それでも
(天空都市群グングニル中央島:第一円形闘技場)
角獣飛竜の重厚な尾が、俺の脳天を捉えた。
完膚なきまでの一撃。
俺には、成す術もなった。
受け身すらとれず、第一闘技場の床に吸い込まれていく。
敗北を悟った瞬間だった。
全ての音が消え、全ての感性が消滅した。
ひどく、長い時間だった。
負けを確信してから、その事実が成就するまで、これほど長い時間がかかるのかと、正直、俺は驚いていたのかもしれない。
急激に地上へ叩きつけられている途中にも関わらず、落下の時間は途方もなく冗長だった。
まるで、奈落の底へ落ちているようだ。
いいや、比喩ではない。
これは、本当に奈落への落下そのものなのだ。
薄れゆく意識の中で、俺は最後にモニターを見た。
第一闘技場に備え付けられている、大型モニタ―。
場外戦になっても、これで闘竜士同士の戦いを観客は楽しめる。
場内戦のときは、二頭のアニマ―ガスがアップで映し出される。
それに、見知った顔が映っていた。
キーロ……。
彼女だった。
恐らく、例の週刊誌の一件から、彼女は運営側にマークされていたのだろう。
復活の快進撃を続ける氷息帝、唯一の関係者。
謎の苦学生。
若き天才魔女。
そういう触れ込みで、キーロが俺の敗北の瞬間に映し出されれば、センセーショナルな演出になる。
全く。悪趣味もいいとこだ。
キーロ。お前もお前だよ。
どうして泣いてるんだ? 平然としてろよ。きつ然としてろよ。お前、俺の主治医だろ。
この後治療してもらうのに、そんな状態でうまくやれんのか?
しっかりしろよ、全く。
……いや。
違うな。
しっかりしなきゃいけないのは。
キーロを泣かせた甲斐性なしは。
今、負けそうになってるのは。
この俺だ。
氷息帝のザザ・ムーファランドだ。
――情けないのは、誰よりも俺だ。
闘技場の床が、すぐそこまで迫った。
時間にして、あとコンマ数秒もない。
その間に、俺は全てを失う。
約束も。
戻ってきた名声の欠片も。
取り返した自身も。
大切な人の信頼も。
……たまるかよ。
……失って、たまるかよ。
他は全部くれてやろう。
なんだって犠牲に出来る。
でも、最後は駄目だ。
あいつの信頼だけは、裏切れない。
キーロだけは、失えない。
俺は、かつて皇帝だった男。
自分に寄せられた最後の期待を不意にするほど、不抜けちゃいない。
――――だから。
――――だから!!
コロシアムの床が、全て凍りついた。
落下する俺を、砂地から生えた氷の玉座が迎え入れる。
『おおっとお!! 何ということだ、信じられないぞ!! 絶体絶命の状況を、こんな成り方で返上してしまうとは!? コロシアムの床から、氷の台座が現われました!! ザザはそこにいます! まだ、砂へ落下したわけではありません!! 試合は、続行だぁ――――!!!』
実況のかしましい解説が聞こえる。
盛り上げる意図はどうでもいい。
大切なのは、
「おい、犀粉帝。俺はまだ、堕ちちゃいないぜ」
まだ、俺が闘えるということだ。
氷の台座は、俺を柔らかに包み込んでいた。
受け止められたときの衝撃は、ほとんどない。
六枚の翼を、もう一度動かす。生まれて初めて動かすように。
ふわりと、羽根が風を捕まえる。
体が軽い。だが、長くは持たないだろう。
扉は、まだ全て空いていない。少しだけ開いただけだ。
それに、俺のダメージは深刻だった。
撃てて、あと一発分だろう。
でも――充分だ。
俺は、まだあいつの夢を裏切っていないのだから。
まだ、あいつのために闘えるのだから。
やれることが、あるのだから。
それで――――充分だ。
「ギラドア。さっきのは、効いたぜ」
「――ザザ。なんとしぶとい……!!」
勝利を確信していた犀粉帝は、再起した俺を目の当たりにして気色ばんだ。
だが、奴の百戦錬磨の皇帝だ。
少々のアクシデントでは隙をみせない。
あとは、お互いの最後の一撃が、勝敗を決めるだろう。
奴は切り札の粉塵を使いきった。となれば、残る手は一つしかない。
それは、俺も同じだ。もう、望みをたくす多能性は、開きかけた扉だけだろう。
他の攻撃では、まだ余力のあるギラドアを討ちとることはできない。
「流石だな、氷息帝。流石は、俺が唯一固執し続けた闘竜士! お前に勝ってこそ、俺は本当に皇帝になれる。だから、今度こそ沈めてやる!!」
角獣飛竜の巨躯が、一直線に肉薄してくる。
満身創痍の身体で、避けることはできない。
つまり、やるべきことは一つだ。
――全力で、迎え撃つ!
『――――凍れる陽光――――』
俺は天へ広く翼を広げた。
そして、翼膜から全てのエネルギーを爆発させる。
やがて、放たれた俺の渾身は、肉薄する犀粉帝と激突した。
強烈なせめぎ合い。
初めは、一進一退が繰り返された。
だが、徐々に角獣飛竜の巨体が押され始める。
奴の巨大な目が驚愕に見開かれた。
「――ぐぅ! 何故、翼膜から凍気を……!! それに、この力は……!?」
「いったろう。俺の主治医は、凄腕だってな!!!」
切れてしまいそうな糸を極限の集中力で保ち、最後の一絞りを犀粉帝に放つ。
次の瞬間、俺はアニマ―ジュを解除された状態で、闘技場の床に倒れていた。
意識を最後の最後に手放してしまったらしい。
試合は、どうなったのか?
だが、その心配はすぐにアナウンスが取り除いてくれた。
『何と、なんと、ナント!! 驚くべき逆転劇!! これぞ、元皇帝の底力なのかぁ!? 絶望的な状況を、見事覆してみせた氷息帝、ザザ・ムーファランド!! この瞬間から、この栄誉ある闘竜士は、元ではなく!! 現!! 皇帝です!!!』
「ふん。知ってるよ……。貸してただけだ。もともと、俺のなんだからな」
つまらないことを呟いて、俺は第一闘技場の天へ拳を突き上げる。
身体はほとんど言うことを効かないが、俺はなすべきことをなしたのだ。
守るべきものを、守ったのだ。
『みなさん!! 帰って来たのです、あの氷息帝が!! 間違いなく、今此処に。あの悪役皇帝、ザザ・ムーファランドが、皇帝たちの集うインペリアルリーグに帰還いたしました!!!」
実況は、あいかわらずもりあがっていた。
観客達の歓声と拍手が、再び皇帝になった俺に降り注ぐ。
俺は、無意識に叫んでいた。
「キーロォォォォォォォォ――――!!!」
そして、満面の笑みを浮かべる。
「やったぞォォォォォォ――――――――――!!!!!!」
タイミングのいいことに、大型モニターが俺の主治医を映していた。
全く。
勝っても負けても泣くのか。
そういうところも、すごく惹かれる――――。
そう安堵して、俺は意識をもう一度手放した。




