引っ越し
(天空都市群グングニル中央島南西地区:表通りから外れたマンションの一室)
十二月八日のショッピング・デーは、犀粉帝と歌姫の諍いに巻き込まれて終わった。
結果、へそくりで買おうと思っていた愛車の鍵は、まだこの手にない。
困ったものである。
明けて九日の日曜日午前、俺は新居に引っ越すため、引っ越し業者に指示を出していた。
「――ああ、そうだな。テーブルはキッチンの向かいに置いてくれ。ソファはそこでいい。TVは……ソファの前だ。うん。それくらいでいいよ」
引っ越し業者に指示を出し、大まかな部屋のレイアウトを構築する。
このマンションは、キーロの部屋や「東洋亭」のすぐ近所にある。
まあまあ安い家賃で、家具が備えつきの良物件だったので、即決で借りた。
決断が早いのは、刹那的な勝負に生きる天空闘竜士ならではかもしれない。
大家の老人も愛想のいい人で、今日から入居して構わないといってくれた。
助かるぜ。
これで、カプセルホテルとは、おさらばだ。
ちゃんとした部屋に、ようやく再び済むことができる。
ここまで、長かったなあ。
高級タワーマンションを退去した日を思い出し、俺は感慨にふけった。
数少ない私物を運び終えると、業者は帰っていった。
正直、荷物なんてほとんどないから、業者を雇うかどうか、悩んだのだが。
備えつき家具の移動を、一人でやるのは骨だ。
新居への入居日くらい、少しは楽をしてもいいだろう。
昨日の騒ぎや、今日の契約に追われて、流石に少し疲れている。
明日まで練習は休みだし、昼寝でもしようかな……。
俺はそう思って、寝室へ向かう。
そこには、綺麗なシーツを張られたダブルベッドが置かれている。
一人で使うには、少し大きいが、寝心地は良さそうだ。
……なんだか、気持よさそうな寝具を見ていると、ものすごく眠くなってきたな。
どれ。寝心地を確かめてみよう。
そう思って、俺はベッドに寝転がる。
しき布団も、かけ布団も、かなりいい具合だ。
俺の好みの柔らかさである。
ああ。なんだか、ものすごく眠気が頭にはびこり始めているな。
すぐに寝付くつもりじゃなかったが。
これは、駄目かもしれない。
試合の疲れと、昨日の騒動、今日の契約でたまった疲労が、一気に俺に押し寄せるようだ。
……待て待て。
だめだ。
まだ寝るわけにはいかない。
玄関の鍵だって、まだ閉めていないのである。
不用心だぞ。
せめて、施錠してから、寝ないといけないのに……。
俺は、眠気に勝てなかった。
眠気は、白い煙みたいに俺の脳みそにまとわりついて、思考を奪う。
……だめだ。
これ以上、あらがえ、ない…………。
……。
俺は、意識を手放した。
――――。
ピンポーン!
がばっと、上体を起こす。
無論、ベッドの上からだ。
寝室の外にある太陽が、かなり傾いている。
まだ夕方には早いが、三時間くらいは寝ていたに違いない。
玄関の施錠もせずに、それだけ眠りこけるとは。
やはり、近日の疲れがたまっていたのだろうか。
ピンポーン。ピンポーン!
寝ぼけて顔をしかめる俺の覚醒を、インターホンが催促する。
たぶん、キーロだろう。
今日、此処に引っ越すことを彼女には知らせてある。
新居の様子を見に来たのかもしれない。
全く、疲れてるんだから、寝かしといてくれよな。
まあいい。
腹が減っていることにも、起きたことで気がついたし、キーロの差し入れでも食べよう。
そう思って、俺は寝室を出て、玄関への廊下を歩いた。
その間にも、もう一度、インターホンが押される。
やれやれ。そんなに、早く入れろと主張してくれるな。
「はいはい。今開けるよ。そんなに押すなって。分かってるんだから」
そうぼやいて、ドアノブに手をかけ、回す。
玄関の扉が、外に開いた。
来訪者と眼が合う。
が、その人物は、キーロではなかった。
「ごきげんよう、ザザ。少し、中に入れてくださいな」
女性にしてはかなりの長身を、そいつは優雅に曲げる。
美しい挨拶だった。
玲瓏な桜色の髪が、絹みたいに流れる。
見惚れそうになった自分を叱咤し、俺はぶっきらぼうに返す。
「……何の用だよ、フェリェ?」
昨日モールで会った天空都市の歌姫は、困ったように柳眉を顰める。
「少し、相談したいことがありますの」
「アウラに相談しろよ――って。そうだ。あいつ、まだ最西島から、返ってきてないんだっけ?」
「ええ。何かあったとき、あなたを頼れと、あの方からもいわれていますわ」
……ややこしい問題を俺に回しやがって。
アウラ、貸し一つだぞ。
「……分かった。聞こう。入れよ」
俺は、ドアを大きく開けて、彼女を迎え入れる。
「おじゃましますわ」
軽く頭を垂れて、フェリェが俺の脇を通り過ぎる。
花のような、いい匂いがした。
周囲をさっと見渡したあと、俺はドアを占める。
一応、鍵もかけておいた。
リビングのソファにかけた彼女に、さっそく尋ねる。
「……もう他人の俺のところにまできて、どんな要件だ?」
フェリェは、端正な横顔を憂いに沈ませる。
「それが……困ったことになってしまって……」
「困ったこと?」
すぐに思い浮かんだのは、昨日の犀粉帝ギラドアとの悶着だ。
奴は、アウラが留守なのをいいことに、しつこくフェリェに言い寄っていた。
そのことと、関係があるのだろうか。
「……これが、今日、事務所に届いたんですの」
そういって、ブランド物のポーチから、一通の手紙を取り出す。
「なんだい、これ? 熱狂的なファンレターとか? 婚約届け出でも入ってたのか。相手の方が記入済みのやつ」
「違います。過去に、そういうものも、ありましたけれど」
「あったのかよ」
冗談で言ったことが現実で、俺は呆れる。
やっぱり、フェリェはカリスマ的人気なんだな。
俺と彼女が噂になったとき、熱狂的な親衛隊に、取り囲まれた記憶がよみがえった。
と、そんなことを思い出していると。
彼女が、核心を言い放つ。
「それ、脅迫状ですの」
フェリェは、心底、当惑した表情で告げる。
「脅迫状!?」
俺は、驚いて変な声をあげた。
いるんだな、そういうの出す奴。
俺も、過去に誹謗中傷の手紙は山ほどもらったが、脅迫状は流石にもらったことが無い。
だが、フェリェの表情から察するに、これは本物なのだろう。
「内容、呼んでいいか?」
「ええ、どうぞ。既に、天空警察にも相談済みで、指紋やDNA検査もしています。触っても構いませんわ」
そうフェリェはいってくれたが、俺は思いなおして、読むのを止める。
こういう犯罪の証拠品を、素人が触るのは、良くないよな。
現に、厳重そうに、脅迫文はビニールで包まれている。
俺は、彼女の口から直接聞くことにした。
「……フェリェ。どういう内容だったんだ? 話せる範囲でいいから、教えてくれ」
「そこまで長くありませんでした。ただ、『行動に気をつけろ。さもなくば、殺す』と」
「ふーむ……」
俺はその文言を吟味する。
確かに、敵意や殺意を感じさせる言葉だ。
だが、いくぶん抽象的すぎるな。
「……単刀直入な内容だな。でも、それだけだと、どういう筋の恨みか、分からない」
「心当たりは、ありません。アウラにも、相談しようと思いました。でも、極秘調査のために、連絡がつかなくて……」
「……で、困り果てて、俺のところに来たというわけか」
フェリェは、昨日と同じく凛としたたたずまいだった。
が、流石に今日は覇気がない。
不安なのだろう。
「ええ。事務所やマネージャーは、天警に任せておけばいいと……。でも、なんだか嫌な予感がしますの。何か、普通でない狂気がこちらに向いているような……」
「なるほどな。確かに、脅迫状なんて、心の休まるものじゃない。それで? 今日は、どうするんだ? この後、天警の護衛付きで、自宅に帰るとか? 俺に、何を期待してる?」
だいたい予想はついていた。
たぶん、アウラが返ってくるまで、彼女のボディーガードをするとかだろう。
飛竜型のアニマ―ガスが護衛にいれば、大半の脅迫犯は、怖気づくはずだ。
強靭な飛竜を前にしては、どれだけ高度な天空術も、意味をなさない。
銃弾や爆薬も、同様だ。
その程度では、変身後の飛竜型アニマ―ガスを倒すことは不可能なのである。
「ええ。それで、私なりに色々考えた結果ーー」
「結果?」
「――今日、此処に泊まろうと思いますの」
一瞬、意味が理解できなかった。
「は? なんで?」
「そういうことです。よろしくお願いしますわ、ザザ」
そういって、彼女は頭を下げる。
だが、ちょっと待て。
「いやいやいや。おかしい。すこぶるおかしいだろ!?」
「おかしくありませんわ。アウラに対して、後ろめたい思いがあるのであれば、杞憂ですわ。ザザ、私があなたに心を許すと思って? あり得ませんわ。それに、あなたは甲斐性なしです。だから、この部屋に泊まっても問題ありません」
澄ましてフェリェはいう。
ものすごく、腹の立つ態度である。
「おい! 誰が甲斐性なしだ!」
「あら。記憶喪失にでも、なりましたの? 四回もデートしたのに、手すら握ってこなかったのは、どこの氷息帝様でした?」
う。
確かに、俺はフェリェに手を出しそうで出さなかった。
あの時は、なんとなく、彼女は近くにいるのに、手にしがたい存在に思えたのだ。
だから、結果、何もなかった。
悔しいが、彼女のいう通りかもしれない。
「だめだだめだ! マスコミに嗅ぎつけられてみろ、大迷惑だろう。俺は嫌だぞ」
「私もアウラも、気にしませんわ」
「俺が気にするんだよ!」
「小心者ですのね」
フェリェは呆れたようにため息をつく。
そして、ソファから立ち上がった。
「とんだ見込み違いでした。私、返ります」
そういって、玄関に向かう。
「おい! 待てよ!!」
急に心変わりした彼女を、俺は追いかける。
「あら。私に手を貸してくれないのでしょう? ならば、長居は無用ですわ」
「そうは言ってないだろ!? ただ、やり方が気にくわないだけだ!」
「同じことです。では、ごきげんよう」
そういって、彼女が玄関のドアを開ける。
「あああ、もう! 分かったよ!! 好きにしろよ!! 正し、一晩だけだぞ! 整体や練習だってあるんだからな! 邪魔すんなよ!!」
ピタリと、フェリェの退場劇が止まる。
そして、初めからこうなることが分かっていたように、くるりと踵をかえし、廊下に戻る。
「そうですか。では、一晩お世話になりますわ、ザザ。晩御飯は、海鮮野菜パスタにしてくださいね。私、お昼御飯をちゃんと食べていませんの」
そういって、リビングのソファに腰掛け、テレビを見始める天空都市の歌姫。
……ああ。腹の立つ奴だ。
言葉遣いこそたおやかだが、振る舞いは何処までも自分中心。
まったく、アウラの奴も、良くこれと続くものである。
というより、誰なんだろうか。
この傍若無人な歌姫に、脅迫文を出したのは。
(続く)




