協調と共治の共和国~11月の危機-外伝~
協調と共治この2つは第五共和制の根幹を理解するのに外すことのできない概念だろう。
1952年のいわゆる11月の危機を経て成立した第五共和制は1944年からの第四共和制にとって代わるものである。1953年の選挙とそれによるフランス進歩党(旧執行委員会)の勝利により成立した。当初はプシャード率いるフランス農民同盟が勝利すると考えられていたものの、ポール-アンティエを中心とする反乱に加わらなかった穏健保守派やプシャード以上に改革を志向するルイ-サレロンの改革派などの内部分裂により、勢いが失速したためだった。
その特徴はフランス本土への産業の回帰と同時に、それまでの農民偏重の政策を改め、一方では地域主義を認めつつも統一を保とうとする政治であり、その旗印となったのが協調だった。
元々19世紀の社会学者ガブリエル-タルドに由来する思想である協調は、ドイツへの留学経験があり、父と祖父がラビであるというユダヤ系であったことからそれまでの主流であったエミール-デュルケームをパリの破壊以降ドイツ的かつユダヤ的として否定する風潮が高まったことにより連帯を唱えたデュルケームの陰に隠れていたタルドの協調の思想を再評価する動きが出ていた。
そうした協調を別の角度から解釈したのがアルジェの旧執行委員会の中心人物の一人だったジャン-クーチュローだった。
従来より人類を新たな段階へと進化させること目的に科学技術の発展に肯定的だったが、科学技術の発展による人類の進化という思想は場合によってはマルクス的な科学的社会主義を連想させかねないものだったからだった。だが、クーチュローにとっては科学技術の発展は過去の否定でなく継承とその発展によって為されるべきものであり、その成果も個々人ではなく種としての進化でなければならなかったためクーチュローは協調を自らの思想に結び付けることで普及させようとした。これにより継承とその発展はタルドの言う模倣の概念に置き換えられた
協調の精神はフランス本土以外にも広がった。
各地の植民地の首府には大学が建設され、地方であっても教育環境が整備された一方で、各植民地において同化政策によって無視されてきた先住民の文化も教育の地域化として地域主義の名のもとに容認され、継承された。だが、そうした動きに対して反発ももちろん存在した。従来よりフランスでは植民地において完全にフランス化されたと認定されたものを進化したものとして受け入れていたのだが、前述の教育の地域化の容認と普及に最も反発したのはこの進化したものたちだった。
フランス社会に受け入れられるために努力をした者たちからすれば、そうした何の努力もなく受け入れられた者たちに対して反発するのは当然だった。実際のところフランスもそうした反発による分断策によって自治が独立に発展しないようにしたかったともいえるが、とにかく進化したものたちは反発を強めた。自らを選ばれたものだと考える進化したものたちは自らの支配を肯定すべく、自らが考えるあるべき社会の姿を体現する思想を求めた。社会を階層化し、教育、法治、経済の三つを支配する専門家集団によって統治される連邦制ヨーロッパの構築を目指したジョセフ-アレクサンドル-サン=イヴのシナーキズムと関連することで広めようとした。
サン=イヴはオカルティストのパピュスことジェラール-アンコースの友人であったことから時折オカルティストとしての扱われることが多かったが、アトランティスの実在を信じていた以外では本人は敬虔なキリスト教徒であり、進化したものたちはサン=イヴのそうした面を利用して新シナーキズムと呼び、そして新シナーキズムに従う者たちは選ばれたものである証をもとめ続けた。そうした中で至った発想の一つに"生物"としての進化があった。
これはクーチュローが訴えていた将来の人間の可能性の一つだったが、自らを選ばれたものとする進化したものにとってはその究極の証明であり、その実現に心血を注ぎ、機械的な人間の拡張という発想に至ったのだった。そしてついに11月の危機から15年がたった1967年、宇宙開発の最先端を行っていたはずのイギリスの宇宙計画が、宇宙における人間の適応が実は不可能であったという遺伝学上の致命的な誤りによって行き詰っていたのを見ながら、エブエヴィル(旧バンギ)大学が人の手というより巨人の手といったほうが良い巨大なものではあったものの脳波を使ってそれを自在に操ったことで機力義肢と呼ばれる新たな分野への道を開いた。
第四共和政による過度のカトリックへの傾倒から脱してもそうした観念が依然として残っていたフランスではやはり奇異に見られたものの、宇宙開発の新たな切り札としての成功に対する世界的な賞賛の嵐、そして分離してなお、アルジェ周辺含むフランス領とされたアルジェリアの沿岸部を未回収のアルジェリアと呼ぶアルジェリア解放軍との戦争による負傷者の増加への対応として注目され結果的にはさらなる開発が進むこととなった。
これを受けた進化したものたちはさらに自信を深めていき、こうした機力義肢開発はフランス領アフリカ地域を中心地として発展していく事になっていくが、そうした成果は皮肉にも協調の精神のもとで拡散され、模倣され、フランス社会全体に浸透して、そしてまた発展していったが、そうした模倣を良しとしない進化したものたちはさらなる革新を求め続けた。
そうして協調と共治の間の歪はフランスが輝かしい、復興以上の発展を遂げる中で静かに拡大を続けていくことになるのだった。
とりあえず今回で11月の危機は終わりです。
次は何を投稿しようか迷っていますがとりあえず、11月中に11月の危機編を終わらせられて良かったです




