◆第90話
――――たまったもんじゃない!
白いローブから見えた焦った表情を隠しもせずに、彼の人は高くそびえる白い王城を見上げた。
顔に刻まれたしわは彼の人の年齢に比例するようにあるが、その肉体だけは歳のわりに若そうだった。
褐色色の肌に衰えはしているものの、同世代に比べればしっかりと残っている筋肉。
白いローブに身を包んだ彼の人は、十数年前まで、この王城で魔法師団の一員として仕えていた。
かつては幻術士という異名を持つほど、彼の人の水を操る力は優れていた。
その栄華は時に脆く、一瞬にして消えてしまう。
その原因は、最愛の人の死。
彼の人は泣いた、この先泣くことなどもうないのではないかというほど。
彼の人は悔いた、何もできずに失ってしまった己の未熟さに。
彼の人は願った、もう一度、最愛の人と会わせてほしいと。
そして気が付けば、彼の人は踏み入れてはいけない世界に踏み入る。
ただ最愛の人をもう一度見たい。
ただ最愛の人にもう一度触れたい。
もう一度、生きてほしいと強く願うのだ。
ただそれだけの想いなのだと、彼の人はその踏みゆく足を止めなかった。
しかし、人はそれを禁忌と呼ぶ。
魔法師も精霊師も技術士も、決して手を出してはならないもの。
それが人の命にかかわるもの。
それでも彼の人は構わなかった。
それで最愛の人に会えるのならば。
そしてもうすぐ、その願いが叶うのだ。
「・・・邪魔はさせん。もうすぐなんだ」
枯れた声が確かに聞こえた。
怪しく光るその瞳には、いつぞやに見たクマのぬいぐるみと麗しい王女様が横たわっているのが映ったのだった。
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マーシャルが2人いる。
どれほど比べてみても、そこに違いは見つからない。
まるで鏡のように映っているのに、全く別物の個体。
「うーん、思ったより簡単にできちゃった」
精霊ってさすがねと、マーシャルはもう一人の自分を見て思った。
「お嬢さん、説明をしていただけるかな」
食い入るように自分の姿を見ていたマーシャルは、キャレットの声にハッとして周りを見渡す。
周りの目は2人のマーシャルに釘付けである。
「えっと、先ほどエドと話していて、実は消えたんじゃなくて元々いなかったんじゃないかと思ったんです」
「元々いない?しかし我々はきちんとこの目で庭師を見たぞ」
エリックは反論する。
マーシャルはその反論に首を縦に振った。
「はい、私も見ました。ですから、その見たものが偽物だったんです。ちょうどこれみたいに」
そう言って、マーシャルは自分の隣にいる自分を指さした。
隣に自分が立っているなど、なんとも複雑な気分になる。
「それは?」
「水の精霊にお願いして作り出してもらった虚像です」
「そんなことが?」
「できるんですね。私もびっくりです」
あまりにも仮定通りにできすぎて、という言葉は呑み込んでおく。
しかし、これが事実であれば、新たな問題が浮上する。
それは、
「なぜそのようなことを?」
庭師である彼が、わざわざ虚像を使ってここへやってきた理由。
そして、本人がこの場所にやってこない理由。
いや、誰もこの答えがわからないわけではない。
むしろ答えが出ているといっても間違いじゃない。
「あの庭師が犯人なのか?」
エリックが信じられないような目をして言った。
しかし彼が犯人だと思えば、証言とマーシャルの発言との食い違いが起きたことに説明がつく。
そして庭師ならば、あの裏の庭園に隠し通路があったということにも気が付いていただろうことも容易に想像できた。
「何のために?」
サーシャがエリックの言葉に反応する。
彼らがわからないのはそこであった。
仮に庭師がシェイラを誘拐した犯人だったとして、その目的はなんだ。
可能性としてありそうなのは金のためであるが、この王城でたった一人の庭師として働いている彼の給金は生活には困らないほどには出ている。
そもそもここにいる誰もが、庭師をよく知っているわけではないのだ。
いや、一人を除いて。
「あいつはこの国に仕える魔法師だった」
議論を交わしていた中、はっきりと聞こえた渋い声。
それは紛れもなく、この国の王であるキャレットのものだった。
この中で唯一、庭師である彼を知る人物だ。
全員がキャレットの言葉に耳を傾ける。
「とても優秀だった。とても優秀な水魔法の使い手で、そのうち魔法師団長にでもなるんじゃないかと、父もよく当時の魔法師団長と言っていた」
キャレットはどこか懐かしむように語り始めた。
「しかし、あれは・・やつが40歳にもなろうかという頃だった。やつの妻が死んだのは」
栄華を極めた者の暗転。
話を聞く誰もが、その顔を曇らせた。
「突然だった。彼女はここの女官長だったんだが、運悪く当時かなり極悪だった貴族の怒りを買ってね。その場で切り捨てられたそうだ」
ひゅっと。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
「それからだろうか。やつがまるで人が変わったように、何かを求めて研究に没頭するようになったのは」
研究という言葉に、マーシャルの頭に禁忌の2文字が浮かび上がる。
力のありすぎる者は時として、大切な何かを失ったときに、その足を踏み外しやすいと、誰かに言われたことを思い出したのだ。
「その研究がなになのか誰もわからなかったが、やつはそのために魔法師団を辞し、そして数年後、庭師としてこちらにやってきた。その時はすでに妻の死を吹っ切れたと思っていたのだが」
キャレットは頭を抱えた。
それは懺悔のようにも見えた。
「陛下、その研究というのは、」
「知らぬ。しかし、おそらくそうなのであろうな」
具体的な言葉は誰も発さない。
しかし、たったこれだけの会話で、庭師である彼がしようとしていることが明確となった。
彼は妻の蘇生を願っている。
「愚かな男だ。死した者は二度と還らんというのに」
それが世の理である。
しかし禁忌であるそれは、誰でも簡単にできるものではない。
それを知っているからこそ、マーシャルは同じ魔法師として庭師をある意味では尊敬する。
「しかし相変わらずシェイラ様を誘拐した目的が見えてきませんね」
ヒュースは顎をさすりながら言う。
その通り、庭師の過去と目的がわかったとしても、それがシェイラ誘拐の直接的な理由にはならない。
もっと明確な、もっと確かな理由があるはずだ。
「マーシャル嬢は何か知ってる?」
ヒュースは決して専門ではないものの、魔法にも精通しているマーシャルの意見を求める。
マーシャルは少し唸った後、自分で立てた最悪の仮説を口にした。
「彼は十中八九、禁忌を犯すつもりでしょう。その妻を蘇生するために。人を生き返らすことは理に反していますが、死んだ者が生き返るのです。喜ばない人はいないでしょうね」
マーシャルだとて、目の前で兄であるレイモンドが殺されれば、自分の手で助けられるのならばなんだってするかもしれないと思う。
当然だ、たった2人の兄弟であり、生きていてほしい人なのだから。
「しかしそれは禁忌である。その理由はなぜでしょう?」
人が生き返るのは喜ばしいことだ。
もう一度、話ができ、笑いあい、触れ合い、ともに人生を歩んでいけるのだ。
こんなに素晴らしいことはない。
「理に反するからだろう」
サーシャがさも当然と言わんばかりに答えた。
「それもあるでしょうね。しかしそれだけならば、禁忌にする必要もないでしょうし、おそらく力のある者ならばいくらでも生き返らせてますよ。ゾンビだらけだ」
マーシャルは自分で言っておいてゾッとする。
自分の目の前で話している人間が実は昨日死んで生き返った人だったなど、そんなホラーは嫌だ。
「私の仮説ですが、それが禁忌のとされるのは、それなりの代償が必要だからではないでしょうか。そしてそれは人の命であると思います。そして魔力。だからこそ彼は、シェイラ様を誘拐したのではないでしょうか」
それは当たっていてほしくはない仮説。
その言葉を聞いた人々は、みな一様に顔を青くしていた。




