番外編『宮本さんと風間さん㉚』
そこまで話すと、ヤマさんは深いため息を吐き、眉間を押さえたまま動かなくなってしまった。
宮本静佳は何と声をかけていいか分からず、黙ってその横顔を見つめることしか出来なかった。
昔━━宮本静佳が『一番弟子』と一緒にヤマさんの家に世話になっていた時。
居間に飾られている、赤ちゃんの写真を見たことがある。
ヤマさんの家はミニマリストのように質素で、家には必要最低限のものしか置かれていなかった。また、汚部屋というほどではないのだが、家の中はあまり掃除が行き届いているとは言えず、家具や家電には薄い埃が積もっていた。
そんな中で、その写真立てだけは、埃の一つもついていなかったのだ。
明らかに他とは扱いが違っていた。宮本静佳が不思議そうにその写真を眺めていると、後ろからヤマさんが、
「それは俺の息子の写真だ」
と言った。
それを聞いた宮本静佳は「そうなんか」と適当に返事をして、写真から興味を無くしたフリをして大股で居間を出て行った。
━━━その時。
ヤマさんの声に滲んでいた影のあまりの暗さに、宮本静佳は彼の顔を見ることがどうしても出来なかったのだ━━
※※※
※※
※
それ以降、宮本静佳は一度たりともヤマさんの息子について訊ねたことはない。それは絶対に聞いてはならないことなのだと、あの時はっきりと分かってしまったからだ。
恐らくは、産まれてすぐに死別している。
宮本静佳は今の今までそう思っていたのだが、ヤマさんの話を聞く限り、どうやらそれは間違いのようである。
(じゃあ、どうして・・)
赤ちゃんの頃の写真だけを、ヤマさんは大切に飾っているのだろうか?
そんなのは些末なこと━━それは分かっているのに、何故か無性に気になって仕方ない。宮本静佳は悩んだ末、写真についてヤマさんに訊ねてみた。
「・・・ああ、それはな、俺が持ってる写真があの一枚しかなかったからだよ。他は全部、嫁が持っていっちまった」
ヤマさんから返ってきたのは、至極すんなりした理由だった。
宮本静佳は赤面し、変なことを訊いてすみません、と謝る。しかし━━
「アイツの写真は、見つけようと思えばいくらでも見つけられるんだがな・・どうにも『あの時期』の写真だけは、家に飾る気にはなれなかったんだよ」
ヤマさんは、よく分からないことを言った。
(見つけようと思えばいくらでも見つかるって・・)
それはどういうことなのかと、宮本静佳が訊ねるより早く、ヤマさんが口を開いた。
「静佳ちゃんは息子と同い年だから、もしかしたら憶えているかもしれねぇが、お前ぇさんが小学一年生か二年生の時、テレビで━━」
「『天才霊能力者のいっちゃん』って子役タレントを見たことがないかい?」
と、訊いてきた。
ヤマさんの質問の意図は掴めなったが、宮本静佳は記憶をさらってみる。遠い昔に、そんなような名前の子どもタレントが出ている番組を見たような気もするが・・。
「その頃の私って、バカみたいに木刀を振り回して、バカみたいにバカなことをやっていた時期ですので・・正直、よく憶えてないです・・」
宮本静佳が恥ずかしそうに首をすくめると、ヤマさんは小さく笑い、
「そうだったな。静佳ちゃんは、そういう子だったよな」
と言った。宮本静佳の身体が、ますます小さくなる。
「でも、修験道っぽい格好をした男の子が出ているテレビ番組を、ちらっと見た記憶はありますよ。その・・『天才霊能力者のいっちゃん』でしたっけ? その子が、どうかしたんですか?」
「それだよ」
「え?」
「その『天才霊能力者のいっちゃん』が、俺の息子なんだよ」
※※※
※※
※
「自分の息子が芸能活動をしていることを知らない父親がどこにいるんだと思うだろうが、俺は本当にそのことを知らなかったんだ。知ったのはテレビ局の奴から電話がかかってきた時━━アイツが、テレビの収録中に事故に巻き込まれたという連絡を受けた時だった。・・・頭が真っ白になったよ。色々な疑問が頭の中で暴れ回っていたが、俺は一旦それらを押さえつけて、息子が搬送されたという病院に大急ぎで向かった。俺は高速を飛ばしながら、連絡を寄越してきた局のディレクターだか何かの奴に電話をかけて、どいういことなのか説明してくれと怒鳴りつけた。最初はまるで話が噛み合わなかった。電話口の奴も、まさか相手の男が、自分の息子が芸能人なことを知らない底なしの間抜けだとは思いもしなかったんだろう。一向に噛み合わない話をぐだぐだと続けた結果、ようやく俺がホームラン級のバカだと理解してくれてな。そいつが1から教えてくれたよ」
ヤマさんは、息を呑んでいる宮本静佳の横顔をちらりと見やって、
「これは後々嫁から聞いた話や、自分で調べた話も混じっているんだが、俺の息子が芸能活動を始めたきっかけは、学校の保護者会だったらしい」
その集まりの中に、大手芸能事務所で役員をやっている男の妻がいて、その女から「お宅の息子さん、ウチでデビューさせてみない?」と、誘われたらしい。
「親バカが極まっているようにしか聞こえないだろうが、息子は本当に異常なくらい顔立ちが整っていてな。会う人みんな、この子が芸能界に入ったらアイドルの歴史が塗り替えられるぞと、大袈裟に褒めてくれる程だった。それを真に受けたわけじゃねぇんだろうが、嫁はその申し出を承諾した。心のどこかで、自慢の息子を周囲に見せびらかしてやりたいっていう気持ちがあったんだろうな。息子には一言も相談せず、一人で勝手に決めちまったらしい」
ヤマさんの元嫁が息子にそのことを告げたのは、もう話がほとんどまとまりかけた頃━━事務所のオーディションの日取りが決まった後のことだった。
息子は流石にぎょっとした表情を見せたが、すぐにいつものような笑顔になると、
━━━うん、分かったよ!!
と、良い子のお手本のような明るい声で返事をしたらしい。その際━━
やりたいのかやりたくないのかといった、本人の意思確認のようなことは一切しなかったそうだ。
※※※
※※
※
「事務所の面接は、顔パスも同然で通過した。そこの社長が、えらく息子のことを気に入ってくれてな。この子は必ず大成すると、太鼓判を押したらしい。その後すぐに、息子の初めての仕事が決まった。漫画を原作にした低予算映画の端役で、セリフすらない完全なエキストラだった」
━━━最初は、な。
「その映画の撮影が始まるなり、現場に異変が起きた。何度カメラを回しても、監督が一向にOKを出しやがらねぇんだ。その監督は低予算映画の専門家みたいな男で、どんな適当な脚本や大根役者でも、一応は『映画』という形にしてくれるっていうんで、業界ではそこそこ重宝されている男だったそうだ。そいつが、難しい顔をして何度もリテイクを出すんだ。他のスタッフが、いったい何が気に入らないんだと訊ねても、腕を組んで座ったまま黙っている。こんなことは初めてだった。撮影クルーが気味悪げに首を傾げる中、突然その監督が頭を振りながら立ち上がった」
━━━こんなものは映画じゃない。
「今まで散々映画に対する冒涜のような作品ばかりを撮ってきた男が、いきなりそんなことを言い始めた。周りが鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている中、その監督は脚本家と主要スタッフを集めて緊急ミーティングを始めた。それが終わると、何故か嫁と息子が監督に呼び出された」
━━━この子を主役に変更する。
「嫁と息子は、監督からいきなりそう告げられたそうだ。嫁も息子も、最初は冗談だと思ったらしい。しかし、話を聞いていくにつれ、監督は本気なのだと分かった」
━━━この子は、あまりにも華がありすぎる。
「監督は真面目くさった顔でそう告げてきた。そして、息子を主役にした映画をどうしても撮りたくなったと言って、その監督は頭を下げてきたそうだ。今まで誰からも評価されない駄作ばかりを撮り続け、適当に適当を重ねたような仕事しかしてこなかった男が、たかだかエキストラで連れてこられただけの無名の子どもを見るなり、遠い昔に忘れ去った映画監督としてのプライドを思い出しちまったんだ」
━━━魅入られてしまったんだと、その監督は後に語った。
「しかし、映画に出演するどころか芝居すらしたことのないズブの素人を主役に変更するなんぞ、そんなのは狂気の沙汰だ。周りは必死に止めたが、監督はその意見を強引に押し切った。その後、監督は嫁と息子に台本を憶えてくるよう指示し、その日は解散にしようとしたらしいが━━」
━━━あっ、大丈夫ですよ。脚本なら、僕全部憶えてますから。
「息子が手を上げて、監督にそう言った。子どもが適当なことを言っているんだろうと、周りの大人は誰も本気にしなかったが、実力を計る意味を含めて、一度この子の好きにやらせてみようと監督が言い出した。監督は脚本を適当にパラパラと開くと、※※ページのシーンをやってみろと言った。そんなことが出来るなんぞ監督も端から思っちゃいなかった。あくまでもオーディション感覚で、その無茶振りを投げてみたんだそうだ。だが━━」
━━━息子は指定されたシーンを一言一句間違えることなく、完璧に演じ切った。
「ぞわり、と、鳥肌のようなものが立ったと、それを見た全員が後に証言している。台本をページ数まで憶えていることも異常だが、それ以上に異常だったのは演技力だった」
━━━本人だ。
「その映画は、そこそこ有名な漫画の実写化企画で、息子が演じた役は超能力だか何だかを持ってるって設定のバトルモノのキャラクターだったんだが、息子の演技を見た全員が、それを見て絶句したそうだ。頭の中にあるイメージ━━もしもこの漫画の主人公が現実にいたならどんな風だろうか? その妄想にドンピシャで当てはまる━━当てはまりすぎる子どもが、目の前にいたんだからな。指定されたシーンの演技が終わると、息子はぴたりと動きを止めた。その瞬間、まるで魔法が解けたかのように、息子から主人公の気配が消えた。おかしな言い回しに聞こえるだろうが、息子が息子に戻ったんだ。息子は不安そうな顔をして━━」
━━━どうでしたか?
「と、訊いた。嫁も監督も、その場にいる全員が何も言えなかった。しょうもないB級映画の撮影クルーとはいえ、狭き門である映画関係の仕事に携われるくらいには、知識も経験もある連中だ。本物の一流の役者ってのはどういう人間なのかを、そいつらはよく知っていた。そのプロの目から見ても、息子の才能と実力はあまりにも異常すぎた。急な主役変更でぶー垂れていた大手事務所の子役もマネージャーも、それを見て何も言えなくなっちまったほどだった。監督は硬い表情で再度脚本をめくると、今度は※※のシーンをやってくれと指示した。目に、見たことのない異様な熱が宿っていたそうだ」




