キャプティブ・ポータル
緑川は帰る前に、署内で書類を整理していた。
気づくと机の上でスマホが振動していた。
画面を見るとそこには『田山』と表示されていた。
着信すると、緑川は立ち上がって壁に貼ってあるカレンダーを見た。
「緑川です」
月末だ。いつの間にか、また月末を迎えていたのだ。
『表示されちゃったんです』
「今どこ? 場所を私に送って。すぐ行くから、泣かないで」
電話が切れると、そのまま位置付きのメッセージが送られてきた。
例の女性たちが並ぶガードレールの通りだ。
緑川は木嶋に連絡を取った。
木嶋は別件で出ていてそこから直接くるということだった。
緑川は着替えるとすぐに署を出て田山の元に向かった。
現場に緑川が到着すると、田山は俯いたまま立っていて、周囲の女性が距離をとっていた。
近寄ると、田山の鳴き声が聞こえた。周囲が距離を取るのもわからなくもない。
「田山さん」
緑川が声を掛けると、田山はゆっくりと顔を上げた。
涙を溜めた瞳を閉じると、ボロボロと溢れてくる。
緑川が抱き止めると、声を押し殺して泣き続けた。
「こんな状態で悪いけど、この場所なのよね? 画面も見せてもらっていい?」
スマホを取り出し、ロックを解くと両手で緑川に押し当てるように渡した。
そこには、確かに『キャプティブポータル』と呼ばれる画面が表示されていた。
通常、ここを超えると、そのWi-Fiを経由してインターネット接続ができるようになるのだ。
広告や認証を置いている場合が多いが、田山のスマホに表示されるものは全く違っていた。
緑川は思わずスクショを取った。
画面では四つの選択肢があり、その一つ『ひろ』が選択済みになっていて、押せるボタンは後二つになっていた。
残っているボタンの一つは『田山』となっている。
「今日はこの『田中』っていうのを押したの?」
緑川の肩に顔をつけたまま、首を横に振る。
緑川は思い出した。
あの時は二人が顔を知っている『ひろ』ちゃんのことだけを考えていたが、もう一人、すで選択されていた『田中』という苗字については全く調べていないことに気がついた。
もしかして、不審死した女性の中にこの『田中』がいたとしたら……
背筋に寒いものを感じた瞬間、スマホ画面の変化に気づく。
「えっ! なに、このカウンター」
田山が反応し、緑川の体を離れて一緒になってスマホの画面を見る。
キャプティブポータルの画面背景に、二桁の数値がカウントダウンされていく。
「急に背景に数値が現れた」
田山は緑川の手にあるスマホを操作し、画面をバックさせようする。
「ダメだ、戻れない」
いよいよ数値が一桁になると、選択可能なボタンが交互に点滅し始めた。
「どういうこと?」
画面に触れようとする田山の指が震えている。
「選択しろ、さもなくば、時間で勝手に選択するってこと?」
遅かった。
ボタンが点滅しながら選択され、画面は田山が見たかったショート動画の画面に切り替わっていく。
「わ、私、私が選択されちゃった」
「選択されて必ず死ぬ訳じゃないから」
二人の声がうわずっていた。
緑川が来た時点で周囲から距離を取られていたが、ますます人が近寄らなくなっていた。
「どうした緑川」
「木嶋さん!」
緑川は状況を手早く話す。
コンビニのWi-Fiと思われるものに接続してしまったこと。
選択肢なかったのに、時間で彼女自身が選択されてしまったこと。
過去選択された人がもう一人いたこと。
木嶋はまず、過去に選択された『田中』が不審死した被害者のリストないか確かめた。
「!」
声に出したらそこにいる田山がショックを受けてしまうだろう。木嶋は気持ちを抑え込んだ。
被害者の名前は田中みなみとなっている。
二人目の被害者だ。
木嶋は空き地を見るが、そこにコンビニは見えない
「田山さん、ちょっと質問したいことが。そこに何が見える?」
「……空き地」
空き地、と答えたものの、明らかに何かを言い淀んでいる様子だった。
「正直に見えたものを言うことは、変じゃないし、悪いことでもない。もしかして『コンビニ』が見えたりしなかったかな?」
田山は動揺したように震えた。
「み、見えました。ちょっと前、ちょうどWi-Fiが繋がったあたりで」
「そうか」
木嶋には、そこが空き地にしか見えない。
目を細めようが、汚れがないか擦っても変わらない。
「私、死ぬんでしょうか!?」
「落ち着いて。そんなWi-Fiで選択した名前の人間が死ぬなんてことがあったらもっと大騒ぎになっている。うわさだとしてもね」
「木嶋さん、私、しばらく彼女に付き添って一緒にいてもいいですか?」
田山がびっくりしたように緑川を見つめる。
「彼女が落ち着くまでです」
「そういうことなら、署で預かろう」
「そんなことしたら、彼女、余計落ち着かないですよ」
緑川と木嶋が田山の顔を見つめる。
田山は二人の顔を交互に見やりながら、緑川の方に視線をなげ、無言で訴えかけている。
木嶋は頷いた。
「仕方ない。その代わり他の業務は全て休め。上には俺の方から話しておく。代わりに定期的に連絡をくれるか。俺か、永田に」
「わかりました」
緑川が田山の手を取ると、安心したように田山は緑川に体を寄せた。
「俺はそこの駐車場に車を停めている。緑川も支度があるだろう。乗せていくよ」
三人は木嶋の車に行き、まずは緑川の家を目指した。
緑川が支度をして戻ってくるまで、木嶋と田山は車内で待っていた。
「緑川さん遅いですね」
「……」
女性が他人の家に泊まり込むための支度をするのに、いったいどれくらいの時間をかけるものなのか、木嶋には想像がつかなかった。
「もう少し待ってみよう」
木嶋は運転席で、田山はその後ろの後部座席で待っていた。
時折、ルームミラーで確認すると、彼女はスマホを見ている。
「ギガがないんじゃないのか?」
「ここは無料Wi-Fiが入るみたいで」
会話はそれきりで、またしばらく無言の時間が過ぎていった。
田山が再び言った。
「遅くないですか」
木嶋はあることを確かめていないことに気づいた。
「田山さん。緑川が『コンビニ』を見たとは言ってなかったか?」
「……そんなこと言ってませんでしたけど、あえて訊ねることもしてません」
木嶋は車を降りて、田山のいるドアを開けた。
「一緒に緑川の部屋に行こう」
「はい」
木嶋は車に鍵をかけると、緑川のマンションへ入っていった。
マンションは共用部にオートドアがあって、そこから部屋番号を押して呼び出す仕組みだった。
部屋番号を押してコールするが応答がない。
「部屋には行けないの?」
「令状をとっていれば管理人を呼び出してここを開けるぐらい簡単なんだが」
「電話かして!」
田山は木嶋のスマホを奪うように受け取ると、管理会社に電話した。
さらに木嶋に監視カメラの死角にいくように、手で押しながら指示する。
電話が繋がると、田山は部屋番号を入れる機械についているカメラに向かって喋り始めた。
「yyのxxxマンションで、管理番号はnnnnnn。あのさ、共用部のオートドア開けて。ママが部屋で寝てて起きないの! 急いでるんだから!」
電話の向こうで、電話をかけるだけでは開けれないと言っている。
「トイレ行きたいんだから、早くして!」
遠隔制御なのか、仕切りのオートドアが開いた。
「ありがとう!」
田山が扉の先に入って、木嶋を手招きして呼ぶ。
「慣れたもんだな」
「ウチもこんな仕組みだったからね」
二人は緑川の部屋へと急いだ。
部屋に着くと、木嶋は扉をドンドンと叩きまくる。
部屋から返ってくる反応はない。
郵便受けを開いて声をかけるがそれも中に届いているかわからない。
「ここまでか」
立ち尽くす木嶋を見て、田山は言った。
「あんた警察でしょ! なんとかしなさいよ!」
「……ああ、わかってる」
木嶋は社会的に強引なことができないことを知っている。
ここまで入ったことですら、警察官としては問題があるのだ。
順番にことを進めていく。
署に連絡を入れ、緑川の自宅に固定電話がないかを確認する。
固定電話がなければ捜査の緊急性を説明して、管理会社から鍵を借りれないかの話をつける。
今回は警察官の自宅であり捜査員の安全確保という名目で話を進めやすかった。
それでも緑川の上席からマンションの管理会社に連絡が入り、そこから管理会社が鍵を持って駆けつけるまで一時間弱かかってしまった。
マンションの管理会社がやってきて、鍵を開けた時、田山は怒っていた。
「これで緑川さんが死んでいたら、あなたたちを許さない!」
「おい、言い過ぎだぞ」
「これがガス漏れとかならもっと早く対応したんでしょ」
くってかかろうとする田山を、木嶋が抑えた。
「ありがとう」
木嶋は念のため手袋をして、緑川の部屋に入っていく。
「私も入る」
田山にも手袋を渡す。
部屋は整然としていて、押し込みが入ったとかではなさそうだった。
「緑川!? 緑川??」
「いたの?」
木嶋は首を横に振る。
「緑川さん?」
「……まさか」
木嶋は田山を呼んだ。
「そこを探してくれ」
部屋の作り上、そこはバスルームに違いない。
「緑川がいたらやたらに触らず、すぐに俺を呼べ。救急車を呼ぶ」
「……」
田山がゴクリと唾を飲み込む。
その時、木嶋のスマホが鳴った。永田からだった。
田山には、調べろとジェスチャーで示す。
『木嶋さん、緑川から変なメッセージが来たので転送します』
木嶋はすぐにスマホ切った。
「木嶋さん! 緑川さんが倒れて」
木嶋はすぐに救急に連絡した。
涙をボロボロとこぼしている。
そして緑川の体を確認する。
「AEDを頼む。田山さん、そこの管理の人に言うんだ。AED」
AEDを持ってきて、木嶋は救命を試みる。
しかし、全く変わりがない。
反応もない。
絶望的な気持ちの中で、AEDの使用と人工呼吸を繰り返す。
やがて救急がやってきて緑川を連れて出ていく。
田山とともに木嶋は移送先の病院に向かった。
緑川の親族も呼ばれていて、その中で医師が緑川の死亡を伝えた。
田山がせきを切ったように泣き出した。
緑川の死を聞いた時、心配蘇生をした疲れが、突然、木嶋の体を襲う。
そして忘れかけていたことを思い出した。
木嶋がスマホを取り出し、永田のメッセージを見た。
「これは……」
泣きじゃくる田山が木嶋のスマホを覗き込むと、木嶋の胸を激しく叩き始めた。
木嶋のスマホ画面には田山のスマホと同じ『選択画面』が表示されていたのだった。