方的に信奉していたものが崩され、裏切られたような気になったのだろう。
ライムの心は怒りと悲しみで染まって、溢れる激情と嘆きを抑えられなくなっていた。
「ライム君は、ユニ君が大好きだったんだね」
「前は、そうだったんだと思う。でも、今はもう分からない」
「そうかい。ボクにはライム君が魔法を使った理由にその全てが詰まっていると思うけれどね」
「魔法の理由?」
「そうだよ。もう忘れたのかい?」
「忘れてない。でも、マリーの言いたいこと、分からないよ」
「あらら、本当に君はおバカなんだねぇ。普段は自分の身さえ守れないほど嘘が下手なんだから、せめて心くらいは素直であればいいものを。意地っ張りで鈍感な馬鹿だよ、君は」
中に詰まっているはずの物を確かめるように、マリーがコンコンとライムの額をノックする。
ライムが嫌がって顔を背けると、マリーはクスクスと笑った。
「ねえ、マリー、マリーは私の魔法の結果を見た?」
「見たよ。あれはまさに奇跡だった。脳や内臓の複雑な異常を治して、ちぎれた部位も壊死したものも復活させる。おまけに治した体は綺麗でまっさら。血どころか砂埃も木粉もついていない。あれは並みの治療魔法じゃなかった。まるで浄化だよ」
マリーは研究を趣味としているだけあって魔力への知識が豊富であるし、興味も強い。
ライムの持つ魔法はかなり特殊だったようで、妙に興奮していた。
しかし、当の本人は比べる相手がいなかったせいかピンとこないのか、不思議そうに首を傾げている。
「そんなの知らない、どうだっていいよ。それより、気になるのは助かった人のこと。全員、生きてる? ユニが悪いことをした人はどうなった?」
「ん? そりゃあ、あれだけのことをしたんだ。ほとんど全員助かったよ。魔物に踏みつぶされて頭が無くなった彼を除いてね。まあ、彼は位置が悪くて魔物には散々踏みにじられていたけれど、ユニ君には何もされていない。ライム君の目的はおおむね達成されたよ。良かったね、チキンライム君」
ライムは自分の魔法の結果が知るのが恐ろしくて、奇跡を目視する前に店から逃げ出していた。
母親を呼ぶ少女の嬉しそうな声から彼女が助かったことだけは察していたが、それだけだった。
マリーはライムの弱さに呆れ笑いを浮かべる。
ついでにバインと揺れ動いたマリーの爆乳もライムを失笑していた。
ライムは小馬鹿にされたことが悔しくてプクッと頬を膨らませる。
「臆病で悪かったわね! だって、怖かったんだもん。私が魔法を使わなかったせいでユニが残酷なことをして、それで、みんな死んじゃってたらどうしようって」
「ん? 別にユニ君が残虐な戦闘を繰り広げたのは君のせいじゃないだろう。何を言っているんだい?」
「ううん、私のせいだよ。私がもっと早くに皆を治したり、魔法を使って立ち向かってたら、ユニの立ち回りは違ったのかなって」
「そんなわけないだろう。君の治癒力は大したものだが、戦闘力はたかが知れているんだ。無茶も無意味な自己嫌悪もやめたまえ。そんなことを繰り返していると、すぐにでも酒浸りか薬中になるよ」
マリーは酷く落ち込むライムにほとほと呆れ果て、あくまでも揶揄った口調で注意する。
ライムが納得のいかない表情を浮かべたが、それでも渋々頷いた。
「うむ、それでいいんだ。君は明るく前向きな姿が眩しいくらいなんだから、そうしていたまえ」
マリーが上機嫌にライムの頭を撫でる。
それをライムは気恥ずかしそうな様子で叩き落した。
「もう! マリーもユニも子ども扱いしないでよね! それよりさ、私がみんな治したなら、ユニは人殺しじゃないよね?」
ライムのオレンジの瞳が不安そうに揺れる。
肯定を求める声は心細そうで普通ならば励ましてやりたくなるような様子だったが、マリーはキッパリと首を横に振った。
「ライム君、残念ながら、彼はとうに人殺しだよ」
「どうして?」
ライムの瞳が怯えて揺れる。
「考えてごらん」
マリーは人差し指でライムの額を小突くが、彼女は「分からないよ」と俯いた。
「ねえ、ライム君、騎士団の仕事は何だと思う? どうせ分からないだろうから教えてあげるが、正解は殺しだよ。人も生き物も、果てには魂すら持たない魔物も、国の脅威となるものは全て排除するのが彼らの仕事さ。時にライム君、君はスラムにおける魔法使いたちの末路を知っていたわけだが、それはどうしてだい?」
「それは、実際に見たから。魔法が使えるって浮かれていた女の子が騎士に連れられて、殺されるところを見たから」
当時の光景を思い出したのだろう。
ライムの顔は酷く青ざめている。
幼い頃、ライムは母親に魔法を使えることを打ち明けた。
そうしたら、ライムは母親に「決して魔法を使えることを人に明かしてはならない」と伝えられた上で、後日、路地裏に連れて行かれた。
ちょうど良く、自分は魔法を使えるのだと騎士に伝えて城下町に住み、一発逆転を果たすのだと豪語する愚かな子どもがいた。
大抵の者は魔法使いの末路を知っていたが、本人は無知で世間知らず。
おまけに、面倒に巻き込まれることを恐れてか、誰も彼女に手助けしなかった。
故に少女はとうとう騎士に魔法を使えることを打ち明けてしまい、路地裏へと連れていかれた。
そして、暗く汚い物陰で無惨に殺された。
たった一振りで絶命した少女。
唇は半開き、弾んだ声はもう出せなくなって、元気だった体がドサリと土の上に落ちる。
ピクピクと指先を動かして、風にパサパサの髪をなびかせた。
希望に満ちた目は濁って、大きく見開かれたまま路地裏の中から狭い空を見上げている。
母親は少女が処分される姿を見せることで、魔法を使うことができる危うさをライムに教え込もうとしたのだろう。
その結果は成功だった。
年が近かったことも関係してか、ライムは母親の狙い通り、苦しくなるほどに自分の置かれている状況を理解した。
当時を説明するライムの表情は曇って、視線も落ち込んでいる。
マリーは「そうかい、よくある話だ」と頷いた。
「君は当時、その騎士を怖いと思っただろう。でもね、ユニ君もそいつらと全く同じことをしている。国から不要な人間を消す間引きは立派な国のお仕事だからね。スラムで騎士の暴力が横行しているのも、同じ理屈さ」
スラムの人間は国における最底辺でなければならない。
這い上がれる人間であってはならない。
スラムが惨めな地獄でなければ、城下町の人間が堕落するかもしれないからだ。
実はライムの場合は、マリーやユニの権限と本人の高い能力により有用性を認められることで、過去の抹消、あるいは改変することにより、特別に受け入れてもらえる可能性が高い。
だが、そこには「ライムが確実に国に服従すること」という苦しい条件が括りつけられる。
城下町の中にも外にも自由はない。
特殊で強力な魔法を持ち、権力者二人に気に入られたライムでさえこのありさまだ。
少し魔力がある程度の人間、どうなるかはライムが見てきたとおりだろう。
スラム内での人間の処分は基本的にスラム配属の騎士が行う。
しかし、力が強い者や厄介な性質を持つ者が相手である場合はユニを含む実力者が派遣された。
加えて、ユニは騎士団内部の統制を図るため、規律違反を犯した元部下を殺したことも拷問したこともある。
暗殺の経験もあるし、謀反を起こした一族を一人残らず虐殺した記録も残っている。
ユニの透明で綺麗な両手には、既に他人の血液が染み込んでいた。
「彼は任務が関与しなければ人を傷つけたりしないが、逆ならばどんなに残酷なこともこなす。心を持たず、裏切るだけの心や欲がないユニ君は単純な苦役に便利でね、随分と汚れ仕事をやらされていたよ。だから操り人形。残忍で冷酷な大量殺人鬼だ。皆、ユニ君が怖くて堪らないのさ。騎士共が彼を小馬鹿にして笑うのは、恐怖心の裏返しだよ。まあ、ボクは本当に彼が愚かだと思うから嘲笑うんだけれどね」
淡々と、嫌な話を聞かされる。
ライムは「そっか」と呟くように返事して、それから押し黙った。
「また泣いているのかい? ライム君は泣き虫だからねぇ」
「泣いてないよ。ただ、分かんない。胸の中がクルクルする」
「よく見なければ感情は分からないが、まあ、見るまでもなく辛そうで複雑そうだね」
ライムは怒ったような、あるいは悲しそうな顔をしたまま頷いた。




