ゆい言
「それじゃ、またね」
私はベッドに寝そべりながら、伊藤さんとの電話を終えた。大体、30分ぐらいだろうか。とりとめもない話をしている内に随分と話し込んでしまった。今日、伊藤さんと1番話をしたのは実は私ではないだろうか。そんなことになるとは思いもしなかったが、明日も話せるといいなと妙な充実感がこみ上げていた。
あ、そういえば。私はスマホの画面を切り替えて通知が来ていないか確かめた。どうやらまだ、ゆいちゃんからの連絡は来ていないようだった。いつになるんだろう。スマホを下向きに寝かせて、私は仰向けになりながら目を閉じた。雨の音が聞こえてくる。この子はいつ止むんだろうか、そんなことを思っている内に一息ついてから、部屋の中のあるものを取り出そうとベッドから起きた。
久しぶりに見るなと思いつつ、その表紙はあまり手がつけられていないせいかまだ真新しいままだった。
「ユイの成長記録」
そう母の字で書かれたアルバムを私は手に取った。私が確かめたかったのは保育園のときの記録。伊藤さんが一時期同じ保育園にいたらしいが、覚えてはいなかったので、もしかしたら写っていないか確かめたくなった。
パラパラとめくっていく内に、私が保育園にいたときの写真が出てきた。懐かしい子もいるな~なんて思いながら、伊藤さんがいないかじっくり一人一人の顔を見て、似た子がいないか確かめた。伊藤さんの話によると、5歳の夏に一緒にいたらしい。水遊びの写真。キャンプファイヤーの写真。育てたスイカの写真。いくつかのうち覚えているイベントもあったが、どれも私がピースをしている写真ばかりで、肝心の伊藤さんは見つからず、季節は秋になってしまった。
あれ?見つからなかったな。私のアルバムには小さいときの伊藤さんは写っていなかったが、そもそも一緒にいた時間がそう長くはなかったので、しょうがないかと思った。目的の写真は見つからなかったものの、小さいときの記憶が蘇ってきて、私は何だか懐かしい気分に耽っていた。
さっきはパラパラとめくったアルバムも、今度は最初のページからじっくり見ることにした。最初のページは、赤ちゃんの時の私だった。写真の下に、母の字で「娘ユイ誕生。とても元気な子です。」と書かれていた。そういえば、何で私の名前を「ユイ」にしたんだろう?母が私の名前を付けたことは聞いたことがあるが、名前の由来までははっきりと覚えていなかった。
「清原ユイ」
そう口に出してみる。人に呼ばれると、自分だと思って反応するこの名前も口に出すと不思議な響きがした。自分で自分の名前を呼ぶことはほとんど自己紹介ぐらいだから、確かに呼び慣れていないのかもしれないが、さっき客観的に聞いた私の名前はどこか今の自分とは違う誰かを想像させるような響きだった。それでも、私は「清原ユイ」なのだと赤ちゃんのときの自分を見て、そう思わされた。
まあでも、いじめられるような名前でも、少し古風な名前でもなく、誰もが呼びやすい「ユイ」という名前を私は案外気に入っていて、キラキラしている名前を目にすると、この名前でよかったなと思った節がいくつかあった。
最初のページをめくり、赤ちゃんのときの私ってかわいいなと思いながら、アルバムの写真一枚一枚を眺めてゆく。そこで私は父や母、親戚の人におんぶされたり、泣いたり、寝ていたりしていた。所々、母の字で「すぐ泣き止んでくれるのでとても素直な子です。」「おっぱいをたまに飲まないことがあるので心配になるときがあります。」など、写真に添えられる形で書いてあった。その字を時折見ると、私に向けられた愛情とでもいうのだろうか、少なくとも赤ちゃんのときに私が授かったものの大きさに気づかされた。私にここまでの慈しきことができるだろうかと、その自信の無さと相まって、いっそう引き立てられたような気がした。
それから時が過ぎてゆき、私は言葉を話し、はいはいをし、そして一人で立てるようになっていった。みんなが私の成長を喜び、祝福してくれていた。ただそれだけのことで。
思えば、私は恵まれた子だったのかもしれない。普通の家庭に生まれて、普通の生活をしていると思っていたが、世の中にはもっと私より恵まれていない子がいるはずだ。私は一人っ娘だったこともあって、小さい頃から両親の祖父母からいいようにしてもらったし、習い事もピアノと水泳に通わせてくれた。今まで普通と思ってきたことも、振り返ると私に向けられた慈しみなしでは成り立たなかったかもしれないと思う。
アルバムの写真を眺めていく内に、先ほど見た、保育園に通っていたときの私の写真のところに差し掛かっていた。もう一度じっくり確認して、伊藤さんを探してみたけれど、どうやら私のアルバムには載っていないようだった。それにしても、アルバムの写真には懐かしい面々が写っていた。あの無邪気だったころを思い返しながら、この子いたいた、などと一緒に遊んだ場面を覚えている子もいれば、こんな子いったけ、というような子もいた。いずれにせよ、小さい子供を見るとなんだか癒やされる気分になり、アルバムを見るのが楽しくなっていった。
次々とページをめくっては、昔を思い出して懐かしい心地になる。ディズニーランドに家族で行った時の写真、ピアノの演奏をしている私の写真、保育園のみんなと遠足に行った時の写真。他の子も写っていたが、アルバムの中心にいるのはいつも私だった。
そして何だか名残惜しいなと思いつつ、最後のページに差し掛かった。そこには写真は無く、母からのメッセージだけが添えられていた。
「ここまで育ってくれてありがとう、ユイ。娘が生まれると分かった時、嬉しさと不安の両方ありましたが、あなたが生まれてから、ユイの笑顔を見るたびに私はとても元気を貰えました。これから、いろいろなことが訪れると思うけれど、ユイがきちんと成長できるように、私も成長して、一緒に頑張りましょう!」
しばらくの間、私は母の字を読み返した。母が死んでから気づいたのは、意外と母との思い出は形として残っていないということだった。母が身につけていた服や鞄はそれを見るたびに、もうあの服をお母さんは着れないんだと、悲しさばかりが込み上げて、優しい気持ちになれるような思い出を未だに探しきれていなかった。
でも、今日私はやっと母を心温かな気持ちで見つけられるものに出会った気がした。胸の奥が少し熱くなる。
「ユイ」
それが母の遺言だった。救急隊の人が母の最期に聞いたのは、私の名前の「ユイ」だった。そのことを知って以来、私の中に母の声で何度も語りかけてくる。
「ユイ」
また聞こえきた。
「お母さんがいないのに、私これからどうすればいいの?」
これがいつも私が思うことだった。私を呼びかけても、それに私はもう答えることはできない。洟の奥がジーンとなる。それにつられて、視界が少しぼやけてきた。右手で両目を拭う。アルバムを静かに閉じて、洟をすすった。元にあった棚に戻すと、枕に頭を突っ伏してそのままベッドに身体を預けた。
私の頭の中は、今まで抑え込んできたいろいろな思いが刹那に駆け巡っていた。その中で私は徐に呼吸を整えながら、溢れ出るものを何とか落ち着かせようとした。聞こえてくる雨の音に耳を傾けながら、私は頭の中のものたちが静かになるのを待った。
それから、私が目を覚ましたのは父が帰ってきた時だった。雨も大分落ち着き、夜の7時を回ろうとしていた。




