投資と器
(天空都市群グングニル中央島北西地区:第三コロッセウム)
ミリアムハートJrの宣戦布告は、俺の眠っていた闘争本能を呼び起こした。
そういってもいいだろう。
実際、俺は少したるんでいた。
リハビリがうまくいったことを喜び、それだけで満足してしまっていたのだ。
俺の目は覚めた。
そうじゃない。俺の目標は、もっと先にあるのだ。
怪我から復帰することは、スタート地点にようやく戻ってきただけのことであって、それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、本当の戦いは、元選手ではなく、現選手の此処から、始まるのである。
俺は、奴の挑発的な視線で、ようやくそれを悟ることができた。
やってやるさ。
それに、自分よりも若手の選手に、言われっぱなしでは終われない。
きっちり、自分の言動のつけを、円形闘技場で払ってもらおう。ミリアムハートJrには。
衝撃的な宣戦布告の夜が明け、俺達は第三円形闘技場で奴への対策に着手しようとしていた。
早朝五時のコロッセウムには、まだ人影はほとんどいない。
練習場に入る前に、昨日のニュース関連のインタビューが何件かあったが、手短に切りあげて俺とキーロはミリアムハートJrへの対策に取り掛かった。
あの忌々しい金髪に負ければ、キーロはメディカルスタッフ、俺は元七帝の名声を失う。
そうなるわけにはいかない。
何よりも、昨日の宣戦布告は俺の闘争心に火をつけた。
抑えきれない闘気が冷気となって俺から溢れ、東洋亭の温度を外気温よりも低くして、キーロに怒られたほどである。
兎に角、今回の戦いは、これまでの試合とは訳が違う。
非飛竜型のアニマ―ガスを相手にしていたプロテストとは、苛烈さが異なるし、得るものも失うものも、かなり大きい。
二度目の競技人生最初の、大勝負となるだろう。
その試合は、十二月七日の正午にある。
今は、十二月四日早朝。
もう、決戦まで三日程度だ。
試合の一日前は、身体を休めないといけないから、本格的な練習ができるのは、今日と明日の二日間だけである。
一分たりとも、無駄にはできない貴重な練習時間だ。
実際、この短い期間でどれ程対策を講じられるかは未知数だが、やってみるほかないだろう。
「よし! アップはそこまでよ。残りの日数は、あと二日しかない。だから、此処からは対戦相手の対策に全てを費やすわ。いいわね!」
短縮された通常メニューを消化した後、キーロがホイッスルで俺の注意を促す。
五時から練習を始めて、早くも十時過ぎだ。
時間が過ぎるのが早い。集中しているからだろう。
ここからは、いよいよミリアムハートJrの特殊能力である『嵐』への対策が開始されるのだろう。
一度アニマ―ジュを解除して、人間の姿に戻った俺は、キーロのところまで行き、尋ねた。
「それで、何をするんだ?」
意志の固まった紫の両目が俺を見据える。
「円形闘技場での練習は、もう終わりよ。後は、場外練習に費やすわ」
「場外? 天空都市から出るのか?」
「そ」
キーロが首肯する。
場外練習とは、読んで字のごとく、円形闘技場の外、あるいはより広義に解すれば、天空都市外での訓練である。
キーロは、天空都市からも出ると示唆した。
つまり、外空に出て鍛錬するということである。
……なんだかまた、ものすごいメニューを考えてきていそうだな。
「天空都市の外空に行って、何をするんだ? あそこ、空気は薄いし、気温は極寒だし、おまけに凄まじい乱気流が吹いてるぞ?」
そうキーロに話していくうちに、俺は何となく訓練の意図を理解した。
というか、これからどういう過酷な鍛錬が待っているか、察しがついた。
キーロを見る。
彼女は、黒い微笑みを浮かべてこちらを見ている。
あの笑みは、例の『魔女の微笑み』モードだ。
「そうよ。だから、そこで探すのよ」
にっこりとキーロは言う。
俺は不安になる。
「……おい。勝つためなら何でもしてやるが、一体何をさせようっていうんだ……?」
「何を? そうね」
キーロがゆっくり息を吸い込む。
「――あなたを、不規則的に発生させる天然の乱気流に、送りこもうと思うの!」
楽しそうにいうな。下手すれば、アニマ―ガスでも死ぬぞ、それ。
「そ、そうか。はあ。やっぱり……」
場外練習と聞いた時点で、何となく察しはついてた。
それに、相手は嵐飛竜のグレイ・ミリアムハートJrだ。
奴の風に対処できなければ、俺の勝利はない。
そうとなれば、奴の疾風に匹敵する風で対策をとるのが一番ではあるが……。
「なあ、キーロ。乱気流を使って、どう訓練するんだ? 言っておくが、俺は一応怪我人だぞ。強大な乱気流の中にそんな状態で突っ込めば、へたすりゃ試合の前に遭難だぜ?」
俺の危惧を聞いても、キーロは余裕の笑みを崩さない。
「そこで、これよ」
そういって、小さな魔導石をとりだす。
恐らく、上級の天空術を使うための補助具だな。
「……なんだよ? その、青い石?」
「これはね、『標の石』よ。二つ持っていると、片方がもう片方へ瞬間移動できるの。まあ、高度な天空術を、どちらか片方が使える必要があるんだけど……」
便利そうなアイテムだが、使える条件もシビアだな。
瞬間移動の天空術は、アニマ―ジュと同じくらい難易度の高い術だ。
簡単に使える人間は、そうそういないはずだが……。
「俺、瞬間移動の天空術なんて使えないぞ」
俺は、天空闘竜一筋の人間である。
日常的な天空術はともかく、それ以上のクラスの能力は、アニマ―ジュに極振りだ。
そんな上級天空術、使えるはずもない。
「ふうん。アニマ―ジュができるのに、瞬間移動は使えないのね。ま、いいわ。私、使えるから。はい、一つ持って」
やはり、キーロは瞬間移動を使えるようだ。彼女は、かなりの万能人間である。胸と機敏性はないが。
「了解。ポケットに入れとけばいいのか?」
「ポケットってねぇ。あなた、それが命綱なのよ? もっと大事に持ってなさい! 首にかける紐がついてるでしょ!」
確かにそうだった。
キーロの指示通り、青い魔導石を首にかける。
「これでいいのか?」
胸元に触れるその石は、微かに青白い波長を放っている。
「うん。ちゃんと、持ってるのよ」
キーロは、満足げに頷く。
なんだか、母親に貴重品をあずけられた子供みたいな扱いだな。不満である。
「これを身につけて、都市外に吹き荒れる乱気流内を散歩するのか。ずいぶん、そそるねぇ」
「ふざけている暇はないわよ。あと、それなくさないでよね。ものすごく高かったんだから」
「へえ。そんな高かったのかい? よく買えたな」
俺は何気なしに、胸元の石を触っていた。
だから、次の言葉が、すぐには理解できなかった。
「そうね。あなたの貯金全額と、次の試合の賞金三割をつぎ込んで、やっと買えたのよ?」
……は?
今、ものすごく嫌な現実が聞えてきた気がする。
胸元の青白い波長が、これまでとはまるで違った雰囲気に見える。
「……おい。もう一回、さっきの言ってみろ」
キーロは真顔で言う。
「あなたの貯金全額と、次の試合の賞金を三割担保にして、魔導石を買ったわ」
じわじわと、嘘であってほしい現実が俺の脳裏を侵食し、そして――。
「ふざけんな! 貯金全額と試合のファイトマネーだと!? いくらしたんだこれ!?」
「一千三百万ミスリルよ」
キーロは何故か笑顔で言った。
俺は奴の首を絞めたいと、一瞬思う。だが、流石にそれはできない。
「いっせんさんびゃくま……! お前! 貴様! なんてことをしてくれた! 俺の慎ましい通帳残高七百万ミスリルを! それに、次のファイトマネーまで!!」
俺は猛然と抗議する。
が、キーロに毅然と反論される。
「そう。じゃあ、ミリアムハートJrに負けてもいいのね? 次の試合に勝つことができれば、大した額じゃないわ。結果が遅れてついてくるだけよ。私は、この金額が必要だと判断したの。それをしなければ勝てないとね。だから、そうしたのよ」
「でもな! だからといって、独断で相談もなく……」
「そうね。独断だったわ。そこは、謝らなきゃいけないところね。でも、あなたが賛成しないと思ったから、独断で購入したのよ」
「おい! そこまで分かっていたくせに。なんて馬鹿なことを――」
食い下がるが、アメジストのような瞳に黙らせられる。
彼女は、本気なのだ。
「そうね。一時の小さな利益を死守するために、より大きな利益を得る機会を逃す。馬鹿馬鹿しいことだわ。その担保になっているのが、元七帝の実力なら、尚更でしょう?」
彼女は、資源再利用施設以来の極めて挑発的な態度で、俺を真っ直ぐに見つめる。
「なんだと?」
「馬鹿な買い物をしたと思う? それとも、未来への投資だと思う? どちらでもいいわよ。でも、これを使って鍛錬することが、私達には必要なの。絶対に。それだけよ、ザザ・ムーファランド」
俺は、もう一度、胸元の石を眺めた。
「それがあれば、厳しい外空の環境にでて、好きなだけ練習が詰めるわ。この二日間だけじゃない。ミリアムハートJrに勝った後も、七帝に返り咲いた後も。あなたが現役を止めるその日まで、好きなだけ危険な外空域で鍛錬出来る。その価値がある買い物を、価値あるものにするのか、価値あるものにしないのか。全て、あなたのグラディエーターとしての器にかかっているわ。小さな安息を求めて縮こまるのか、より大きく飛躍するため挑戦するのか。選べばいいわ。もし、それがいらないならば、返品してくるわよ? クーリングオフ期間中だもの」
キーロの言葉が、俺の胸に刺さる。
確かに、大金を勝手に使われたことには、頭が来た。これは、譲れない部分だ。
だが、投資だと考えれば、浪費よりましかもしれない。
それに、主治医の彼女は、なにより俺がより勝てるように、この馬鹿高い石ころを、まだ手元にないファイトマネーまで担保に入れて、俺に与えたのだ。
……ふん。それに、俺の器次第だって? つくづく、嫌みな奴だ。グラディエーターの経験もないくせに、こういう論理だけは一人前に言いやがる。むかつくぜ。
だが。やはり、この挑発からは降りる訳にはいかない。
ミリアムハートJrのときもそうだったが、やっぱり俺は、何処かで一度目の競技人生を誇りに思っている。つまり、もう超えられないかもしれないと、心の奥底で思っていた。
自分でも気づかなかったが、昨日の宣戦布告と、今のキーロの言葉で、俺はそういう自分に打ち勝ちたいと願い始めている。過去の栄光を眩しく見上げるだけの余生を送るには、俺は若すぎる。まだ、十七になったばかりなのだから。
それを俺よりも先に気づき、その弱さに打ち勝とうと先手を打ったのが、目の前にいるキーロ、ということなんだろう。
俺は、この小娘に応える準備ができているんだろうか。
たとえ大金をつぎ込んでも。私生活を犠牲にしても。
全てをつぎ込んで、駄目だったときですら、潔く敗北を受け入れる覚悟をし、ひたすら禁欲的に勝利だけを目指す生き方が、俺にもう一度、できるだろうか。
「……おい、キーロ」
「なによ? やっぱり、いらないのね?」
キーロはそういって、俺の胸元に手を伸ばした。
だが、俺はその手を止める。
「乗ってやるぜ。これまでも、お前を信じてきた。だが、漠然とだ。でも、今度はそうじゃない。俺は、本当にお前との再起にかける。負ければ何も残らねえ。勝たなきゃ何も意味がねぇ。上等だよ。それくらい、七帝に返り咲くには、必要なんだろ」
キーロは、俺の決意表明を、腕組みして受け止める。
「ふーん。やる気になったの?」
「前からやる気さ。だが、これからはそれ以上だぜ」
「そ。じゃあ、鍛錬のメニューを教えるわ――」
俺は分かっていたのかもしれない。
これ以上昇っていくならば、これまでのような気持では駄目だと。
その予感が、ミリアムハートJrの宣戦布告と、キーロの挑発によって目覚めたとすれば、俺は感謝しなければならない。その二人に。
その感謝は、キーロには勝つことで示せばいい。
そして、『台風の目』には、敗北を持って、伝えてやればいい。
それが、俺のすべきことだ。




