↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カジバノチカラ - 鉱石少女がエクスカリバーになるまで -  作者: 上田文字禍
第3部「最後の聖剣」
PR
54/54

53「岩石王」

 白が晴れると、廃坑のなかだった。


 ラグナロックの少し前を、メデューサが歩いている。


 フードを深くかぶり、目もとには厚手の黒い布が幾重(いくえ)にも巻かれていた。

 闇の街で手に入れたものだろう。


「……やっぱり、神様には敵わないよね」

 メデューサが振り返る。

「この呪いは、解けない」


「……ああ」

 ラグナロックの声が、わずかに震えた。

「いまのおれじゃ、解けない」


「……だよね」

 メデューサは布の下で、小さく笑った。

「ありがとう。本当に」

 彼女は一拍置く。

 それから。

「でも、これ以上あなたの時間をもらうわけにはいかないよ。だから、わたしはここで――」


「断る」


「え?」


「そばにいる」

 ラグナロックは、迷わなかった。


「……そばにいるって、わたしの目を見たら、あなたまで……」


「わかってる」

 ラグナロックは、メデューサの細い手首を見た。

 赤い石の腕輪が、坑道の灯りを鈍く返している。


「きみは、これから、ずっと目を閉じて生きるのか」


 メデューサは答えなかった。


「なら、まずはおれが変わる」

「……え?」

「きみの目を見ても、平気な身体になる」

 ラグナロックは、自分の右手を持ち上げた。

「呪いを解く方法は、まだ見つかってない。でも、おれの身体を変える方法なら見つけた」


「待って。それって危険じゃないの?」

 メデューサの声が跳ね上がった。

「だめだよ。わたしのために、あなたの身体を――」


「きみのためじゃない」

 ラグナロックが、言葉をさえぎった。

「おれがきみのそばにいたいからだ。……おれの、わがままだ」


 ラグナロックは自分の右手を左の掌へ重ねた。

 その指先へ、淡い光が集まっていく。



*   *   *



 変化は、指先からはじまった。

 爪が灰色へ変わり、皮膚の下に鉱石の筋が浮かぶ。

 石の色は指から手の甲へ、ゆっくりと這(は)うように広がっていった。


 ラグナロックは歯を食いしばっていた。

 額から汗が流れ、肩が細かく震えている。


「そんな……石に……!」

 メデューサがかけ寄る。


「……平気だ」

 ラグナロックが、かすれた声で答えた。

「これで……合ってる」


 おれは、その手を見つめていた。

(……指先から、石へ)


 どこかで聞いた話だ。

『最初は指先だった』と。

 あれは、カリオストロの妻の話だ。


 ……偶然か。それとも。

 答えは、まだ出なかった。



*   *   *



 空白が、いくつも過ぎていった。


 灰色は指から腕へ、腕から肩へと、少しずつ広がっていく。

 そのあいだも、ラグナロックはメデューサと過ごしていた。


 手を引いて廃坑の外へ連れ出し、風に当たる。

 木の実を分け合い、日が沈むまでとなりに座る。


 メデューサは目を布で覆ったまま、ラグナロックの話を聞いていた。


 また空白が入る。



 つぎに見えたとき、ラグナロックの身体は半分以上が灰色になっていた。

 頬にも鉱石の筋が走り、開いた瞳まで石の色へ変わっている。


「……いくぞ」

 ラグナロックが言う。


「待って。本当に大丈夫?」

「……おれを信じて」


 メデューサの手が、頭のうしろへまわる。

 震える指で結び目をほどくと、黒い布が膝の上へ落ちた。

 少女が、ゆっくり目を開く。


 ラグナロックは逃げなかった。

 石になることもなく、ただ正面から、その目を見つめている。


「……なんとも、ない」

「……本当に?」

「ああ。神様の呪いを跳ね除けた」


 メデューサが恐る恐る顔を近づける。

「あなた……ほんとに、石像みたい」

 その手が、ラグナロックの頬へ触れた。


 灰色の頬は硬い。

 生物だったころの温かさも、もうほとんど残っていない。


 それでもラグナロックは、ぎこちなく口の端を上げた。

「……きれいだ」


 メデューサの目から、涙がこぼれた。

「……ごめんね」

 泣きながら、笑う。

「わたしなんかのために……」


「おれのためだ」


「そういうところ……ほんと、ずるい」

 

 メデューサはラグナロックの灰色の手を、両手で包んだ。


 冷たくて、硬い手。

 それでも、その指はたしかに少女の手を握り返した。



*   *   *



 つぎにあらわれたのは、夕方の谷だった。


 空の裂け目から差し込む光の下で、ラグナロックとメデューサが並んで座っている。

 足もとには、パンや木の実、水筒が置かれている。


 もう、メデューサの目に布はなかった。

 ここにはラグナロックしかいない。


 メデューサは光の側の空について、楽しそうに話していた。

 ラグナロックは灰色になった腕を膝へ置き、その話をじっと聞いている。


 そのときだった。


「――メデューサ!」

 その声に、メデューサの肩が跳ねた。


 崖の上に、白い翼の少女が立っていた。


 メデューサと同じくらいの年だろう。

 肩で息をし、髪を乱し、目には涙を浮かべている。

 腕には、紙で包んだ小さな包みを抱えていた。

「やっと見つけた!」


「――っ」

 メデューサが振り返る。


 つい、振り返ってしまった。

 何度も聞いた、懐かしい声だったからだ。


 友だちは笑った。

 岩棚を蹴り、そのままメデューサのもとへ飛び降りる。


 赤い瞳と、目が合った。


「だめ! 目を閉じて!」

 だが、遅かった。


 友だちは着地すると同時に、動きが鈍った。

 足もとから灰色がかけ上がり、つぎの瞬間には、白かった翼まで石へ変わっていた。

 腕から紙包みが落ちる。

 破れた紙のあいだから、小さな焼き菓子が転がった。


「……あぁ」

 メデューサの喉から、かすかな声が漏れた。

 すぐに黒い布を掴み、顔へ押しつける。


「ちがう……ちがう……」

 震える指で、目を隠す。

「そんなつもりじゃ……」

 

 ラグナロックが、立ち上がった。

 石像になった少女の前へ歩み寄り、その肩へ灰色の指を触れる。

「……石に変わってる。これは……もう」


 腕。翼。頬。

 たしかめるように触れていく。


「いや。でも、変わったんだ」

 ラグナロックが振り返る。

「ひとから石へ変わったなら……逆もできるかもしれない」


「…………」


「おれが調べる。だから――」


 メデューサは返事をしなかった。

 黒い布の下で、ただ肩を震わせていた。



*   *   *



 夜になっても、友だちはそこに立っていた。

 石の頬には、石化する直前に流していた涙の跡が残っている。


 そのそばで、メデューサはずっと座り続けていた。


 ラグナロックも黙ってとなりにいる。



 長い沈黙のあと、メデューサが口を開いた。

「……あの子、わたしを探してくれてたんだ」

「……ああ」

「こんな姿になっても……あの子だけ」


「……」


「お菓子を取っておいてくれたの。いつも」

 メデューサは地面に転がった焼き菓子のほうへ、顔を向けた。


 ラグナロックはただ、灰色の手をメデューサの背中へ置いた。


「……ねえ」

「ああ」

「少しだけ、ひとりにしてくれる?」


 ラグナロックの手が止まる。

「……ひとりで、いたいのか」


「……この子とふたりになりたい」

 メデューサは石になった友だちへ顔を向けた。

「毛布を持ってきてほしいの。落石とか、動物とか……この子がたおれたら嫌だから」


 ラグナロックはうなずくと、ゆっくりと立ち上がった。

「わかった」


「ありがとう」

 メデューサが言う。


 ラグナロックは谷の出口へ向かい、途中で一度だけ振り返る。

 メデューサは黒い布で目を覆ったまま、石になった友だちのそばに座っていた。


 白が、景色を包んだ。



*   *   *



 つぎの記憶は、夜明けだった。


 ラグナロックが大きな毛布を抱え、谷へ戻ってくる。

 けれど、途中で足が止まった。


 石像になったはずの少女が、少し先の地面に膝をついている。


 肌には血の色が戻っていて、白い翼が震えている。

「わたし、なにが……?」

 少女が、自分の手を見る。


 ラグナロックの手から、毛布が落ちた。


 石化の呪いが、解けている。


 少女はあたりを見まわした。

「メ、メデューサ?」

 返事はない。


 地面には黒い布が落ちていた。

 そのそばには、赤い石の腕輪。


 ラグナロックは黒い布のところへ走る。


 少女がラグナロックを見て、腰を抜かして尻餅をつく。

「なっなに! 石像!?」


 ラグナロックは気にもせず、地面に膝をついた。


 布の上には、小さな砂利が積もっていた。

 そのあいだを、指先ほどの蛇が何匹も這っているのが見える。


 メデューサの姿は、どこにもなかった。


 ラグナロックの視線が地面の水たまりに移る。

 雨は降っていない。近くには空の水筒が落ちている。


 朝の光が差し込み、水たまりに自分の顔がよく写った。


 ラグナロックの視線が砂利に移る。


『その瞳は、見るものすべてを石へ変える――己自身さえも』


「……まさか」

 ラグナロックが腕を振るわせる。

「自分を……見たのか」


 水面が揺れた。


 ラグナロックは両手で、砂利を集めはじめた。

 一粒ずつ。

 落とさないように。

 崩さないように。


「……メデューサ」

 呼んでも、返事はなかった。


 少女はラグナロックを恐れていたが、砂利を集める姿を見て、ゆっくりと立ち上がる。

「あなたが、メデューサが言っていた鍛冶屋さん……」


 ラグナロックは手を止め、少女のほうを見た。

「呪いが解けた……。メデューサがいなくなったら……」


 ラグナロックは、ふたたび水たまりを見る。

 そこに映っているのは、かつての半巨人じゃなかった。

 半身を鉱石に変えた、灰色の怪物。


 石の目からは、涙ひとつ落ちなかった。



*   *   *



 しばらくして、ラグナロックが顔を上げた。


 少女の手から、赤い石の腕輪を受け取る。

 それから、黒い布へ手を伸ばした。

 指先ほどの蛇たちが、まだ動いている。


「……生きてる」


 一匹を掌へ乗せる。

 小さな身体が、灰色の指へ巻きついた。


 もう一匹。そのつぎも。

 ラグナロックは一匹ずつ拾い上げていく。


「その子たち……どうするの?」

 少女が聞いた。


「……守る」

 ラグナロックは、蛇たちを胸元へ抱いた。

「メデューサが残したものだ」


 少女は涙を拭った。

「……わたしに、できることは?」


 ラグナロックは首を振った。

「ない」


「でも――」


「おれたちは、関わっちゃいけなかった」

 ラグナロックは赤い腕輪を握る。

「これは……おれの責任だ」


 ラグナロックは蛇たちを抱え、地底へ向かって歩き出した。


「鍛冶屋さん!」

 呼び止める声が響く。


 それでも、ラグナロックは振り返らなかった。



*   *   *


 

 鍛冶場には、埃が積もっていた。

 鍋も、蝶番も、金槌の柄も、長いあいだだれにも触れられていない。


 炉の火だけが燃えている。


 ラグナロックは、その前の作業台に座っていた。

 炉のそばに置いた木箱から、小さな蛇が顔を出す。

 灰色の指で頭を撫でると、蛇はまた箱のなかへ潜った。


 ラグナロックの左手には、赤い石の腕輪がある。

 赤い石は、鈍く光りながら内側でゆっくり脈を打っていた。


「……これだけ、まだ温かい」

 ラグナロックはだれに言うでもなく、つぶやいた。



*   *   *



 空白が、何度も過ぎる。


 壁を埋め尽くす図。

 砕かれた鉱石。

 焦げた金属。

 骨の欠片。


 ラグナロックは、来る日も来る日もなにかを試し続けていた。


 ある夜、作業台に小さな鳥の死骸を置いた。

 灰色の両手が、その身体を包む。

 光が、指のあいだから漏れた。


 光が消える。


 掌の上には、石の小鳥があった。

 羽も、脚も、くちばしも、生きていたころと同じかたちをしている。

 けれど、動かない。


「……かたちは戻せる」

 ラグナロックがつぶやく。

「でも……命は、入らない」



「錬成ってのは、かたちを変える力だ。命を与える力じゃない」

 ハルマが、となりで言った。



 作業台の隅には、石になった小さな生き物がいくつも並んでいた。

 鼠。虫。魚。


 どれもかたちはある。

 命だけがない。


 ラグナロックは、自分の胸へ手を当てた。

 もう、石じゃない部分を探すほうが難しかった。


「……足りない」

 ラグナロックがつぶやく。

「いまの力じゃ……まだ足りない」


 灰色の手が、赤い腕輪を握る。

「おれはまだ、変われる」



*   *   *



 夜の谷だった。


 ラグナロックは、はじめてメデューサと出会った岩棚に立っていた。

 彼の身体はほとんど、ひとのかたちをしていなかった。

 肩にも、胸にも、頬にも鉱石が広がっていた。


 彼は左手をゆっくり開いた。

 赤い石の腕輪。


 ラグナロックは、それを握ったまま両腕を広げた。


 強大な魔力とともに、光があふれた。

 足もとの大地が震える。

 ラグナロックの身体から、次々と結晶が生まれた。


 色とりどりの鉱石が、皮膚を突き破るように伸びていく。


 光が収まったとき、そこにいたのは、もう半巨人の青年じゃなかった。

 全身が極彩色の鉱石でできた、巨大な存在。

 その目は、ゆらゆらと深い赤に光っている。


 おれは、黙ってその姿を見ていた。


(魔鉱石)


 リルも、オリハルコンも、アダマンタイトも、みんなこの身体から生まれた。

 オリハルコンは黙って、その姿を見つめていた。



 そのとき、頭上が白く輝いた。

 光の柱が、いくつも降りてくる。

 柱のなかから、白い翼を持つ兵たちが、音もなく降下してきた。

 その翼は、羽ではなく光そのものでできている。

 顔はのっぺりとして、目も口もない。

 手には光り輝く槍を握っていた。


 六体。


 一斉に、ラグナロックへ襲いかかる。

 光の槍が、彼の胸を、肩を、背中を貫こうとした。


 でも、槍は通らなかった。


 光が、鉱石の肌に触れた瞬間、穂先が砕けた。


 火花みたいな光の粒が、四方へ弾け飛ぶ。

 二撃目も、三撃目も、同じだった。

 神の力が込められたはずの武器が、彼の身体にひとつの傷もつけられなかった。


「魔鉱石以外じゃ、傷つけられない」

 ハルマが言った。

「あのときのあいつは、もうそういう身体になっていた」


 ラグナロックは兵たちを見た。

 目の光が、わずかに強まった。


 ラグナロックが片腕を払う。

 それだけで二体の兵が吹き飛び、光の粒になった。

 残った兵たちは翼を翻し、空へ逃げていく。


 ラグナロックは追わなかった。

 ただ、その光が消えるまで見ていた。



*   *   *



 つぎの記憶。


 谷に、黒い衣の人影が立っていた。

 顔は、影に隠れてまるで見えない。

 背丈は人並みだったが、足もとの影だけが、異様に長く伸びていた。


 ひとの類でないことは、直感でわかった。


「巨人の子、ラグナロックよ」

 人影が両手を広げる。

「私は闇の使徒。話をしに来た」


 ラグナロックが顔を向ける。


「お前が"光の使徒"を退けたことは知っている。だが、もうやめろ」

「……」

「神々は、お前の力を危ぶんでいる。光も、闇もだ」

 黒い人影は淡々と続けた。

「静かにしていれば、我々はお前を放っておく。あの娘のことは忘れろ。それがお前のためでもある」


 ラグナロックの赤い目が、人影へ向く。

「……あの娘」


「光の姫だ。不幸なことだった。だが、神々の決めたことへ逆らったところで――」


「……どの神だ」

 ラグナロックが低い声で言う。

「あの子を……あの姿にしたのは」


 人影が一歩下がった。

「光の側の神だ。それ以上は、言えん」


 ラグナロックの目の光が、一気に濃くなった。


 つぎの瞬間、黒い衣のなかから、短剣が閃いた。

 人影がラグナロックの喉をねらう。

 

 刃は、届いた。

 そして折れた。


 ラグナロックの手が、人影の頭を掴む。

「……名を言え」


「知らぬ。私はただ――」


「……そうか」

 巨大な指が閉じた。


 黒い衣だけが地面へ落ちた。

 異様に伸びた足もとの影も、一緒に薄れて消えた。


 ラグナロックは、それをしばらく見下ろしていた。


「……光の神」

 彼は、もう一度つぶやいた。

 その目は、暗い炉の底みたいな赤に染まっていた。



*   *   *



 ラグナロックは、小さな蛇たちを廃坑の奥へ運んだ。


 だれも来ない場所に窪みを掘り、布に包んだ蛇たちを置く。

「……ここなら、見つからない」


 巨大な指で、一匹の頭を撫でた。

「必ず迎えに来る」


 入口を岩で塞ぐと、裂けた空の向こうを見上げる。


 向こうには、光の世界がある。

 ラグナロックは歩き出した。



*   *   *



 白い神殿だった。

 石段の下では、白い翼の民やエルフたちが祈りを捧げている。


 その地面が揺れた。

 周囲から悲鳴が上がる。


 極彩色の巨体が、石段を上ってきた。


 人々が逃げる。

 花が踏まれ、供えられていた果物が転がった。


 ラグナロックはだれにも触れなかった。

 ただ、神殿の奥へ進む。


 そこには白い石を彫ってつくられた、天井に届くほどの巨大な像があった。

 穏やかな微笑みを浮かべて、両手を広げている。

 衣の皺の一筋、髪の一本まで、丁寧に彫り込まれていた。

 何十年もかけて、職人たちが祈りを込めてつくったのだろう。


 おれは、思わず足を止めていた。

「……神殿に石像? でもこんな綺麗で精巧な石像、見たことねぇ」


「岩石王があらわれる前は、神々の姿をかたどる彫刻の文化があった」

 ハルマが言う。



 ラグナロックが神像の前へ立つ。

「……お前があの子を変えたのか」


 像は、微笑んだまま答えなかった。


 ラグナロックの鉱石の指が、像の首へ触れた。

 そのまま横へ払う。


 像の首が落ちた。

 床へぶつかり、転がる。

 穏やかに微笑んだ顔が、ラグナロックの足もとで止まった。


 つぎの瞬間、天井が白く染まった。

 石の屋根が音もなく割れ、空が覗く。


 白い光の柱が、天から一直線に降りてきた。

 柱のなかに、巨大な輪郭が浮かび上がっている。

 ひとのかたちをしているのに、顔も、目も、口もない。

 ただ、眩しい光でできた、影のような姿だった。


 これが、神なのか、と思った。


 巨大な輪郭は、ラグナロックを見下ろしていた。


 その光が、一気に膨れ上がる。

 真っ白な光線が、彼の身体へ一斉に降り注いだ。

 でもそれは、彼の身体に触れた瞬間、砕けて四方へ弾け飛んだ。


 傷ひとつつかなかった。


 光線が勢いを増す。

 しかし、ラグナロックは止まらない。

 一歩ずつ、前へ進んだ。


「……お前が、あの子を」


 巨大な輪郭が揺らいだ。


 極彩色の腕が、神の胸を貫く。

 光の柱が、砕けた。


 輪郭が無数の粒となって神殿へ散り、やがて消えていく。

 あとには、なにも残らなかった。


 ラグナロックは、しばらくその場所を見ていた。



*   *   *



 空白が、何度も、何度も続いた。

 別の神殿。

 またべつの神殿。


 白い神像の首が落ちる。

 光が降り、砕ける。


 闇の側へ移る。

 黒い神像が崩れ、影のような神が消えていく。

 

 ラグナロックは止まらなかった。


 メデューサの死に関わった光の神を。

 自分を利用しようと、そそのかしてきた闇の神を。

 次々と消していった。


 

 そして。

 ある地底の神殿で、ラグナロックは動かなくなった。


 壊れた神像のあいだに座り、赤い石のブレスレットを見ている。


「……冷たい」

 かつて、まだ温かいと言っていた石。

 何度も握っていた石。

 その赤い石は、もうなんの熱も返さなかった。


「……あの子は」

 ラグナロックがつぶやく。

「もう戻って……こない」


 神を殺しても。

 何柱消しても。

 メデューサは戻らない。


 ラグナロックの目に宿っていた赤い光が、少しずつ弱くなっていく。

 深い炉の底のようだった赤が、少しずつ、少しずつ、沈んでいく。

 最後にふっと消えて、あとには鈍い石の色だけが残った。


 ラグナロックは、動かなかった。



*   *   *



 神殿の入口に、老人が立っていた。


 痩せた身体。

 石工らしい、大きな手。


 その手には、割れた鑿(のみ)が握られている。


 老人は震えながら、座り込むラグナロックを見ていた。

「……石の、王」


 ラグナロックがわずかに顔を上げる。


「岩石の……王だ」

 その言葉が、神殿に響いた。

 老人はそれだけ言うと、あとずさって逃げていった。


 ラグナロックは追わない。

 

 彼の名前を呼ぶ者は、もういなかった。

 代わりにその異名は、風より早く、世界へ広がっていく。


「……岩石王」

 オリハルコンがつぶやいた。



*   *   *



 夜。

 岩石王は、まだ神殿に座っていた。

 何日経ったのか、わからない。


 その背後で、ゴトリと音がする。


 首を落とされた黒い神像が、ゆっくりと立ち上がっていた。

 台座から、ぎこちなく足を下ろし床を踏む。


 もう一体。

 そのとなりも。


 首のない石像が次々と立ち上がっていく。

 石像たちは神殿を出て、闇の向こうへ歩いていく。


 他の神殿でも、同じことが起きていた。

 白い石の像が。黒い石の像が。

 首を失ったまま、立ち上がって歩き出していく。


 人々が、その姿を見ていた。

 石工が、その姿を見ていた。


 ある村では、住民たちが広場にあった石像を自分たちの手でたたき壊していた。

 動き出すかもしれないと恐れたからだ。


 若い彫刻家が自分の作品を抱きしめて、必死に止めようとして蹴りたおされていた。


 石を彫る文化は、この日から世界の隅へ追いやられていった。



 また、空白が入る。


 空に浮かぶ巨大な城が傾いていた。

 翼の民の天空城。


 そこに向かって石像の群れが進んでいく。

 その先頭に、岩石王がいた。



 景色が滲む。


「ここからは、俺の話だ」

 ハルマが言った。



*   *   *



 荒野に、ひとりの男が立っていた。


 黒い髪。

 煤で汚れた作業着。

 手には、金槌。


 若い頃のハルマは、落ち着かない様子で周囲を見まわしていた。

『……どこだ、ここ?』


 その問いに、どこかから軽やかな声が返ってきた。

『やぁ、はじめまして』

 光のような輪郭が、若いハルマの前にあらわれる。

『私はノルン。神様だよ』


『……神様ぁ?』

 若いハルマが、警戒したように金槌を握り直す。


『源道(げんどう)晴馬(はるま)くん』

 ノルンの声から、軽さが消えた。

『いま、この世界は沈黙しようとしてる。……だから君を呼んだ』


『呼んだって……俺、さっきまで仕事して――』


『この世界の理の外にいるひとが必要なの』

 光が揺れる。

『お願い、この世界を救って』


『……は?』


 そこで記憶が途切れた。



*   *   *



 最初の荒野へ戻っていた。


「そのあとは、君たちも知ってるとおりだ」

 ハルマが言った。

「岩石王は石像の軍勢を率いて進んだ。俺はノルンに呼ばれて、それを止めた」


 ハルジオンは腕を組んだまま、荒野の先を見つめている。

「岩石王は、世界を滅ぼすつもりだったのか? 神への復讐を続けていたのか。それとも、べつの理由があったのか」


 ハルマが首を振る。

「それは、わからない」


「わからない?」


「聖剣を錬成したとき、一瞬だけ、あいつと深くつながった」

 ハルマは天を仰ぐ。

「そのとき、俺もこの記憶の断片を見た」


「……」


「ただ、ひとつだけ。ずっと引っかかってることがある」

 ハルマは目を細める。

「……あいつの心が、見えなかった」


「……見えない?」

 おれは聞き返した。


「怒りも、憎しみも、悲しみも、殺意も」

 ハルマは続ける。

「メデューサを失った悲しみも。神への憎しみも。世界を滅ぼしてやるって殺意さえ、俺には見えなかった」


 ハルマはつぶやく。

「やつは、なにで動いていたんだ」


 おれは、石像が歩き出した神殿を思い出す。

 赤い目の光が消えたあと。

 あいつはなにを思って、なにを感じていたんだろう。


「……あんたは」

 おれはハルマに問いかける。

「岩石王を砕いたとき、どう思った?」


「長く続いた恐怖を終わらせた、と思った」

 ハルマが答えた。

「いまでも、それはまちがってなかったと思ってる。止めなきゃ、世界が終わってた」


 そこで言葉を切る。


「……でも、砕いたあとで思ったんだ」

 ハルマの目が、遠くを見る。

「俺が砕いたのは……なんだったんだろうな、って」


「だから、心臓を探したのかもしれない」

 ハルマがポツリと言った。

「もし、まだあいつがどこかに残ってるなら、直接聞きたかった」


「この先どうするべきか、おれのなかに答えはない」

 ハルマがおれたちを見る。

「だから、君たちに見せた」



 荒野の景色が、遠ざかっていく。

 記憶の世界が、少しずつ白へ溶けていく。


「時間だ」

 ハルマが言った。

「勇者ハルマの時代は、もう終わった」



「ここからは――君たちの時代だ」


 白が、すべてを包んだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。