I’m in Love ?
(天空都市群グングニル中央島南西地区:表通りから外れたマンションの一室)
「獣医学関連の本はこっち。医学関係は……その左でいいわ。そう、そこ」
キーロが目覚めてから、早数時間。
寝不足の身体に鞭打って、俺はキーロの引っ越し作業を手伝っていた。
やれやれ。
本当に、荷物は本ばかりである。
空き部屋に紙の壁を構築しつつある一角を眺め、俺はちょっとうんざりする気持になった。
あしたは、この数倍の冊数が届くのである。
……床、抜けたりしないよな?
でもまあ、キーロは一応、受験生だし……。
ここは、彼女の都合を優先すべきだろうな……。
提案したときは、軽く考えてたけど、同棲って、案外難しいのかもしれない。
お互いがお互いに、自分の領域を削って、相手に差し出さなければならないのだ。
不便でもあるし、不都合でもある。
なのに、なんでだろう。
俺の心は、少しだけ踊っている。
キーロと一緒に住める状況に、少しだけ、ときめいている?
はは。まさか。
まさか、な……。
「愚図愚図しない!! 次は、そこの山よ!!」
ぼんやり思案する俺を、今日から同居人の少女が叱咤する。
……うーむ。
これは、結構大変かも知れんぞ。
少なくとも、カプセルホテルで雑誌を読んでいたときのようには、いくまい。
そう感じると、襲撃者とは別の気苦労が、増えそうな気もするな……。
と、いかんいかん。
荷物の整理をさっさと、終わらせなければ。
次々に処理していかなければ、昼飯を食いそこねちまう。
まあ、俺の主食は、ササミとプロテインだから、そこまで惜しくもないんだけどな。
「……ふう。とりあえずは、これくらいでいいわ。ザザ、お昼にしましょ」
そういって、キーロは旧空き部屋、新図書館から出ていった。
リビングに入ると、キーロがエプロンをつけて、昼の食事を用意している。
「待ってて。すぐ、つくるから」
料理するその姿は、なんとく、そのー……なんだ。
言い出しにくいが、あれだな。
あれ。
……奥さん。
……みたいだ。
じゃない!
うわ! 止せ!!
止すんだ!! ザザ!!!
一旦、落ち着こう。
深呼吸だ。
すうー。はあー。
よし。正常になったぞ。
感覚が。
改めて、キッチンに立つ苦学生を眺める。
はん。なんだ、ただの給仕女の業務行為じゃないか。
ほら、見ろよ、還ってきた氷息帝。
あの何でもない、最北島で一か月も見飽きた光景のどこに、心奪われる要素がある?
ないな。
一ミリも、ない。
はっはっは!!
ないぞ!!!
だってほら、真剣にササミのゆで具合を確かめてる表情なんて、最高にかわい――。
――ガン!!!!
「きゃ!!? なによ、いきなり!?」
俺が唐突にテーブルに頭を打ち付けた音に、キッチンのキーロが驚く。
テーブルの木目を眺めながら、俺は淡泊に返した。
「闘ってたのさ。それだけだ」
俺の主治医の呆れかえった視線が、側頭部に刺さる。
「……もう。イメージトレーニングも、ほどほどにしなさいよ。不気味だわ」
そういって、奴の視線はササミに戻った。
おい、ザザ。どうしたんだよ!?
本当に、おかしいぞ。
もう、同じ空間にいるのが辛いとか、そういう領域まできてる。
重傷だな。
もう、手遅れなのだろうか。
俺は、絶望的な気持になった。
否!!
グラディエーターは、最後まで勝負をあきらめないのだ。
元七帝で、かつ現スーパーリーガーともなれば、その諦めの悪さは、天下逸品である。
そう。
俺は、諦めの悪い男!
だから、まだ自分の気持ちを、鵜呑みのはしないのである。
何処からか、天空都市の歌姫の『甲斐性なし』というヤジが飛んできそうだが、そんなことは知らん。
恋愛強者には、わかんのですよ。
この、自分の本心を知られるのが、ものすごく不安な気持ちは。
ひがみっぽくなってしまう。
……情けないな、俺。
元七帝の一角なのに、超人気スポーツの『元』スター選手なのに。
どうして、プレーと違って、こういうことは割り切れないんだ?
はあ。
こういうのも、的確にこなせる男に、なりたい。
今日ほど、心底そう思った日はない。
そう悶悶としていると。
「さ! できたわ!!」
キーロが元気な声で、盛りつけられた皿をこちらに運んでくる。
コケないように、慎重に運んでくるしぐさも、魅力て――。
「ちょっと。なんで、そんなに頭を犬みたいに振ってるわけ? 馬鹿なの??」
くそう。
確かに、阿保の極みだ。
何も、言い返せない。
俺は、呼吸を整え、昼飯だけに集中した。
「なんでもない。頂きま――もごもご」
「言い切ってから、食べなさいよ……」
呆れるキーロ。
でも、そういう視線も、今の俺には効かない。
集中しろ。
集中するんだ、ザザ。
いつも通りのササミ、いつも通りのプロテイン、いつも通りの青汁。
ふう。
なんだ。
全て、いつも通りじゃないか。
おかしかったのは、俺の感覚だ。
きっと、ミリアムハートJr戦の疲れと、ギラドアとフェリェのいざこざに巻き込まれた疲労と、昨日の襲撃者事件で、俺は疲労困憊なのだ。
それに、昨日は徹夜である。
ぼろ雑巾みたいに疲れきっているから、こういう馬鹿な幻想を抱くんだ。
そうだ。
きっと、そうに違いない……。
俺は、そう自己暗示をかけた。
「……ごっくん。ごちそうさん。片づけは、俺がやるから」
「ずいぶん、早いのね。世界記録でも目指してたの?」
「たまたまだ。昨日は、寝てなくてな。眠いんだよ」
そういって、俺はそそくさと寝室に避難しようとする。
そうだ。
眠ってしまえば、この忌々しい感情に、惑わされることもない。
さっさと、寝室に避難しよう――。
「食器、流しに置いとけ。後で、俺が洗っとくから」
自分の食器を流しに置いた後、俺はキーロにそう告げて、安全地帯に退避する。
「そう。ありがとう。意外と、優しいのね。ザザって」
その言葉とはにかむ笑顔に、俺の決意と眠気は、粉砕された。
すごい。
凄まじい破壊だ。
犀粉帝の一撃より重いダメージが、俺の防波堤を決壊させる。
「あ、う。感謝しろよ!!」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
しかも、どもったし。
滅多にない失態だ。
でも、それを気にかけている暇はない。
俺は、ダブルベッドに飛び込み、枕に顔をうずめた。
午前中に修繕された窓ガラスから、淡い光が差している以外、部屋に明りはない。
薄暗い部屋の中で、鼓動だけが、雄弁だった。
……もう、否定しようのない事実かもしれない。
でも、あいつは、主治医だ。
それ以上でも、以下でもないはず。
……違うのか?
ふうー。
どう、なんだろう?
俺は、暫く身動きせずに、血の循環に、耳を傾けた。
――前途、多難である。
(続く)




