第十六話「命を灯す草」④
山吹は、枯れかけた命灯草の葉を指先でそっと持ち上げた。
葉先は黒く変色している。茎にも張りがなく、触れればそのまま折れてしまいそうだった。
紅緒は傍らへしゃがみ込む。
「助からないんですか?」
「難しいね」
山吹は土を少しだけ掘り、根元を確かめた。
「根の先からかなり駄目になってる。ここまで来たら、植え替えたところで戻らないよ」
「でも、根は薬に使うんですよね」
景真が尋ねる。
「使える部分が残っていればね」
山吹は細い根の一部を露出させ、黒ずんだ先端と、その奥に残る淡い色の部分を見比べた。
「……まだ生きてるところがある。これだけあれば、一人分には足りるだろうね」
景真がコダマを見る。
「だったら、この草をもらうのは駄目ですか?」
コダマは答えなかった。
少女の姿のまま、枯れかけた命灯草をじっと見下ろしている。
風もないのに、天蓋樹の葉が遠くでざわめいた。
「このままでも、枯れるんですよね?」
「うむ」
「じゃあ、枯れて土に返る前に、人を助けるために使うのはどうですか?」
景真の問いに、コダマはしばらく黙っていた。
人の命を、自分たちの問題とは見なさない存在だ。
紅緒は、どんな答えが返るのか分からなかった。
やがてコダマが、小さく口を開く。
「……死にゆくものを、人の命へ返すというならば構わぬ」
山吹が顔を上げた。
「いいのかい?」
「すでに大樹より離れつつある命じゃ。抜いたところで、巡りをさらに損なうことはあるまい」
「助かるよ」
山吹はすぐに薬籠を開いた。
そこから小さな刃物と布、いくつかの道具を取り出す。
「景真、紅緒。少し下がってな。根を傷つけすぎると、使えるところまで駄目になる」
二人が離れると、山吹は命灯草の周囲の土を丁寧に崩し始めた。
乱暴に引き抜くことはしない。細い根を一本ずつ確かめながら、黒く死んだ部分と、まだ色の残る部分を見分けていく。
やがて命灯草は、根を切られることなく土から持ち上げられた。
山吹は黒ずんだ先端を落とし、生きている根だけを素早く処置して布へ包む。
最後に薬籠へ収めると、ようやく息を吐いた。
「これなら間に合う」
紅緒の肩から力が抜ける。
「患者さんを助けられるんですか?」
「そこまでは言えないよ。薬ってのは、飲ませるまで効くかどうか分からないものさ」
山吹は薬籠の蓋を閉じた。
「ただ、今できる一番いい形では持って帰れる。あとは幽京の薬師と、病人の踏ん張り次第だね」
「すぐ戻った方がいいですね」
景真の言葉に、山吹は頷いた。
「あたしが一度集落へ戻って、この薬籠を幽京行きの飛脚へ託してくるよ。あんたたちは、もう少しここに残ってな」
「私たちが、ですか?」
紅緒が聞き返す。
山吹は、掘り返した土へ視線を落とした。
「命灯草が手に入ったからって、こっちの話まで終わったわけじゃないだろう?」
コダマも無言で天蓋樹を見上げる。
大樹の根を巡る気が乱れている。
そして、命灯草は今年に入って急に減り始めた。
紅緒も、このまま帰る気にはなれなかった。
「……そうですね」
景真も頷く。
「原因くらいは、ちゃんと見つけたい」
「なら決まりだね。飛脚に託したら、すぐ戻るよ」
山吹は薬籠を抱えると、来た道を足早に戻っていった。
*
山吹が集落へ戻っている間、景真と紅緒はコダマとともに枯れた群生地を見て回った。
土の中には、命灯草のものらしい細い根の残骸がいくつも残っている。
どれも先端から黒く変色し、乾いたように脆くなっていた。
しばらくして、山吹が戻ってきた。
「一番足の速い飛脚に託してきたよ。もう幽京へ向かった」
それだけ告げると、山吹は再び枯れた群生地へしゃがみ込んだ。
紅緒と景真も、その傍らへ戻った。
山吹は一本を指でつまみ上げる。
「病で腐った感じじゃないねえ」
「分かるんですか?」
紅緒が尋ねる。
「腐ればもっと水気が出る。虫に食われたなら跡が残る。こいつは……」
山吹は言葉を切った。
黒くなった根を、今度は先ほどより長く見つめている。
「山吹さん?」
「ちょっと待ちな」
いつもの軽い調子が消えていた。
山吹は別の場所の土も掘る。
そこから出てきた根の残骸を確かめ、さらにもう一つ。
どれも同じだった。
根の先から、色と張りを失っている。
コダマが横から覗き込む。
「何か分かったのか」
「いや……分かったってほどじゃない」
山吹は答えながらも、根から目を離さなかった。
景真が乾いた地面を見渡す。
「さっきコダマさんが、天蓋樹の気は届いてるけど戻ってこないって言ってましたよね」
「うむ」
「じゃあ、この辺で何かが、その気を止めてるってことですか?」
「それもまだ分からぬ」
コダマは即座に答えた。
「流れが途切れておるのか、どこかへ奪われておるのか。それすら今は見えぬ」
紅緒は森の奥へ目を向けた。
見た目には、ただ静かな森だった。
けれど足元では、命灯草が根から死んでいる。
そして天蓋樹を巡るはずの気が、どこかで戻らなくなっている。
木々の隙間から差す光は、いつの間にか赤みを帯び始めていた。
慣れない禁樹域を、暗くなってから進むのは危険だ。
「今日はここまでにして、明日もっと奥まで調べよう」
景真が言った。
「うん。その方がよさそうね」
紅緒が答えた、その時だった。
山吹が小さく息を呑んだ。
「……まさかね」
「何ですか?」
紅緒が振り返る。
山吹は手の中の黒い根を見つめたまま、すぐには答えなかった。
その横顔には、初めて見るほどはっきりした戸惑いが浮かんでいる。
「山吹さん。何か知っているんですか?」
紅緒がもう一度尋ねる。
山吹はようやく顔を上げた。
視線が紅緒へ向く。
母によく似ていると言われた目元を、確かめるように見られた気がした。
「……昔にもね」
山吹が静かに言う。
「腐ったわけでも、虫に食われたわけでもない。それなのに、根から生気だけが抜けたように枯れる――こんな草を、昔にも見たことがあるんだよ」
紅緒の胸が、わずかにざわつく。
「昔って、いつですか?」
山吹は一度、目を伏せた。
言うべきか迷っているようだった。
やがて、黒く枯れた根を掌へ載せたまま口を開く。
「……お前さんの父親――蘇芳殿が亡くなる、少し前だよ」
紅緒は息を止めた。
森のざわめきが、急に遠くなったように感じられた。




