漆黒の襲撃者、再び
(天空都市群グングニル中央島南西地区:表通りから外れたマンションの一室)
――危機が、迫ってきた。
――俺のこの隙を、ついて。
襲撃は、唐突に始まった。
リビングにいる俺の鼓膜を、寝室の窓ガラスが割れる音と悲鳴が揺らす。
「おい! どうした!?」
俺は、弾かれたように寝室へ駆けこんだ。
「ザザ! キーロさんが……」
寝室に入ると、最初に緊張した面持ちのフェリェと視線がある。
俺は、一応安堵した。
彼女は、まだ無事である。
でも、キーロは!?
俺は、ガラス破片の散乱する窓の方へ眼をやった。
そこには、異様な雰囲気の大男がいる。
キーロを、腕に掴まえて。
「おい! 何者だ、お前!! キーロを離せ!」
俺の威嚇にも、奴は不気味なほど動じない。
全身を漆黒のマントで覆い、顔には能面を被っている襲撃犯は、かなり大柄だった。
まさか、ギラドア?
確かに、身体の大きさは、彼くらいだが。
でも、奴から感じる波動は、別のものだ。
じわりじわりと人の首を絞めるような、波動。
かまをもたげたような大蛇に睨まれるような感覚。
この雰囲気に、俺は心辺りがあった。
間違いない。
最北島で、俺を襲ったあの黒い飛竜だ。
あの時の襲撃犯が、再び俺の前に姿を現したのだ。
「――返ってきたようだな、氷息帝」
漆黒の襲撃者が、異様に低い声で話しかけてくる。
まるで、地の底から響いてくるような声だ。
声というより、重低音に近い。
俺は、奴の能面を睨みつける。
その奥にある、濃闇の両目を。
「目的はなんだ。大人しく、キーロを開放しろ」
奴の視線が、俺の全身を這うのを感じる。
まるで、獲物を品定めするような視線だった。
「――脅迫状を出せば、そこの女がお前に助けを求めるのは、分かっていた。多くの人間が集まる自宅よりも、お前の住んでいるところの方が、狙いやすい。人の目が、ないからな。ここで三人、葬っても、朝までは気づかれないだろう」
俺の質問を無視し、奴は淡々と話す。
そのとき、強靭な腕に囚われたキーロが、声をあげた。
「ザザ! 気をつけて! この男、周囲に防音の天空術を――」
だが、襲撃者は、キーロを更に腕で締め上げる。
「――黙れ。最初に、殺されたいらしいな」
首を絞められたキーロが、苦悶の表情を浮かべる。
俺の頭に、かっと血が上った。
「おい、止めろ!! 条件を呑んでやる。だから、キーロを離せ!! さもないと……」
激昂した俺を、漆黒の襲撃者は、享楽的に見つめる。
能面の下の表情は、きっと、狂喜に歪んでいるのだろう。
「さもないと、どうするというのだ? 氷息帝。前回は、紅恋帝に阻まれたが、今回は、その助力はないぞ。こちらには、人質もいる。お前が無謀な真似をするのであれれば、いつでも好きなときに殺してやるがな」
背に悪寒が走る冷たい声が、俺の鼓膜を舐めた。
「さあ、どうする。氷息帝? この女を殺すか? それとも、俺の要求を呑むか? どちらを選ぶ?」
「…………」
俺は、必死に打開策を探すが、キーロを人質に取られている以上、どうすることもできない。
苦渋の決断で、襲撃者に告げる。
「……条件を、呑もう。早く言えよ」
「ザザ! 駄目よ!!」
キーロが悲愴の抗議をするが、俺にはこれしかない。
襲撃者は、満足そうに低い嗤い声を発した。
「クック。そうするほか、ないだろうな。義理がたい元七帝よ。その為に、お前は更なる上昇の機会を失うのだ」
奴は、俺を心底、蔑視して唾棄した。
でも、俺にはなんでもない。
「約束は、守れ。キーロを開放するんだ。それと、フェリェの安全も約束しろ」
「自分より、他人。おめでたい考えだな。お前は、皇帝の器ではない。お前が現役のときから、俺はそう思っていた。史上、最も七帝の名に相応しくない男。それが、お前だ」
奴は、自分の計画通りにことが進んでいるからか、かなり饒舌だ。
こいつの言葉に偽りがなければ、この能面の男は、昔の俺を知っていることになる。
飛竜型のアニマ―ガスで、俺の一度目の現役時代を良く知る男。
こいつは、一体何者なのだろう?
「……ご託は、いい。早く、要求を言え。なんでも聞いてやる」
その言葉で、能面の奥にある両目が、残虐にギラリと光った。
「――そうか。聞くのだな」
「そういってるだろ。言えよ」
奴は、恐ろしい要求を口にした。
「――では、この場で、俺に六枚とも、お前の翼を折らせろ。二度と飛べないようにしてやる。命までは奪わない。だが、金輪際、天空闘竜はできないようにしてやろう。そうすれば、二人の安全を保障してやる」
俺は、言葉を失った。
相手は、容赦のない化け物だ。
そう思っていたが、まさか俺を選手として、本当に終わらせるのが、奴の狙いだったとは。
薄々感づいていたが、奴はこの目的のためなら、手段を選ばない。
もし、俺が拒否すれば、キーロの命はないだろう。
だが、俺は諦め切れるのだろうか。
二度目の競技人生を。
キーロとの約束を。
アニマ―ガスとしての、誇りを。
俺は、すべて犠牲にできるだろうか。
「……どうした、偽善者の氷息帝。顔色が悪いぞ? やはり、この女から殺した方がいいのかな?」
俺の心境を見透かすように、奴が言葉を繋ぐ。
「どちらでも構わぬぞ。どちらでもな。ふは! ふはははは!!!」
奴の高笑いに、俺の脳は揺れた。
一瞬、キーロの方を見る。
彼女は、恐怖を決死の思いで顔に出さないようにしていた。
でも、俺には判る。
馬鹿だな。
バレバレだぜ、キーロ。
お前が泣きたいのを堪えているくらい、俺にはよくわかってる。
自分の大事な主治医のことだ。
それくらい、良くわかるさ。
俺は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
まるで、この世で最後に吸う空気のように。
そして、静かに吐き出す。
「……分かった。折れよ、六翼とも」
「ザザ!! 何を―――!!?」
「そんな―――だめです!!」
キーロとフェリェの悲痛な声が聞こえるが、俺の決意は揺らがなかった。
「さっさとやれ」
挑むように、奴を見つめる。
漆黒の襲撃者は、勝ち誇ったように腹の底から哄笑した。
「ふははは!! なんとも、愚かな男よ。俺ならば、二人を殺してでも、敵に向かっていくものを。だが、こちらとしては、計算通りだ。お前は、本物の大馬鹿ものだ、氷息帝」
言い返せない自分を、情けなく感じる。
俺の腹の底で、絶対零度よりも強烈な怒りがわき上がる。
――もっと!! 力があれば!!!
――もっと!! 俺が強ければ!!!
――もっと!! 俺が頼れるグラディエーターだったら!!
だが、その思いは現実とならない。
俺は、奴の毒牙に、今度こそ――。
そのとき、だった。
「ふん。馬鹿はあなたよ、襲撃者さん!!」
強靭な腕に囚われたキーロが、声をあげる。
「この人が、私のために、本当にそんなことすると思っているの? 馬鹿ねぇ、そんな訳ないじゃない! 私、この人と、他人なんだから! 他人も他人、真っ赤な他人よ!!!」
強い口調で、キーロが言い切る。
おい! キーロ、危険だ! 止めろよ!!
そう止めようと思ったが、それより先に、襲撃者が彼女に興味を移した。
「……ククク。女優だな、早熟の天獣師。そんなお芝居で、俺を騙せると、本気で信じているらしい。だが、無駄だ。氷息帝の傷をいやしたのが、お前だというくらい、俺は知っている。無駄な狂言だ」
あくまで、襲撃者は冷静に対応した。
しかし、キーロの虚勢は終わらない。
「そうかしら? その人、ほんとの人でなしよ? 私が死んでも、これっぽっちも悲しまないわ。代わりを見つけるだけよ。勘違いしているのは、あなたの方だわ。本当に、馬鹿ね」
侮蔑するように、キーロが激しい口調でいう。
淡々としていた襲撃者の声色が変わった。
奴の周囲を、黒い殺意が渦巻き始める。
「……立場を忘れるな。お前の命は、俺の手中にある。その気になれば、容易くお前ほどの小娘一人、葬れることを忘れるな」
たまらず、俺は二人の会話に割って入る。
「おい、止めろ! もういいから――」
「――良くないわよ!! あの男は、最低の大馬鹿野郎なんだから!! 私を手に欠けた所で、これっぽっちも怯まないわ! 悲しまないわ! 省みないわ!! 気にせず、あなたと闘うわ。そして、あんたを倒す!! 勝った後も、私のために、涙一つ、流さない。そういう男よ!! だから、殺すなら、殺せばいいわ。困るのは、あなたよ、この卑怯ものの小鳥並みの心臓しかない臆病者!!!」
キーロの叫びの後、寝室に静謐が訪れる。
いつの間にか、キーロの頬を、僅かな輝きが伝っていた。
暗闇だから、ちゃんとは見えない。
でも、それをみて、俺の中の扉が軋む音がした。
何が開きそうなのかは、野生の勘で分かっている。
最北島でキーロが感じた、新しい俺への扉だ。
「……そうか」
殺気に満ちた低い声が、突発的に生まれた静寂を破壊する。
その声は、完全にキーロに向けられていた。
俺は直感した。
奴は、キーロに手を下す気だ!
絶望的な気持と同時に、これ以上ないくらいの激情が、俺を突き抜ける。
漆黒の襲撃者は、ゆっくりとキーロを掴まえる腕とは反対の腕を振り上げた。
そして、腕の中のキーロに宣告する。
「では――――死ね!!!」
そのとき、俺の中で凍結飛竜が咆哮した。
「ヤメろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
俺は本能のままに、襲撃者に冷気をぶちまけた。
この時、俺に細かいことを考えている余裕はなかった。
もっといえば、キーロごと絶対零度の津波で襲ってしまったのだ。
だが、その冷気は、何故か奴だけを襲った。
「ぐぬ!!? なんだというのだ、この覇気は……!!?」
襲撃者が凍り付く自分の皮膚を前にして、たじろぐ。
奴がみせた、千載一遇の油断だった。
俺は人間の姿のまま、奴に突貫した。
そして、俺の憤怒とともに沸き上がる凍気を、窓ガラスごと吹き飛ばすつもりでぶつける!
「ぐはあ!!? 何故だ!!? どこから、ここまで……!!?」
俺の捨て身の一撃は、奴を窓ガラスの枠ごと、外へ吹き飛ばした。
キーロは――!!?
俺は安堵する。胸に温かい明りが灯った。
彼女は、無事だ。
なぜか、俺の冷気にやられた後もない。
何故なのかは、このさい、どうでもいいことだ。
俺は今度こそ、渦巻く冷気により怒髪天となって、襲撃者を射貫いた。
「うぬ……!?」
人質を失った襲撃者は、予想外の事態に、虚を突かれている。
「辞世の句すら読ませんぞ。永遠に閉じ込めてやるよ、絶対零度の監獄にな」
俺は、そう宣言すると、アニマ―ジュしようとした。
――のだが。
奴は、最後の切り札を持っていた。
「ふあはは! それが何かも把握できぬお前に、俺を捕らえられるものか!!」
言下、漆黒の闇が俺を覆った。
そして、そこから数本のものが投げ込まれる。
手榴弾だった。
「ちいっ!!」
俺は、ベランダの上から飛来するそれらを、瞬間冷凍し、無力化する。
凍りついたそれらは、粉々の氷片となって、宙に流れていった。
だが、時間稼ぎは充分だったようだ。
闇の濃霧が晴れた後、奴の姿はどこにもない。
ただ、いつもと変わらぬ天空都市の夜が、眼の前に広がっている。
逃げられたようだ。
俺は、しばらく闇が消えた後の虚空を眺めていた。
しかし、すぐに二人の無事を確認しに行く。
「おい、キーロ! フェリェ! 無事か? 怪我とかは!!?」
幸い、見る限りでは、二人は無事だった。
胸をなでおろす。
フェリェに外傷はまるでなかった。
そして、キーロにも、ほとんど外傷はない。
戦闘に巻き込まれたショックで、気を失ってはいるが、呼吸も心拍数も正常だ。
「……フェリェ。天警を読んでくれ。あと、救急車も」
「わかりましたわ。すぐに」
そういって、フェリェは電話をかけ始める。
俺は、気を失ったキーロをベッドに寝かせて、その顔色を窺った。
全く、無茶してくれるぜ。
心にもないこと、言いやがって……。
俺は、そっと、彼女のおでこをなでる。
でも、本当に、無事でよかった。
でもなぜ、凍気はキーロを避けて、襲撃者だけを襲ったのだろうか?
それに、俺はさっきの攻撃で、アニマ―ジュを使わなかった。
昨日、ギラドアの攻撃を防ぐとき、俺は頭部を部分展開させ、そこから氷の壁を生みだした。
アニマ―ガスは、原則として、変身しなければ、ただの人間だ。
だが、さっきの絶対零度は、変身せずに、発生させていた気がする。
頭部すら部分具現していない状態で、どうやってそれが可能だったのだろうか?
俺は、あのときの、扉が少しだけ開いた感覚を、思い出す。
何か。
新しい可能性が、俺の中で目覚めたのだろうか。
――でも、それが何かは、俺にはまだ、分からなかった。
その代わりに、俺は無事だったキーロの無垢な表情を見つめる。
――キーロが、無事でよかった。
それが、今は、なにより大事なことだった。
(続く)




