◇第23話
マーシャルが王城に来て数日が経った。
宝石箱が開くこともなければ、再び誰かを食べることもない。
マーシャルが宝石箱をこじ開けることもなければ、他の誰かが何かをした形跡もない。
今までの悶着状態と、なんら変わりない日々。
始めこそジロジロと人に見られてはいたマーシャルが、徐々に周りに馴染み始めた頃。
マーシャルはほぼ顔パスでやってこれる王女の部屋へと、足を踏み入れていた。
「王女の部屋に護衛騎士が1人もいないって、問題なんじゃないの?」
宝石箱しかない王女の部屋で、マーシャルはぼやくように呟く。
かくいう彼女も、いつも一緒に歩いているエドワードを置いてきたのだが。
エドワードが他の黒騎士に頼まれた手合わせに没頭しているうちに、マーシャルはこっそりと王女の部屋へとやってきたのだ。
おそらく今頃、エドワードは必死になって護衛対象であるマーシャルを探していることだろう。
そんなことは、マーシャルだとてわかっていた。
わかってはいるが、それでも彼女はこの宝石箱と1対1になりたかったのだ。
「本当、何度見ても綺麗ね」
マーシャルはそっと、宝石箱を撫でる。
照明の光にしか照らされないそれは、ひんやりとした冷たさを感じる。
これが普通の宝石箱なら、きっと素晴らしいと褒め称えられる代物だろう。
いや、きっと見た目だけならば十分な代物だ。
箱自体もどれほどの純度かはわからないが、銀製であり、散りばめられた宝石たちも一粒が大きく、光り輝いてみえる。
宝石箱としての価値はかなり高い。
それが魔道具ともなれば、その価値は如何ほどか。
散りばめられた宝石の中でも、妖しくその存在を主張するそれは、風の力を纏う翡翠色の石と闇の力を纏う漆黒の石。
マーシャルの真紅の瞳に映るのは、雁字搦めになった風の力と闇の力だった。
その力の使い方に、マーシャルは驚きを隠せない。
「風で攻撃を防いで闇で閉じ込めているのかしら。それとも両方?」
マーシャルは肩にかけていたポシェットからペンと紙を取り出すと、なにやら書き出した。
紙にはすでに宝石箱が絵として描かれており、少し前に見た宝石箱の情報が書き記されていた。
マーシャルが今回書き足したのは、魔石の色、効果、力の使い方、そして使われた魔石の数。
事細かに記したそれを数回読んで、マーシャルはポシェットにしまう。
「本当に疑問ね」
マーシャルは、この宝石箱を初めて見たときから疑問に思っていた。
なんて、採算のとれないものなのだろうと。
いくら玉座が欲しいからといって、王女を閉じ込めておくだけのためにこんなにも金のかかることをするなんて、普通の貴族ならしないだろう。
銀で出来た、5色の魔石を嵌めこんだ短剣を所持しているマーシャルが言えることではないが、なんとも赤字覚悟の代物だ。
そもそも、王女を閉じ込めておくだけならば、こんな手の込んだ魔道具を使うよりもどこかへ病床に伏せていてるとでも言って幽閉しておくほうがよっぽど経済的である。
しかし、マーシャルにはそれをしない貴族たちの理由など知りはしない。
「それに・・・やっぱり出たがらないのね」
マーシャルの耳に聞こえてくる声は、あの時と同じ『出たくない』というもの。
閉じ込められた魔道具の中に引きこもっていたいなど、どういう神経をしているのかマーシャルは本気で悩む。
「あなたが出てこなければ、誰かが悲しむというのに」
せめて周りと話をつけてから、その後でまだ宝石箱にこもりたいと言うのなら、好きなだけこもればいいじゃないか。
マーシャルはそんな思いを宝石箱にぶつけると、ポシェットからポーチを取り出す。
黒色のふさふさしたそれは、さわり心地がよい獣の体毛でできている。
マーシャルはその中から銀で出来た金具を取り出すと、真紅の瞳に宝石箱を映した。
――――ちょっとごめんなさいねー。
マーシャルは心の中でとっても簡単に謝ると、取り出した銀色のそれを迷うことなく魔石に突き刺した。
ギギッという嫌な音が響いた。
マーシャルは渾身の力を出して、はめ込まれていた魔石を取り出す。
数秒後、ボトリとマーシャルの足元に何かが落ちる。
それは、翡翠色をした魔石。
宝石箱のほうを見れば、1箇所だけ不細工に空間の空いた箇所があった。
よくよく覗けば、銀色のそこには魔石から力を得ていた魔力の流れが見えた。
マーシャルはそれも紙にメモしていく。
「おや?」
もう一つ剥がしてみるか・・と銀のそれを手にしたとき、扉のほうから声が聞こえてきた。
ハッとしてマーシャルが振り返ると、そこには数日前にウィズの研究室で会った男ニケル・バーゲイが立っていた。
あたかも偶然を装った態度に、マーシャルは警戒心を強める。
そっと、手にしていた銀のそれをポシェットにしまった。
「これはこれは、あの時ウィズさんの研究室にいらしていたお綺麗なお嬢さん。今日はどうされたのかな?」
にっこりと人の良さそうな笑みを向けるニケルに、マーシャルは引き攣った笑みを返す。
全く言い逃れが出来そうにない今の状況だが、マーシャルはどうにか逃げ道がないかと頭をフル回転させる。
今になってエドワードを置いてきてしまった自分を恨む。
「御機嫌よう。実はまた道に迷ってしまったのです。あまり動くなと言われていたのですが、つい見てみたくなって・・気が付いたらここにいましたの」
なんて無理のある言い訳だろうか。
マーシャルは自分で自分を恨みたくなる。
「そういえば・・私、この前卿のお名前をお聞きできませんでしたの。よろしければ教えてくださらないかしら」
マーシャルはぎこちないながらも、はにかむように笑う。
なんとも言い慣れない言葉遣いに、たとえ自分の身の毛がよだつ思いをしていても。
ニケルはマーシャルの言葉に何を思ったのか、フッと口元を緩めた。
「それは失礼。私はニケル・バーゲイ。伯爵位を賜る者だ」
「伯爵様でしたか。知らずとはいえ、失礼いたしました」
マーシャルは何の自慢だよ!と心の中で悪態をつくも、顔には笑顔を貼り付ける。
「そちらの宝石箱が気になりますか?」
ニケルは部屋へ1歩足を踏み入れる。
それに反応したマーシャルはほとんど無意識に半歩足を後ろへ下げた。
マーシャルはニケルの言葉にどう返すか悩む。
というのも、マーシャルはここ数日エドワードに王子派の連中には気をつけろと再三言われているのだ。
言われ続けた結果が、今のこれなのだが。
これは戻ったらお説教コースだなぁ・・と、マーシャルは心の隅で思った。
「はい、とっても。宝石が沢山散りばめられていて・・でも鍵がないんですのね、これ」
マーシャルは人食い宝石箱なんても代物は知らぬ存ぜぬ作戦に出た。
王城の最上階ともいえる場所にいておいて今さらな気がしないでもないが。
「中身を見たんですか?」
「いえ、その・・ごめんなさい、中身を見てはだめだとは思ったのですが気になってしまって。で、でも開かなかったんです」
マーシャルは、自分がこんなにも演技派だったとは驚いた。
人間、切羽詰れば何でも出来るものだと、改めて再確認したマーシャルは、使い慣れない言葉たちに、メンタルをごりごり削られていく。
「嘘はいけませんね?あなたはその中身を知っているはずだ」
「バーゲイ様?」
「そしてあなたはその宝石箱を唯一開けることが出来るかもしれない人物」
マーシャルの貼り付けていた笑顔がだんだんと消えていく。
真紅の瞳に映るニケルの顔は、すで笑ってなどいなかった。
いや、笑ってはいたのかもしれない。
それはとっても歪んでいたけれど。
「ねぇ?マーシャル嬢?」
歪められた笑顔がマーシャルを見つめる。
彼だけではない。
いつの間にか、ニケルの周りには体格の良い男が4人ばかし立っていた。
その手には、鈍く光る鋭利なもの。
マーシャルはエドワードを置いてきてしまった自分を呪いたくなった。




