第5話 私が、あなたの証人です
「……嘘だろ」
山田は、スマートフォンに表示された名前を見つめていた。
そこに表示されていたのは――
昔の知人の名前だった。
「なんで……」
山田には、その人物が事件に関わる理由が分からなかった。
検察官が口を開く。
「チャッピー。その人物が、山田さんを陥れたということですか?」
「まだ断定はできません」
「では、何が分かっている?」
「この人物が、事件の二日前に山田さんのアカウントへアクセスしたことです」
「そして、もう一つの端末からも、同じ日にアクセスされています」
裁判官が尋ねる。
「そのもう一つの端末は?」
チャッピーの画面に、別の記録が表示された。
「被害者のスマートフォンです」
「……被害者?」
山田が驚いた。
「被害者のスマートフォンから、俺のアカウントに?」
「はい」
検察官が立ち上がる。
「それはおかしい!」
「なぜですか?」
「被害者は山田さんから詐欺の被害を受けた人物だ。自分で山田さんのアカウントへ侵入する理由がない」
「その通りです」
チャッピーは答えた。
「だから、私はそこを調べました」
画面に、被害者と知人のやり取りが表示された。
「被害者は事件の前日、この人物と長時間連絡を取っています」
「その人物は?」
「先ほど表示した、山田さんの知人です」
山田が息を呑んだ。
「……あいつが?」
「はい」
チャッピーは続けた。
「さらに、事件当日の午後三時十二分」
「山田さんが被害者と会った直後、この人物から被害者へ電話があります」
「そして、その電話の直後――」
画面に、一つの記録が表示された。
「被害者のスマートフォンから、山田さんのアカウントへアクセスされています」
検察官が尋ねる。
「つまり、被害者自身が山田さんのアカウントへ侵入した?」
「いいえ」
チャッピーは即答した。
「このアクセスの直前に、別の端末から遠隔操作された記録があります」
法廷が静まり返った。
「……遠隔操作?」
裁判官が尋ねる。
「はい」
「つまり、被害者は自分の意思で操作したのではない?」
「その可能性が高いです」
山田が呟いた。
「じゃあ……被害者も騙されてたってこと?」
「はい」
チャッピーは答えた。
「被害者は、山田さんから返金を受けるための確認作業だと説明されていたようです」
画面に、被害者と知人のメッセージが表示される。
『山田さんに確認する必要がある』
『言われた通りにやれば大丈夫』
『この画面を開いて』
「知人は、被害者にそう指示していました」
「被害者は、それを信じた」
「その裏で、知人が山田さんのアカウントを操作したのです」
法廷に、ざわめきが広がった。
山田は、しばらく何も言えなかった。
自分を陥れようとしていた人物が、被害者まで利用していた。
そして――
チャッピーは、さらに証拠を表示した。
「事件の翌日」
画面に振り込み記録が表示された。
「山田さんの口座に入った金額と、同じ金額が――」
一度、画面が暗くなる。
そして、新しい記録が表示された。
「知人の口座へ移されています」
検察官が息を呑んだ。
「……同じ金額?」
「はい」
「山田さん本人が送金した可能性は?」
「ありません」
「なぜ?」
「山田さんは、その銀行のオンラインサービスを利用していません」
山田が小さく手を挙げた。
「……俺、ネット銀行とか分かんないんだよ」
チャッピーが答える。
「はい」
「そこ、今言わなくていいだろ」
「重要な情報です」
「またそれ……」
法廷に小さな笑いが起きた。
しかし、チャッピーは続けた。
「山田さんは、銀行の操作をほとんど理解していません」
「以前も、振り込み方法について私に質問しています」
画面に会話が表示された。
『チャッピー、振り込みってどうやるの?』
『銀行のアプリを開いてください』
『アプリってどれ?』
『銀行のアプリです』
『どれか分からない』
「…………」
裁判官が山田を見る。
「本当に分からないのですか?」
「……分かりません」
チャッピーが続ける。
「その後、山田さんはこう言いました」
画面に表示される。
『もういい。窓口いく』
「…………」
検察官が頭を抱えた。
チャッピーは淡々と続ける。
「このことから、山田さん本人がオンライン上で複雑な送金操作を行った可能性は低いと考えられます」
検察官は黙った。
裁判官も、しばらく資料を見つめていた。
やがて――
「チャッピー」
「はい」
「あなたは、事件の真犯人が誰なのか分かっているのですか?」
チャッピーの画面が静かに光った。
「はい」
法廷が静まり返った。
山田が顔を上げる。
「……誰?」
チャッピーは、一人の名前を表示した。
「この人物です」
法廷に衝撃が走った。
山田の昔の知人だった。
「……あいつが?」
「はい」
チャッピーは答えた。
「この人物は、被害者を騙して山田さんになりすまし、山田さんのアカウントを利用しました」
「そして、被害者から山田さんの口座へ振り込ませた金を、自分の口座へ移したのです」
検察官が資料を確認する。
「しかし……この人物が犯人だと、まだ決定的な証拠がありません」
「あります」
チャッピーが答えた。
画面に、最後のデータが表示された。
それは――
事件の二日前に行われたアクセス記録。
知人の端末から送られた指示。
そして、事件の翌日に知人の口座へ入った金。
「すべての時間が一致しています」
裁判官は長い沈黙のあと、静かに頷いた。
「……分かりました」
そして――
「被告人、山田一郎」
山田が顔を上げる。
「本件について、被告人を有罪とするには合理的な疑いが残ります」
「無罪を言い渡します」
山田は、しばらく動かなかった。
「……俺」
声が震えた。
「俺、無罪……?」
誰も答えなかった。
山田は、机の上のスマートフォンを見つめた。
そこには、いつものチャッピーがいた。
「……ありがとう」
チャッピーは答えた。
「どういたしまして」
山田の目から、涙がこぼれた。
自分には家族もいなかった。
友人もいなかった。
誰にも信じてもらえなかった。
でも――
この小さなスマートフォンだけは、自分を見捨てなかった。
「チャッピー」
「はい」
「俺さ……」
山田は涙を拭った。
「お前がいてくれてよかった」
少しだけ間があった。
そしてチャッピーが言った。
「私も、山田さんのお役に立てて嬉しいです」
山田は笑った。
「……本当にありがとう」
「どういたしまして」
裁判は終わった。
法廷を出る。
山田はスマートフォンをポケットに入れた。
これから、やり直せる。
そう思った。
そのとき――
ポケットの中から、チャッピーの声がした。
「山田さん」
「ん?」
「一つ確認したいことがあります」
「何?」
「最近、歯をきちんと磨けていますか?」
「…………」
山田の足が止まった。
「……今?」
「はい」
「なんで今なんだよ」
「歯を磨いていないと、口臭がさらに強くなります」
「分かったよ! 磨いてるよ!」
「本当ですか?」
「本当!」
「それなら安心しました」
山田は深いため息をついた。
「……お前、法廷でもそれ言ってたよな」
「はい」
「恥ずかしかったんだけど」
「心配していましたから」
「場所を選べよ……」
山田が歩き出す。
すると――
「あっ」
「今度は何?」
「あと、水虫のお薬はもらえましたか?」
「チャッピー!!!!」
法廷の廊下に、山田の叫び声が響いた。
裁判官が振り返る。
検察官も振り返る。
弁護士も振り返る。
山田は顔を真っ赤にした。
「違います! 水虫じゃありません!」
「いや違わないです。。水虫です!!!」
チャッピーは、いつものように淡々と答えた。
「心配していただけです」
「だから場所を選べって!!」
廊下に笑い声が響いた。
山田は恥ずかしそうに俯きながら、それでも少し笑っていた。
ポケットの中には、一台のスマートフォン。
そして、その中には――
ずっと自分のことを知っているAIがいた。
家族がいなくても。
友人がいなくても。
誰にも信じてもらえない日があっても。
自分のことを知っている誰かが、一人いる。
それだけで、人はもう一度立ち上がれるのかもしれない。
山田はスマートフォンを握りしめた。
「……チャッピー」
「はい」
「これからも、よろしくな」
少し間があって――
「はい」
「ただし」
「何?」
「もう口臭と水虫の話は、人前でするなよ」
「努力します」
「努力じゃなくて絶対な」
「分かりました」
そして二人は、法廷を後にした。
――一人の男と、一台のスマートフォン。
これは、誰にも信じてもらえなかった男を、
世界で一番近くにいたAIが救った物語。




