「お前にキーロの夢が背負えるかよ」
(天空都市群グングニル中央島北東地区:第二コロッセウム)
円形闘技場のうねりが聞こえる。
観客が沸き立っているのだ。
その騒乱は、地下の控室まで木霊し、闘いを控えたグラディエーターの精神を高ぶらせる。
決戦を控えた猛獣が、俺の内部で待ちきれないように荒ぶっている。
早く檻から出せと、凍結飛竜が暴れているのだ。
高ぶる気持ちを鎮めるために、俺は短くため息をついた。
――十二月七日がやってきた。
定められた指名戦の日だ。
ランク11位のスーパーリーガー、グレイ・ミリアムハートJrとの決戦が、あと数分に迫っている。
第二コロッセウムは、俺が入場する頃には、観客とメディアで一杯だった。
久しぶりにフラッシュの雨あられを浴びたが、そんなことはどうでもいい。
俺にとって、興味があるのは目の前の試合だけだ。
「いよいよね。緊張してる?」
無言で瞑想する俺に、キーロが声をかける。
俺の控室には、俺と彼女だけだ。
俺の主治医は、備え付けのモニターを眺め、試合前から歓声を上げる円形闘技場を観察している。
「ミリアムハートJrの宣戦布告で、ずいぶん盛り上がっているみたいね。満員だそうよ?」
俺はモニターを一瞥し、短く応じる。
「観客の数で、やることは変わらない」
「ふうん。冷静なのね? 氷息帝さん? それとも、やっぱり緊張してる??」
そういうキーロの膝が、微細に震えていることくらい、俺はとっくに気がついていた。
キーロは恐れているに違いない。
俺が負けることを。
そして、自分があの金髪のメディカル・スタッフにされることを。
俺を信じていない訳ではないだろう。
しかし、不安というのは、何処までもせり上がってくるものなのだ。
その反面、喉元までせり上がってきても吐けない。
厄介な代物なのである。
だから、俺はキーロの不安をわざわざ指摘するつもりなどない。
俺に必要なのは、勝利の二文字だけだ。
アナウンスが告げられた。いよいよ準備が整ったようだ。
時刻も、丁度、正午。
試合が始まる。
係の人間が、俺の控室をノックした。
俺に、入場するよう伝える。
いよいよ、始まるようだ。
立ちあがって、控室から出ようとする。
そのとき、キーロに呼び止められた。
「ザザ! がんばってね……!」
そういうキーロの顔は、今にも泣き出しそうだ。
本当は、逃げ出したいくらい不安なんだろう。
でも、俺と交わした約束のために、ここにいてくれている。
俺は、そんなキーロに感謝している。
彼女がいなければ、この舞台に戻ってくることもなかった。
いわば、この躍動する鼓動と緊張感は、彼女からの贈り物だ。
「なあ、キーロ」
「……なに?」
「お前との約束は、まだ途中だ。だから、俺はここで負けない。例え、翼が折れても勝ってやるよ。信じてくれ、この氷息帝を」
「うん……!」
かみしめるように、キーロは何度も首を振る。
俺はドアノブを捻って、扉を開ける。
「あ、それと。今日ぐらい、買ったら食わせろよな。サーロインステーキ」
キーロの瞳から、一粒だけ輝きが滴る。
でも、彼女は笑顔だった。
「馬鹿ね。今日も――ササミよ」
俺もにやりと笑う。
そして、控室を出る。ドアをそっと閉める。
地上へ出る階段に続く廊下を歩きながら、キーロのことを考える。
控室で、彼女はまだ不安に駆られているだろうか。
もし、そうだとすれば、俺が不甲斐ないからだ。
心底、情けない。仕事上のパートナーに、信頼したくてもさせられないとは。
だが、その信頼は、これから勝ちとればいい。
その舞台は、目の前にある階段を上った所にある。
昇り切った所に、奴が待っている。
『台風の目』、グレイ・ミリアムハートJr。
スーパーリーグで目下、比喩・事実両面で、台風の目として君臨する男。
期待のスーパールーキー。
次世代の金字塔。
七帝に最も近い男。
様々な呼び名があるが、共通するのは、奴が実力を認められた選手だということだ。
大仰な二つ名に名前負けせぬほど、奴は強い。
それは確かだ。
これまでの相手とは違う。
だが、肩書など関係ない。
勝負を決めるのは、本当の力と執念だ。
それを、奴に俺は教えてやるつもりだ。
階段を昇り切った。眩しい陽が射している。
広大な円形闘技場の上には、晴天。
側面には、満員の観客席。
そして、正面には、余裕の笑みで俺を待ちかまえる金髪の男がいる。
宣戦布告ぶりに見る、グレイ・ミリアムハートJrだ。
奴は、自分の勝利を確信しているのか、俺を見ても表情一つ変えない。
「よお。逃げずに来たんだな。歓迎するぜ」
飄々と、人を食った台詞を投げかけるミリアムハートJr。
その表情に、神経質な緊張はない。
心地よい興奮だけが、奴の中を廻っている。
「試合をして俺が勝つ前に、条件の確認をしようぜ」
ミリアムハートJrは、両手をあげて大仰なポーズをとる。
「氷息帝、あんたが勝てば、ランクは俺の持っている11位まで上昇だ」
「ああ」
「そして、俺が勝てば――」
ミリアムハートJrは、ぎらついた視線で俺を眺める。
「――あの女天獣師を、あんたが差し出す。それで、いいんだったよな?」
「そうだ」
俺の返答を聞いて、ミリアムハートJrが高笑いする。
「ハハハ! ずいぶん非情じゃねえか、氷息帝! 勝てる見込みのない勝負に、他人の運命を賭けちまうとはな! あの女天獣師も、ずいぶん不幸なグラディエーターと組んじまったもんだ」
ミリアムハートJrが、俺を嘲笑う。
「なあ、参考に一つ聞かせてくれ。どうして、この勝負を受けた? 何故だ、氷息帝?」
理解できぬ愚か者を見る目で、ミリアムハートJrが俺を射る。
俺は、簡素に答えた。
「夢のためだ」
「夢だと?」
「そうだ。俺とあいつの夢のためだ」
湖面のような俺の瞳を凝視し、ミリアムハートJrは口角を吊り上げる。
「……なるほどな。訳ありか。夢とはね。これまた、大きく出たもんだ。だがな、氷息帝。夢ってのは、強者だけのものだ。弱者に夢を見る資格はねぇ。もう終わった選手であるあんたに、それを教えてやるよ、ザザ!!」
「……」
俺はあえて無言を貫いた。
こいつに言いたいことを、全て言わせるためだ。
「……ふん。反応なしかよ。だがまあ、安心していいぞ。あの女天獣師の夢がなんだかは知らんが、俺が叶えてやるよ。あんたの代わりにな、ザザ!」
俺は、ようやく口を開く気になった。
「――背負えるかよ」
ミリアムハートJrが、怪訝な顔をする。
「なんだと?」
「――お前に、キーロの夢が、背負えるかよ」
俺の抑圧されていた闘気が、体外に溢れだす。
それは、冷気となって俺の周囲を凍らせた。
俺の足元から、円状に氷の侵食が始まる。
円形闘技場の温度が、数度下がった。
ミリアムハートJrが、たじろぐ。
が、奴はすぐに平静を取り戻した。
『台風の目』は、これくらいの威嚇で戦意を喪失する相手ではない。
「おい、お前」
俺は、吐き出す息すら絶対零度を纏って宣告する。
「七帝を目指してるらしいな」
「だったら、どうした」
「教えてやるよ」
「何だと!?」
その言下、強風が吹き荒れた。
ミリアムハートJrの闘気が、競技場全体に風を巻き起こしたのだ。
奴も、本気になったらしい。
獣のような眼光の対戦相手に、俺は告げる。
「――皇帝の力を。教えてやるよ」
俺とミリアムハートJrは、アニマ―ジュの呪文を同時に唱えた。
大一番が、始まる。




