新しい扉の気配
(天空都市群グングニル最北島内陸部北側:プラト山村キャンピングロッジ内ラウンジ)
襲撃、そしてアウラとの再開から、更に一週間が過ぎた。
今日は、十一月二十七日。
襲撃から約十日。
俺達がリハビリを初めてからは、もう一カ月近くになる。
あれから不穏な影は、俺達のリハビリ生活から姿を消した。たぶん、アウラの攻撃が効いたんだろう。
第一右翼の状態は、かなり上向いてきた。もう、数時間の飛行にも耐えられるほどだ。
新しい凍結飛竜の肉体も、徐々に形となりつつある。特に、背中側の筋肉をはじめとする翼付近の筋肉は、鉄の鎧のように俺の脆い部分を守護している。
キーロのアドバイスと、その過酷な訓練に耐えた俺の、最高傑作。一度目の現役時代との、一番の相違点だ。そして、武器でもある。
俺はこの一ヶ月間、日に日に自分の肉体が蘇る感覚に、喜びを募らせてきた。絶望していた一か月前の俺では、もうない。
リハビリが四週間目に突入してからは、飛行訓練の時間が大幅に伸びた。
午後練のメニューを一部午前に繰り上げ、正午以降は実戦訓練を主軸に据えてもいいほどに、俺の変身後の姿は強靭さを取り戻していたのである。
午前の練習と変身後のウェイトを巻いて終われるだけの余裕が、四週間目の俺にはできていた。
流石は、空の王者ワイバーンの肉体だ。トレーニングのフィードバックも早いし、疲労回復能力も人間の数倍なだけはある。もっとも、この強靭さで大怪我をおった、過去の不注意さは重々反省すべきだろう……。
キーロには、医療的な指示だけでなく、メンタリティも鍛えられた。その一番の要因は、地獄の整体だろうけれど……。
おほん。ともかく。今の俺は、空を自由に翔け、そして、自由自在に重力から逃れる術を知っている。そういうことだ。
俺が鋭い切り返しを披露し、竜巻のように上昇するたび、氷の競技場に、凄まじい風圧が吹き荒れる。
まるで、俺が嵐を生成しているかのようだ。凍った湖面に積もった新雪が吹き飛ばされ、凍った水面が露わになる。それも、半径数百メートルに及んでだ。
もし、今出せる全力を尽くせば、凍った水面に風圧だけでヒビを入れるくらいはできるだろう。
だが、それを実行に移すことはない。調子に乗った無茶が一番怖い。
それに、そんなことをしてキーロに被害が出れば、またあの電撃地獄の餌食になってしまう。それだけはご免だ。
この四週間で唯一克服できなかった、あの電撃への耐性づくりは、中央島に帰ってからの宿題ということになる。はあ。あの激痛だけは慣れないんだよなぁ……。
「よし! アップはこれくらいでおしまいよ、ザザ! 一回降りてきて!」
午後練の飛行訓練は、アップから始まる。
それが終わり、俺の主治医が一度指示を出すために着陸を願い出る。
「了解だ。こんどは、数センチ頭上に降りてやろうか?」
「あら、いいわよ。寝る前の整体が五倍になるけどね」
「わかった、よ!」
いつも通り、俺はキーロと好戦的なコミニュケーションをとって、湖面に着陸する。
飛び始めた頃は、着地もぎこちなく、その衝撃が氷のリンクを地震の揺らしていた。
だが、いまでは降り積もった雪すら微動だにしない。空中でのバランス感覚が、蘇った証だ。
「着陸の風圧も、かなり抑えられるようになったわね。感心、感心。やっぱり、私の組んだメニューが良かったみたいね。きっと、特に整体と鬼のような食事制限が効いたに違いないわ」
「その二つは補助だろ。訓練だよ、訓練。それが一番大事だったんだ。今日の指示は?」
「いつも通り、最北島の周回と、切り返しの練習。それに、乱気流の中でのバランス力アップよ」
「そうか。じゃ、終わるのは夕方だな」
「あ、ちょっと待って。簡易診察するから」
飛び立とうとする俺を静止させるキーロ。
彼女の両目が、妖しく光る。医療データを可視化する『サーチ』という天空術を使っているのだ。
彼女の天空術精度は破格で、人間ドックが無意味に思えるくらい、俺の健康状態を一瞬で見抜いてしまう。
一度、キーロに隠れてササミを夜食に食べたときも、翌朝すぐに見破られた。無論、電圧の制裁付きである。くそう。魔女め。
だが、筋繊維の復元率や、血液の状態までわかるのだから、やはりキーロは信頼できる主治医だ。電撃とサディズムを抜きにすれば。
「……うん。問題ないわ。でも」
「でも?」
「……ここ数日、気になっているの。あなたが肉体改造に取り組んでから、もう四週間。徐々に、あなたの身体に、なにかよくわからない、変化が起こっているのよ」
「変化? 初耳だぜ、そんな話」
「確証のない話は、したくなかったのよ。でも、なんだか不思議な気持ち。あなたの身体を診るたびに、その『予感』みたいなものが、徐々に大きくなっているわ」
「まさか、別の怪我の兆候とか……?」
俺は少し不安になる。主治医の懸念材料は、選手である俺の懸念材料でもある。
しかし、キーロは首を横に振った。
「ううん。違うの。なにか、不思議な感覚よ。さなぎが蝶になるのを、毎日スライドで見ているような……。そんな感覚」
「なんだよ、それ? よく分からないな。さなぎから蝶? 俺はワイバーンタイプなんだぜ、もう蝶じゃないか」
「うん。そうね……。私も、よくわからないわ。中央島に帰ったら、グングニル大学の総合図書館で、調べてみなきゃ」
「頼む。お前が、頼りだ。ドクター・キーロ」
「うん。まかせて。――じゃあ、いってきなさい。さっさと」
「わかりました。話題が尽きた後はすぐに空へ帰されるのも、もう慣れたぜ」
「手を抜くんじゃないわよ。あと、無茶も駄目」
「りょーかい。行ってくる」
俺は爆発的なエネルギーで、地上から飛び立った。
無論、わざとだ。
下界を確認する必要もない。キーロはきっと、風圧に尻もちをつき、おまけに雪まみれだろう。
「無茶は、だめって、言った、でしょ!!」
キーロの拡張された怒声が、天空術で上空まで届いてくる。
「これくらい、今の俺には無茶でもなんでもないんでね、主治医」
俺は、六枚の翼で優雅に風を掴まえ、最北島の雪山に沈む夕日に向けて飛んだ。
時が凍り付くほどの冷気の中、一頭の飛竜が、大海を泳ぐ鯨のように、ゆっくりと気持よく、自分の帝国を散歩する。
たまに、主治医のキンキン声が聞こえるが、これくらいはご愛嬌だ。
それにしても、キーロの話は本当だろうか。
――さなぎから、蝶? さすがに、信じられないな。




