13 シミュレーション通り叶えられた一つ目の願い
すっかり別荘と化している四谷の部屋から出て、帰宅する頃にはもう時間がだいぶ遅い。諌山家では両親が揃って息子の心配をしているところだった。
「想、どこに行ってたの? もう九時過ぎよ」
「……ちょっと、新しいお友達のところに寄ってただけ」
思いがけない単語が飛び出したせいか、父も母も驚いた顔をしている。
――俺に友達とか、信じられないのも無理はないな。
少年にそんな素敵な誰かがまともにいたことなど、過去に一度だってなかったのだから。
「新しいお友達? なんていう子?」
「仲島ってやつ。もうすぐ試験だから一緒に勉強しようってさ」
「へえ」
母の顔がぱっと輝く。できれば優秀な子に育って欲しいという親の勝手な願いは、今までに叶えられる気配がひとかけらだってなかった。それがここにきて、友人はできるわ、ご飯はご馳走になって帰るわ、試験のために努力しちゃうわでとんだ超展開を見せている。
「ご飯も頂いたんでしょ? じゃあ、お礼のお電話しなくっちゃ!」
「はあ? いいよ、そんなの。あっちが勝手に来いって無理やり連れて行ったんだから」
大体、仲島の家の住所も電話番号も知らない。どうやら学校から車で二十分程の距離にあるらしいということ以外はわからない。
想が手をひらひらと振って自分の部屋に戻り、制服を脱いでいるところでドアを叩く音がした。
「想」
今までと違って、ノック付きになった。そこは評価してもいい。しかし、返事をする前に扉を勝手に開けるというのはどうだろう。そんな風に考える少年の母を見る表情は自然と厳しいものになる。
「なに?」
「あのね」
年頃の息子の部屋のドアを勝手に開けただけでは飽き足らず、母親は中に踏み込んできて軽く笑顔をみせた。
「この間、ちょっと落ち込んでたみたいだったから。なにがあったのかなと思って」
「……別に、なんもないけど」
「嫌なことがあったって、言ってたでしょ」
――言ってねえし。
確かに、父にそう聞かれた時に頷いてはいたが。
「もしかして、学校でいじめられたりとかしたのかなって思って」
「そういうのはない」
――苛められるほどの付き合いがある奴もいないし。
「もしかして、新しいお友達に助けてもらったとか」
「違うよ。全然」
「じゃあ、もしかして……彼女とケンカしたとか?」
この母の言葉に、想は思いっきり大きなため息をついて抗議をした。
「そういうのもない」
「本当に?」
少年は早く出て行ってほしい一心で、うんうんと黙ったまま頷く。
――原因はアンタだっつーの。
冷たい視線を送ると、母はそっか、と小さく呟くように言って部屋を出て行った。
――今までの態度、反省しましたってか?
いつものようにパソコンのモニターの前に座る。映し出されるたくさんの情報をぼんやりと見ながら、想は考える。
――少し前まで、俺の存在を心底迷惑に思ってたんだよな。
しかし今は、違う。今までまともに向き合おうとしなかった息子と、正面からぶつかろうとしているように思える。
――ああ、だからか。だからかえって、こんなに優しくなったんだな。
息子の人生が自分の将来の邪魔になるとまで思いつめていたからこそ、久しぶりに長い眠りから覚めた「母性」の影響が強いのだ。邪魔者扱いして悪かったとか、自分はなんと恐ろしいことを考えていたのだろうかとか。マイナス要素が強かった分、今、はりきってしまっているのかもしれない。
そんな結論がこれまたうざったくて、少年は再度大きなため息をついた。いつもピリピリとしていて息子へかける言葉は小言だけ、なんて状況よりはマシかもしれないが、急に可愛い可愛いみたいな扱いをされるのも正直、気持ち悪い。
――ぼくのおかーさんがウザイんですけど。
しかし、四谷にはまだ頼めない。願いの同時進行が無理だというなら、今は試験対策を優先すべきだ。
やれやれ気分でマウスを動かし、ふと思い立って想は検索エンジンの小さな窓に「仲島重工」と打ち込んだ。あっという間にお堅い企業の立派なホームページが出てきて、その中の会社概要とか沿革とかなんとかを順番にクリックしてみてみると、想像を絶する数字がぞろぞろと並んでいる。資本金とか、経常利益とか、従業員数とか、グループ会社の案内とか。
――あいつん家すげえんだな。息子はあんなにアホなのに。
今日出来た新しいお友達と、そのお家と、美人揃いのメイドたち、極上のお食事を思い出す。口の中についさきほどまで広がっていた味の豊かさときたら、少年の想像をはるかに超えた、天上の世界のものと位置づけていい程だった。
――たとえば、あいつと俺の生活、まるまる入れ替えて、なんて願いも叶うのかな。
そう考えて、少年はふっと笑った。
かけらも望んでいないのに。自分の俗っぽい考えが少し、可笑しい。
「諌山君! 今日もうちに寄って行ってくれたまえよ」
教室へたどり着くなり、尻尾を振った可愛らしいボンボンが駆け寄ってきて、想は思わず笑った。
「いいぜ」
「良かった。昨日、あまり楽しそうではなかったように見えたから。なにか粗相があったんじゃないか心配していたんだよ」
「粗相なんかないだろ」
美しいメイドさんたちの振る舞いは完璧だった。一人ばあさんが混じっていたが、それ以外はみな若くて、しかも美人で上品な笑顔の持ち主ばかりだった。動作も丁寧で声も落ち着いていて、文句をつけるところなどありゃしないじゃないか、と。
仲島のアツい友情以外は心底快適なボンボンのお友達体験を、想は思う存分楽しんでいった。
土日もお迎えが来るからというだけの理由であっさりと招かれ、お茶菓子を堪能し、家庭教師から知識を吸収して、夜はディナーに舌鼓。
気がつけば、試験の日程は無事に終了していた。以前は面倒くさくて問題用紙に目を通すことすらやめてやろうかと思っていたほどなのに、今回の諌山想は違う。あれ、これ知ってる! うん、知ってる! の勢いでペンが走る。
帰ってきた答案にはかつてない数の赤い丸が踊っていた。もちろん満点にはまだ遠いが、一学期にやる気のなさの塊が受けた時とは比べ物にならないほどの高得点だ。
答案用紙を渡してくる教師の顔も明るい。
「諌山、今回は随分頑張ったんだなあ」
――うるせえよ!
そんな風に思いつつ、内心はほんのり嬉しい。それに気がつくとなんとなく恥ずかしくて自分にムカつきを覚えるが、毎回こうなら留年の危機はないだろうし、大体、仲島家の食事は最高に美味だった。
つまり、今回の願いが叶って、とても良かった。
目をキラキラさせて自分を見つめている仲島を無視して、想は放課後になると即、教室を飛び出して自宅への道を駆けた。時折後ろを振り返っても、四谷の姿はない。つかず離れずなんじゃないのかよ、なんて考えながら帰宅の前にエスポワール東録戸の一〇三号室に勝手に入ると、いつの間に追い越されたのか超幸運は安物のテーブルの前に座って契約者の少年を待っていた。
「願いか質問が出来たのだろうか、諌山想」
「お前、瞬間移動でもしたの?」
「瞬間移動はしない。この体は地球の物理的な法則に従う」
じゃあ屋根の上でも走ってきたのだろうか。教室は一番に出たはずだと思ったが、想のその認識の方が違っていたのだろうか。
「まあいいや。願い、叶ったな。マジで三十六位だったぜ」
「満足してもらえてなによりだ」
久しぶりの四谷の、いつも通りの無表情。
毎日仲島家でリッチ体験をしている間、ここには来なかったし、教室での会話もなく、想が真正面から四谷の顔を見るのは二週間ぶりだった。
「でもさ、これが本当にお前の力なのかの証明、できてないよな。ただ単に仲島の気まぐれって可能性も充分考えられるだろ?」
「われわれとしてはそれで構わないと考えている。小さな偶然を重ねるというやり方をしているのは、契約者が出来る限り違和感を覚えず、生活や日常を普段どおりに進行させるのを優先しているからだ」
「これでお前が強がってるだけだったらマジでウケるな!」
四谷がちらりと想に視線を向けてくる。しかし、やっぱりいつもの無表情だ。
「で、仲島と俺の麗しい友情はいつまで続くわけ?」
「それは諌山想次第だ。仲島は諌山想のことをもう既に心からの親友だと信じている」
「うっぜえええ!」
ケラケラと、珍しく大きな声で少年は笑った。体を反らせてしばらく愉快そうに声をあげているうちに部屋の変化に気付き、ニヤリと口元を歪ませた。
「さりげなく部屋がグレードアップしてるじゃないか」
「外から丸見えだった窓」にはいつの間にやらカーテンがつけられていて、部屋の隅にはファンヒーターが置かれている。冷凍機能はないタイプのようだが、小さな冷蔵庫も台所に現れているし、その隣に置かれたカラーボックスには何枚かタオルが入っている。ついでに、テーブルの側にティッシュ箱がちょこんと用意されていた。
「諌山想はこの部屋がどこよりも落ち着くようだったので、快適性を少し向上させておいた」
「快適性とか言うけど、安っぽいもんばっかじゃないか。あんな色のカーテン買う奴、そういないぜ?」
センスの悪い赤紫色のカーテンをどこで仕入れてきたのやら、想は指をさして笑う。
こんな悪態をつかれても四谷の表情は変わらない。
少年はそれに安心すると、次の願いをなににするか検討するために、まずはコンビニへ本日のドリンクを買いに出かけた。




