14 超幸運たちに定められたルールについて
「なあ」
最近の少年の放課後のパターンは二種類。仲島家にご招待されるか、四谷のボロアパートでだらだらと過ごすかのどちらかだ。
本日は自宅向かいのアパートでいつも通り、新商品のドリンクをチビチビ飲みながら超幸運に話しかけたり、雑誌を読みながら過ごしている。
「質問ができたのだろうか、諌山想」
「今夜のサッカー、どっちが勝つ?」
「今夜のサッカーとはどこの国で何時から開催される試合をさすかわからないが、どんな試合についても私にはわからないし、教えられない」
少年が聞きたいのは、もちろん日本とよその国の代表が争う、普段はサッカーなんか興味がないみんなが何故かワクワクしながら深夜まで放送を見てしまう国際試合の結果だ。
「なんで」
「未来についてはすべてが未確定だからだ」
秋が深まり、外を吹く風はもう冷たい。エスポワール東録戸の一階の窓から見える風景は寒々しく、葉がほとんど落ちた細い木の枝は力なく揺れている。
「へえ」
いつも通りの無表情で話す四谷に、想は冷たい視線を向けた。
――四十一年後に理想のハーレムが作れちゃうのに?
口に出さない疑問には、返答はない。
「ホントはわかるんだろ?」
「わからない」
「いいじゃんか。教えろよ」
「諌山想が叶えたい願いやそれに関する質問以外について、答えることはできない。私が願い以外の未来について言及した場合、必ずそうなるよう手を加えなくてはならないからだ」
そもそも今夜のサッカーの試合がどうなるか、少年は心から知りたいとは思っていない。
ただ単に国際試合になると周りがわあわあうるさいので、どうなるのかを知っておきたかっただけだ。
そんな軽い気持ちからでた質問に対する答えには、後半に気になる文言が含まれていた。
「必ずそうなるように手を加えるっていうのは?」
「そういうルールになっている」
「なんで」
問いかけながら少年が飲んだ本日のドリンクは、秋らしい洋梨風味のジュース。爽やかな甘み! と商品ロゴの下に書かれているが、そう感じる前にやたらと味が薄いのが気になってしまう水っぽさだった。
「われわれは契約者の願いを叶えるが、単純な命令を受けたり、未来について予言をするような存在になってはならないからだ」
「別によくない?」
「未来についてみだりに知ると、契約者の自由な発想を妨げてしまう。よくないことの回避ばかりに目が行き、純粋な願いを叶える機会を逸してしまう恐れがある」
今日の新商品は失敗だったと考えながら、想は四谷を見つめた。
いつも通りの青白い顔を見ていると、ああ、もうすぐ冬が来るな、なんていう気分になっていく。
「……じゃあさ、あの時俺が、母親をなんとかしてよって言わなかったら、もしかしてもう死んでた?」
「なんの願いも言わなかった場合はそうなっていただろう」
「へえ」
口元をへの字に歪めて、少年はテーブルの上に置かれたボトルに視線を落とす。
「超幸運なのに、契約者が死ぬの、黙って見ちゃうわけ?」
「その通りだ。なので、諌山想が回避を願ったのは幸運な流れだった」
――すげえ皮肉だな。
想の中にさまざまな考えが浮かぶ。
いや、本当に死んだかどうかなんて、わからないぞ、とか。
超幸運に出会わなければ、もうとっくに終わっていたんだな、とか。
しかしそれはどうでもよくて、聞きたいのは明確な返答を得られていないこの部分だった。
「でも、未来はわかるんだよな、お前には」
「人々の運命は常に動いている。どこでどう動くか、確実な事象などない」
「俺が死ぬっていうのは?」
「あの時点での諌山想の死はほぼ確実だった。しかし、それが一〇〇パーセントだったかと言われればそれは違う。運命を大きく動かす出来事が起きる可能性は常に存在する」
「呆れたな。なんだよそれ。確実かわかんないならちゃんとそう言っておけよ。願いを叶えるっていうのも信じられなくなるじゃねえか。シミュレーションが当てにならないって話だろ?」
思わず眉間に皺を寄せた少年に、急に四谷がまっすぐと視線を向けてきた。いつもは暗い瞳が、ギラリと輝く。
「一度聞き入れた願いに関しては確実に叶える。願いを叶えている最中ではない場合の未来については確実ではないということだ。可能性は非常に低いが、予想できないタイミングで大きな運命の渦ができる場合もある」
「天変地異とか?」
「他の超幸運との契約者が現れた時だ」
――意外なお答え!
「超幸運は人の運命を動かす。どんな小さな願いであったとしても、多くの人生に波紋をなげかけ、影響を与える。その余波は、思いもよらないところまで広がる」
「大袈裟じゃね?」
「地球の裏側で起きたことでも、その波紋は多くの人間を介して広がっていく。ここまで届く可能性も充分にある」
「ふうん」
興味なさげな少年に、四谷はいつもより少し強い口調でこう語った。
「諌山想がその寿命を延ばしたので、家族の運命も大きく変わった」
死にたいと願った場合どうなる? という疑問に対して、人が死ぬというのは大変なことだ、と超幸運は答えた。考えてみれば、その通りだ。特にそれが、人の手によるものだった場合。
「そっか」
自分の運命が変わらなかったら、警察だって出動しただろうし、友達が一人もいない奴だとしても記者やらテレビカメラが学校にも来るだろう。犯人である母親や、不倫相手、父親、祖父や祖母をはじめとしたそれぞれの家族……。
あるはずだった多くのものが、丸々なくなった。
「そうだな」
なるほど、この影響は大きいだろうと少年は考える。
「だからなるべく『いい方向に』ってポリシー持ってるわけか」
「その通り。われわれは契約者の願いを第一に考えるが、その他の人生を犠牲にしないよう心掛けている」
「……他人の幸せなんて、望まない奴もいるんじゃないの? 嫌な気分になる奴もいるだろ」
この少年の言葉に、珍しく四谷は小さく微笑みを浮かべている。
「諌山想は面白い奴だ」
そんな感情表現をしてくるのが意外に思えて、想は気が抜けた顔で目の前の美しい微笑を見つめた。
「どこが?」
「人の幸せどころか、自身の幸せにも興味がないのに、そんな質問をしてくる。人間はいつの世も、不思議で不可解だ」
超幸運はふっと目を閉じ、再びゆっくりと開けると笑みを引っ込めていつもの無表情に戻った。
「あのさ」
そんな四谷に、改めて浮かんだ疑問をぶつける。
「他の超幸運との契約者が現れた場合、元々してあった願いがあったらどうなんの? やっぱ無理とか、かかる時間がかわるとかそういう展開もある?」
「それはない。われわれは互いに邪魔を入れてはならないので、うまく調整する」
「なんか金は無茶苦茶するって言ってたじゃんか。大丈夫なの?」
――例えば、地球の支配者になりたーい! なんて無邪気な願いも叶えちゃうのか?
「金であっても邪魔は許されない。わたしは諌山想の願いを必ず叶える」
「頼もしいね」
妙に力強い言葉に、想もふっと笑う。
「世界征服したいとか、金なら叶えちゃうの?」
「叶えようとはするだろう」
四谷の言葉はそこで終わった。その後の沈黙の意味を、少年はしばし考える。
――世界を征服ったって、どうやってするんだって話だよなあ。
地球上に数多く存在する国を、一つにできるのか? 言葉は? 人種は? どうやってこの世の支配者だと、全人類に浸透させる?
「無理っぽいけど」
「方法は必ず見つけ出すだろう。金ならばそれを提案する。しかしそれが果たされるまでの道のりに潜む危険に関しての警告も、身の安全の保障もない」
その願いへの道筋の途中に隠れている落とし穴の数は……。想像すると、無限大以外の答えが出てこない。
「やっぱ無理じゃね?」
「そうだな」
「その辺どうなの? 超幸運としては」
あっさり認めた超幸運は、少し視線を落としたままこう答えた。
「叶えるまでの経過にこそ、充足感を覚える願いもあるだろう」
それは確かに、真理だろうなと少年は考えた。夢や希望は叶えるまでの苦労がどうのこうの……というところに差し掛かったところで自分のつまらない思考にガッカリし、意地悪な気分になって四谷にツッコミを入れる。
「……それ言っちゃうとさ、超幸運の存在意義に係わってくるんじゃないの?」
「その通りだ。だからこそわれわれには、方針の違いなどの個性がつけられている」
答えになっているようないないような返答に、想は顔をしかめた。すっかり常温に戻った洋梨ジュースを喉に流しいれ、この商品は二度と買わないぞと心に決める。
「ちなみに今のままだと、俺の寿命ってあと何年くらい?」
「答えられない。不確定な将来に関する安易な発言は、契約者の自由な発想を妨げてしまう」
案の定な答えに、少年はいつも通りの返事をかえす。
「あっそ」
「最初にされた質問に答えよう。私が願い以外の未来について言及した場合、必ずそうなるよう手を加えなくてはならない。契約者に嘘をつくことはできないからだ」
「言っちゃった場合は、つじつまあわせしないといけないとか?」
「その通りだ。だから、未来に関して発言はしない。未来を作っていくのは人間の仕事であり、われわれではないからだ。迂闊に未来に関して言及したり、必要のない運命の操作はしない」
――で、結局未来はわかんないってこと? 本当は……。
超幸運は未来を見通せる。四谷の話はそう捉えられるように聞こえた。
しかし、きっとこの質問に関しては明確な答えが得られないだろうなと考え、少年は口を噤む。
――超幸運にも、本音と建前があるってことかな。
意外とお役所的だと考え、想はニヤニヤと笑った。
大体、言っていたではないか。できるけど、やらない。そんな、強がっているだけの小学生みたいな発言を。それを思い出すと、ますます愉快な気分になっていく。
一気に通常運転に戻って、エスポワール東録戸には静寂が訪れた。
もう外は暗い。じっと正座をしている四谷を残して、想は今日も夕食を用立てに近所のコンビニまで出かけた。